その乙女、天界の花園より零れ墜ちし者なれば ~お昼寝好き天女は、眠気をこらえながら星彩の柄杓で悪しき種を天の庭へ返す~

國居

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一粒目 溺酒蘭 ~『酒は愁いの玉箒』の巻~

その五 蘭花楼の酌婦になるつもりだったのですが、……ふん!

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「えっ?! 蘭花楼の酌婦になる?!」
 
 お邸に戻り、二人で燕紅ヤンホン様のお部屋を訪ねた。
 思阿シアさんが、蘭花楼の酒に興味を失ったことを伝えると、燕紅様は、たいそう喜んだ。
 わたしは、店の扉の張り紙で酌婦を募っていることを知ったので、蘭花楼で働くつもりであると言った。

「蘭花楼で酌婦をしながら、蘭花酒に薬水を混ぜ込んでみようと思うのです。そうすれば、全ての客に、もれなく飲ませることができます。酔っぱらいがいる家に薬水を配って歩くよりも、ずっと効率的だと思うのですが――」
「それはそうでしょうが……。深緑シェンリュどの、あなたのようなお酒も飲めない娘さんが、酌婦になるなどというのは……」
「大丈夫です。酒は客に飲ませるだけで、自分が飲むわけじゃありませんから」
「そうはいっても、いろいろな客がいるでしょうし……」

 別に、燕紅様のお許しをいただかなくても働けるのだが、隠し事をするのは嫌なので正直に話してみた。
 その結果、かえって心配をかけることになってしまったみたい……。
 困っているわたしを見かねて、隣の椅子に腰掛けていた思阿さんが、助け船を出してくれた。

「俺が、一緒に見せに行きましょう! もう、蘭花楼の酒を飲む気はしませんが、飲んでいるふりをしながら、深緑さんが困りごとに巻き込まれないよう見張ります。詩人ですが、用心棒稼業の経験もありますので――」
 
 堂々と言い切った思阿さんに、燕紅様とわたしは、少し疑わしげな視線を送った。
 そりゃあ、今は快癒水が効いて、いかにも爽やかで凜々しい若者なんだけどね……。
 夕べはねぇ……、ぐでんぐでんになって……、安祥アンシャン様と大声を出して騒いでたのよね……。
 それでも、燕紅様は、彼を信じてみることにしたらしい。

「わかりました。思阿どの、深緑どのが、上手く薬水を酒に仕込めるように助けてあげてください。深緑どのは、わたくしにとって大切な恩人です。絶対に、危険な目には合わせたくないのです。あなたへの礼金は、後ほどわたくしが用意しますので、どうかよろしく頼みます」
「はい……。あの……、俺は、礼金をいただくつもりはありませんが……、とにかく、お任せください!」

 わたしは部屋に戻ると、快癒水の瓶と柄杓を手巾にくるみ、懐に入れた。
 上着の裾を伸ばしていると、虫籠の蓋が開き、シャ先生が顔を出した。

「深緑よ、蘭花楼の酒だがな、不思議な香りがしておった――。あれは、天のものの香りだ。蘭花酒には、天空花園から落ちた種核が関わっているに違いない。できれば、この機会に蘭花酒の秘密も探り出しておきたいのう」
「奇妙な香りだなと思いましたが、やはりそうでしたか。あの店で酌婦をしていれば、蘭花酒をどうやって手に入れているのかもわかるかもしれません。念のため、柄杓も持ち歩くことにしました」
「うむ、それが良い。心してことに当たるのじゃぞ! 疲れても、昼寝は禁止!」
「あ、当たり前じゃないですか! ホホホホ……」

 夏先生を虫籠に戻し、そっと部屋の扉を開けると、すぐ目の前に思阿さんが立っていた。
 えっ?! 今の会話を聞かれてしまったかしら?
 いぶかしげな顔で見上げたわたしを、彼は、不思議そうに首を傾げて見返してきた。
 すごくいい人そうな顔している……。うん、たぶん、こういう人は盗み聞きなんかしないわよね!

「そ、それじゃあ、出かけましょう。よろしくお願いします、思阿さん!」
「はい。上手いこと酌婦として、店に入り込めるといいですね」
「その点は、大丈夫だと思います……結構、わたし、向いている気もするので……」

 わたしが先に蘭花楼へ行き、頃合いを見て思阿さんが店に来るということに決め、わたしたちは、少し時間をずらしてお邸を出ることにしたのだった。

 ◇ ◇ ◇

「えーっ?! 店の仕込みの手伝いとしてなら雇うー?! 何でですかーっ?!」

 蘭花楼の裏口で、わたしは思わず叫んでしまった。
 店主の俊龍ジュンロンが、ちょっと困った顔をした。すみません……、声が大き過ぎましたね。

「ああ……。いくら忙しいからって、子どもを酌婦に雇うわけにはいかないよ。ちょうど仕込みの方も、俺一人じゃ手が足りなくなっていたんだ。良ければ、そっちを手伝って欲しいんだがな」

 まただわ……。人間界に来ても、子ども扱い!
 夏先生によれば、わたしは、十五、六歳ぐらいの感じに見えるらしいのだけど――。
 人間界では、十五、六歳は、まだまだ子どもってことなのかしら?
 仕方ない。店に入り込むことが目的なのだから、どんな仕事でも我慢しますよ……ふん!

「わかりました。では、仕込みの手伝いでかまいません! よろしくお願いします! ふん!」
「よし、じゃあ、さっそく始めてくれ! 空になった酒器とっくりが戻ってきたら、どんどん蘭花酒を注ぐんだ。貴重な酒なんだから、こぼさないでくれよ! えぇっと、あんた、名前は……」
「深緑と申します。一生懸命、働かせていただきます! ふん!」

 わたしは、鼻息荒く店の中に入り、仕切り台の酒甕さかがめの前に立った。
 酒甕の蓋をとると、例の奇妙な甘い香りが、もわっと溢れ出てきた。
 考えてみたら、この仕事の方が酌婦より、薬液を酒に混ぜるのには都合がいいかもしれない。
 俊龍の目を盗んで、酒甕にこっそり薬液を注いでしまえばいいのだもの。
 よしよし、思っていたより上手くいくかもね……。

「さあ、今日も思う存分飲むぞ! まずは、二本ほど頼む!」

 聞き覚えのある声に思わず顔を上げると、仕切り台の前に思阿さんが立っていた。
 俊龍に酒代を渡すと、わたしの方を見てクスッと笑った。
 はいはい、残念ながら酌婦にはなれませんでした! どうせ、お子ちゃまですよーだ!

「コホン! 『酒は飲むとも飲まれるな』と申します。ご逗留先にご迷惑をかけるような飲み方はされませんように!」

 そう言って、わたしが、ペロッと舌を出しながら蘭花酒を注いだ酒器を二本差し出すと、思阿さんは、無理矢理真面目な顔を作って答えた。

「承知しておる!」

 よろしく頼みますよ。何か起きたとき、あなたが酔っ払っていたら困るんですからね!
 思阿さんは、昨日、ここで知り合いになったらしい、ご老人たちの卓へ行き、酒を振る舞い始めた。
 やはり、自分が飲むつもりはないようだ。
 蘭花酒の香りがダメだって言っていたしね。
 
 しばらくすると、あれほど賑やかだった店内が、驚くほど静かになった。
 寝息やいびきは聞こえるけれど、話し声はしない。
 昼過ぎの温かな日差しが店に差し込んでいる。みんな寝てしまったようだ。

 酒器に酒を注ぎながら、二回ほど柄杓を落としたふりをして、酒甕に快癒水を混ぜてみた。
 そろそろ、薬効が表われる頃なのかも知れない。
 思阿さんは……、えっ? いない?! 厠へでも行ったのかしら?

 眠気というのは移るらしい。
 注文も入らなくなったので、酒甕の横の椅子に腰を下ろして、酔客たちの寝息を聞いていたら、何だかわたしも眠くなってきた。
 仕切り台に寄りかかるようにして、うつらうつらしていると、遙か彼方から俊龍の声が聞こえてきた。

「みんな眠っちまったようだな。ここらで一度、吸わせておくか――。玉蘭ユーラン! 美蘭メイラン! 蔵から、鉢を運んでこい!」
「父さん! その娘は、大丈夫なのかい?」
「ああ、……こいつも、しっかり眠っているよ! 気づかれる心配はないさ」
「わかったよ。美蘭、蔵へ行くよ!」
「あいよ!」

 腰に下げた虫籠が、少しだけ揺れた気がした。夏先生が動いているのかな?
 蔵? 鉢? 俊龍たちは、何をしようとしているのだろう? 
 知りたい――。でも、今動くのは、まずいわよね……。
 寝たふりをして様子をうかがわなくちゃ……。でも、本当に眠くてたまらないのよね……。目を閉じたら、ふりじゃなくて、しっかり寝てしまいそう……。
 ああ、もう耐えられない……、瞼が重い、むにゃむにゃむにゃ……。
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