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第3話 生者の苦痛、死者の憂鬱

08 聞こえない返事

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 ドアの向こうは濃霧が立ち込めたように視界がはっきりしていなかったが、理世たちが廃墟から踏み出した次の瞬間には、交通公園内の、老人が店を出していた場所に戻っていた。
 公園内の光景は、理世が老人を探しにやって来た時から大して変わっていない。空の明るさからしても、それ程時間は経過していないようだ。

「良かった……」理世は安堵の溜め息を吐いた。

「大丈夫?」

「はい、まだちょっと喉は変ですけど。もしなかなか治らないようだったら、病院に行ってみます。大学のプロレス同好会の人に絞められたって説明すればきっと通じますよね」

「た、多分……?」

「他にも聞きたい事があるって言ってたわよね」アヤネが言った。「答えられる限りは何でも答えてくれるはずよ、トウシロウこの人が」

「ああ、そうだったそうだった。とりあえずちょっと座ろうか」

 三人は一番近いベンチまで移動した。トウシロウは理世とアヤネに座るよう促したが、最終的には理世と、一人分間隔を開けてトウシロウが座り、アヤネは二人の前に立って腕を組んだ。
 
「えっと……改めて、助けてくださり有難うございました」

「いえいえ」

 理世が頭を下げると、トウシロウも同じようにした。

「お二人は、どうしてわたしが異界で殺されかけてるってわかったんですか?」

「以前おれたちは、別々の理由であのじいさんを追っていて、その過程で再会したんだ。倒したと思ってたんだけど、ちゃんとトドメを刺せていなかったらしい」

 戦いから約半年後。別の霊能力者仲間から、どうにもあの悪魔はまだ生きており、新たな被害者が磨陣まじん市内で出たようだという連絡が入った。
 悪魔探し及び討伐の中心を担う事になったのは、磨陣市内やその近隣に在住の霊能力者たちだったが、アヤネとトウシロウも、時間があれば出来る限り足を運んで協力していた。

「さっき王鉄線の電車で移動中に、アヤネちゃんが悪魔の気配と強烈な魔力を感じ取ったんだ。青木駅で降りて探し回っていたら、この公園で異界が発生しているのに気付いて、何とか入口を見付けて侵入したってわけ。まさか、アヤネちゃんの過去やおれとの出会いが、変なカタチで再現されていたとはね」

 理世は恐る恐るアヤネに目をやった。口を真一文字に結び、お世辞にも機嫌のいい表情だとは言えないが、蹴飛ばされる心配はなさそうだ。

「あ、ちなみに、あの悪魔を一撃で葬ったのはおれでもアヤネちゃんでもなく、君に憑依している霊のおにいさんだよ」

「えっ!」

「本当はもっと早く何とかしたかったけど、悪魔に妨害されて動けなかったんじゃないのかな。ねえ?」

 トウシロウは理世から視線をずらし、やや上の方を見やったが、すぐに苦笑を浮かべて小さく肩を含めた。

「あの、これも聞きたいんですが!」理世は身を乗り出した。「わたしの憑依霊さんってどんな人ですか? 声なら何度か聞いているんですけど、姿はまだ見た事なくって。はっきりわかっているのは、男の人って事くらいで」

「……あー……や、優しそうな人だよ」

「え……本当ですか?」

 トウシロウは助けを求めるようにアヤネを見やったが、目が合わなかったので諦めた。

「うーんと、昔実在した有名なベーシストみたいな髪型しててね、それで目付きがなかなか……うん」

「憑依霊さん、ちょっと怖いんですよ。あと口が悪くって。〝グズ女〟とか言われちゃいましたし。でも実は助けてもらったのって、これが初めてじゃないんです。だから根は悪い人じゃないと思ってるんですけどね」

「へえ……」

「それと、何でわたしに取り憑いているのかも知りたいんです。七月頃からだったと思うんですけど、別に身近に誰か亡くなった人がいるとか、心霊スポットに行ったりとかもしていないんで、思い当たる節が全然ないんですよ。トウシロウさん、直接聞いていただいてもいいです?」

「あー……別におれはいいんだけど、本人が答えてくれるかどうか」

「聞いてみるだけ、お願いします」

「……って事だけど、どう?」
 
 トウシロウは再び視線をずらしてそのまま見据えていたが、ややあってから溜め息混じりにかぶりを振った。

「駄目。殺すぞと言わんばかりの顔で中指立てられた」

「ええ……」

 ふと、アヤネが何かに気付いたように振り返った。視線の先には木々が並んでいるが、誰もいない。

「どうしたのアヤネちゃん……ああ、ヒサメ」

 ──ヒサメ?

「片付いたわ。ええ、今度こそ間違いなくね」

 アヤネが静かに言うと、トウシロウは同意するように頷いた。どうやら、理世には見えない何者かがいるらしい。

「理世さん、おれたちそろそろ行くよ。他の霊能者たちにも直接報告したいし」

 言いながらトウシロウは立ち上がった。

「あ、はい! お二人共、本当に有難うございました!」

 理世も立ち上がると、深々と頭を下げた。

「助けられて何よりだよ」

 アヤネが近付いて来た。理世は一瞬身構えたが、実在したヒロインの整った顔には、女神のような優しい微笑みが浮かんでいた。

「救い出せて良かったわ。喉、お大事に」

「は、はい! 有難うございます!」

 ──良かった、根は優しい人だ!

「それと……」女神の微笑みは一瞬で能面と化した。「本に書いてあった内容は極力忘れてちょうだい。ね?」

「は、はい~……」

 ──うん、やっぱりちょっと怖い!



 アヤネとトウシロウが去るのを見届けると、理世は再びベンチに腰を下ろした。

 ──本当に危ないところだったんだなあ……。

 無意識に喉に手を伸ばし、さする。

 ──死ぬって、どんな感じなんだろう。死んだらその後どうなるんだろう。

 急に命を落としてしまったら。急ではなくとも未練が残っていたら。果たして成仏出来るのだろうか。天国や地獄は実在するのだろうか。輪廻転生はあり得るのだろうか。

 ──でも、もし天国があっても輪廻転生があり得ても、魂がなくなっちゃったら……やり直すも何もないんだろうな。だって〝無〟なんだから。

 理世は改めて戦慄し、体を震わせた。子供たちのはしゃぎ声や明るい空、心地好いそよ風でさえも、何の慰めにもなりそうになかった。

 ──帰ろう。

 理世は立ち上がると囁くような声で、

「今回も有難う、憑依霊さん。何だか助けられてばかりだね」

 返事が聞こえないのはわかっていたが──そもそもちゃんと返事をするような性格ではないのかもしれない──何だか寂しかった。

 ──そうだ、コンビニ寄らなきゃ。

 母親には和菓子系、父親には焼きプリン。自分は何にしよう。それから、喉に優しそうな飲み物も。

「あなたも何か飲みたい?」

 やはり返事はなかったが、不思議と理世は確信していた──謎の男は、アイスコーヒーが好きだろうと。
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