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第四章
04 木宮清寅①
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一九時一五分、〈SORRISO〉店内。
「酒はやめとくか」
「ええ、烏龍茶にでもしておくわ」
ケイと凪がこの店を選んだのは、ドアはないが全席個室であり、酒を呑んで陽気に騒ぐ客が多いため、不穏な話題を口にしても聞かれにくいだろうと考えたからだ。両隣はカップルと男性のグループ客であり、前者は比較的静かだが、後者は新社会人らしく、勤め先の上司や先輩社員らの悪口で盛り上がっている。
「何喰うかなあ……迷うな」
凪はタブレットのメニュー表を忙しなくタップしている。
「あ、話ってのは食後の方がいいか?」
「ううん、食べながらでも大丈夫。何だったら、注文終わったら早速話に入っていいかしら」
「ああ、そうしてくれ。俺も〝とんでもない事実〟ってのが気になって仕方なかったんだ」
数分後に二人分の注文を終えると、ケイは早速本題を切り出した。
「お昼過ぎに〈雪月花〉に行った時に、明日の件を店長に簡単に説明して、強力なアイテムが欲しいって頼んだの。そうしたら素人には大変危険だって忠告されて。店長は霊能者で、普段は全国から依頼が来て、除霊や浄霊をしているみたいなの」
「まあ、そうだよな。雨野さんの時だって、アイテムがなかったらヤバかっただろうし」
「その事も話したわ。でね、店長は次の日曜日なら空いてるから、その日まで待ちなさいって言ったんだけど、それは断ったの」
「えっ」凪は水の入ったコップを取ろうとしていた手を止めた。「何で断ったんだ」
「だって凪は仕事があるんじゃない?」
「ああ、確かに来週の日曜は出勤だが、代わって貰おうと思えば出来なくもない。その店長のいう通り、俺たち素人だけじゃ危険だから頼んだ方が良かったじゃないか」
凪の口調からはどこか非難めいたものが感じられた。
「それだけじゃないのよ。次の日曜日じゃ手遅れな気がしたの」
「直感ってやつか?」
「そうよ。雨野さんの時だって当たったでしょう。あの日に動いていなければ雨野さんは自殺させられていたじゃない」
「まあな」
「それでも納得いかない?」
「……そうは言ってないだろ」
気まずくなりかけたところで店員がドリンクを運んで来たので、二人は居住まいを正した。「ごゆっくりどうぞ」という女性店員の言葉に会釈し、去ってゆくのを確認すると、今度は凪から口を開いた。
「とりあえずそれは置いとくとして、〝とんでもない事実〟ってのは何なんだ?」
「そう、問題はそっちなのよ。……実はね──」
「お待たせしましたー!」
男性店員がにこやかにやって来ると、てきぱきと注文の品をテーブルに置いていった。
「ご注文は以上でよろしいでしょうかー?」
「はい」
「ではごゆっくりどうぞー!」
ケイが注文した、鳥の唐揚げ、シーザーサラダ、アボカドの刺身、白米。そして凪が注文した、だし巻き卵、ソース焼きそば、たこわさ、焼き鳥セット。
「いい香り……美味しそう」
「だな」
「お酒呑みたくなっちゃうんじゃない?」
「考えないようにするよ」
「話だけど……食べ終わったらにしない?」
「そうだな」
約六時間前。
「私の父・比留間太郎も霊能者で、生前は祓い屋をやっていてね。その父から聞いた話だ。かつて霊能者の一人に、木宮清寅という男がいた」
比留間は重々しい口調で語り始めた。
「人懐こそうな笑顔をする小柄な男で、その霊能力は超一流。同業者たちの中でも群を抜いていたそうだ」
抜きん出た才能と実力を持ちながらも、清寅は決して驕る事なく常に謙虚だった。依頼人が金銭面に苦慮している事がわかると依頼料を大幅減額したり、一銭も受け取らないという事もあったため、傍目から見ても豊かな生活を送れているとは言えず、同業者たちから度々心配されていたが、本人に苦にしている様子はなかった。
「同業者からの評判も良く、何度か会った事のある父も好印象を抱いていた。母と結婚したばかりの頃に一度だけ、清寅夫妻とその幼い息子と一緒にイタリア料理店で食事をしたらしい。仕事の話は一切せず、楽しい時間を過ごせたそうだ。
そしてその翌年に私が生まれたのだが、その頃から同業者の間で、清寅に関する妙な噂が立つようになっていた……」
太郎がその噂を聞いたのは、若い頃から交流のある、口寄せ術を得意とする年配の女性霊能者・萩生田が比留間家に茶を飲みに来た時だった。
「知ってるかい? 木宮清寅に関する良くない噂を」
「良くない噂? え、あの木宮さんに?」
萩生田はゆっくり頷くと、太郎の妻に出された緑茶に口を付けた。
「あら美味しい。うちにある茶葉と大違いだ。それとも奥さんの淹れ方が上手いのかな」
「後で家内に伝えておきます。それでその、良くない噂とは?」
「西洋の黒魔術」
萩生田は一呼吸置いてから続けた。
「木宮清寅は最近、西洋の黒魔術に凝っているらしいんだけど、どうもそれを悪い事に使おうとしているようなんだよ……いや、もう既に使っているのかも」
「悪い事って……」
「地獄から悪魔を召喚んで誰かを殺そうとしているとか、あらゆる欲望を叶えようとしているとか、この世を支配しようとしているとかってね」
「何だそりゃ!」
太郎は声を出して笑ったが、普段は笑い上戸な萩生田がこれっぽっちも表情を変えないので口を噤んだ。
「あたしだって最初に聞かされた時は同じ反応をしたさ。でもね……行方不明者が出ちまってるんだよ」
「酒はやめとくか」
「ええ、烏龍茶にでもしておくわ」
ケイと凪がこの店を選んだのは、ドアはないが全席個室であり、酒を呑んで陽気に騒ぐ客が多いため、不穏な話題を口にしても聞かれにくいだろうと考えたからだ。両隣はカップルと男性のグループ客であり、前者は比較的静かだが、後者は新社会人らしく、勤め先の上司や先輩社員らの悪口で盛り上がっている。
「何喰うかなあ……迷うな」
凪はタブレットのメニュー表を忙しなくタップしている。
「あ、話ってのは食後の方がいいか?」
「ううん、食べながらでも大丈夫。何だったら、注文終わったら早速話に入っていいかしら」
「ああ、そうしてくれ。俺も〝とんでもない事実〟ってのが気になって仕方なかったんだ」
数分後に二人分の注文を終えると、ケイは早速本題を切り出した。
「お昼過ぎに〈雪月花〉に行った時に、明日の件を店長に簡単に説明して、強力なアイテムが欲しいって頼んだの。そうしたら素人には大変危険だって忠告されて。店長は霊能者で、普段は全国から依頼が来て、除霊や浄霊をしているみたいなの」
「まあ、そうだよな。雨野さんの時だって、アイテムがなかったらヤバかっただろうし」
「その事も話したわ。でね、店長は次の日曜日なら空いてるから、その日まで待ちなさいって言ったんだけど、それは断ったの」
「えっ」凪は水の入ったコップを取ろうとしていた手を止めた。「何で断ったんだ」
「だって凪は仕事があるんじゃない?」
「ああ、確かに来週の日曜は出勤だが、代わって貰おうと思えば出来なくもない。その店長のいう通り、俺たち素人だけじゃ危険だから頼んだ方が良かったじゃないか」
凪の口調からはどこか非難めいたものが感じられた。
「それだけじゃないのよ。次の日曜日じゃ手遅れな気がしたの」
「直感ってやつか?」
「そうよ。雨野さんの時だって当たったでしょう。あの日に動いていなければ雨野さんは自殺させられていたじゃない」
「まあな」
「それでも納得いかない?」
「……そうは言ってないだろ」
気まずくなりかけたところで店員がドリンクを運んで来たので、二人は居住まいを正した。「ごゆっくりどうぞ」という女性店員の言葉に会釈し、去ってゆくのを確認すると、今度は凪から口を開いた。
「とりあえずそれは置いとくとして、〝とんでもない事実〟ってのは何なんだ?」
「そう、問題はそっちなのよ。……実はね──」
「お待たせしましたー!」
男性店員がにこやかにやって来ると、てきぱきと注文の品をテーブルに置いていった。
「ご注文は以上でよろしいでしょうかー?」
「はい」
「ではごゆっくりどうぞー!」
ケイが注文した、鳥の唐揚げ、シーザーサラダ、アボカドの刺身、白米。そして凪が注文した、だし巻き卵、ソース焼きそば、たこわさ、焼き鳥セット。
「いい香り……美味しそう」
「だな」
「お酒呑みたくなっちゃうんじゃない?」
「考えないようにするよ」
「話だけど……食べ終わったらにしない?」
「そうだな」
約六時間前。
「私の父・比留間太郎も霊能者で、生前は祓い屋をやっていてね。その父から聞いた話だ。かつて霊能者の一人に、木宮清寅という男がいた」
比留間は重々しい口調で語り始めた。
「人懐こそうな笑顔をする小柄な男で、その霊能力は超一流。同業者たちの中でも群を抜いていたそうだ」
抜きん出た才能と実力を持ちながらも、清寅は決して驕る事なく常に謙虚だった。依頼人が金銭面に苦慮している事がわかると依頼料を大幅減額したり、一銭も受け取らないという事もあったため、傍目から見ても豊かな生活を送れているとは言えず、同業者たちから度々心配されていたが、本人に苦にしている様子はなかった。
「同業者からの評判も良く、何度か会った事のある父も好印象を抱いていた。母と結婚したばかりの頃に一度だけ、清寅夫妻とその幼い息子と一緒にイタリア料理店で食事をしたらしい。仕事の話は一切せず、楽しい時間を過ごせたそうだ。
そしてその翌年に私が生まれたのだが、その頃から同業者の間で、清寅に関する妙な噂が立つようになっていた……」
太郎がその噂を聞いたのは、若い頃から交流のある、口寄せ術を得意とする年配の女性霊能者・萩生田が比留間家に茶を飲みに来た時だった。
「知ってるかい? 木宮清寅に関する良くない噂を」
「良くない噂? え、あの木宮さんに?」
萩生田はゆっくり頷くと、太郎の妻に出された緑茶に口を付けた。
「あら美味しい。うちにある茶葉と大違いだ。それとも奥さんの淹れ方が上手いのかな」
「後で家内に伝えておきます。それでその、良くない噂とは?」
「西洋の黒魔術」
萩生田は一呼吸置いてから続けた。
「木宮清寅は最近、西洋の黒魔術に凝っているらしいんだけど、どうもそれを悪い事に使おうとしているようなんだよ……いや、もう既に使っているのかも」
「悪い事って……」
「地獄から悪魔を召喚んで誰かを殺そうとしているとか、あらゆる欲望を叶えようとしているとか、この世を支配しようとしているとかってね」
「何だそりゃ!」
太郎は声を出して笑ったが、普段は笑い上戸な萩生田がこれっぽっちも表情を変えないので口を噤んだ。
「あたしだって最初に聞かされた時は同じ反応をしたさ。でもね……行方不明者が出ちまってるんだよ」
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