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第3話 生者の苦痛、死者の憂鬱

07 エピローグを忘れるな

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「とんだ邪魔が入った」老人は忌々しげにトウシロウを睨み、吐き捨てるように言った。

「久し振りだな」トウシロウは涼しい顔をしている。

 理世が二人を交互に見やっていると、トウシロウがゆっくりと前に歩み出た。

「一度おれとアヤネちゃんにコテンパンにされたってのに、全然懲りてないようだな、あんた。しかもこの子をいたぶるための道具として、勝手にアヤネちゃんの実体験を物語にして。あの人が一度マグマを噴出させたら手に負えないってのは、あんただってよくわかってるだろ? 今度こそ完全に消されるぞ」

「生意気な──」

「言っとくけど、アヤネちゃんも待機してるからな。ちゃんと見てるよ、このやり取りを」

 理世の心にいくらか余裕が生まれた。トウシロウとアヤネは実在し、一度この老人を懲らしめた事がある。そして老人は今、歯軋りしながら唸り、狼狽えているのを誤魔化し切れていない。

「とりあえず、おれたちをここから出してくれないかな。続きはそれから考えようじゃないか。どうだい?」

 答えに窮していた老人だったが、ふと何かを思い付いたようにニヤリと笑みを浮かべた。

「ハッタリなど通用せんぞ、小僧」

「ハッタリじゃ──」

 理世とトウシロウが背後からの気配を感じて振り向いたのと、リアが階段の手摺から飛び掛かってきたのはほぼ同時だった。

「あっ──」

 避ける余裕もなく、理世はもろに直撃を喰らった。床に頭を打ち付け、目から火花が飛ぶ。

「理世さん!!」

 リアは間髪を入れずに馬乗りになり、妙に節くれ立って皺の多い両手で理世の首を絞め上げてきた。必死に引き剥がそうが拳で叩こうが爪を立てようが、岩のようにビクともしない。

「理世さ──」

 助けに入ろうとしたトウシロウは、リアの後からやって来たリュウジに羽交い締めにされた。リュウジの顔は完全に崩れてパーツのほとんどが失われ、口だった部分からヒューヒューと呼吸音が聞こえる。

「やめろ!! 離せ!!」

「小説は第四章までだったな」いつの間にか、リアの声と姿は老人のものに変化していた。「つまりこれで最後だ。あんたにとっては色々な意味でな」

「う……あぁぁ……っ」

 理世の意識は薄れ、老人を掴む手の力も抜けてゆく。

「どいてろ」

 完全に意識を失う直前、理世の頭の中で、あの口の悪い憑依霊の声がした。



 老人はほくそ笑んだ。久し振りに若く新鮮な魂にあり付ける。しかもこの娘に取り憑いていた、人相の悪い男の分もだ。最初にフリーマーケットで遭遇した際、娘の中に封じ込めておいて良かった。

「こいつらを喰らったら次はお前だ、持田冬四郎」

「エピローグを忘れるんじゃないわよ、クソジジイ」

 老人の笑みを一瞬で消したのは、何処からともなく聞こえてきた女性の声だった。

「ねえ、あなたもそう思うでしょ、

 老人は理世の上から飛び退くと、身を強張らせて忙しなく周囲を見回した。

「何故だ、確かに気配は感じられなかったというのに!」

「だからおれ、さっき言ったじゃんか」

 トウシロウは小さく息を吐き出すと、目を閉じて何かを唱えた。リュウジは苦しそうに呻いたが、長くは続かず雲散霧消した。

 ギイイ──……

 軋んだ音と共に玄関ドアが開いた。姿を現したのは、長い黒髪と長身が目立つ、美しいが少々キツそうな印象を与える顔立ちの美女だ。オフホワイトのブラウスにグレーのジャケット、黒色のパンツにアンクルブーツと、OLを連想させる出で立ちだ。

「アヤネちゃん!」

「逃がさないわよ」

 アヤネが右手を突き出すと、慌てて消え去ろうとした老人を不可視の鎖が縛り上げた。

「こっ……このアマ!!」老人は唾を飛ばしながら喚いた。「調子に乗るな!! こんなちゃちな術などすぐに破って、お前なぞ──」

 やかましい口にも術を施すと、アヤネはトウシロウに向き直った。

「しっかりしなさいよ。余裕こいてそのザマは何? 最初から私がこっちに来た方が早かったんじゃない?」

「申し開きのしようもございません」トウシロウはばつの悪そうな顔をした。

「まあいいわ。とにかく先にあのジジイを──」

 振り向いて老人を見やった二人は目を丸くした。忌まわしき悪魔の背中から腹部に、腕が貫通している。
 腕の主はまだ若い男だ。黒色のジャンパーとネイビーのダメージジーンズ、履き潰したスニーカーを纏い、短い黒髪をパンクロッカーのように逆立てている。

「ぐ……げ、ご……」

 老人は潰れた蛙のような声をやっと絞り出すと、足元から赤茶色い砂と化して一瞬で崩れ落ちた。

「あー、やるね、君。理世さんに憑依している……クールなおにいさん」

 若い男は、鋭い三白眼でトウシロウに一瞥くれたが、興味ないとばかりに身を翻した。ジャンパーの背中部分には蜘蛛の巣と共に骸骨が刺繍されており、ぽっかり空いた眼窩は、霊能者二人をじっと見据えているかのようだ。
 若い男は、倒れている理世の隣まで来ると胡座を掻き、肩を強く揺さ振った。

「理世さん」

 トウシロウも走り寄って若い男の反対側で膝を突き、理世の上体をゆっくり抱え起こして耳元で呼び掛ける。

「理世さん。大丈夫かい?」

 アヤネは理世の脈を取った。「大丈夫よ、生きてる」

 若い男は、理世の頬を何度か小刻みにはたき、つねった。

「ちょ、おにいさん……」

「んっ、うう……」理世が呻いた。

「理世さん!」トウシロウの顔に笑みが浮かんだ。「理世さん、わかる?」

 理世が完全に目を開ける直前、若い男はその場で姿を消した。

「……あれ……トウシロウ、さん」理世の声は少々掠れている。

「片付いたよ、理世さん」

「……本当、ですか」

「ああ。ごめんな、危ない目に遭わせてしまって」

「いえ。助けてくれて有難うございます」

「おれよりも、アヤネちゃんと理世さんの憑依霊君のおかげだよ。あ、自分に霊が憑いてる事には気付いてた?」

「はい……」

 理世はトウシロウの隣に立つ女性を見上げた。

「あなたが……アヤネさん」

「どうも。無事で何より」

「はじめまして」

 理世は軽く咳き込むと、支えられながらゆっくり立ち上がった。

「まさかお二人が実在していたなんて。再会されたんですね。良かったです」

 一瞬の間の後、トウシロウが苦笑を浮かべた。

「あのクソジジイ……」

 アヤネはかつて老人だった砂が小さく積もる場所まで戻ると、無言で何度も何度も蹴散らした。

「わ、わたし、何か余計な事言っちゃいました……?」

「いや大丈夫。それにあれは通常運転の範囲内」

 囁き声で尋ねる理世に、トウシロウも同じような声量で返してウィンクした。

「帰るわよ。出口なら開いてる」

 言うや否や、アヤネはコツコツと靴音を響かせて玄関へと歩き出した。

「あの、この場所って……本物の?」

「実在する心霊スポットを元に、あの悪魔が造り出した空間さ。そういうのを、おれやアヤネさんは異界って呼んでる。創造主が死んだから、ほっといても数分以内に消えると思うよ」

「なるほど……」理世はゆっくり頷いた。「それと、他にも聞きたい事があるんですが、いいですか?」

「じゃあ、ここを出てからにしよう。歩けるかい?」

「はい」

 理世は再び軽く咳込むと、顔をしかめて喉をさすった。

 
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