ハルヒカゲ

葉生

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一章

七話 - 一

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 留袖新造の肩書はそのままに、暁の手伝いをすることになった。部下ではなくあくまで手伝いである、と暁は仄羽の耳にタコができるほど再三言い、座敷には今後も出さない旨を伝えられた。初名に芸事を習うのと一日置きで暁のもとへ行き、言われるままに働いた。ただし七嶺の夜見世の手伝いだけは日々欠かさない。札には名前ではなく桃色が塗られ、暁の下にかけられることになったためか、ほかの花魁たちには深く頭を下げられることになった。初名いわく、威の「お気に入り」はそれだけで〔春日〕内で立場が上になるのだという。せっかくさん付けで落ちついた初名からの呼び名がさま付けされそうになり、仄羽は慌てて現状維持を願った。相変わらず表情の変化に乏しく感情が読みづらいものの、初名が了承してくれてほっとする。

 仕事の内容は主に書類の整理であり難しいものではなかったが、最初のうちは暁と瑞矢という男性ふたりに囲まれてひどく緊張した。当然、ふたりは仄羽に何もしてこなかった。襲いかかってくることもなければ色目を使ってくることもなく、そんなごく当り前のことを確認してほっとした。

 ふたりの仲は悪くはないが特別よいわけでもなさそうだった。時たま会話はするが基本的に暁の立場がよわいようで、暁が瑞矢に余計な一言を言って叱声が飛ぶ、この繰り返しだ。

「今日は客が来ます」

 初名と朝食をとったあと執務室に向かえば、暁がいつもの笑みとともに言った。暁も瑞矢も、常に仄羽より先に仕事を始めていて、仄羽に休むよう言いつけてからもまだ働いている。なるほど初名が言っていたとおり、はたしていつ休んでいるのか。

「十三天王の連絡係を務める隊士なんで、正確には客じゃなくて身内なんすけど」

 発生事件の件数や内容、隊士からの要望、町民から受けた相談内容とその対応等の報告が監督である暁に伝えられる。暁はその内容をもとに改善や対策、不明点諸々をまとめて十三天王の取締役である紀平穂積と確認しあい、威に報告をあげる。

「それで、仄羽ちゃんは隠れていてください」

「え?」

 機密事項なので席を外すようにでも命じられるのかと思えば、予想外の申しつけだ。瑞矢は仄羽を暁に任せているからか、黙々と仕事をこなしている。

「隊士が帰ってからもしばらく、合図をするまでじっとしていてください。絶対に声をあげたり、物音を立ててはいけません」

「なぜですか?」

 聞いた途端、暁は眉尻を下げた。困ったときは露骨に顔に出る暁の癖に、仄羽は少しだけ好感を持っている。意見は曲げず、言わなければいけないことははっきり言うわりに、おかしなひとだと思う。つまり表情だけで、主張は変わらないのだが。

「いまは言えないんす。ただ、仄羽ちゃんにも深く関係することなんで、失敗は許されません」

 仄羽の予想どおり、やはり暁は表情こそ情けなく歪めているもののはっきりと断じた。誠実とはいえないが〔春日〕に来る日から世話になり、ここまで仄羽を気にかけてくれている相手だ。姿を隠すだなんてまるで悪いことでもしたようで気分はよくないが、暁が言うのなら仕方がないと思うだけの信頼はある。わかりました、と仄羽は答えた。

「あとでなら教えてくれますか?」

「もちろん」

 笑みの戻った暁が頷く。暁も威と同じく、嘘はつかない。仄羽はひとまず納得して、暁の指示に従い隠れた。執務室は理路整然としている部分と乱雑な部分どちらもあり、普段はその乱雑な部分を仄羽が片づけているのだが、ちょうどそこが身を潜めるのにぴったりだった。膝を立てて体を小さくすると、仄羽からは部屋がかすかに隙間見えるが、仄羽がそこにいると知らなければ決して気づかれない。

 昼見世が始まる前には来るからと、来訪にあせらないためにも仄羽は隠れたままじっとして動かないよう努める。狭くて暗くて、不思議と落ちついた。〔春日〕に来てから広い部屋にばかりいたためだろうか。

 威とは日々顔を合わせてはいるものの、あれから会話はほとんどない。仕事部屋の床に放り投げられている書類をかき集めて、執務室で分類して瑞矢か暁に渡す。あるいは、簡単な言付けを頼まれて伝えに行く。大概は「うん」の一言で終わる。

 中途半端に訪ねているせいで、用がないとなかなか行きづらかった。仄羽は体をさらに小さく縮めながら、首の後ろ側がむずむずとしているのを感じる。さびしい、とは違う。無碍に扱われているわけではないし、会えないわけでもない。話そうと思えばいつでも話せる。出向く理由が必要ならば書類をかき集めるついでに話しかければよいだけの話だ。

 仄羽はすっかり元通りになった左手首を掴む。

(あんなに)

 最近見た記憶のある紅い瞳は常に伏せられている。書類を見てばかりで業務連絡のため声をかける仄羽のほうなど見向きもしない。

(あんなに、求めてきていたくせに……)

 拳をつくってみる。力をこめても手首は痛まない。首や胸元にあった鬱血も噛み痕もすべて消えた。威からもらったものはすべて。感触すら朧気だ。焦げくさい煙管の匂いさえ思い出すのに時間がかかる。

 失礼いたします、という声がして顔をあげた。十三天王の制服を着た男性が入ってきた。瑞矢や暁に比べれば小柄だ。黒髪黒目で、はきはきと話している様子が伝わってくる。会話は耳に入るものの微妙に遠く、十三天王の報告内容等を把握していないせいかいまいち何を言っているのか認識できない。男性にしては高く、人懐こい声だ。媚びているように響いて仄羽は薄く眉を寄せる。直感的に、あまりすきな類ではない、と思った。

 やがて男性は頭を下げて出ていった。暁に言いつけられたとおり、仄羽はじっとその場で待機する。いつまでこうしていたらよいのだろう、と疑問に思い始めたところで、暁が仄羽と資料を覆っている布をめくりあげた。突然の光が眩しい。暁の橙の髪が反射してまるで夕日のようだった。

「お待たせしました。窮屈だったでしょう」

 声をかけられて、いえ、と仄羽は首を横に振る。立ちあがろうとすると体がかたまっていてうまく動けない。差し出された暁の手をとる。威の手よりさらに大きく、それでいて薄い手だった。

「先ほどの男、見たことはありますか?」

 十三天王の隊士は春嵐を見廻りしているので何度もすれ違っている。全員同じ格好をしているので記憶を探るのは困難だった。上席なら制服にも差が出てくるのだが、先ほどの男性の恰好は肩書のない、つまりよく町を見廻りしている隊士の制服だった。

 わざわざ暁が問いを投げるということは何か重要な人物なのだろう。仄羽は必死で記憶を探る。

 しかし、何も出てはこなかった。謝りかければ暁が制し、瑞矢も手をとめて仄羽を見ていた。暁とのやりとりを継ぐように瑞矢は言う。

「あの男は十三天王の取締役、紀平穂積公の嫡子である紀平設楽だ。順当にいけば時期当主となり、取締役を継ぐ」

「じゃあ、おえらい方……」

 身分的に仄羽を隠したのだろうかと思えば、暁はいつもの笑みであっさりと手を横に振った。

「でもいまは単なる隊士っすから」

 なんとなく、設楽をふたりがきらっているのは悟った。はあ、と仄羽は間の抜けた返事になる。

 仄羽の心情をくみとったのか、暁は一応整理しときましょうか、と自席に腰を下ろした。向かいに座るよう促され、仄羽は従う。

「瑞矢さんと俺、あと鶫っていう青髪がいるんすけど、この三人が威さまのいわゆる側近てやつっす。祇矩藤の役職とともに、主人のお気に入りとして内外に示されています」

 概ね初名に聞いたとおりだ。奥医師である伊良子メメも似たようなことを言っていた。

 いまだ出張中で会ったことのない「鶫」はやはり青髪なのだな、と仄羽は思う。名前からは性別すら判断できない。女である可能性が頭をよぎり、仄羽は指先がじわりと痺れたのを感じた。

「仄羽ちゃんは、まったく別っす」

 留袖新造という役職はあくまで〔春日〕での所属を示す。とはいえ座敷に出ない留袖新造は存在しえない。要は威にとって外に説明のしやすい、都合のよい肩書を与えられたままでいるということだ。

 けれど源氏名はない。札も名ではなく色で塗られ、あねである七嶺の札ではなく暁の札の下にかけられている。

「〔春日〕の所属でみれば一働き手でありつつ、主人のお気に入りでもあります。かといってそこに祇矩藤としての肩書はない。治外法権みたいなもんすね」

「考えようによっては俺たちよりも上の立場と言うこともできる」

 暁だけではなく瑞矢にも言われて面喰らった。当然ながら仄羽にその意識はない。地位がないからこそ上位であるといわれても困る。

 顔に出ていたのか、暁はあっけらかんと笑った。

「大丈夫っすよ、これまでどおりで考えてくれて。外に仄羽ちゃんのことを開示する予定もありませんし」

 外とは、十三天王や祇矩藤家重臣を中心とした〔春日〕を超えたところだろう。

「まあつまり、紀平だろうが万だろうが、いまの仄羽ちゃんは気後れする必要はないってことっす。当主ですらない、現在は一隊士である紀平設楽はなおさら、仄羽ちゃんよりも地位は下と断じて問題ないでしょう」

「でも」

 生まれてからこれまで春嵐に住んでいただけで、祇矩藤とは関係ないところで暮らしてきた。代々春嵐の屋台骨となってきた重臣たちを軽々しくは扱えない。威は確かに仄羽を傍に置いてはいるものの、その過程は偶然の連なりだ。ぽっと出の仄羽が上だといわれて設楽もいい気はしないだろう。

「絶対は威さまです」

 仄羽の言葉を遮るように、暁が鋭く言った。反射的に姿勢を正す。暁の表情こそ平素と変わらない穏やかなものだったが、有無を言わさない力強さが声に宿っていた。

「見誤らないでください」

 このふたりは祇矩藤家当主に仕えているのではなく、威個人に仕えているのだと唐突に理解した。背筋を伸ばしたまま、はい、と仄羽はうやうやしく頷く。その点では仄羽も同じだ。

 考えようによっては仄羽のほうが立場が上だと瑞矢は言ったが、足元は不安定である。もし威とは別の誰かが祇矩藤家当主となれば、仄羽はほかの留袖新造と同じく座敷に出て花魁となり、祇矩藤家当主には目通りすら叶わなくなるだろう。威が「拾ってきた」という暁や、もともとは家臣のなかでも末席だという瑞矢も、もしかすると同じなのかもしれない。そういう意味でも、確かに見誤るわけにはいかなかった。

 観察するように仄羽を見ていた暁はぱっといつもの笑顔に戻り、

「紀平設楽ですが」

 と、話を戻した。どうやら合格点はもらえたらしい。

「設楽は、おそらく仄羽ちゃんのご両親を殺した男です」

 思ってもみなかった言葉に、仄羽はまぬけに「え?」と聞き返した。





 厳密には調査中とのことだった。瑞矢や暁は威が黒以外の髪や瞳の色を持った春嵐出身者を見つけると興味を持つ傾向があることを知っている。そのため、各調査書にはへたに威を刺激しないよう、髪色や瞳の色は記載をしない。していれば瑞矢か暁が確認した時点で消去する。それが、仄羽の父である狄塚克登の調査書に、仄羽の髪色が書かれていた。

 案の定、威は興味を持った。仄羽を手に入れると宣言をした。後日、克登と早彰が強盗に襲われて亡くなった。

「威さまが命じたかもしれないってことですか」

 震える声で仄羽が聞けば、暁も瑞矢もありえない、と断言した。

「威さまには祇矩藤家当主としてのつよい矜持がある。春嵐のものはすべて自分の懐のうちであるという自負もある。その町民を殺すことは絶対にない」

「まあ、人格には難があるんでそう思うのもわかるんすけど」

 暁の軽口に、瑞矢がじろりと暁を睨みつけた。睨むだけで否定はしないあたり、瑞矢も正直者である。

 とにかくその言葉にはほっとした。少なくともこのふたりは威に対して忠誠は誓っていても盲目なわけではない。仄羽としても、ふたりに比べれば数少ない威とのやりとりで、そこは納得できた。

「設楽は十三天王では単なる一隊士っすけど、紀平家の嫡男でもありますから、紀平内で設楽直属の部下はたくさんいます。そのなかで命じて、さらに外の人間を雇うことは容易っす」

「実際、紀平の部下だった男がひとり、狄塚克登及び早彰の高瀬への外出と時期を同じくして春嵐を出ている。長期休暇をとっていたわりに、戻ってきてからは出世の報告がある」

「なんていうか、爪が甘いんすよねえ」

 ある程度、設楽は暁たちにばらすことを前提として動いているのではないか、というのがふたりの見解だった。

 威が重用するのは従来の家臣たちではなく、自らが選んだ瑞矢や暁であり、家柄は関係がない。紀平は変わらず十三天王の取締役として立場を変えずにいるものの、家令を降ろされた万家の例もある。歳を考えてもまだ長く当主として君臨するのは明白だ。そのため自らを売るため、気に入ってもらうために仄羽を利用したのではないか。また自分の手柄であると証明するため、瑞矢や暁に種をまいているのではないか。

「じゃあ」

 仄羽は額を押える。桃色の髪が視界の端に映った。

「わたしのせいで、お父さんとお母さんは……」

 父は春嵐出身だが、母は西部の町の出身だ。春嵐で克登とともに生きると決めてから早彰と名乗り始めた。もとはサーラというのだ、と仄羽は幼いころに教えてもらった。桃色の髪を深く気にしたことはない。異人との子であれば色が変わると誰もが知っているから目立ちはしてもこれといって奇異の目で見られたり、特別な扱いを受けることもなかった。明るくていい色だと両親とも言ってくれたおかげもあって、仄羽はほかの黒髪黒目の子たちと同じに暮らしてきたのだ。

 眩暈がした。何を責めればいいのかわからない。威が黒以外の色を好むことがなければ、自分の髪色が桃色でなければ、母が異人でなければ、そもそも異人との子が黒以外の色を持って生まれてくる春嵐でなければ。

 どれも糾弾するには中途半端だ。

「違います」

 暁の言葉に、仄羽は顔をあげる。

「自分ではどうしようもなかったことで自分を責めるのは単に楽をしたいからっす。無論互いの情を重ねあったご両親にも罪はありません。自らの利のために他人を一方的に踏みにじる、それが悪っす」

 茶の瞳に揺らぎはなかった。髪も瞳も黒ではない暁に言われると説得力がある。彼にとってはすでにさんざん考えぬかれたことなのかもしれない。

「今回でいえばおそらくはそれが設楽っす」

 額を押えていた仄羽の手をとって、暁は微笑んだ。底知れなさを感じつつも心はすくわれて、仄羽は小さく頷いた。

「でもまだ証拠らしい証拠はなくて。気持ちを波立たせておいて申し訳ないんすけど、また進展があればすぐにお伝えしますから」

 暁は苦い顔で掴んだままの仄羽の手をぶんぶんと上下に振った。





 そしていま、仄羽は威の仕事部屋の前に座っていた。瑞矢と暁には許可を得ている。先ほど聞いた内容を、威はすべて知っているとのことだった。報告義務があるのは当事者であっても仄羽ではなく威であるのだから当り前だ。もっとも、髪や瞳の色を特記しなくてよいという瑞矢と暁の考えが威にばれるとどんな仕打ちを受けるかわからないので、「狄塚仄羽の両親は計画的に殺害された可能性がある」という部分から伝えているらしいが。

 髪や瞳の色が違うのが、なぜそんなに威の琴線に触れるのか。しかし側には置いていない七嶺も異人との子であり、黒髪には見えるが虹色に輝く。一瞬、だから御職なのだろうかと思ったが、花魁は抱いたことがないと威は言っていた。七嶺の実力だろう。失礼なことを考えてしまったと仄羽は考えから打ち消す。

 もしほかに別の色を持った女性の春嵐出身者を見つければ、威は傍に寄せるのだろうか。その場合、自分はどうなるのか。もういらないと切り捨てられるか、あるいは側室のごとくその女とまったく同じ立場になるのか。

 仄羽はだんだん顔が歪むのが自分で感じられた。いやだとはっきり思う。思うけれど、威が言うのであれば受け入れざるをえない。自分は威だけだとはいえないくせに、なんてずるい考え方なのだといやになる。

「仄羽」

 部屋の奥から声がして、びくりと体を震わす。はい、と反射的に返事をしながら襖を開けた。

「なんだ、やっぱりいたのか」

 久しぶりに紅い瞳と視線がかちあって、仄羽は頬を朱に染める。改めて頭を下げれば、はやく入れと促されそのとおりにした。

「思い悩む空気が感じられたから仄羽だと思った」

 威は夜目が利く、とは聞いているが、透視能力もあるのだろうか。仄羽は何を言ったらよいのかわからずうつむく。用事があるときにはほとんど関心なく仕事を遂行しているというのに、いまは筆を置いてまっすぐに仄羽を見ている。明らかに機嫌がよい。照れてしまうのが悔しかった。

「さっき、紀平の設楽さんという方の話を聞いて」

 流れを断ちきるべく、仄羽は早々に本題を述べた。相手の好意が漂ってなんとなく緩やかな空気になるのは、仄羽にも経験がある。もちろん貫爾を相手にした場合であるが、そのときは雰囲気をたのしむ余裕があった。いまは完全に呑みこまれている。

「ああ」

 甘いといってもよい空気はすぐに様相を変えた。威は机上に置いていた書類を床に放り投げて、次の紙をとる。

「憶えなんてなかっただろう」

 言いながら、威は筆をとった。そのとおりだ。冷ややかな空気が流れ始めたことに、仄羽は多少なりとうろたえた。何か間違えただろうか、と思う。会話に正しいも間違いもないとはわかっているのに。

「僕があいつでも全部他人を買うね。尻尾は見せても証拠は残さない。設楽も別にばかじゃない」

 紅い瞳は仄羽から机上に視線を変えた。

「威さまは、わたしの髪が黒じゃなかったから傍に呼んだんですよね」

「そうだよ」

 あっさりと認めて、威は仕事の片手間に仄羽と会話をする。仄羽は垂れている自分の髪をきゅっと掴んだ。墨をかけ続けたら、この髪も黒くなるだろうか。

「黒髪だったら、興味も持たなかったんですよね」

「仄羽」

 威が面倒くさそうに嘆息し、筆をおいた。片肘をついて、骨ばった指で顎を支える。

「勝手に自己完結する話し方をするな。ひとりでしろそんなものは」

 ぐっと言葉に詰まる。結局のところ、仄羽自身の気持ちが定まっていないので、解決策を出しようがない話しかできない。

 文机の抽斗から煙管を取りだした威だったが、結局仕舞った。煙草を切らしていたようだ。

 もっと近くに寄れ、と命じられて、仄羽はおずおずと言われたとおりにする。間にふたりは通れそうで、距離が近いとはいえないが、先ほどより近づきはした。書類が床に散らばっているせいだ、と仄羽は心のなかで言い訳をする。

「先に聞いておくけど」

 気まずさから指をもてあそんでいると、威が言った。

「僕さえいなければと思っているのか」

「いえ……」

 そういうわけではない。仄羽は視線を下げつつも否定した。

 威はしばらく仄羽を眺めていたが、やがてそう、と頷いた。

「全部当ててあげるよ。ひとつ、桃色の髪でなければここに来ることはなかったかもしれない。ふたつ、黒髪であれば両親が殺されることはなかったかもしれない。みっつ、そうすると僕と会うことはなかったかもしれない。よっつ、会ったところで僕は仄羽に興味を持たなかったかもしれない。いつつ、ほかに髪や瞳の色が違う女が見つかれば、自分はお払い箱かもしれないと思っている」

 指を一本ずつ開きながら、威は言った。仄羽がうまく整理できないことまでさらりと指摘されて、沈黙で応えるしかなかった。

 そして改めてみれば、ほとんど威に関係した内容であることに気づいた。ずいぶん侵食されている。〔春日〕に来た日からこれまでのことを考えると、当り前といえば当り前であるのに驚いてしまう。

「ひとつめからみっつめはそのとおりだ。強盗なんていつの時代も湧きでるから外部に出る以上可能性は捨てきれないけど、人為的には組みこまれなかっただろう。克登と早彰が死ななければ仄羽に返済義務は発生しないからそもそも〔春日〕に来ることはない。ここからほぼ出ることない僕とも会わない」

 言われてみればそのとおりだ。父母ともに借金の話を一切仄羽にしなかったのは、返済の目途が立っていたか、そうでなくとも問題なく死ぬまでには返せると踏んでいたからだろう。高瀬町で研究内容を発表し、医療貢献として稼いで帰ってくる父、もしくは母は仄羽にとってめずらしいものではない。

「でも現実に髪は桃色だ。前提が悪すぎる。生まれ変わる気?」

 暴言を吐かれて、仄羽はそこまで言わなくても、と反発する。むっとした気持ちとは裏腹に言葉尻がしぼんでしまったのは、内容だけは正しく言い返せないためだ。

「桃色の髪を持つ仄羽に、僕は克登たちの死とは関係なく呼ぶつもりだった」

 仄羽はもう一度、自分の髪を掴んだ。今日もいつもどおり高い位置にひとつに結んでいるが、それでも肩より長い。

「そしていまの僕は髪が桃色であることとは別に、仄羽を傍におきたいと思っている。だから四つめはありえない。単にきっかけの問題だ。黒髪だろうと仄羽が仄羽であるのならば、僕は同じ結論を出した」

 まさか、と思う。人間の感情はさまざまな要因が重なりあって形成されていくものだ。断言されて仄羽はうろたえた。暁もそうだが、発言に対する自信が怨めしくなる。信じるしかなくなってしまう。

 五つめは、と威が言った。いつつめ。「ほかに髪や瞳の色が違う女が見つかれば、自分はお払い箱かもしれないと思っている」。

 紅い瞳が仄羽をとらえた。

「ほかの女はいらない」

 仄羽は耳まで赤く染めた。羞恥で顔を覆う。期待した。ほんの少し、あくまでほんの少しであるがそう言ってくれるのではないかと思い、いざ言われると耐えられなかった。胸の奥が締めつけられる。きゅう、というやさしいものではなく、ぎゅっ、と握りつぶされでもしたような。

「だから五つめもありえない」

 仄羽、と文机越しに呼ばれて、びくりと体を震わす。

 どうして。いつの間に。なぜそんなに。

 疑問を抱きつつも、聞けるほどの余裕は仄羽にはなかった。拒否などもっとできない。自分こそいつの間にこんなにほだされていたのかと思う。

 存在ごと肯定されて、単にうれしいだけかもしれない。威ではなく別の誰か、そう、たとえば暁が言ったとしても――いや、暁に言われてもありがたいと恐縮するだけだ。

(貫爾になら)

 貫爾に言われたのなら、うれしい。笑顔で礼を言うだろう。貫爾にとって自分だけがほかとは違う扱いなのだと浮かれただろう。人に自慢したくなったに違いない。

 でも、それだけだ。

 こんな、心臓そのものを掴まれたような、視界が狭くなるような感覚は知らない。人に自慢どころか、誰にも教えたくなかった。自分だけのものにしたかった。

「仄羽。もっとこっちにおいで」

 片肘をついたまま、自分からは来ようとしない威に内心小さく悪態をつきつつ、体は勝手に立ちあがる。

 文机を回りこみ、威の前に行くと、威はもっと、と言った。

「もっとだ」

 手を差し出されて、仄羽はほのかに震える指先を重ねた。そのまま威の膝のうえに倒れこむように座る。

「結局それが知りたかっただけだろう」

 そうかもしれない、と思う。

 威は自分を見限らないとはっきり断じてほしかっただけなのかもしれない。最初に威が言ったように、仄羽は現実として桃色の髪であり、両親はすでに亡くなっている。どうしようもないのだ。黒髪であれば、なんて前提は成り立たない。

「口がさびしい」

 久しぶりに触れた威からは焦げついた匂いが一切香ってこない。どれくらい煙草を切らしているのか、そもそも一日にどれほど吸っているのか。

 唇を指でなぞられて、仄羽は威の頬に手を添える。なんて勝手で、気まぐれなひとなのだろう。これまでは仄羽から近づいても冷ややかにあしらってきていたくせに、今度は仄羽から近づかないと何もしてくれないだなんて。

(なにか、されたかったんだ)

 対峙してやっと、自分の気持ちをひとつずつ確認できる。威はすべてお見通しなのかもしれない。純粋に悔しかった。おそらくは思惑どおりに搦めとられている。

「わたし、煙草じゃありません」

 心ばかりの反抗としてそう言うと、威がふっと笑った。

「うん。比べようもない」

 威は顔を近づけるだけで、重ねてはこない。仄羽は逡巡しつつ、おそるおそる顎をあげた。至近距離で視線がぶつかる。恥ずかしさに目を伏せてゆっくりと唇を合わせれば、記憶よりも甘い味がした。
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