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第四章 相愛の竜
29.パウラ、拗らせた熱は怖いと知る
身体が小刻みに震えている。
既に感覚のないはずの指先がやけに冷たくて、爪先まで震えが止まらない。
セスランに預けていた右手が、ぎゅうと握りしめられる。
温かい唇が落とされて、次の瞬間抱き寄せられた。
控えめな、けれどとても優しい薔薇の香りがパウラを包み、背中に回された腕の力が強くなる。
「夢……か」
耳元に掠れた声。
「夢ではないのか」
小さく続いた。
ぎゅうと抱きしめる力はますます強くなって、パウラは思わずこふっと咳き込んだ。
「すまぬ」
慌てて腕の力を緩めてくれる。
けれど離してはくれない。
「まだ信じられぬ。これは現実なのか」
翡翠の瞳が不安げに揺れる。
確かめるように指を伸ばして、パウラの頬にそっと触れた。
パウラと、名を呼ぶ声はあるかなきかの音量で。
「どうすれば良い? 怖くてたまらぬ。目が覚めれば、パウラはいないのではないか」
頬におかれた指の先から、セスランの震えが伝わってくる。
ほっそりと長い、形の良い指の先は氷のように冷たかった。
夢かと疑う心地はパウラも同じだ。
セスランが自分を選んだ。
前世からずっと、求めていたのはパウラもだ。
夢ではないか。
夢なら覚めないでほしい。
想いが凝って、言葉になった。
「このまま覚めずにおきましょう」
ふっと息を漏らして、ようやくセスランが笑った。
「それは良いな」
紅く長いまつ毛が上下して、翡翠の瞳から不安を拭い去る。
頬にかかっていた指がパウラの顎を捉えて上向かせると、ふわりと柔らかくセスランは微笑んだ。
そして唇を重ねる。
そうっと優しく、気遣うような唇が幾度も。
蝶々のようにひらひらと軽い触れるか触れぬか。
あえかな口づけが、だんだんに少しづつ二人を近づけてゆく。
幾度目だろうか。
唇の離れたわずかの間に、こくんとセスランの喉が鳴った。
再び重ねられた唇は、最初から深く熱っぽい。
温かな舌がパウラの震える舌を捉えて、絡みついた。
初めての感覚に驚いて、反射的に逃げようとしたけれど、セスランの腕がそれを許さない。
より一層強く抱きしめられて、呼吸さえ奪われるようだ。
角度を変えて何度も何度も。
重ねた唇の端から、つうと銀色の唾液が伝う。
嫌だとは、思わなかった。
いつのまにか腕を伸ばして、セスランの首を抱きしめている。
いっそ身体すべてが溶け合って、一緒になれれば良いのに。
もどかしくてじれったくて、けれどそれを表現する術を知らなくて、パウラはセスランを抱きしめる。
「なんとかわいらしいことを」
翡翠の瞳を細めて、セスランが小さく唸る。
「私を試すつもりか?」
大きな木の幹にパウラの背を押しつけて、セスランはパウラの胸に顔を埋めた。
「どれほど私がこらえているか。パウラにはわかるまい」
胸の谷間あたりに、セスランの吐く息が熱い。
どくんと大きく心臓が跳ねて、さすがにパウラもセスランの言葉の意味を理解する。
(ま……まさか、このままここで?)
そちらの方面の知識は、恥ずかしながらほとんどない。
ヘルムダールでは結婚が決まるまで、そういう教育はされないから。
けれどパウラの身体の奥にだんだんに溜まる熱。
足の付け根あたりの冷たい潤みが、その先に起こることをなんとなく教えてくれる。
(でもさすがにここでは)
セスランの熱を嬉しく愛しく思いながら、最後の理性でパウラは首を振る。
「も……戻らなければなりませんわ」
夕食までに戻らなければ騒ぎになる。
ここは危険地帯なのだ。
セスラン自身がそう言った。
奥歯をぐっと噛みしめたセスランが、もう一度パウラを強く抱きしめる。
「わかった」
ふいと顔を逸らした後、ようやく腕をほどいてくれた。
「なぜ戻らねばならぬ。忌々しい」
野営地に戻る道々、セスランは限りなく不機嫌だった。
正試験官が、職場放棄するわけにもいかない。
こういうところ、謹厳なセスランはきっちりしている。
けれどパウラと想いを通わせた後だ。
離れがたいと思うのは、パウラだけではないみたいだ。
多分。
「白虎の姫も相手の男も、覚悟が足りぬ。連れ戻されるような不覚をとって、何をしているのか」
今回の課題対象の二人にまで、とばっちりがゆく。
そのふてくされた様子が意外でかわいらしくて、パウラは思わず笑ってしまう。
「余裕だな」
セスランの美しい眉間に、くっきりとしわが刻まれている。
「私が身も世もなくパウラを求める姿が、さほどにおかしいか」
今度はパウラにまで、とばっちりが来る。
「離れたくないのは、自分だけだと?」
パウラだって、好きで離れたのではない。
けれどここは外だし、どこに白虎一族の目があるともわからないし。
あまり長い時間野営地に戻らないでいると、要らぬ心配をかけてしまう。
やつ当たりしないでほしいと思っていると。
「もう一度、言ってはくれぬか」
ぱぁっと辺り一帯に陽が射しこむような、喜色満面のセスランの表情が目の前にあった。
翡翠の瞳が、パウラの唇を食い入るように見つめている。
「離れたくないのは、ご自分だけだと思っているの。そう申し上げました」
あらためて言い直すのは、とても照れくさい。
ぷいっとそっぽを向いて乞われた言葉を口にする。
途端、ぎゅうと抱きしめられた。
「パウラも? パウラも私と離れたくないと思ってくれるのか? なんと嬉しいことを。この愛しさを抑えよとは、無理な相談だ」
甘い艶のあるテノールが、めずらしく上ずっている。
抱きしめられたパウラの耳に、セスランの鼓動が伝わってくる。
どくどくと、とても速い。
つい先ほどまでの熱が、まだパウラの身体には残っている。
このままでは再び呼び起こされそうで怖い。
ひきずられる。
ぎゅっと目を閉じて、じゅーじゅつの稽古を思い出す。
投げ飛ばされて、投げ飛ばされて。
頭の中で十回は投げられて、やっと目を開けた。
「なすべきことが、まだありますわ。乗りかかった船と申しますでしょ。一度やりますと受けたのですから、途中で放り出すのは良くありません」
セスランの腕を押しやって、翡翠の瞳をまっすぐに見上げる。
当面の課題を片付けて、後のことは落ち着いてそれから考えれば、いやそうすべきだと思う。
恋に浮かれたいのはパウラだって同じだ。
何もかも放り出してその事だけ考えられたらどんなに良いか。
けれどそういう性格ではない。
やりかけの、受けてしまった仕事を放り出せたら、それはもうパウラではない。
「全く……。私も男なのだと、パウラはわかっていない。情け知らずの、つれない姫だ」
燃えるような紅い頭を緩やかに振って、セスランはしぶしぶ腕の拘束を解いてくれた。
「なすべきことが終わったら、その時は。褒美を期待しても良いのだろうな」
深く濃い翡翠の瞳に、灼熱のプロミネンスが揺れていた。
既に感覚のないはずの指先がやけに冷たくて、爪先まで震えが止まらない。
セスランに預けていた右手が、ぎゅうと握りしめられる。
温かい唇が落とされて、次の瞬間抱き寄せられた。
控えめな、けれどとても優しい薔薇の香りがパウラを包み、背中に回された腕の力が強くなる。
「夢……か」
耳元に掠れた声。
「夢ではないのか」
小さく続いた。
ぎゅうと抱きしめる力はますます強くなって、パウラは思わずこふっと咳き込んだ。
「すまぬ」
慌てて腕の力を緩めてくれる。
けれど離してはくれない。
「まだ信じられぬ。これは現実なのか」
翡翠の瞳が不安げに揺れる。
確かめるように指を伸ばして、パウラの頬にそっと触れた。
パウラと、名を呼ぶ声はあるかなきかの音量で。
「どうすれば良い? 怖くてたまらぬ。目が覚めれば、パウラはいないのではないか」
頬におかれた指の先から、セスランの震えが伝わってくる。
ほっそりと長い、形の良い指の先は氷のように冷たかった。
夢かと疑う心地はパウラも同じだ。
セスランが自分を選んだ。
前世からずっと、求めていたのはパウラもだ。
夢ではないか。
夢なら覚めないでほしい。
想いが凝って、言葉になった。
「このまま覚めずにおきましょう」
ふっと息を漏らして、ようやくセスランが笑った。
「それは良いな」
紅く長いまつ毛が上下して、翡翠の瞳から不安を拭い去る。
頬にかかっていた指がパウラの顎を捉えて上向かせると、ふわりと柔らかくセスランは微笑んだ。
そして唇を重ねる。
そうっと優しく、気遣うような唇が幾度も。
蝶々のようにひらひらと軽い触れるか触れぬか。
あえかな口づけが、だんだんに少しづつ二人を近づけてゆく。
幾度目だろうか。
唇の離れたわずかの間に、こくんとセスランの喉が鳴った。
再び重ねられた唇は、最初から深く熱っぽい。
温かな舌がパウラの震える舌を捉えて、絡みついた。
初めての感覚に驚いて、反射的に逃げようとしたけれど、セスランの腕がそれを許さない。
より一層強く抱きしめられて、呼吸さえ奪われるようだ。
角度を変えて何度も何度も。
重ねた唇の端から、つうと銀色の唾液が伝う。
嫌だとは、思わなかった。
いつのまにか腕を伸ばして、セスランの首を抱きしめている。
いっそ身体すべてが溶け合って、一緒になれれば良いのに。
もどかしくてじれったくて、けれどそれを表現する術を知らなくて、パウラはセスランを抱きしめる。
「なんとかわいらしいことを」
翡翠の瞳を細めて、セスランが小さく唸る。
「私を試すつもりか?」
大きな木の幹にパウラの背を押しつけて、セスランはパウラの胸に顔を埋めた。
「どれほど私がこらえているか。パウラにはわかるまい」
胸の谷間あたりに、セスランの吐く息が熱い。
どくんと大きく心臓が跳ねて、さすがにパウラもセスランの言葉の意味を理解する。
(ま……まさか、このままここで?)
そちらの方面の知識は、恥ずかしながらほとんどない。
ヘルムダールでは結婚が決まるまで、そういう教育はされないから。
けれどパウラの身体の奥にだんだんに溜まる熱。
足の付け根あたりの冷たい潤みが、その先に起こることをなんとなく教えてくれる。
(でもさすがにここでは)
セスランの熱を嬉しく愛しく思いながら、最後の理性でパウラは首を振る。
「も……戻らなければなりませんわ」
夕食までに戻らなければ騒ぎになる。
ここは危険地帯なのだ。
セスラン自身がそう言った。
奥歯をぐっと噛みしめたセスランが、もう一度パウラを強く抱きしめる。
「わかった」
ふいと顔を逸らした後、ようやく腕をほどいてくれた。
「なぜ戻らねばならぬ。忌々しい」
野営地に戻る道々、セスランは限りなく不機嫌だった。
正試験官が、職場放棄するわけにもいかない。
こういうところ、謹厳なセスランはきっちりしている。
けれどパウラと想いを通わせた後だ。
離れがたいと思うのは、パウラだけではないみたいだ。
多分。
「白虎の姫も相手の男も、覚悟が足りぬ。連れ戻されるような不覚をとって、何をしているのか」
今回の課題対象の二人にまで、とばっちりがゆく。
そのふてくされた様子が意外でかわいらしくて、パウラは思わず笑ってしまう。
「余裕だな」
セスランの美しい眉間に、くっきりとしわが刻まれている。
「私が身も世もなくパウラを求める姿が、さほどにおかしいか」
今度はパウラにまで、とばっちりが来る。
「離れたくないのは、自分だけだと?」
パウラだって、好きで離れたのではない。
けれどここは外だし、どこに白虎一族の目があるともわからないし。
あまり長い時間野営地に戻らないでいると、要らぬ心配をかけてしまう。
やつ当たりしないでほしいと思っていると。
「もう一度、言ってはくれぬか」
ぱぁっと辺り一帯に陽が射しこむような、喜色満面のセスランの表情が目の前にあった。
翡翠の瞳が、パウラの唇を食い入るように見つめている。
「離れたくないのは、ご自分だけだと思っているの。そう申し上げました」
あらためて言い直すのは、とても照れくさい。
ぷいっとそっぽを向いて乞われた言葉を口にする。
途端、ぎゅうと抱きしめられた。
「パウラも? パウラも私と離れたくないと思ってくれるのか? なんと嬉しいことを。この愛しさを抑えよとは、無理な相談だ」
甘い艶のあるテノールが、めずらしく上ずっている。
抱きしめられたパウラの耳に、セスランの鼓動が伝わってくる。
どくどくと、とても速い。
つい先ほどまでの熱が、まだパウラの身体には残っている。
このままでは再び呼び起こされそうで怖い。
ひきずられる。
ぎゅっと目を閉じて、じゅーじゅつの稽古を思い出す。
投げ飛ばされて、投げ飛ばされて。
頭の中で十回は投げられて、やっと目を開けた。
「なすべきことが、まだありますわ。乗りかかった船と申しますでしょ。一度やりますと受けたのですから、途中で放り出すのは良くありません」
セスランの腕を押しやって、翡翠の瞳をまっすぐに見上げる。
当面の課題を片付けて、後のことは落ち着いてそれから考えれば、いやそうすべきだと思う。
恋に浮かれたいのはパウラだって同じだ。
何もかも放り出してその事だけ考えられたらどんなに良いか。
けれどそういう性格ではない。
やりかけの、受けてしまった仕事を放り出せたら、それはもうパウラではない。
「全く……。私も男なのだと、パウラはわかっていない。情け知らずの、つれない姫だ」
燃えるような紅い頭を緩やかに振って、セスランはしぶしぶ腕の拘束を解いてくれた。
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