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第3章
血縁主義への吐き気
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潮風の匂いと、波のリフレインが心地よく僕の記憶を刺激した。沖縄の海は青いと言うが、僕にはそんな実感がまったくなかった。色盲だということではない。海は海の色でしかないということであり、そこに新しい色の名前を言われても、へーっとしか思わない。だから本土の人の言う海は黒くて、それが海の色で、僕の言う海は青くて、それが海の色だということだ。そんなことを考えながら、僕は少しずつおじーの記憶へと接近していった。というのも、僕の直近の疑問として、なぜおじーが家族喧嘩で国を変えたのかということが頭から離れなかったからだ。ふつうに考えて、やりすぎな感じはするだろう。しかし、同時におばーは僕を長男として可愛がり、お前が家を引き継ぐんだ、長男だから偉いんだよ、などとことあるたびに僕に吹き込む。おじーは僕に何も言わなかった。そこに僕は感じるところがあった。おじーは血のつながりを嫌っていたのではないか、ということだ。だから僕を孫としてというよりも仲間として払う金はちゃんと払っていたのではないか。白い砂浜を振り返ると、僕の歩いてきた足跡が線になって続いていた。思っていたよりも遠くから僕は歩いていたのだとその時に気づき、少々おどろく。おじーは沖縄にひとりで来て、ほんとうに寂しくなかったのだろうか。兄弟も友人も親戚もいなかったはずなのに。遠くの方に雨雲がその下を白く染めながらこちらに近づいていた。僕は急ぎ足で来た道を戻った。家に帰って日記を読まなければ。雨雲というよりは、その気持ちに僕は急かされていた。
◯ 酒を酌み交わし、兄弟の契りをむすんだ。あいつとは喧嘩もするが、それがお互いのつながりの強さを確認するための方法であることをお互い知っている。だから本気で喧嘩をしなければ。正面からぶつからなければなんの意味もないだろう。源、お前もそのことを知っているだろう。(一九九六年一月二十日)
窓に夜の闇がその頬を押し付けていた。気づくと僕は、真っ暗な部屋の中で卓上灯の光だけをたよりに日記に鉛筆で記された文字を目で追っていた。時計を見るとすでに七時半を回っていた。僕はノートの二ページ目に記された文章と格闘していたのだ。要するに喧嘩はいいことなのだと言っているのだろうか。それに「源」とはなんだろう。「あいつ」とおじーとだけの文脈のなかで使われているのだろうか。いくら考えてみてもわからなかった。数ページをめくり、その「源」の正体を僕は探したが、二ページ目以降「源」というワードは出てきてはいなかった。僕は深くため息をついた。いくらか難しい本を読んだことはあるが、それを加えてもこの日記より読解困難なものはなかった。それは文章的なわからなさと同時に、おじーという人間のわからなさも加味されていることは中学生の僕でもわかった。ただひとつ、僕が読んでいて思ったことがあった。それは独力で掴んだという実感に裏打ちされた自信があったのだが、それというのがおじーが血縁主義を嫌っていたということだ。事実どうかはわからない。しかし、家族を捨て、血の繋がっていない兄弟を作ったということはそういうことになるのではないかと思ったのだ。海で考えたことの裏付けを不十分ながらも僕は掴み得たと思った。
「じゅん、ごはんだよ。」
背後でドアが開く音ともに、母の声が聞こえた。僕は卓上灯を消し、ノートを閉じた。不思議な感じがしないでもない。まだこの世におじーが存在しているという実感が、生きている時とは違った形で僕のなかに息づいていたのだから。
話は過去へと遡るが、僕は幼い頃から友達をつくることが苦手だった。なぜ、そんなことを書くのかというと、僕が友達と呼べるものはただ一つ、花子以外にいなかったからだ。僕は小学校低学年の時、三者面談を強制的に行われた。その理由というのが、僕が友達との関係をできるだけ避けていたからだ。兄弟のいない僕は、常におじーについて海に行くか、花子とおしゃべりをするかして放課後も休みの日も過ごしていた。共働きの両親と過ごす時間は極端に少なかったせいか、いざ外出するにしても、そこには気まずい雰囲気が流れるだけで、次第に両親も外出に関心を持たなくなったのだろう。
「なんで友達作らないの?」
三者面談中、母は僕に尋ねた。僕は言葉を探しながら後ろの生徒用かばん置き場の棚の上に置かれた、メダカの入った水槽を見ていた。メダカ。水槽。透明。水。・・・・・・。 どれも、今の僕の答えのために使える単語ではなかった。
「よそ見してないで考えて。」
母は、僕の退屈そうな様子を見て恥ずかしさに顔を赤らめながらせかすのだ。僕は退屈ではなく、むしろ必死に言葉を探していたのだ。
「いらんから。」
僕は思ってもいないことを口にした、と思ったがどうせ適切な言葉が出てくるわけでもなかっただろうと後悔は感じなかった。一瞬その場の時間が止まったように母も担任も僕の横顔を見ていた。今度はそっちが言葉を探す番だ。僕はそう思いながら二人の出方を見守っていた。
「そんな強がり。ほんとうは家でも寂しそうなんです。」
母はぎこちない笑みを浮かべながら担任の教師に言った。担任もその気まずさに、
「ゆっくり慣れていきましょう。」
などと言って、その日の三者面談は終わった。帰り道、僕は母に小言を言われたが黙ってアスファルトだけを見つめていた。なぜ大人はこんなにも子供に言葉を求めるのか。僕らのような幼い者に言葉などあるはずがないのに。彼らは僕らを知りたいがために言葉という枠にあてはめたいのだろうか。そんなことを、僕は僕で考えていた。当時もその後も僕に言葉を求めないのはおじーと花子だけであった。やはり、僕には友達も大人もいらない、おじーと花子さえいれば、僕は生きていける。そう思ったのだ。
それからは、今まで以上に山小屋へ行った。おじーが夕方に、翌日引き上げる延縄をしかけにいくときも僕はついて行った。時にはその船に花子も乗せて二人と一匹で海の上に浮かぶ。そこは海上に浮かぶ沈黙の空間と言えた。その沈黙の捌け口は同時に花子がなってくれたし、花子は僕に言葉を求めるわけでもないから、僕の世界はこれで充分だった。
しかし、ノートをもらってからはどうか。僕はおじーの記した言葉を手がかりに、おじーの記憶を改変する作業にいそしんでいる。そう考えると、おじーの後ろ姿はどんどんその形を変えながら、真実なのか虚構なのかわからない姿へと変わっていく。それがいいことなのか悪いことなのかなんて、頭の小さな僕にわかることでもないし、知りたいのだから仕方ない。僕はそう自己正当化を繰り返しながら、完全におじーが僕の意識からも消えてしまうことを恐れていたのかもしれない。今ならそう思う。死んだことを、この世にはすでに存在しないことを、否定したいがために。
◯ 酒を酌み交わし、兄弟の契りをむすんだ。あいつとは喧嘩もするが、それがお互いのつながりの強さを確認するための方法であることをお互い知っている。だから本気で喧嘩をしなければ。正面からぶつからなければなんの意味もないだろう。源、お前もそのことを知っているだろう。(一九九六年一月二十日)
窓に夜の闇がその頬を押し付けていた。気づくと僕は、真っ暗な部屋の中で卓上灯の光だけをたよりに日記に鉛筆で記された文字を目で追っていた。時計を見るとすでに七時半を回っていた。僕はノートの二ページ目に記された文章と格闘していたのだ。要するに喧嘩はいいことなのだと言っているのだろうか。それに「源」とはなんだろう。「あいつ」とおじーとだけの文脈のなかで使われているのだろうか。いくら考えてみてもわからなかった。数ページをめくり、その「源」の正体を僕は探したが、二ページ目以降「源」というワードは出てきてはいなかった。僕は深くため息をついた。いくらか難しい本を読んだことはあるが、それを加えてもこの日記より読解困難なものはなかった。それは文章的なわからなさと同時に、おじーという人間のわからなさも加味されていることは中学生の僕でもわかった。ただひとつ、僕が読んでいて思ったことがあった。それは独力で掴んだという実感に裏打ちされた自信があったのだが、それというのがおじーが血縁主義を嫌っていたということだ。事実どうかはわからない。しかし、家族を捨て、血の繋がっていない兄弟を作ったということはそういうことになるのではないかと思ったのだ。海で考えたことの裏付けを不十分ながらも僕は掴み得たと思った。
「じゅん、ごはんだよ。」
背後でドアが開く音ともに、母の声が聞こえた。僕は卓上灯を消し、ノートを閉じた。不思議な感じがしないでもない。まだこの世におじーが存在しているという実感が、生きている時とは違った形で僕のなかに息づいていたのだから。
話は過去へと遡るが、僕は幼い頃から友達をつくることが苦手だった。なぜ、そんなことを書くのかというと、僕が友達と呼べるものはただ一つ、花子以外にいなかったからだ。僕は小学校低学年の時、三者面談を強制的に行われた。その理由というのが、僕が友達との関係をできるだけ避けていたからだ。兄弟のいない僕は、常におじーについて海に行くか、花子とおしゃべりをするかして放課後も休みの日も過ごしていた。共働きの両親と過ごす時間は極端に少なかったせいか、いざ外出するにしても、そこには気まずい雰囲気が流れるだけで、次第に両親も外出に関心を持たなくなったのだろう。
「なんで友達作らないの?」
三者面談中、母は僕に尋ねた。僕は言葉を探しながら後ろの生徒用かばん置き場の棚の上に置かれた、メダカの入った水槽を見ていた。メダカ。水槽。透明。水。・・・・・・。 どれも、今の僕の答えのために使える単語ではなかった。
「よそ見してないで考えて。」
母は、僕の退屈そうな様子を見て恥ずかしさに顔を赤らめながらせかすのだ。僕は退屈ではなく、むしろ必死に言葉を探していたのだ。
「いらんから。」
僕は思ってもいないことを口にした、と思ったがどうせ適切な言葉が出てくるわけでもなかっただろうと後悔は感じなかった。一瞬その場の時間が止まったように母も担任も僕の横顔を見ていた。今度はそっちが言葉を探す番だ。僕はそう思いながら二人の出方を見守っていた。
「そんな強がり。ほんとうは家でも寂しそうなんです。」
母はぎこちない笑みを浮かべながら担任の教師に言った。担任もその気まずさに、
「ゆっくり慣れていきましょう。」
などと言って、その日の三者面談は終わった。帰り道、僕は母に小言を言われたが黙ってアスファルトだけを見つめていた。なぜ大人はこんなにも子供に言葉を求めるのか。僕らのような幼い者に言葉などあるはずがないのに。彼らは僕らを知りたいがために言葉という枠にあてはめたいのだろうか。そんなことを、僕は僕で考えていた。当時もその後も僕に言葉を求めないのはおじーと花子だけであった。やはり、僕には友達も大人もいらない、おじーと花子さえいれば、僕は生きていける。そう思ったのだ。
それからは、今まで以上に山小屋へ行った。おじーが夕方に、翌日引き上げる延縄をしかけにいくときも僕はついて行った。時にはその船に花子も乗せて二人と一匹で海の上に浮かぶ。そこは海上に浮かぶ沈黙の空間と言えた。その沈黙の捌け口は同時に花子がなってくれたし、花子は僕に言葉を求めるわけでもないから、僕の世界はこれで充分だった。
しかし、ノートをもらってからはどうか。僕はおじーの記した言葉を手がかりに、おじーの記憶を改変する作業にいそしんでいる。そう考えると、おじーの後ろ姿はどんどんその形を変えながら、真実なのか虚構なのかわからない姿へと変わっていく。それがいいことなのか悪いことなのかなんて、頭の小さな僕にわかることでもないし、知りたいのだから仕方ない。僕はそう自己正当化を繰り返しながら、完全におじーが僕の意識からも消えてしまうことを恐れていたのかもしれない。今ならそう思う。死んだことを、この世にはすでに存在しないことを、否定したいがために。
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