11 / 45
第一章
10 邪魔するな
しおりを挟む
〈SORRISO〉を出た後、ケイと凪は海辺の観光地を歩いた。
提案したのは凪だ。ケイに嫌な思いをさせてしまったという自責の念から、少しでも気を紛らわせ、楽しませようと考えての事だというのはケイにもわかっていた。
互いにたわいない話をしながら、様々な店や人だかりが出来ているイベントを覗いたり、木陰でアイスクリームを食べて涼んだりと、傍から見ればデートを楽しむカップルに見えただろう。
確かにそれなりに楽しめた事には間違いなかった。しかし二人の脳裏には、常に木宮光雅がチラついた。ケイは凪の笑顔に僅かながら影が射しているのを感じたし、凪もケイから同じようなものを感じ取っただろう。
「ちょっと早いけど、今日はもう解散するか」
海辺を歩き始めてから約一時間後、凪がごく自然にそう口にした時、ケイはすんなりと受け入れ、二人揃って駅方面へ歩き出していた。
──言えなかったな。
ケイは最後まで、自分も光雅の姿を鏡に見たのだという事実を凪に伝えられなかった。凪を信用していないわけでも、話せない理由があるわけでもないのに、何故かブレーキが掛かってしまった。
やはりちゃんと説明し、情報を共有しておくべきだったのだろうか。しかし、そうしたところでどのみち解決はしなかっただろうし、むしろ凪に余計な心配をさせてしまったに違いない。
──そもそも、どうしてわたしと三塚君なの? どうしてわたしの名前を呼んでいたの?
ケイも凪も光雅とは仲が良かったが、光雅の交友範囲は広かった。ケイ以外の女子と遊びに行く事もあったようだし、凪は光雅とは別のグループとつるんでいる事が多かったように記憶している。
──まさか、目撃者は他にもいるの?
カツ、カツ、カツ、カツ。
様々な疑問について考えを巡らせるのに夢中だったケイは、危機が足音と共にすぐ後ろまで迫っている事に気付かなかった。
「邪魔するな」
突然耳元で聞こえた低い声に、ケイはハッと我に返って振り向いた。
──!?
ケイのすぐ後ろ──まるでピッタリとくっ付こうとでもしているかのようだ──に、赤いキャミソールと白地に花柄のロングスカート姿の女性が立っていた。長い黒髪はボサボサ、顔色は青白く目は虚ろで、全体的に異様さが漂っている。
ケイは一歩脇に避けた。もっとも、そんな事をしなくても充分なスペースは空いていたのだが、邪魔と言われた以上そうするしかない。
女性は、何故かケイの方へと寄って来た。
「ち、ちょっと──」
「邪魔するな」
「え──」
「邪魔するな」
その声は、凪を待っていた時に耳元で聞こえたものと同じだった。
「邪魔するな」
そして恐らくは、その言葉も。
「邪魔するな。邪魔するな。邪魔するな。邪魔するな」
壊れたレコードのように同じ言葉を繰り返す女の両手が、ゆっくりとケイの首元へ伸びてきた。
ケイは短い悲鳴を上げると一目散に逃げ出した。
──何なのあの人!
途中で何人かの通行人とすれ違ったが、助けを求める事は全く考え付かなかった。一秒でも早く逃げ帰りたい、その思いだけが頭にあった。
ようやくアパートが見えて来たが、その直前の横断歩道で運悪く赤信号に引っ掛かってしまった。無視して渡る事も考えたが、こんな時に限って車やバイクが多い。
カツ、カツ、カツ、カツ。
徐々に近付いて来る高めの足音に、ケイは振り返った。ぶつぶつ呟きながら早足で距離を詰めて来る女は、薄いピンク色のハイヒールを履いていた。
女の後ろから、中学生くらいの少年二人がお喋りに夢中になりながら走って来た。二人は女にぶつかる直前で器用に避け、何事もなかったかのようにケイの隣まで来ると止まった。
──見えていない……?
カツ、カツ、カツ、カツ。
「邪魔するな。邪魔するな。邪魔するな。邪魔するな」
女との距離はどんどん縮まってゆく。少年二人の会話は途切れたが、女に気付いている様子は全くない。
──あの二人には見えていないし聞こえてもいない……でもさっきは無意識に避けた……。
カツ、カツ、カツ、カツ。
──それにこの足音……まさか……!
「邪魔するな。邪魔するな。邪魔するな。邪魔するな」
信号が変わるまで待てず、ケイは車が途切れた隙に走り出した。一分もしないうちにアパートまで辿り着いたが、そのまま通り過ぎる。
── あれを家に入れちゃいけない。
急激な脇腹の痛みに、ケイの走る速度が落ちた。恐る恐る振り向くと、女は人間のものとは思えない歩速でアパートを通り過ぎるところだった。ここで捕まるわけにはいかないと自分に鞭打つと、ケイは再び走り出した。
──何とかしなきゃ、あれを……英田さんを逆恨みしている生霊を。
コンビニを通り過ぎ、左右の分かれ道まで来ると、ケイは迷わず左へ曲がった。数十メートル先に見えるのは、昨日英田が足を運んだ日出神社だ。
──英田さんは直接お祓いしてもらって、お札も持っている。だからあれはわたしを狙うんだ……神社に行くよう助言したわたしを。
まさか生霊がそこまで理解するとは。そして、元々狙われていた英田には見えなかった姿が、自分にははっきり見えた事がケイには不思議でならなかった。
──だいたい、お祓いしたのに消えてないってどういう事?
ケイは鳥居の前まで辿り着くと、脇腹を押さえ、息を切らしながら振り返った。足音は聞こえて来ない。そのまましばらく待って様子を窺ってみたが、女は姿を現さなかった。
──見失った……?
カツ、カツ、カツ、カツ。
足音は後ろから聞こえた。
カツ、カツ、カツ、カツ。
見たくない。聞きたくない。知りたくない──そんな思いに反するように、ケイの首は無意識にゆっくりと神社の方へ振り向いていた。
カツ、カツ、カツ、カツ。
石畳の上を歩いてやって来るのは、間違いなく生霊の女だった。
「そ……んな……」
カツ、カツ、カツ、カツ。
ケイは必死に考えを巡らせた。
──神社は効かない。しかも瞬間移動して先回りしてくる。他にいい場所は?
カツ、カツ、カツ、カツ。
「邪魔するな」
乱れた息は整うどころか余計に苦しく、脇腹もまだ痛む。当分は全速力で走れそうにない。
カツ、カツ、カツ、カツ。
「邪魔するな。邪魔するな。邪魔するな。邪魔するな」
──どうすればいいの!?
踵を返したケイだったが、角を曲がりかけたところで何かに足を取られ転んでしまった。小学生以来かな、とぼんやり思うだけの余裕が残っているのが自分でも意外だった。
カツ、カツ、カツ、カツ。
「あ……」
「邪魔するな。邪魔するな。邪魔するな。邪魔するな」
女はすぐそこまで迫っていた。ケイはすぐに立ち上がる事が出来ず、尻餅を突いたまま後ずさった。
「邪魔するな」
ケイの首元に、身を屈めた女の手が伸びてくる。
「邪魔するな」
ケイは絶叫した。
提案したのは凪だ。ケイに嫌な思いをさせてしまったという自責の念から、少しでも気を紛らわせ、楽しませようと考えての事だというのはケイにもわかっていた。
互いにたわいない話をしながら、様々な店や人だかりが出来ているイベントを覗いたり、木陰でアイスクリームを食べて涼んだりと、傍から見ればデートを楽しむカップルに見えただろう。
確かにそれなりに楽しめた事には間違いなかった。しかし二人の脳裏には、常に木宮光雅がチラついた。ケイは凪の笑顔に僅かながら影が射しているのを感じたし、凪もケイから同じようなものを感じ取っただろう。
「ちょっと早いけど、今日はもう解散するか」
海辺を歩き始めてから約一時間後、凪がごく自然にそう口にした時、ケイはすんなりと受け入れ、二人揃って駅方面へ歩き出していた。
──言えなかったな。
ケイは最後まで、自分も光雅の姿を鏡に見たのだという事実を凪に伝えられなかった。凪を信用していないわけでも、話せない理由があるわけでもないのに、何故かブレーキが掛かってしまった。
やはりちゃんと説明し、情報を共有しておくべきだったのだろうか。しかし、そうしたところでどのみち解決はしなかっただろうし、むしろ凪に余計な心配をさせてしまったに違いない。
──そもそも、どうしてわたしと三塚君なの? どうしてわたしの名前を呼んでいたの?
ケイも凪も光雅とは仲が良かったが、光雅の交友範囲は広かった。ケイ以外の女子と遊びに行く事もあったようだし、凪は光雅とは別のグループとつるんでいる事が多かったように記憶している。
──まさか、目撃者は他にもいるの?
カツ、カツ、カツ、カツ。
様々な疑問について考えを巡らせるのに夢中だったケイは、危機が足音と共にすぐ後ろまで迫っている事に気付かなかった。
「邪魔するな」
突然耳元で聞こえた低い声に、ケイはハッと我に返って振り向いた。
──!?
ケイのすぐ後ろ──まるでピッタリとくっ付こうとでもしているかのようだ──に、赤いキャミソールと白地に花柄のロングスカート姿の女性が立っていた。長い黒髪はボサボサ、顔色は青白く目は虚ろで、全体的に異様さが漂っている。
ケイは一歩脇に避けた。もっとも、そんな事をしなくても充分なスペースは空いていたのだが、邪魔と言われた以上そうするしかない。
女性は、何故かケイの方へと寄って来た。
「ち、ちょっと──」
「邪魔するな」
「え──」
「邪魔するな」
その声は、凪を待っていた時に耳元で聞こえたものと同じだった。
「邪魔するな」
そして恐らくは、その言葉も。
「邪魔するな。邪魔するな。邪魔するな。邪魔するな」
壊れたレコードのように同じ言葉を繰り返す女の両手が、ゆっくりとケイの首元へ伸びてきた。
ケイは短い悲鳴を上げると一目散に逃げ出した。
──何なのあの人!
途中で何人かの通行人とすれ違ったが、助けを求める事は全く考え付かなかった。一秒でも早く逃げ帰りたい、その思いだけが頭にあった。
ようやくアパートが見えて来たが、その直前の横断歩道で運悪く赤信号に引っ掛かってしまった。無視して渡る事も考えたが、こんな時に限って車やバイクが多い。
カツ、カツ、カツ、カツ。
徐々に近付いて来る高めの足音に、ケイは振り返った。ぶつぶつ呟きながら早足で距離を詰めて来る女は、薄いピンク色のハイヒールを履いていた。
女の後ろから、中学生くらいの少年二人がお喋りに夢中になりながら走って来た。二人は女にぶつかる直前で器用に避け、何事もなかったかのようにケイの隣まで来ると止まった。
──見えていない……?
カツ、カツ、カツ、カツ。
「邪魔するな。邪魔するな。邪魔するな。邪魔するな」
女との距離はどんどん縮まってゆく。少年二人の会話は途切れたが、女に気付いている様子は全くない。
──あの二人には見えていないし聞こえてもいない……でもさっきは無意識に避けた……。
カツ、カツ、カツ、カツ。
──それにこの足音……まさか……!
「邪魔するな。邪魔するな。邪魔するな。邪魔するな」
信号が変わるまで待てず、ケイは車が途切れた隙に走り出した。一分もしないうちにアパートまで辿り着いたが、そのまま通り過ぎる。
── あれを家に入れちゃいけない。
急激な脇腹の痛みに、ケイの走る速度が落ちた。恐る恐る振り向くと、女は人間のものとは思えない歩速でアパートを通り過ぎるところだった。ここで捕まるわけにはいかないと自分に鞭打つと、ケイは再び走り出した。
──何とかしなきゃ、あれを……英田さんを逆恨みしている生霊を。
コンビニを通り過ぎ、左右の分かれ道まで来ると、ケイは迷わず左へ曲がった。数十メートル先に見えるのは、昨日英田が足を運んだ日出神社だ。
──英田さんは直接お祓いしてもらって、お札も持っている。だからあれはわたしを狙うんだ……神社に行くよう助言したわたしを。
まさか生霊がそこまで理解するとは。そして、元々狙われていた英田には見えなかった姿が、自分にははっきり見えた事がケイには不思議でならなかった。
──だいたい、お祓いしたのに消えてないってどういう事?
ケイは鳥居の前まで辿り着くと、脇腹を押さえ、息を切らしながら振り返った。足音は聞こえて来ない。そのまましばらく待って様子を窺ってみたが、女は姿を現さなかった。
──見失った……?
カツ、カツ、カツ、カツ。
足音は後ろから聞こえた。
カツ、カツ、カツ、カツ。
見たくない。聞きたくない。知りたくない──そんな思いに反するように、ケイの首は無意識にゆっくりと神社の方へ振り向いていた。
カツ、カツ、カツ、カツ。
石畳の上を歩いてやって来るのは、間違いなく生霊の女だった。
「そ……んな……」
カツ、カツ、カツ、カツ。
ケイは必死に考えを巡らせた。
──神社は効かない。しかも瞬間移動して先回りしてくる。他にいい場所は?
カツ、カツ、カツ、カツ。
「邪魔するな」
乱れた息は整うどころか余計に苦しく、脇腹もまだ痛む。当分は全速力で走れそうにない。
カツ、カツ、カツ、カツ。
「邪魔するな。邪魔するな。邪魔するな。邪魔するな」
──どうすればいいの!?
踵を返したケイだったが、角を曲がりかけたところで何かに足を取られ転んでしまった。小学生以来かな、とぼんやり思うだけの余裕が残っているのが自分でも意外だった。
カツ、カツ、カツ、カツ。
「あ……」
「邪魔するな。邪魔するな。邪魔するな。邪魔するな」
女はすぐそこまで迫っていた。ケイはすぐに立ち上がる事が出来ず、尻餅を突いたまま後ずさった。
「邪魔するな」
ケイの首元に、身を屈めた女の手が伸びてくる。
「邪魔するな」
ケイは絶叫した。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
失った真実の愛を息子にバカにされて口車に乗せられた
しゃーりん
恋愛
20数年前、婚約者ではない令嬢を愛し、結婚した現国王。
すぐに産まれた王太子は2年前に結婚したが、まだ子供がいなかった。
早く後継者を望まれる王族として、王太子に側妃を娶る案が出る。
この案に王太子の返事は?
王太子である息子が国王である父を口車に乗せて側妃を娶らせるお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる