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一章
八話 - 一
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「七嶺」
腕を組み、襖に寄りかかりながら、暁が声に棘を含めて言った。対する七嶺は鏡台に向きあったまま、つんとした態度を崩さない。たまに鏡越しに視線を送ってみれば、いつもへらへらとして本心を読みとらせようとしない暁が、あからさまに不機嫌に眉根を寄せている。七嶺はこっそりとほくそ笑んだ。
御職であり夜見世にしか出ない七嶺は、ほかの花魁たちに比べて自由がある。昼見世が営まれているこの時間、鏡台に向かったところですることはなく、七嶺は意味もなく化粧品を並べ続ける。
「勝手ばかり言ってるのは承知っすけど、頼みます」
「あの子のことは好ましく思っています」
あの子とは、初めて受け持った新造、狄塚仄羽のことである。受け持ったといっても、本来は座敷に出して馴染みの話相手をさせたり、客引きをしたり、芸や作法を教えたり、普段の世話をさせたりするのが「姉妹」であるが、夜見世の準備以外はなにひとつつながりがない。
「だから、あの子から直接話を受けたなら考えましょう」
七嶺は今日暁がやって来てから初めて体ごと振り返り、微笑みながら頭を下げた。並べきった化粧品を仕舞うのがいまから億劫だった。
仄羽の両親の死に、どうやら紀平の嫡男が関わっているらしい。決定打を得たいので七嶺の馴染みのひとりである、毎回全身黒の着物で来るので「黒衣」と綽名をつけられている男に探りを入れてほしい、というのが暁の依頼だ。黒衣は紀平に連なる家の出で、七嶺に身請けの話を何度も出してきている男である。
もっともここで拒否したところで、暁が仄羽にそれとなく話を持ちかけるよう言うだろうことは、容易に想像がつく。実のところ、そもそも別に拒む理由がない。単に暁を困らせたいだけだ。この程度では幼子の駄々と同じで、彼に響くことはないとわかっていても、せずにはいられない。
どうやら暁は仄羽をかわいがっているようだった。威が執着していることを差し引いても、気にかけているのが見ているだけでわかる。春嵐内でめずらしい髪色の彼女を同族として贔屓しているのか、単に当てつけのつもりなのかは知らないが、いちいち腹を立てていては身が持たない。と、思ってはいる。
橙の髪に茶の瞳。〔春日〕内、いや、〔春日〕にかぎらずここ春嵐ではどうしても目立ってしまうその色と整った目鼻立ちに、狭い世界で生きる花魁たちがどれほど色めきだっているか、本人に自覚があることも含めて、七嶺はきちんと知っている。これまで誰が暁を花料に指名してきたのかも。七嶺は表情を戻し、座ったまま暁を見つめた。考えるだに反吐が出る。
「部屋に入るのも忌避するくらいならば、瑞矢さまに任せればよかったものを。どちらにせよほんとうはあの方の管轄なのでは?」
「いや……」
歯切れ悪く暁は言い、目を伏せた。
「仄羽ちゃんに関しては俺の担当っすから」
七嶺は暁を見つめる。〔春日〕に関わることはすべて瑞矢が管理をしているはずだ。仄羽の存在は〔春日〕とは無関係ということなのか、それとも彼女が特別なのか。
あるいは両方かもしれない、と七嶺は思う。慈悲深い祇矩藤家当主と慕われている威がどういう性質の男なのか、七嶺はすでに知っている。実際どうなのか、目にしたことこそないけれど、瑞矢や暁に対してはその性質がむきだしになることを感覚的に読みとっている。だてに春霞一の花魁として長く身を置いているわけではないのだ。人の本質を感じとることには長けているという自負がある。加えて、どうやら威は七嶺に対してその本質を隠す気がない。これまで目通りした数回で、充分な裏付けになった。
「あなたのことも」
視線を向けられて、七嶺は反射的に斜め下に目を向け、矜持だけでなんとか戻した。
そんな指示をされているとは知らなかった。気の毒なものだと暁に同情しながら、七嶺は口の端を持ちあげた。
「それはそれは」
伸ばしている長い髪が鬱陶しい。七嶺は髪を耳にかけ、暁を見つめなおす。
「ところでまた花料に指名されたようですね。無事に言えてよかったと、浮雲が廊下で泣いていました」
ほかの花魁や新造、禿たちと七嶺はほとんど交流がないが、名前と顔は把握している。
ぴくりと腕を組んでいる暁の指が動いた。少なからず彼の動揺を引き出せたことに七嶺は溜飲を下げ、妖艶に笑んでみせる。
「先日は道尾でしたか。恐れ多いこと」
「…………」
「暁さまが相手なら、わたしなら口づけひとつでなんでも許してしまいそう」
長身痩躯で物腰穏やかな暁と、厳しさはあるけれど親身になってくれる瑞矢はこれから花魁になろうという少女たちにとってわかりやすい憧憬の対象だ。もちろん料理番や使用人と日常的に接していくうちに恋をする者や、そもそも居住区のころから思慕する相手がいる者もいるけれど、ふたりは花料に指名される確率が断然高い。恋人がいるかもと苦慮する必要がなく、誰よりも花魁の理解者であるとすでにはっきりしていることも要因のひとつだろう。また、ふたりが花料というたった一回できっぱり諦められる立場であることも大きい。
「ほかにご用件がないのであれば、そろそろよろしいですか?」
これから夜見世まで特に予定もないが、七嶺は言う。暁は組んでいた腕を外した。
七嶺は鏡台に向きなおり、化粧品を片づけていく。いつの間にこんなに増えたのだろう。馴染みをひとりずつ思い出す。あのひとは赤い口紅でないといやがる、あのひとは目元に紫を入れるのをきらう、あのひとは頬をほのかに彩らなければ手抜きと思う。
この口紅は、と持っているなかでもっとも古く、薄汚れつつある容器を手にとる。唯一〔春日〕に来る前から持っていた口紅だ。持ってきたつもりはなかったのに、気づけば手のなかにあった。
ぐいと肩を掴まれ、七嶺は手にしていた紅を落とす。何が起きたのかわからなかった。視界が影に覆われ、唇に柔らかな感触があった。橙が目の端できらりと光り、目の前のものを力いっぱい押す。
混乱しながらも、暁に口づけられたのだとわかった。理解した瞬間、反射的に手が動いていた。ぱん、と小気味よい音が部屋に響く。暁は痛そうに頬をさすった。
加減をする余裕などなかったので、思いきり叩いてしまった。七嶺の手が震えだす。叩いたのは自分であるのに、手の平がじんじんと痺れていた。
ばちん、と音が鳴って、視線がぶつかる。暁は一瞬微笑み、そのあとはひどくまじめな顔になって言った。
「なんでも許してくれますか」
やられた。
七嶺は苦虫を噛み潰し、叩いた手を握りしめる。忌々しい茶の瞳が七嶺を覗きこんでいた。
「口づけふたつなら、何をくれます?」
見るからに赤くなっている頬をそのままに、暁は蠱惑的に微笑んだ。
そっと顎に指を置かれ、七嶺は唇を結ぶ。逃げられない、と瞬時に悟ってしまった。普段まるで人畜無害そうに振舞っているこの男がどういう経歴を持って〔春日〕に来たのか、知らないわけではなかったのに。
近づいてきた瞳に、七嶺が抵抗を忘れて瞼を落とそうとした、そのときだった。
「じゃあ、主人様のところに行ってくるから」
通りのよい鶫の声があり、開け放たれたままの襖の向こうからどたばたと落ちつきのない足音が響いてきた。
鈴と懇意にしている鶫は、出張から帰ってくるとまず鈴のもとへと走ってくる。暁が七嶺の部屋にやってくる幾ばくか前、やかましく隣室の鈴太夫を訪ねているのが壁伝いに聞こえてきていた。
血相を変えたのは暁である。つい先ほどまでの雰囲気はどこにいったのか、慌てて廊下に向かう。
「鶫! いま主人のもとへは……」
しかしとっくに姿はなかったのだろう。暁は大仰な溜息をつき、頭をかいて襖を閉めると、七嶺に向きなおった。
「追いかけなくともよいのですか」
そっと口元を袖で隠しながら、七嶺は言う。あっさり受け入れそうになった自身を恥じる。
暁は七嶺から離れた場所に腰を下ろして、左のもみあげを鬱陶しそうに手で避けた。威の命で伸ばしているその部分を、できうることならすぐにでも切り落としてしまいたいと前に聞いたことがある。
「勝手に怒られるでしょう。仄羽ちゃんには悪いすけど」
ということは、威と仄羽はいまともにいるのか。暁のサポートという形で威の仕事を手伝うようになったのは聞いている。実際、札も暁の下に掲げられていた。しかし単に業務に励んでいるのならば鶫が怒られる謂れはないだろうし、普段夜見世の準備を手伝ってくれている仄羽を考えれば、暁が「悪い」と思うようなことはしないはずだ。
「やはり、そういうことですか」
「やはりとは?」
「威さまとあの子のことです」
すでにいつものへらりとした笑みを浮かべていた暁が、眉を落とした。目だけが笑っていない。
「……あの子とは?」
七嶺は眉根を寄せた。瞼が小さく痙攣しているのが自分でわかる。なぜだか泣きそうになり、ぱっと視線を落とした。この男の前で泣くわけにはいかなかった。
「仄羽のことです」
「ああ。そう。少なくとも主人は仄羽ちゃんを手放す気はもうないでしょうね」
平素の調子であっけらかんと暁が言う。七嶺は奥歯を噛み締めた。すっかり暁の掌のうえで踊らされている。長時間の会話ではまだ分がない。
一度も仄羽の名を呼んだことがないことに、暁に気づかれていた。仄羽本人ですら気づいていない、いや、会話自体には違和がないようにしたつもりだから、気にしてもいないだろうに。指摘されて体の内からふつふつと湧いてくるのは羞恥で、やがて全身にめぐりだす。悔しかった。浅ましさを指摘された。
「そういうわけで、先ほどの件、頼んだっすよ」
「やめて」
腰をあげかけた暁に、七嶺は声を荒げていた。暁が再び重心を落とす。床に転がったままの口紅がなぜか視界の端でちらついて仕方がなかった。
「その、処世術で塗り固めた口調はやめて」
暁は一度うつむき、やがて苦笑とともに小さく肩をすくめた。
「侮辱だわ」
「七嶺」
窓の外は明るく、穏やかな気候であるのに、七嶺には雨の音が聞こえた。もちろん雨など降っていないし、雨が降っていないことを七嶺は知っている。気持ちが昂るといつもこうだ。〔春日〕にやってきた日の雨がいまも七嶺の心身を叩く。
立ちあがった暁が、七嶺の傍近くに足を進め、手を伸ばした。七嶺はびくりと体を震わす。しかし暁の手は七嶺に触れず、転がっていた口紅を拾った。
「この色は、あなたには似合わない」
柔らかに、まるで七嶺にとって大切なものだと知っているかのごとく、暁は紅を七嶺の手の平にそっとのせた。
この口紅を見せたことはない。蓋を開けたことすら、〔春日〕に来てからは一度もなかった。それなのに暁ははっきりと断じた。断じたあと、七嶺の視線を受けて眉尻を下げた。心底困ったという顔をして、
「でも、似合うんでしょうね。きっと」
七嶺は薄く眉根を寄せる。発言に整合性がない。ただ、どちらも本気で言っているということだけはわかる。
ゆっくり暁の手が離れた。名残惜しそうにも見えたが、七嶺は意味もなく小刻みに頷き、いまの互いの気持ちを言語化することはやめた。どんな言葉でも当てはまらないだろうし、どんな言葉でもいま以上に憤ることになるのは明確だった。
「もう自分がどんなふうに話していたのだか……」
目の前で輝く橙の髪を眺める。どうやらまじめに七嶺の要望に応えようとしてくれているらしい。
「どんな色でも、七嶺には似合う。たぶん」
あまりにもまっすぐに伝えられて面喰らった。何の話をしているのか。いまいち会話のなりたっていないいらだちよりもおかしさが勝り、七嶺はふ、と緩く笑った。そんな七嶺に暁は不思議そうに瞬いて、再び距離をとって座った。
「では、仄羽ちゃんの件、よろしくお願いします」
形式張って頭を下げられた。
「口づけふたつなら、暁さまなら何をくださいます?」
立ち去ろうとする暁の背中に投げかける。最後の負け惜しみだ。暁は襖に手をかけたまま軽く振り返った。
「俺にあげられるものなんてないよ。何をいまさら」
緩やかな笑みが向けられたのち、静かに襖が閉められる。七嶺は口紅の蓋を開けるか逡巡し、結局何もしないまま化粧台の隅に戻した。
*
すでに平然と仕事をしている威を横目に、仄羽はぐったりとうなだれていた。眠気と倦怠感、加えて羞恥と少しの後悔がぐるぐると混ざって落ちつかない。自らの姿態が脳裏に浮かんでは顔を覆いたくなる。
「悩むのが趣味?」
「……違います」
こちらを見てもいないのに言い放つ威に否定の言葉を投げる。そんなにわかりやすい空気を放っているのか、それとも威にはやはり感情を感じとる能力でもあるのか。
「み、見られましたよね? たぶん」
引っかかっているところはいろいろあるが、真っ先に言葉になったのはそこだった。口にするとなおさら顔から火がふきそうだ。
瑞矢に長襦袢姿を見られたときとは比べものにならない。瑞矢と暁が目撃することに慣れた様子であるのと同じく、鶫も威の側近として平然としていたとはいえ、はだけていたうえに、威以外のほかには誰にも知られていない乱れた様子を見られてしまった。
「そうだね」
やや間があって、威が頷いた。いったんとめられた筆もまたさらさらと動き出す。
これはもしかして、怒っているのだろうか。仄羽はちらりと威を覗き見る。表情にいつもと違いはなく、声も平素どおりではあったものの、なんとなくそんな気がする。鶫が入ってきた直後のいらだった物言いが思い出された。
床に放られる書類を集めて分けていく。手伝っていくうち、最初は表題くらいしか理解できなかった内容も、きちんと意味を持ったものとして認識できるようになった。分類を間違えていても暁はいつでも笑って受けとってくれるが、はじめのころは改めて分類しなおされていたことを仄羽は知っている。いまではほぼ正しく分けられて、役に立てるようになったのがうれしい。
主人、と襖の向こうから暁の声がして、威が応える。左頬に湿布を貼った暁が顔を出した。
「暁さん。どうしたんですか、そのほっぺ」
仄羽が指摘すると、暁はみるみるうちに眉を落とし、頬を押えて表情を曇らせた。
「いや、これは……ちょっとやらかしてしまった証拠でして……」
ひどく落ちこんでいる。暁は割合素直に感情を表に出すほうではあるが、ここまで沈んでいるのは初めて見た。余計なことを言ってしまったかと仄羽がおろおろしていると、威が笑う。
「なんだ。七嶺にでも殴られたか」
出てきた名前が意外で、仄羽は威を見る。仄羽の知っている七嶺はいつも冷静沈着だ。人の頬を叩くほどの激情を見せるだなんて、暁はよほどのことをしたのだろうか。しかし暁は暁で、そこまで相手を怒らせるようなことをするようには思えない。
「まあ、売り言葉に買い言葉といいますか」
ほとんど肯定の言葉を告げて、暁は部屋へと入ってくる。その後ろには鶫の姿があり、仄羽は意味がないとわかりつつ反射的に顔を伏せた。
「瑞矢さんからっす」
と、暁は威に煙草を渡す。威は「遅いと伝えておけ」と言いつつ、喜色を見せた。
「鶫が失礼をしたようで。気づけず申し訳ございません」
「アカが謝ることじゃない。どうせ執務室には寄らなかったんだろう」
「だっていつもなら問題ないじゃん。絶対おかしい」
青髪の子どもが唇を尖らせる。春嵐が黒髪黒目の町だとは、この部屋を見ると誰も信用してくれないだろう。
「ならそのいつもを認識しなおしてください」
暁が鶫を叱咤する。
「こちらは鶫が留守の間に来た、狄塚仄羽さんっす。仄羽ちゃん、この青髪が鶫っす。主にほかの町の調査とか、借金返済の呼びかけを担当しています」
話が飛んできて、仄羽は慌てて顔を上げる。見れば鶫は非常にきれいな顔をしていた。遊郭だけあって、〔春日〕には容姿端麗な人は大勢いるが、鶫も引けをとらない。瞳が大きく、睫毛が長く、まさに美少女である。
「あ、えっと、狄塚仄羽です。お噂だけはよく……」
「主人様。こいつ、お気に入り?」
仄羽の言葉を遮り、鶫は眉間に皺をつくって威に問うた。年下とわかっていても、睨まれて仄羽は身がすくむ。あからさまな敵意が双眸に宿っていた。
問われた威は筆を置き、煙管を取りだす。煙草に火をつけながら、
「僕のすべては仄羽にくれてやった」
久しぶりの煙草に、威は煙を吐いて満足そうな顔をした。言われた仄羽のほうがいたたまれず体を小さくする。そんな啖呵を、そういえば切った。言葉どおりで有効だったとは。
「髪が黒くないから?」
「それだけですべてをやる奴があるか。仄羽だからだ」
「だってそんな、ちょっとじゃん。この前来たんでしょ?」
「年数が関係あるのか?」
押し問答になる。鶫はいらだっているようだった。自分がいない間に決まったことだからなのか、それとも鶫が威に恋慕しているのかはわからないが、とにかく仄羽が気に喰わないということだけは伝わってくる。
暁は慣れているのか巻きこまれたくないのか、平素どおりの笑みを浮かべて黙っている。倣って仄羽も我関せずの顔をしたいが、一応話題の当事者であるし、暁ほど場慣れしていない。気持ちとは裏腹にうろたえた顔をしてしまう。
「認めない」
激昂した鶫が立ちあがり、叫んだ。
あっ、と思う。暁を見れば、眉尻を下げて鶫に視線を向けていた。それこそまだ「ちょっと」の仄羽でもわかる。そんなことを言えば、威が機嫌を損ねることくらいは。
「鶫。長旅ご苦労だったな。暇をやる。この部屋にはその間、出入り禁止だ。いいと言うまで入ってくるな」
案の定、威は鋭く言い放った。鶫の顔がさっと青くなり、その後、真赤に染まる。ぎっと仄羽を睨んだ。
睨まれた仄羽は鶫と威の顔を交互に見て、
「威さま。お、んなのこに……」
とっさに出たが、言いながら首を傾げる。威が男だの女だので区別をしているとは思えない。
「俺は男だ!」
大声で告げられ、仄羽はびくりと体を震わす。鶫は勢いよく襖を開け、どたどたと慌ただしく部屋を出ていった。
やってしまった。どうやらとどめの一言になった。仄羽が青ざめると、暁が腕を組んで笑った。
「一四なのに、声変わりもまだっすからね。気にしてるんすよ、女顔。背も低いし」
申し訳なさに仄羽はうつむく。そもそもあのタイミングで口を出しては、鶫が怒り心頭になるのは否めなかっただろう。
「鶫は感情の起伏が激しい奴っすから、気に病まないでくださいね。仄羽ちゃんが問題なんじゃなくて、主人がただひとりを決めたのがいやなだけなんで」
言いながら、暁は仄羽の手から書類を受けとった。それではと出ていき、鶫が開け放ったままの襖をきっちり閉めた。部屋にはまた威とふたり、残される。
当然、威は平素どおり変わらない。鶫の態度に腹を立てることもなく、煙草を入れ替えて再び口に含んでいた。立ち去るかどうか、仄羽は考える。ろくに話しもしないままきらわれているのは据わりが悪い。とはいえ、いま鶫のもとへ向かっても、あの様子であればまた噛みつかれて終わりだろう。
「鶫の顔色を窺うなよ」
ふうと煙を吐きながら、威が言った。
「僕が仄羽を選んだんだ。ほかの奴の言動で揺らぐのは許さない」
すぐに頷くのは憚られた。それでも、仄羽はやがて、はい、と小さく返事をした。
腕を組み、襖に寄りかかりながら、暁が声に棘を含めて言った。対する七嶺は鏡台に向きあったまま、つんとした態度を崩さない。たまに鏡越しに視線を送ってみれば、いつもへらへらとして本心を読みとらせようとしない暁が、あからさまに不機嫌に眉根を寄せている。七嶺はこっそりとほくそ笑んだ。
御職であり夜見世にしか出ない七嶺は、ほかの花魁たちに比べて自由がある。昼見世が営まれているこの時間、鏡台に向かったところですることはなく、七嶺は意味もなく化粧品を並べ続ける。
「勝手ばかり言ってるのは承知っすけど、頼みます」
「あの子のことは好ましく思っています」
あの子とは、初めて受け持った新造、狄塚仄羽のことである。受け持ったといっても、本来は座敷に出して馴染みの話相手をさせたり、客引きをしたり、芸や作法を教えたり、普段の世話をさせたりするのが「姉妹」であるが、夜見世の準備以外はなにひとつつながりがない。
「だから、あの子から直接話を受けたなら考えましょう」
七嶺は今日暁がやって来てから初めて体ごと振り返り、微笑みながら頭を下げた。並べきった化粧品を仕舞うのがいまから億劫だった。
仄羽の両親の死に、どうやら紀平の嫡男が関わっているらしい。決定打を得たいので七嶺の馴染みのひとりである、毎回全身黒の着物で来るので「黒衣」と綽名をつけられている男に探りを入れてほしい、というのが暁の依頼だ。黒衣は紀平に連なる家の出で、七嶺に身請けの話を何度も出してきている男である。
もっともここで拒否したところで、暁が仄羽にそれとなく話を持ちかけるよう言うだろうことは、容易に想像がつく。実のところ、そもそも別に拒む理由がない。単に暁を困らせたいだけだ。この程度では幼子の駄々と同じで、彼に響くことはないとわかっていても、せずにはいられない。
どうやら暁は仄羽をかわいがっているようだった。威が執着していることを差し引いても、気にかけているのが見ているだけでわかる。春嵐内でめずらしい髪色の彼女を同族として贔屓しているのか、単に当てつけのつもりなのかは知らないが、いちいち腹を立てていては身が持たない。と、思ってはいる。
橙の髪に茶の瞳。〔春日〕内、いや、〔春日〕にかぎらずここ春嵐ではどうしても目立ってしまうその色と整った目鼻立ちに、狭い世界で生きる花魁たちがどれほど色めきだっているか、本人に自覚があることも含めて、七嶺はきちんと知っている。これまで誰が暁を花料に指名してきたのかも。七嶺は表情を戻し、座ったまま暁を見つめた。考えるだに反吐が出る。
「部屋に入るのも忌避するくらいならば、瑞矢さまに任せればよかったものを。どちらにせよほんとうはあの方の管轄なのでは?」
「いや……」
歯切れ悪く暁は言い、目を伏せた。
「仄羽ちゃんに関しては俺の担当っすから」
七嶺は暁を見つめる。〔春日〕に関わることはすべて瑞矢が管理をしているはずだ。仄羽の存在は〔春日〕とは無関係ということなのか、それとも彼女が特別なのか。
あるいは両方かもしれない、と七嶺は思う。慈悲深い祇矩藤家当主と慕われている威がどういう性質の男なのか、七嶺はすでに知っている。実際どうなのか、目にしたことこそないけれど、瑞矢や暁に対してはその性質がむきだしになることを感覚的に読みとっている。だてに春霞一の花魁として長く身を置いているわけではないのだ。人の本質を感じとることには長けているという自負がある。加えて、どうやら威は七嶺に対してその本質を隠す気がない。これまで目通りした数回で、充分な裏付けになった。
「あなたのことも」
視線を向けられて、七嶺は反射的に斜め下に目を向け、矜持だけでなんとか戻した。
そんな指示をされているとは知らなかった。気の毒なものだと暁に同情しながら、七嶺は口の端を持ちあげた。
「それはそれは」
伸ばしている長い髪が鬱陶しい。七嶺は髪を耳にかけ、暁を見つめなおす。
「ところでまた花料に指名されたようですね。無事に言えてよかったと、浮雲が廊下で泣いていました」
ほかの花魁や新造、禿たちと七嶺はほとんど交流がないが、名前と顔は把握している。
ぴくりと腕を組んでいる暁の指が動いた。少なからず彼の動揺を引き出せたことに七嶺は溜飲を下げ、妖艶に笑んでみせる。
「先日は道尾でしたか。恐れ多いこと」
「…………」
「暁さまが相手なら、わたしなら口づけひとつでなんでも許してしまいそう」
長身痩躯で物腰穏やかな暁と、厳しさはあるけれど親身になってくれる瑞矢はこれから花魁になろうという少女たちにとってわかりやすい憧憬の対象だ。もちろん料理番や使用人と日常的に接していくうちに恋をする者や、そもそも居住区のころから思慕する相手がいる者もいるけれど、ふたりは花料に指名される確率が断然高い。恋人がいるかもと苦慮する必要がなく、誰よりも花魁の理解者であるとすでにはっきりしていることも要因のひとつだろう。また、ふたりが花料というたった一回できっぱり諦められる立場であることも大きい。
「ほかにご用件がないのであれば、そろそろよろしいですか?」
これから夜見世まで特に予定もないが、七嶺は言う。暁は組んでいた腕を外した。
七嶺は鏡台に向きなおり、化粧品を片づけていく。いつの間にこんなに増えたのだろう。馴染みをひとりずつ思い出す。あのひとは赤い口紅でないといやがる、あのひとは目元に紫を入れるのをきらう、あのひとは頬をほのかに彩らなければ手抜きと思う。
この口紅は、と持っているなかでもっとも古く、薄汚れつつある容器を手にとる。唯一〔春日〕に来る前から持っていた口紅だ。持ってきたつもりはなかったのに、気づけば手のなかにあった。
ぐいと肩を掴まれ、七嶺は手にしていた紅を落とす。何が起きたのかわからなかった。視界が影に覆われ、唇に柔らかな感触があった。橙が目の端できらりと光り、目の前のものを力いっぱい押す。
混乱しながらも、暁に口づけられたのだとわかった。理解した瞬間、反射的に手が動いていた。ぱん、と小気味よい音が部屋に響く。暁は痛そうに頬をさすった。
加減をする余裕などなかったので、思いきり叩いてしまった。七嶺の手が震えだす。叩いたのは自分であるのに、手の平がじんじんと痺れていた。
ばちん、と音が鳴って、視線がぶつかる。暁は一瞬微笑み、そのあとはひどくまじめな顔になって言った。
「なんでも許してくれますか」
やられた。
七嶺は苦虫を噛み潰し、叩いた手を握りしめる。忌々しい茶の瞳が七嶺を覗きこんでいた。
「口づけふたつなら、何をくれます?」
見るからに赤くなっている頬をそのままに、暁は蠱惑的に微笑んだ。
そっと顎に指を置かれ、七嶺は唇を結ぶ。逃げられない、と瞬時に悟ってしまった。普段まるで人畜無害そうに振舞っているこの男がどういう経歴を持って〔春日〕に来たのか、知らないわけではなかったのに。
近づいてきた瞳に、七嶺が抵抗を忘れて瞼を落とそうとした、そのときだった。
「じゃあ、主人様のところに行ってくるから」
通りのよい鶫の声があり、開け放たれたままの襖の向こうからどたばたと落ちつきのない足音が響いてきた。
鈴と懇意にしている鶫は、出張から帰ってくるとまず鈴のもとへと走ってくる。暁が七嶺の部屋にやってくる幾ばくか前、やかましく隣室の鈴太夫を訪ねているのが壁伝いに聞こえてきていた。
血相を変えたのは暁である。つい先ほどまでの雰囲気はどこにいったのか、慌てて廊下に向かう。
「鶫! いま主人のもとへは……」
しかしとっくに姿はなかったのだろう。暁は大仰な溜息をつき、頭をかいて襖を閉めると、七嶺に向きなおった。
「追いかけなくともよいのですか」
そっと口元を袖で隠しながら、七嶺は言う。あっさり受け入れそうになった自身を恥じる。
暁は七嶺から離れた場所に腰を下ろして、左のもみあげを鬱陶しそうに手で避けた。威の命で伸ばしているその部分を、できうることならすぐにでも切り落としてしまいたいと前に聞いたことがある。
「勝手に怒られるでしょう。仄羽ちゃんには悪いすけど」
ということは、威と仄羽はいまともにいるのか。暁のサポートという形で威の仕事を手伝うようになったのは聞いている。実際、札も暁の下に掲げられていた。しかし単に業務に励んでいるのならば鶫が怒られる謂れはないだろうし、普段夜見世の準備を手伝ってくれている仄羽を考えれば、暁が「悪い」と思うようなことはしないはずだ。
「やはり、そういうことですか」
「やはりとは?」
「威さまとあの子のことです」
すでにいつものへらりとした笑みを浮かべていた暁が、眉を落とした。目だけが笑っていない。
「……あの子とは?」
七嶺は眉根を寄せた。瞼が小さく痙攣しているのが自分でわかる。なぜだか泣きそうになり、ぱっと視線を落とした。この男の前で泣くわけにはいかなかった。
「仄羽のことです」
「ああ。そう。少なくとも主人は仄羽ちゃんを手放す気はもうないでしょうね」
平素の調子であっけらかんと暁が言う。七嶺は奥歯を噛み締めた。すっかり暁の掌のうえで踊らされている。長時間の会話ではまだ分がない。
一度も仄羽の名を呼んだことがないことに、暁に気づかれていた。仄羽本人ですら気づいていない、いや、会話自体には違和がないようにしたつもりだから、気にしてもいないだろうに。指摘されて体の内からふつふつと湧いてくるのは羞恥で、やがて全身にめぐりだす。悔しかった。浅ましさを指摘された。
「そういうわけで、先ほどの件、頼んだっすよ」
「やめて」
腰をあげかけた暁に、七嶺は声を荒げていた。暁が再び重心を落とす。床に転がったままの口紅がなぜか視界の端でちらついて仕方がなかった。
「その、処世術で塗り固めた口調はやめて」
暁は一度うつむき、やがて苦笑とともに小さく肩をすくめた。
「侮辱だわ」
「七嶺」
窓の外は明るく、穏やかな気候であるのに、七嶺には雨の音が聞こえた。もちろん雨など降っていないし、雨が降っていないことを七嶺は知っている。気持ちが昂るといつもこうだ。〔春日〕にやってきた日の雨がいまも七嶺の心身を叩く。
立ちあがった暁が、七嶺の傍近くに足を進め、手を伸ばした。七嶺はびくりと体を震わす。しかし暁の手は七嶺に触れず、転がっていた口紅を拾った。
「この色は、あなたには似合わない」
柔らかに、まるで七嶺にとって大切なものだと知っているかのごとく、暁は紅を七嶺の手の平にそっとのせた。
この口紅を見せたことはない。蓋を開けたことすら、〔春日〕に来てからは一度もなかった。それなのに暁ははっきりと断じた。断じたあと、七嶺の視線を受けて眉尻を下げた。心底困ったという顔をして、
「でも、似合うんでしょうね。きっと」
七嶺は薄く眉根を寄せる。発言に整合性がない。ただ、どちらも本気で言っているということだけはわかる。
ゆっくり暁の手が離れた。名残惜しそうにも見えたが、七嶺は意味もなく小刻みに頷き、いまの互いの気持ちを言語化することはやめた。どんな言葉でも当てはまらないだろうし、どんな言葉でもいま以上に憤ることになるのは明確だった。
「もう自分がどんなふうに話していたのだか……」
目の前で輝く橙の髪を眺める。どうやらまじめに七嶺の要望に応えようとしてくれているらしい。
「どんな色でも、七嶺には似合う。たぶん」
あまりにもまっすぐに伝えられて面喰らった。何の話をしているのか。いまいち会話のなりたっていないいらだちよりもおかしさが勝り、七嶺はふ、と緩く笑った。そんな七嶺に暁は不思議そうに瞬いて、再び距離をとって座った。
「では、仄羽ちゃんの件、よろしくお願いします」
形式張って頭を下げられた。
「口づけふたつなら、暁さまなら何をくださいます?」
立ち去ろうとする暁の背中に投げかける。最後の負け惜しみだ。暁は襖に手をかけたまま軽く振り返った。
「俺にあげられるものなんてないよ。何をいまさら」
緩やかな笑みが向けられたのち、静かに襖が閉められる。七嶺は口紅の蓋を開けるか逡巡し、結局何もしないまま化粧台の隅に戻した。
*
すでに平然と仕事をしている威を横目に、仄羽はぐったりとうなだれていた。眠気と倦怠感、加えて羞恥と少しの後悔がぐるぐると混ざって落ちつかない。自らの姿態が脳裏に浮かんでは顔を覆いたくなる。
「悩むのが趣味?」
「……違います」
こちらを見てもいないのに言い放つ威に否定の言葉を投げる。そんなにわかりやすい空気を放っているのか、それとも威にはやはり感情を感じとる能力でもあるのか。
「み、見られましたよね? たぶん」
引っかかっているところはいろいろあるが、真っ先に言葉になったのはそこだった。口にするとなおさら顔から火がふきそうだ。
瑞矢に長襦袢姿を見られたときとは比べものにならない。瑞矢と暁が目撃することに慣れた様子であるのと同じく、鶫も威の側近として平然としていたとはいえ、はだけていたうえに、威以外のほかには誰にも知られていない乱れた様子を見られてしまった。
「そうだね」
やや間があって、威が頷いた。いったんとめられた筆もまたさらさらと動き出す。
これはもしかして、怒っているのだろうか。仄羽はちらりと威を覗き見る。表情にいつもと違いはなく、声も平素どおりではあったものの、なんとなくそんな気がする。鶫が入ってきた直後のいらだった物言いが思い出された。
床に放られる書類を集めて分けていく。手伝っていくうち、最初は表題くらいしか理解できなかった内容も、きちんと意味を持ったものとして認識できるようになった。分類を間違えていても暁はいつでも笑って受けとってくれるが、はじめのころは改めて分類しなおされていたことを仄羽は知っている。いまではほぼ正しく分けられて、役に立てるようになったのがうれしい。
主人、と襖の向こうから暁の声がして、威が応える。左頬に湿布を貼った暁が顔を出した。
「暁さん。どうしたんですか、そのほっぺ」
仄羽が指摘すると、暁はみるみるうちに眉を落とし、頬を押えて表情を曇らせた。
「いや、これは……ちょっとやらかしてしまった証拠でして……」
ひどく落ちこんでいる。暁は割合素直に感情を表に出すほうではあるが、ここまで沈んでいるのは初めて見た。余計なことを言ってしまったかと仄羽がおろおろしていると、威が笑う。
「なんだ。七嶺にでも殴られたか」
出てきた名前が意外で、仄羽は威を見る。仄羽の知っている七嶺はいつも冷静沈着だ。人の頬を叩くほどの激情を見せるだなんて、暁はよほどのことをしたのだろうか。しかし暁は暁で、そこまで相手を怒らせるようなことをするようには思えない。
「まあ、売り言葉に買い言葉といいますか」
ほとんど肯定の言葉を告げて、暁は部屋へと入ってくる。その後ろには鶫の姿があり、仄羽は意味がないとわかりつつ反射的に顔を伏せた。
「瑞矢さんからっす」
と、暁は威に煙草を渡す。威は「遅いと伝えておけ」と言いつつ、喜色を見せた。
「鶫が失礼をしたようで。気づけず申し訳ございません」
「アカが謝ることじゃない。どうせ執務室には寄らなかったんだろう」
「だっていつもなら問題ないじゃん。絶対おかしい」
青髪の子どもが唇を尖らせる。春嵐が黒髪黒目の町だとは、この部屋を見ると誰も信用してくれないだろう。
「ならそのいつもを認識しなおしてください」
暁が鶫を叱咤する。
「こちらは鶫が留守の間に来た、狄塚仄羽さんっす。仄羽ちゃん、この青髪が鶫っす。主にほかの町の調査とか、借金返済の呼びかけを担当しています」
話が飛んできて、仄羽は慌てて顔を上げる。見れば鶫は非常にきれいな顔をしていた。遊郭だけあって、〔春日〕には容姿端麗な人は大勢いるが、鶫も引けをとらない。瞳が大きく、睫毛が長く、まさに美少女である。
「あ、えっと、狄塚仄羽です。お噂だけはよく……」
「主人様。こいつ、お気に入り?」
仄羽の言葉を遮り、鶫は眉間に皺をつくって威に問うた。年下とわかっていても、睨まれて仄羽は身がすくむ。あからさまな敵意が双眸に宿っていた。
問われた威は筆を置き、煙管を取りだす。煙草に火をつけながら、
「僕のすべては仄羽にくれてやった」
久しぶりの煙草に、威は煙を吐いて満足そうな顔をした。言われた仄羽のほうがいたたまれず体を小さくする。そんな啖呵を、そういえば切った。言葉どおりで有効だったとは。
「髪が黒くないから?」
「それだけですべてをやる奴があるか。仄羽だからだ」
「だってそんな、ちょっとじゃん。この前来たんでしょ?」
「年数が関係あるのか?」
押し問答になる。鶫はいらだっているようだった。自分がいない間に決まったことだからなのか、それとも鶫が威に恋慕しているのかはわからないが、とにかく仄羽が気に喰わないということだけは伝わってくる。
暁は慣れているのか巻きこまれたくないのか、平素どおりの笑みを浮かべて黙っている。倣って仄羽も我関せずの顔をしたいが、一応話題の当事者であるし、暁ほど場慣れしていない。気持ちとは裏腹にうろたえた顔をしてしまう。
「認めない」
激昂した鶫が立ちあがり、叫んだ。
あっ、と思う。暁を見れば、眉尻を下げて鶫に視線を向けていた。それこそまだ「ちょっと」の仄羽でもわかる。そんなことを言えば、威が機嫌を損ねることくらいは。
「鶫。長旅ご苦労だったな。暇をやる。この部屋にはその間、出入り禁止だ。いいと言うまで入ってくるな」
案の定、威は鋭く言い放った。鶫の顔がさっと青くなり、その後、真赤に染まる。ぎっと仄羽を睨んだ。
睨まれた仄羽は鶫と威の顔を交互に見て、
「威さま。お、んなのこに……」
とっさに出たが、言いながら首を傾げる。威が男だの女だので区別をしているとは思えない。
「俺は男だ!」
大声で告げられ、仄羽はびくりと体を震わす。鶫は勢いよく襖を開け、どたどたと慌ただしく部屋を出ていった。
やってしまった。どうやらとどめの一言になった。仄羽が青ざめると、暁が腕を組んで笑った。
「一四なのに、声変わりもまだっすからね。気にしてるんすよ、女顔。背も低いし」
申し訳なさに仄羽はうつむく。そもそもあのタイミングで口を出しては、鶫が怒り心頭になるのは否めなかっただろう。
「鶫は感情の起伏が激しい奴っすから、気に病まないでくださいね。仄羽ちゃんが問題なんじゃなくて、主人がただひとりを決めたのがいやなだけなんで」
言いながら、暁は仄羽の手から書類を受けとった。それではと出ていき、鶫が開け放ったままの襖をきっちり閉めた。部屋にはまた威とふたり、残される。
当然、威は平素どおり変わらない。鶫の態度に腹を立てることもなく、煙草を入れ替えて再び口に含んでいた。立ち去るかどうか、仄羽は考える。ろくに話しもしないままきらわれているのは据わりが悪い。とはいえ、いま鶫のもとへ向かっても、あの様子であればまた噛みつかれて終わりだろう。
「鶫の顔色を窺うなよ」
ふうと煙を吐きながら、威が言った。
「僕が仄羽を選んだんだ。ほかの奴の言動で揺らぐのは許さない」
すぐに頷くのは憚られた。それでも、仄羽はやがて、はい、と小さく返事をした。
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