その乙女、天界の花園より零れ墜ちし者なれば ~お昼寝好き天女は、眠気をこらえながら星彩の柄杓で悪しき種を天の庭へ返す~

國居

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二粒目 美貌蔓 ~『美人というのも皮一重』の巻~

その七 二粒目の種核を発見!……でも、またもや命の危機?!

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 灌木をゆっくりかき分けるようにして、わたしの前に姿を現したのは、美音メイインさんだった。

「美音さん、どうしてこんなところへ?」
深緑シェンリュさんがいらしていると聞いて、会いたくて探していたのです。如賢ルーシァンさんが、中庭にいらっしゃるはずだと教えてくれたので、こちらへ来てみました」

 昨晩と同じように、美音さんは、薄布を垂らして顔を隠している。
 しかし、わたしには、なぜか、愉快そうに笑う彼女の顔が見える気がした。
 美音さんは、軽く腰をかがめると、引っ込みそこねた夏先生が、頭を出したまま固まっている虫籠に顔を近づけた。
 夏先生は、まさに、蛇に睨まれたかのように身動ぎもせず、息をすることさえこらえている。

「ウフフ……、小さな蛙さんですね。水や草のにおいがするからわかりますよ。あら、ほのかにお菓子の甘い香りもしますね。贅沢な蛙さんです。深緑さんのお友達ですか?」
「……えっ、はい、愛玩動物というか……、お供というか……、おまけというか……」
「失礼な! わしは、旅の道連れじゃぞ!」
「ええっ?!」

 わたしたち三人、いや、二人と一匹は一様に押し黙り、誰かが次の言葉を発するのを緊張しながら待っていた。
 しかたない! わたしは、美音さんを信じて正直に話すことにした。

「わたしは、老夏ラオシャと呼んでいます。小さな年寄りの青蛙です。わけあって、人語を解することができます。もちろん、話すことも――。わたしの旅の道連れであり、困ったときの相談役です」
「まあ、おかしな蛙さんですね……。でも、わたしは信じますよ。この世界には、不可思議なことがいくらでもあるのですもの。あなたの効能あらたかな薬水だって、何か特別な秘密があるのでしょう?
目の不自由なわたしは、音やにおいで他の人が気づかないことにも気づくことがあります。それが役に立つことも、不幸を招くこともありますけれどね……。老夏、美音と申します。どうぞ、よろしくお願いいたします」

 美音さんは、夏先生の顔の前に、右手の人差し指を伸ばした。
 夏先生は、水かきのある小さな右の前足を、その指先の上に載せた。

「美音どの、夕べの古箏の演奏は素晴らしかったぞ! わしは、深緑の腰の虫籠の中で、うっとりと聞き惚れておった」
「わたしの古箏を聞いていてくださったのですね、嬉しいこと! ありがとうございます、老夏!」

 あっという間に、二人、いや一人と一匹は、心を通わせたようだ。
 さすが、天界を代表する色好みね。青蛙のくせに、芸妓の気持ちを掴んでしまうとは――。
 でも、夏先生は、別のことも考えて美音さんに近づいたようだ。

「美音どの、そなたは、ずいぶんと耳と鼻が鋭いようじゃが、秋桂楼に関わることで、何か、その耳と鼻で気づいていることはないかのう?」
「秋桂楼ですか? そうですね……。何か大きなものが庭に植わっているようです。あのあたりからは、明け方近くになると、伸びた根が地下から水を吸い上げる音がするのです。その音は日々大きくなっていて、今では、根の先は秋桂楼の外まで達しているようです」

 そういうことか! その巨大な草木が、秋桂楼やその周囲の地下水を独り占めしているのだろう。それで、秋桂楼の周りでは、ほかの草木は育たなくなってしまっているのだ。
 それにしても、美音さんは、いったいどういう耳と鼻をしているのだろう。鋭敏過ぎるわよ!

「きまりじゃな、深緑! その草木こそ、間違いなく種核が育ったものじゃ! おそらく、その巨大な草木が吸い上げた水から美貌水を生み出しているのじゃろう。
秋桂楼の楼主は、もっと商売を広げるつもりでおるのかもしれん。
春霞楼の建つ土地は、庭に水が湧いていて、地下にも豊かな水脈があるようじゃ。春霞楼の土地を手に入れ、草木が欲するままに水を与え育て、大量の美貌水を手に入れようと考えているのじゃろうな。
もしかすると、別の町でも、同じような妓楼を開く計画があるのかもしれぬ。欲とは限りのないものじゃからなあ……」

 そして、芳菊ファンジュウさんのように、町での華やかな暮らしに憧れる村の娘を連れてきて、美貌水で美女に仕立て上げるわけね。気づいたときには、美貌と引き替えに、本来の自分の顔も若さも失ってしまう――。
 秋桂楼を去って村へ戻ったという女の子は、その後幸せになれたのかしら?
 美貌を手放したくなくて秋桂楼にとどまっている女の子は、今、幸せなのかしら?
 
「老夏、秋桂楼へ行ってみましょう。おそらく、種核から育った草木は、秋桂楼の裏庭に植わっているはずです。これ以上、美貌水を巡って心を悩ます娘さんを増やしたくはありません。今宵のうちに、片付けてしまいましょう!」

 言ってしまった後で、わたしは慌てて、両手で口をふさいだ。
 美音さんに聞かせるべきではないことも、うっかり話してしまった気がする……。
 美音さんは、体を起こすと、わたしの方へ顔を向けた。

「深緑さん。あなたが何者なのかは、あえて問いません。昨日は、薬水で学亮様や春霞楼を助けてくださいました。わたしには見えませんでしたが、素晴らしい舞いで洪亮様たちの心を掴みました。今日はまた、人語を解する蛙さんと一緒に、秋桂楼の怪しい企みを暴こうとしているご様子……。
あなたは、たいそう謎めいた方ですが、良からぬことを考える方ではないと思います。だから、ここで知ったことは決して口外いたしません。もちろん、老夏のことも。どうぞ安心なさってください」
「美音さん……、ありがとうございます」

 わたしは、美音さんの両手をとり、感謝の気持ちを込めて握った。
 美音さんも、(たぶん微笑みながら)わたしの手を握り返してくれた。

「それでは、老夏! 出かけるとしますか?」

 いつの間にか虫籠の中へ引っ込んでいた夏先生が、「ケロロッ」と答えた。
 わたしは、美音さんに別れを告げて、中庭の奥の潜り戸から春霞楼の外へ出た。

◇ ◇ ◇

 わたしは、そのまま裏道を通って、秋桂楼が建つ辺りへと歩いて行った。
 田舎から出てきた旅の物売りという感じで、きょろきょろしながら店を覗いたり、茶館でお茶を飲んだりして、しばらく繁華街の様子を探っていた。

 どうやら、いまだに芳菊さんの所在がつかめないため、秋桂楼の男たちは、繁華街をうろつき、しつこく聞き回っているようだ。
 店の裏の潜り戸は、頻繁に人が出入りするため、開けっ放しになっている。
 わたしは、ちょっと離れたところから様子を伺っていたのだけれど、秋桂楼が店を開き、裏庭の人気が途絶えた頃合いを見計らい、素早く潜り戸の中へ入り込んだ。

 植え込みの陰に潜み、裏庭をじっくりと見回した。
 裏庭の奥に、人の背丈を越える高さの竹垣で、厳重に囲まれた場所があった。
 中には灯りが点されていて、竹垣の隙間から光が漏れていた。
 そこからは、嫌な気があふれ出してきていて、わたしは再び背中に悪寒を感じ始めていた。

「あの竹垣の中じゃな……。あそこに、間違いなく種核がある」

 虫籠から聞こえてきた、夏先生の言葉に従い、わたしは植え込みに隠れながら竹垣へと近づいていった。
 
 暴れた枝か根が、竹垣を突き破り、小さな裂け目ができているところがあった。
 小柄なわたしにはこれで十分! 植え込みから走り出て、裂け目の中に体を押し込んだ。

 裂け目をくぐり抜けて、這い出した場所は、生暖かく湿っていた。
 顔を上げると、目の前に、指よりも太い蔓をくねらせ、大きな葉を茂らせた瓜が植わっていた。何本かの蔓は、途中で切られ、先端を大きな瓶に差し込まれていた。
 瓶の中には、水のように透明な汁がたまっていた。おそらく、この汁が美貌水だ。

 ひときわ大きな葉が重なり合い陰を作ったところに、人の頭ぐらいの大きさの白い実が、一つだけ実っていた。
 若い娘の肌のように、白くなめらかな表皮をもつ実は、芳菊さんと同じ香りを放っていた。

 白い実は、まだ熟してはいない。
 しかし、もしこれが熟せば、大量の種子がとれることは間違いない。
 そこから、いったいどれだけの瓜が育てられるのだろう?
 そして、その瓜の蔓から、どれほどの美貌水がわき出すのだろう?
 想像しただけでおぞましくて、体が震えてきた。

 呆然として立ち尽くしていたわたしは、背後に人が近づいていることに気づかなかった。

「だれだ?! ここは、やたらに入っちゃいけねえ場所だ! どっから入りやがった?!」

 驚いて振り向いたわたしの前にいたのは、船着き場で学亮さんに足を踏まれたと言って、絡んでいた男だった。やっぱり、秋桂楼に雇われた人間だったのね!
 瓜の世話をするために入ってきたらしい。手には、肥やしが入った手桶を持っている。
 って、そんなこと確認している場合じゃない! わたしが気づいたってことは、向こうも気づいているはずで――。

「て、てめぇ、船着き場で余計なことしやがった、小憎らしい小娘だな! ん? あのえらく物騒な男も一緒か? いや……、今日は一人のようだな……、ククク……。どういうつもりで、ここに入り込んだのか知らないが、この間の分まで、たっぷり可愛がってやるよ!」

 男は手桶を下に置くと、指をポキポキ鳴らしながら、わたしに近づいてきた。
 わぁっ! こんなことになるなら、思阿シアさんから離れるんじゃなかったわ!
 またもや命の危機! まだ死にたくないですーっ! わたし、「恋情」も知らないんですってばーっ! 誰かーっ!!
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