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第四章 相愛の竜
27.パウラ、二度目を変える
高く険しい山は、万年雪の帽子を被っている。
そこから吹く風は季節を問わず冷たくて、作物の生育に影響する。
小麦やコメのような穀類はまず無理だ。
冷気に比較的強い雑穀のみが、わずかに育ってくれる。
それだけでは一年分の必要量に届くはずもない。
補うための芋や豆の畑もあちこちにあるみたいだが、採れる芋や豆は痩せて小さなものばかり。
この辺りの人々が食べていくには、到底足りない。
いつも食糧は不足している。
ゲルラの一部でもある白虎の地。
そこはそんなところだった。
パウラたちは、白虎の里から少し離れた地に野営の天幕を張った。
「白虎の者は警戒心が強い。これでも近すぎるくらいだ」
セスランが指示を出す。
前世の記憶のとおりだ。
ぶうっとふくれっ面をしたエリーヌの言葉まで同じ。
「え~。もう少し川の側とか。マシなとこにしましょーよ」
その不満はあっさり黙殺される。
「今夜はここで野営する。もうここは白虎族の土地だ。そのつもりで気を抜かぬように」
セスランの声は、ピンと張りつめていた。
ここは既に安全ではない。
おそらく白虎の偵察隊が、あちこちに潜んでこちらをうかがっているはずだ。
「ごはんの準備、わたししますね!」
これも記憶どおりだ。
エリーヌがいいところを見せようとする。
「白虎の人にも出してあげられるように、たくさん持ってきたんですよ」
(え……?)
パウラは一瞬耳を疑った。
前世とは違う展開だ。
(エリーヌが白虎に気を遣った?)
ありえないことが起きている。
けれどそれは現実で、エリーヌはオートミールの箱を取り出した。
「これでお粥、作りますね」
「非常時でも美味しい携帯食」ではない?
こんなまずいもの、誰が食べるのかじゃない?
パウラと同じ驚きが、セスランにもあるらしい。
翡翠の瞳が訝し気に、エリーヌに向けられている。
「あんまり作ったことないから練習してきちゃいました。わたしが作ったらおいし~ですよぉ」
乙女ゲーム!
その言葉が浮かんだ。
この世界は、ナナミの世界にあった「乙女ゲーム」とやらいうものによく似ているらしい。
そしてエリーヌ・ペローは、そのゲームのヒロインなんだとか。
それなら……。
おそらくエリーヌは、ナナミと同じ世界からやってきた。
乙女ゲームの記憶を持ったまま。
だからセスランが望む行動を、あらかじめ予想できる。
セスランの行動は、エリーヌの選んだ答えによって変わるのだそうだ。
(それなら行動と答えの組み合わせを知ってれば、セスランの行動が変わっても対応できるわ)
エリーヌが前世とは違う行動をとる理由。
きっとそれだ。
(これは厄介ね)
前世の記憶を元に考えるパウラには、ちょっと困ったことになった。
(でも大きな流れが変わるわけじゃない)
ここまでの経過を見て、パウラは確信している。
それならば五分五分だ。
エリーヌにゲームの知識があるのなら、パウラにだって前世の知識がある。
ここから先はどちらが出し抜けるか。
そこが勝負どころだ。
とりあえず夕食の準備でエリーヌがしくじることはなさそうだ。
無理にでしゃばるのは良くない。
けれど全く無視すれば、それはそれで嫌味を言われる。
だから一応、本当に一応の声をかけた。
「わたくしもお手伝いしますわ」
「あ、いいよ。パウラみたいなお嬢様には、お料理なんて無理でしょ?」
エリーヌの笑顔には、わかりやすく険がある。
こういうところが修行不足なのだが、それはパウラにとってありがたいことだ。
性格まで良くなられたら、エリーヌのセスラン攻略が前世より簡単になってしまう。
ぜひ引き続き根性悪でお願いしたい。
「そう。では、お願いいたしますわ」
あっさり退いたパウラに、エリーヌは拍子抜けしたような表情をしている。
(言い返すわけないでしょう)
ここで彼女との舌戦にのってやるなど、愚策も良いところだ。
何を言われるか。
言いそうなことはだいたい想像できるから。
エリーヌに異世界の記憶があるのは確かのようだけれど、あまり上品な性質の前世ではなかったんだろう。
選ぶ言葉、しかけてくる挑発は、こちらの女性の集まりでも時々目にする低俗なものがほとんどだ。
ああいう手合いには、冷ややかな無反応が一番だとパウラは知っている。
けれど、ひとつ困ったことがある。
この後、パウラにはセスランとの憩いの時間があるはずだった。
けれどそれは、パウラが茅の実でお粥を作ることが前提だ。
夕食作りをエリーヌにとられてしまうと、その未来はない。
(困ったわ。どうしよう)
眉を寄せていると。
「パウラ、辺りを見回りに行く。一緒にどうだ?」
甘やかなテノールがごく間近で響く。
びくりと肩を震わせて見上げると、声に似合いの極上の微笑があった。
「どうした?」
「は……い。お伴いたします」
手を差し伸べられる。
まるで舞踏会へでも出かけるようだ。
寂しい枯草色の風景が、まばゆいシャンデリアの煌めく広間に変わるような完璧なエスコート。
思わずパウラは微笑んだ。
なんともセスランらしいと思ったから。
完璧な礼法に従った所作と会話、やや堅苦しい印象はあるものの、優雅な物腰とそれに極上の美貌。
燃えるような紅い髪、深い翡翠の色の瞳、すうっと高くとおった鼻梁は弦無し眼鏡がしっかり止まりそうだ。
大きく、けれど薄く形の良い唇は艶やかで、透明感のある白い肌によく映えている。
貴公子中の貴公子だ。
「あー! あつっ! 火傷しちゃいました~!」
お粥を作ると張り切っていたはずのエリーヌが、突然大きな声をあげて蹲っていた。
仮病……ではない。
仮傷?
嘘のケガはなんというのだろう。
パウラとセスランが出かけそうな様子に、とっさにケガを演じたのだろうと楽にわかった。
正試験官の立場上、セスランは放っておけないから。
「アルヴィド、頼む。必要であれば、手当を」
ところが振り向きもせず、セスランは言った。
「仮にも聖女候補だ。己の傷くらい治せるはずだがな」
副試験官のアルヴィドが、わかったと頷いてエリーヌの傍に寄る。
パウラはただ驚いていた。
(どうして……。どうしてこんなに冷たいの?)
嘘の火傷であったとしても、あまりにも露骨に嫌悪をしめし過ぎではないか。
「必要以上に関わりたくはない」
天幕から三十分ばかり歩いたところで、セスランが苦笑して言った。
「あれは私のことを、なぜだかよく知っている。私の出自、心の闇。傍に寄れば、知らぬ間に耳に毒を注がれるようだ」
セスランも気づいていたのか。
話してもいないことまで知りすぎている、エリーヌの不思議な行動について。
パウラだって、ゲームのことを教わっていなければ信じられなかったと思う。
セスランにそれを言うべきか。
もし言ったとして、信じてもらえるだろうか。
「だから私は、あの夜己の弱さに負けた。パウラを望む資格など自分にはない。 そう絶望した末のことだ」
痛みと哀しみ、それに後悔と。
セスランの暗く沈んだ声には、ごちゃまぜになった感情があった。
(あの夜? まさか前世のあの夜のこと?)
エリーヌとセスランがそうなった、あの運命の夜。
「言い訳をさせてほしい。パウラ、私がそう言えば許してくれるだろうか」
許してほしい。
パウラの前に跪く。
見上げた翡翠の瞳が、パウラの答えを乞うように揺れていた。
そこから吹く風は季節を問わず冷たくて、作物の生育に影響する。
小麦やコメのような穀類はまず無理だ。
冷気に比較的強い雑穀のみが、わずかに育ってくれる。
それだけでは一年分の必要量に届くはずもない。
補うための芋や豆の畑もあちこちにあるみたいだが、採れる芋や豆は痩せて小さなものばかり。
この辺りの人々が食べていくには、到底足りない。
いつも食糧は不足している。
ゲルラの一部でもある白虎の地。
そこはそんなところだった。
パウラたちは、白虎の里から少し離れた地に野営の天幕を張った。
「白虎の者は警戒心が強い。これでも近すぎるくらいだ」
セスランが指示を出す。
前世の記憶のとおりだ。
ぶうっとふくれっ面をしたエリーヌの言葉まで同じ。
「え~。もう少し川の側とか。マシなとこにしましょーよ」
その不満はあっさり黙殺される。
「今夜はここで野営する。もうここは白虎族の土地だ。そのつもりで気を抜かぬように」
セスランの声は、ピンと張りつめていた。
ここは既に安全ではない。
おそらく白虎の偵察隊が、あちこちに潜んでこちらをうかがっているはずだ。
「ごはんの準備、わたししますね!」
これも記憶どおりだ。
エリーヌがいいところを見せようとする。
「白虎の人にも出してあげられるように、たくさん持ってきたんですよ」
(え……?)
パウラは一瞬耳を疑った。
前世とは違う展開だ。
(エリーヌが白虎に気を遣った?)
ありえないことが起きている。
けれどそれは現実で、エリーヌはオートミールの箱を取り出した。
「これでお粥、作りますね」
「非常時でも美味しい携帯食」ではない?
こんなまずいもの、誰が食べるのかじゃない?
パウラと同じ驚きが、セスランにもあるらしい。
翡翠の瞳が訝し気に、エリーヌに向けられている。
「あんまり作ったことないから練習してきちゃいました。わたしが作ったらおいし~ですよぉ」
乙女ゲーム!
その言葉が浮かんだ。
この世界は、ナナミの世界にあった「乙女ゲーム」とやらいうものによく似ているらしい。
そしてエリーヌ・ペローは、そのゲームのヒロインなんだとか。
それなら……。
おそらくエリーヌは、ナナミと同じ世界からやってきた。
乙女ゲームの記憶を持ったまま。
だからセスランが望む行動を、あらかじめ予想できる。
セスランの行動は、エリーヌの選んだ答えによって変わるのだそうだ。
(それなら行動と答えの組み合わせを知ってれば、セスランの行動が変わっても対応できるわ)
エリーヌが前世とは違う行動をとる理由。
きっとそれだ。
(これは厄介ね)
前世の記憶を元に考えるパウラには、ちょっと困ったことになった。
(でも大きな流れが変わるわけじゃない)
ここまでの経過を見て、パウラは確信している。
それならば五分五分だ。
エリーヌにゲームの知識があるのなら、パウラにだって前世の知識がある。
ここから先はどちらが出し抜けるか。
そこが勝負どころだ。
とりあえず夕食の準備でエリーヌがしくじることはなさそうだ。
無理にでしゃばるのは良くない。
けれど全く無視すれば、それはそれで嫌味を言われる。
だから一応、本当に一応の声をかけた。
「わたくしもお手伝いしますわ」
「あ、いいよ。パウラみたいなお嬢様には、お料理なんて無理でしょ?」
エリーヌの笑顔には、わかりやすく険がある。
こういうところが修行不足なのだが、それはパウラにとってありがたいことだ。
性格まで良くなられたら、エリーヌのセスラン攻略が前世より簡単になってしまう。
ぜひ引き続き根性悪でお願いしたい。
「そう。では、お願いいたしますわ」
あっさり退いたパウラに、エリーヌは拍子抜けしたような表情をしている。
(言い返すわけないでしょう)
ここで彼女との舌戦にのってやるなど、愚策も良いところだ。
何を言われるか。
言いそうなことはだいたい想像できるから。
エリーヌに異世界の記憶があるのは確かのようだけれど、あまり上品な性質の前世ではなかったんだろう。
選ぶ言葉、しかけてくる挑発は、こちらの女性の集まりでも時々目にする低俗なものがほとんどだ。
ああいう手合いには、冷ややかな無反応が一番だとパウラは知っている。
けれど、ひとつ困ったことがある。
この後、パウラにはセスランとの憩いの時間があるはずだった。
けれどそれは、パウラが茅の実でお粥を作ることが前提だ。
夕食作りをエリーヌにとられてしまうと、その未来はない。
(困ったわ。どうしよう)
眉を寄せていると。
「パウラ、辺りを見回りに行く。一緒にどうだ?」
甘やかなテノールがごく間近で響く。
びくりと肩を震わせて見上げると、声に似合いの極上の微笑があった。
「どうした?」
「は……い。お伴いたします」
手を差し伸べられる。
まるで舞踏会へでも出かけるようだ。
寂しい枯草色の風景が、まばゆいシャンデリアの煌めく広間に変わるような完璧なエスコート。
思わずパウラは微笑んだ。
なんともセスランらしいと思ったから。
完璧な礼法に従った所作と会話、やや堅苦しい印象はあるものの、優雅な物腰とそれに極上の美貌。
燃えるような紅い髪、深い翡翠の色の瞳、すうっと高くとおった鼻梁は弦無し眼鏡がしっかり止まりそうだ。
大きく、けれど薄く形の良い唇は艶やかで、透明感のある白い肌によく映えている。
貴公子中の貴公子だ。
「あー! あつっ! 火傷しちゃいました~!」
お粥を作ると張り切っていたはずのエリーヌが、突然大きな声をあげて蹲っていた。
仮病……ではない。
仮傷?
嘘のケガはなんというのだろう。
パウラとセスランが出かけそうな様子に、とっさにケガを演じたのだろうと楽にわかった。
正試験官の立場上、セスランは放っておけないから。
「アルヴィド、頼む。必要であれば、手当を」
ところが振り向きもせず、セスランは言った。
「仮にも聖女候補だ。己の傷くらい治せるはずだがな」
副試験官のアルヴィドが、わかったと頷いてエリーヌの傍に寄る。
パウラはただ驚いていた。
(どうして……。どうしてこんなに冷たいの?)
嘘の火傷であったとしても、あまりにも露骨に嫌悪をしめし過ぎではないか。
「必要以上に関わりたくはない」
天幕から三十分ばかり歩いたところで、セスランが苦笑して言った。
「あれは私のことを、なぜだかよく知っている。私の出自、心の闇。傍に寄れば、知らぬ間に耳に毒を注がれるようだ」
セスランも気づいていたのか。
話してもいないことまで知りすぎている、エリーヌの不思議な行動について。
パウラだって、ゲームのことを教わっていなければ信じられなかったと思う。
セスランにそれを言うべきか。
もし言ったとして、信じてもらえるだろうか。
「だから私は、あの夜己の弱さに負けた。パウラを望む資格など自分にはない。 そう絶望した末のことだ」
痛みと哀しみ、それに後悔と。
セスランの暗く沈んだ声には、ごちゃまぜになった感情があった。
(あの夜? まさか前世のあの夜のこと?)
エリーヌとセスランがそうなった、あの運命の夜。
「言い訳をさせてほしい。パウラ、私がそう言えば許してくれるだろうか」
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パウラの前に跪く。
見上げた翡翠の瞳が、パウラの答えを乞うように揺れていた。
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