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第4話 縁
07 運命という名の犯罪
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「雑賀さん!」
大学から駅まで向かう途中の交差点で信号待ち中、突然目の前に現れた男に、理世は飛び上がらんばかりに驚いた。
「やっと見付けました! いやぁ探しましたよ~!」
「……鈴川、さん……」理世は半歩後ずさった。「何で……ここが?」
「K県内の大学を片っ端から調べて、探し回ったんですよ!」
鈴川は子供のように無邪気に目を輝かせている。
「雑賀さん、良かったらこの後、ちょっとお茶しませんか? せっかくこうやって会えたんですから」
「嫌です」
「遠慮しないでいいんですよ」
「遠慮じゃありません!」
「さあ行きましょう!」
「やめてください!!」
鈴川が伸ばしてきた手を払い除けると、理世は人波を縫って青に変わったばかりの横断歩道を一目散に走り出した。
──あの人本当におかしいよ……!!
駅の改札を入って数メートル進むと風景が知らない街中に変わり、すぐに自宅が見えてきた。
「あら理世ちゃんお帰り! そんなに慌ててどうしたの?」
見知らぬ老婆が、擦れ違いざま大声で話し掛けてきた。
「しーっ!」理世は慌てて口の前で人差し指を立てた。
「ええ? 何かあったの理世ちゃん」
「お願いですから静かに! 悪い人に追い掛けられてるんです!」
「まあ~! それは大変ねえ!!」
理世は来た道を振り返った。鈴川の姿は見当たらないが、ここでグズグズしていたらいずれは追い付かれるだろう。
──早く家に隠れなきゃ。
「そういえば理世ちゃん、また大きくなったあ?」
埒が明かないので無視して自宅に駆け込み、妙に重くて動きの鈍いドアを無理矢理引っ張って鍵を閉める。
──もう大丈夫……見られてないし。
「雑賀さーん」
理世が背を向けたのとほぼ同時に、最も耳にしたくなかった声がドアの向こうから聞こえた。
──嘘……そんな。
「雑賀さーん」
恐怖で固まった体をぎこちなく動かし、スローモーションで振り返った理世の目に入ったのは、あちこちがぼこぼこに歪んで上下左右が大きな隙間だらけになったドアと、ドア横に出来た隙間からチェシャ猫のような笑顔で覗いてくる鈴川の姿だった。
「雑賀さんみーつけたっ」
「で、これが三日前の火曜日に来たメッセージ」
〝雑賀さんこんばんは!
今日はちょっと肌寒い一日でしたね。
今日から公開の恋愛映画が気になったんで見に行こうと思ったんですけど、他の客はカップルばかりだろうなーと思って、やめちゃいました(笑)
雑賀さんは映画好きですか?〟
「ID交換してから、こんな日記みたいな内容を毎日。しかも必ず何かしら質問してくる、と」
「うん……」
街コンの翌々週の金曜日。
前日にモカから仕事の愚痴を聞いてほしいという連絡を貰っていた理世は、大学近くのショッピングモール内のフードコートで待ち合わせした。
モカはホットキャラメルマキアート片手に、意地の悪い女性パート三人組や、彼女たちの横暴に対処が出来ない事なかれ主義の会社に対する怒りを、気が済むまでぶちまけた。そんな親友を見ているうちに、理世は黙っているつもりだった鈴川との問題を相談したくなり[MINE]でのやり取りを見せたのだった。
「火曜日のこれが来たのが一一時近かったし、どう返せばいいのかわかんなかったから、そのままにしちゃったんだ。そしたら次の日の夜にね……」
〝雑賀さんこんばんは。
昨日は返信がありませんでしたね。僕何か雑賀さんを怒らせるような事言いましたでしょうか?〟
「わー……本当にウザイわ。これに対して理世は何て返信したの?」
〝怒っているわけではありません。私にもいろいろと都合がありますので、返信出来ない時もあります。
メッセージも毎日送ってくださらなくて結構です〟
「おおっ、はっきり言ったね!」モカは笑みを漏らした。「あんたの事だから謝りつつやんわり断るかと」
「最初はそうしようかと思ったよ。でもこういう人って、強めに言わなきゃわかんないでしょ」
「その通りだよ。で、返事は来た?」
〝ごめんなさい!! そうですよね。
でも怒らせてしまったわけじゃなくて良かったです。
ではまた明日連絡しますね!!〟
モカは椅子からずり落ちそうになった。
「は……はああ!? 何言ってんのこいつ! 返信ちゃんと最後まで読んでないわけ!?」
「それで、昨日の夜に来たのがこれなんだけど……」
理世はトーク画面を一番下までスクロールした。
〝雑賀さんこんばんは。
前々から言おうと思っていたもののずっと迷っていたのですが……やっと決心がついたので、お伝えしようと思います。
雑賀さん、僕は貴女が好きです〟
途中まで読んだところで、モカは悲鳴に近い短い声を上げた。幸い、周囲には理世たちと同じ年頃の利用客が多く、それぞれが騒がしくしていたためか、誰も気に留めた様子はなかった。
「や、やっぱりこいつそういうつもりだったんだ!?」
〝実を言うと、雑賀さんがリサイクルショップでアルバイトしていた時から、素敵な女性だなと思っていましたが、アプローチできませんでした。しかしこの間浜下公園で偶然再会した時に、もしやこれは御縁があるどころか、運命なんじゃないかと思えたのです。
雑賀さんは街コンに参加されたそうですが、その後どなたとも交際されていませんか? もしフリーであれば、どうか僕との交際を検討していただけませんか?〟
「う、運命って……え、てかこいつ何歳よ?」
「はっきりわかんないけど、当時確か三〇代半ばか後半くらいだって、他のパートさんから聞いた記憶がある。今は四十路に近いかも」
「犯罪だろ……運命じゃなくて犯罪だろ……」
「鈴川さんには申し訳ないけど、完全に引いちゃって」
「それが普通の感覚」
「おかげで怖い夢も見ちゃったし……」
夢の中で鈴川が見せた不気味な笑顔は、未だに理世の記憶にはっきりと残っている。
「で、返事したの?」
「ううん、まだ。勿論断るけど……」理世はほとんど冷めたハーブティーを飲み切ると、大きく息を吐いた。「心配なんだ、すぐに諦めてくれるか。逆恨みされないか」
「もうブロックだね。返信したら即ブロック。あたしトイレ行ってくるから、その間にやっとけば?」
「うん、そうする」
──えーと、どうしよう。
文面を考えているうちに、ふと気付くと理世の指は動き出し、文字を打っていた。
〝これ以上しつこいとブチ殺すぞジジイ〟
「うえっ!?」
慌てて削除キーを連打し、文字を全部消した。
──な、何やってんだろわたし……?
「お待たせ。トイレ混んでてさ」
理世が考えに考えたお断りのメッセージを鈴川へ返信してからまもなく、モカが戻ってきた。
「大丈夫、わたしも今さっき送ったばかりだから」
「あれ、結構考えちゃった?」
「うん、なるべく角が立たないようにと思ってね。こんな感じ」
〝ごめんなさい。わたしはそんなつもりでMINEをしていたわけではありませんでした。鈴川さんの気持ちにはお応え出来ません〟
「うん、まあ悪くないんじゃない。てかもう既読付いてるじゃん! ブロックした?」
「あ、忘れてた。今やっちゃう──」
理世がブロックボタンを開くよりも先に、鈴川から返信が来た。
「げ、もう!? だいたいさ、今仕事中じゃないの? 何て言ってる?」
〝雑賀さん、どうされましたか? 気のせいか、様子がおかしいような。
街コンで知り合った男性と僕のどちらを選ぶかで迷われていますか? もし迷われているのであれば、是非僕の方を選んでいただきたいです。
それともまさか、誰かに脅されていませんよね?〟
モカは絶句して固まる理世の肩を揺さぶった。「はいもうブロック! 今すぐブロッッック!」
理世は我に返ると、何のためらいもなく親友に言われた通りにした。
大学から駅まで向かう途中の交差点で信号待ち中、突然目の前に現れた男に、理世は飛び上がらんばかりに驚いた。
「やっと見付けました! いやぁ探しましたよ~!」
「……鈴川、さん……」理世は半歩後ずさった。「何で……ここが?」
「K県内の大学を片っ端から調べて、探し回ったんですよ!」
鈴川は子供のように無邪気に目を輝かせている。
「雑賀さん、良かったらこの後、ちょっとお茶しませんか? せっかくこうやって会えたんですから」
「嫌です」
「遠慮しないでいいんですよ」
「遠慮じゃありません!」
「さあ行きましょう!」
「やめてください!!」
鈴川が伸ばしてきた手を払い除けると、理世は人波を縫って青に変わったばかりの横断歩道を一目散に走り出した。
──あの人本当におかしいよ……!!
駅の改札を入って数メートル進むと風景が知らない街中に変わり、すぐに自宅が見えてきた。
「あら理世ちゃんお帰り! そんなに慌ててどうしたの?」
見知らぬ老婆が、擦れ違いざま大声で話し掛けてきた。
「しーっ!」理世は慌てて口の前で人差し指を立てた。
「ええ? 何かあったの理世ちゃん」
「お願いですから静かに! 悪い人に追い掛けられてるんです!」
「まあ~! それは大変ねえ!!」
理世は来た道を振り返った。鈴川の姿は見当たらないが、ここでグズグズしていたらいずれは追い付かれるだろう。
──早く家に隠れなきゃ。
「そういえば理世ちゃん、また大きくなったあ?」
埒が明かないので無視して自宅に駆け込み、妙に重くて動きの鈍いドアを無理矢理引っ張って鍵を閉める。
──もう大丈夫……見られてないし。
「雑賀さーん」
理世が背を向けたのとほぼ同時に、最も耳にしたくなかった声がドアの向こうから聞こえた。
──嘘……そんな。
「雑賀さーん」
恐怖で固まった体をぎこちなく動かし、スローモーションで振り返った理世の目に入ったのは、あちこちがぼこぼこに歪んで上下左右が大きな隙間だらけになったドアと、ドア横に出来た隙間からチェシャ猫のような笑顔で覗いてくる鈴川の姿だった。
「雑賀さんみーつけたっ」
「で、これが三日前の火曜日に来たメッセージ」
〝雑賀さんこんばんは!
今日はちょっと肌寒い一日でしたね。
今日から公開の恋愛映画が気になったんで見に行こうと思ったんですけど、他の客はカップルばかりだろうなーと思って、やめちゃいました(笑)
雑賀さんは映画好きですか?〟
「ID交換してから、こんな日記みたいな内容を毎日。しかも必ず何かしら質問してくる、と」
「うん……」
街コンの翌々週の金曜日。
前日にモカから仕事の愚痴を聞いてほしいという連絡を貰っていた理世は、大学近くのショッピングモール内のフードコートで待ち合わせした。
モカはホットキャラメルマキアート片手に、意地の悪い女性パート三人組や、彼女たちの横暴に対処が出来ない事なかれ主義の会社に対する怒りを、気が済むまでぶちまけた。そんな親友を見ているうちに、理世は黙っているつもりだった鈴川との問題を相談したくなり[MINE]でのやり取りを見せたのだった。
「火曜日のこれが来たのが一一時近かったし、どう返せばいいのかわかんなかったから、そのままにしちゃったんだ。そしたら次の日の夜にね……」
〝雑賀さんこんばんは。
昨日は返信がありませんでしたね。僕何か雑賀さんを怒らせるような事言いましたでしょうか?〟
「わー……本当にウザイわ。これに対して理世は何て返信したの?」
〝怒っているわけではありません。私にもいろいろと都合がありますので、返信出来ない時もあります。
メッセージも毎日送ってくださらなくて結構です〟
「おおっ、はっきり言ったね!」モカは笑みを漏らした。「あんたの事だから謝りつつやんわり断るかと」
「最初はそうしようかと思ったよ。でもこういう人って、強めに言わなきゃわかんないでしょ」
「その通りだよ。で、返事は来た?」
〝ごめんなさい!! そうですよね。
でも怒らせてしまったわけじゃなくて良かったです。
ではまた明日連絡しますね!!〟
モカは椅子からずり落ちそうになった。
「は……はああ!? 何言ってんのこいつ! 返信ちゃんと最後まで読んでないわけ!?」
「それで、昨日の夜に来たのがこれなんだけど……」
理世はトーク画面を一番下までスクロールした。
〝雑賀さんこんばんは。
前々から言おうと思っていたもののずっと迷っていたのですが……やっと決心がついたので、お伝えしようと思います。
雑賀さん、僕は貴女が好きです〟
途中まで読んだところで、モカは悲鳴に近い短い声を上げた。幸い、周囲には理世たちと同じ年頃の利用客が多く、それぞれが騒がしくしていたためか、誰も気に留めた様子はなかった。
「や、やっぱりこいつそういうつもりだったんだ!?」
〝実を言うと、雑賀さんがリサイクルショップでアルバイトしていた時から、素敵な女性だなと思っていましたが、アプローチできませんでした。しかしこの間浜下公園で偶然再会した時に、もしやこれは御縁があるどころか、運命なんじゃないかと思えたのです。
雑賀さんは街コンに参加されたそうですが、その後どなたとも交際されていませんか? もしフリーであれば、どうか僕との交際を検討していただけませんか?〟
「う、運命って……え、てかこいつ何歳よ?」
「はっきりわかんないけど、当時確か三〇代半ばか後半くらいだって、他のパートさんから聞いた記憶がある。今は四十路に近いかも」
「犯罪だろ……運命じゃなくて犯罪だろ……」
「鈴川さんには申し訳ないけど、完全に引いちゃって」
「それが普通の感覚」
「おかげで怖い夢も見ちゃったし……」
夢の中で鈴川が見せた不気味な笑顔は、未だに理世の記憶にはっきりと残っている。
「で、返事したの?」
「ううん、まだ。勿論断るけど……」理世はほとんど冷めたハーブティーを飲み切ると、大きく息を吐いた。「心配なんだ、すぐに諦めてくれるか。逆恨みされないか」
「もうブロックだね。返信したら即ブロック。あたしトイレ行ってくるから、その間にやっとけば?」
「うん、そうする」
──えーと、どうしよう。
文面を考えているうちに、ふと気付くと理世の指は動き出し、文字を打っていた。
〝これ以上しつこいとブチ殺すぞジジイ〟
「うえっ!?」
慌てて削除キーを連打し、文字を全部消した。
──な、何やってんだろわたし……?
「お待たせ。トイレ混んでてさ」
理世が考えに考えたお断りのメッセージを鈴川へ返信してからまもなく、モカが戻ってきた。
「大丈夫、わたしも今さっき送ったばかりだから」
「あれ、結構考えちゃった?」
「うん、なるべく角が立たないようにと思ってね。こんな感じ」
〝ごめんなさい。わたしはそんなつもりでMINEをしていたわけではありませんでした。鈴川さんの気持ちにはお応え出来ません〟
「うん、まあ悪くないんじゃない。てかもう既読付いてるじゃん! ブロックした?」
「あ、忘れてた。今やっちゃう──」
理世がブロックボタンを開くよりも先に、鈴川から返信が来た。
「げ、もう!? だいたいさ、今仕事中じゃないの? 何て言ってる?」
〝雑賀さん、どうされましたか? 気のせいか、様子がおかしいような。
街コンで知り合った男性と僕のどちらを選ぶかで迷われていますか? もし迷われているのであれば、是非僕の方を選んでいただきたいです。
それともまさか、誰かに脅されていませんよね?〟
モカは絶句して固まる理世の肩を揺さぶった。「はいもうブロック! 今すぐブロッッック!」
理世は我に返ると、何のためらいもなく親友に言われた通りにした。
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