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家主の距離が近すぎる
⑩
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同居人の帰宅を告げる扉の音にオレは頭を上げ、肩と首とをぐりぐり回す。
「おかえり」
トーマスの言葉より先にお決まりの挨拶を一方的に投擲し、一日中座り仕事で凝り固まった全身を伸ばす。
リビングにはむっすりとした表情を浮かべたトーマスが、小脇に抱えたスーツの上着を椅子の背もたれに荒っぽくひっかけているところだった。高いスーツじゃなかったの? と突っ込みたくなる。
「あー……ただいま。なんのポーズ?」
両頬を両手で覆った格好のオレにトーマスが肩を竦めて苦笑いした。
「き、きみがキスするんじゃないかって」
昨日も、今朝も。断りもなく唇を頬にくっつけた罪は重い。
心臓に悪いじゃないか。
だから、対策が必要だ。
「嫌じゃないって言ったじゃないか……」
間を置いてごちる姿があんまりにもしょんぼりしていたものだから、オレは慌てて言葉を探すが、適当な言葉を見つけるより先にトーマスが口を開いた。
「ヘンリー、話がある」
「え? えっと……」
あまりにも唐突な切り出しに一瞬頭が真っ白になる。いつになく真剣な調子なものだからなおさら得体の知れない気味の悪さが張り付いた。
「えーっと、それは……夕食の後じゃダメな話?」
「ああ」
穏やかな生活を送ることで精神的安定を取り戻しつつあったと思っていたが根っからの臆病は治ることはなかった。なにであろうと問題を先送りにしようとする姿勢をトーマスによってへし折られ、オレは仕方なくトーマスが座った正面の席につく。
しかし、当事者であるはずのトーマスは、オレが席につくと指先を乙女のように絡ませると同時に視線を泳がせ、口元をもごもごさせる。
「あー……その、だね。うーん……日本人はいつもこんなふうなことをしているの? 日本人は遠回りが大好きではっきり物を言わないと聞いたんだが、うそだ。情熱的な国じゃないか」
何のことやらわからないが、いつになく焦っている様子だ。
数秒の間ぎゅっと目を瞑って、開いて、トーマスはへらりとした調子で囁いた。
「これは、本当に。今更だって笑い飛ばしてほしいんだけど……私と君は付き合っているよね?」
オレの好きな掠れたエロい声が右耳から左耳へと流れていった。
要所要所、聞き取らなきゃいけないのに理解が追いつかないせいで、オレはぽかんと口を開けて、そして我に返って、自分が拾い上げて理解しようと試みた言葉を疑った。
「……ん!? え、ま、待って。いまとんでもない発言が飛び出した、ような気が」
オレの発言が答えだと取り上げたトーマスが、カラカラに渇いた笑い声をあげて眉根を寄せた。
「おいおい、冗談だろ?」
やたらアメリカンなジェスチャーなんてどうだっていい。そんなことより投下された爆弾だ。
「付き合うって、トーマス。待って、ちょっと待って。付き合うって『付き合う』って意味だよね……?」
オレが愕然としながら問う。トーマスは返答の代わりにそれはそれは大きなため息をついた。
「笑い飛ばしてくれって言ったじゃないか……」
「こ、これじゃあまるでオレときみがその、恋人同士みたいな……」
「私はそう思っていた。そのつもりだった。きみだって私のことをパートナーだと認めていたじゃないか」
オレはしばらく二の句が継げないまま固まっていた。思考は時間とともに緊張を解かすものの、相変わらず事態を完全には飲み込めない。
「パートナーって、そういう……」
「なんだと思ったんだ」
「ビジネスパートナーとか、クリエイターとしてのパートナーとか、だと思って……」
「それはバディだろう!」
「細かいニュアンスの違いは苦手なんだ! って待ってよ、きみの言うことが本当なら、トーマスきみは」
一拍の間に飲み込んだ唾の音はどちらのものか。普段なら言い淀んでいたはずだ。しかし、良くも悪くも何でも話せる仲だと思っていたが故に、オレは反射的に言葉を紡ぐ唇を止めることができなかった。
「ゲイなの?」
よほどしばらく、トーマスはぎゅっと唇を引き絞って沈黙していた。
部屋は静止画のように時を止めた。
オレから言うことはない。言えない。何も。
ほんのわずかに裏切られたような気持ちがあったとしても。
「そうだよ」
彼はオレと目を合わせてはっきりと肯定した。
「気味悪くなったかい? 勘違いをされたなんて」
そして自嘲気味に笑った。
普段の彼はそこにいなかった。
優しくて、男前で、陽気に笑う彼はいない。
「オレは、別に……ただ、驚いて……」
しどろもどろの言葉は虚空に消えた。自分でもどう受け止めたらよいのかまったくわからなかった。
一つ言えるとすれば、トーマスにそんな表情をさせたくなかったってことだ。
友人だと思っていた。相性抜群で、彼と一緒ならなんだかすごいことを成し遂げられるんじゃないかって、彼はオレに夢を見させてくれる。だから、そんな顔しないでよ、マイヒーロー。
「おかえり」
トーマスの言葉より先にお決まりの挨拶を一方的に投擲し、一日中座り仕事で凝り固まった全身を伸ばす。
リビングにはむっすりとした表情を浮かべたトーマスが、小脇に抱えたスーツの上着を椅子の背もたれに荒っぽくひっかけているところだった。高いスーツじゃなかったの? と突っ込みたくなる。
「あー……ただいま。なんのポーズ?」
両頬を両手で覆った格好のオレにトーマスが肩を竦めて苦笑いした。
「き、きみがキスするんじゃないかって」
昨日も、今朝も。断りもなく唇を頬にくっつけた罪は重い。
心臓に悪いじゃないか。
だから、対策が必要だ。
「嫌じゃないって言ったじゃないか……」
間を置いてごちる姿があんまりにもしょんぼりしていたものだから、オレは慌てて言葉を探すが、適当な言葉を見つけるより先にトーマスが口を開いた。
「ヘンリー、話がある」
「え? えっと……」
あまりにも唐突な切り出しに一瞬頭が真っ白になる。いつになく真剣な調子なものだからなおさら得体の知れない気味の悪さが張り付いた。
「えーっと、それは……夕食の後じゃダメな話?」
「ああ」
穏やかな生活を送ることで精神的安定を取り戻しつつあったと思っていたが根っからの臆病は治ることはなかった。なにであろうと問題を先送りにしようとする姿勢をトーマスによってへし折られ、オレは仕方なくトーマスが座った正面の席につく。
しかし、当事者であるはずのトーマスは、オレが席につくと指先を乙女のように絡ませると同時に視線を泳がせ、口元をもごもごさせる。
「あー……その、だね。うーん……日本人はいつもこんなふうなことをしているの? 日本人は遠回りが大好きではっきり物を言わないと聞いたんだが、うそだ。情熱的な国じゃないか」
何のことやらわからないが、いつになく焦っている様子だ。
数秒の間ぎゅっと目を瞑って、開いて、トーマスはへらりとした調子で囁いた。
「これは、本当に。今更だって笑い飛ばしてほしいんだけど……私と君は付き合っているよね?」
オレの好きな掠れたエロい声が右耳から左耳へと流れていった。
要所要所、聞き取らなきゃいけないのに理解が追いつかないせいで、オレはぽかんと口を開けて、そして我に返って、自分が拾い上げて理解しようと試みた言葉を疑った。
「……ん!? え、ま、待って。いまとんでもない発言が飛び出した、ような気が」
オレの発言が答えだと取り上げたトーマスが、カラカラに渇いた笑い声をあげて眉根を寄せた。
「おいおい、冗談だろ?」
やたらアメリカンなジェスチャーなんてどうだっていい。そんなことより投下された爆弾だ。
「付き合うって、トーマス。待って、ちょっと待って。付き合うって『付き合う』って意味だよね……?」
オレが愕然としながら問う。トーマスは返答の代わりにそれはそれは大きなため息をついた。
「笑い飛ばしてくれって言ったじゃないか……」
「こ、これじゃあまるでオレときみがその、恋人同士みたいな……」
「私はそう思っていた。そのつもりだった。きみだって私のことをパートナーだと認めていたじゃないか」
オレはしばらく二の句が継げないまま固まっていた。思考は時間とともに緊張を解かすものの、相変わらず事態を完全には飲み込めない。
「パートナーって、そういう……」
「なんだと思ったんだ」
「ビジネスパートナーとか、クリエイターとしてのパートナーとか、だと思って……」
「それはバディだろう!」
「細かいニュアンスの違いは苦手なんだ! って待ってよ、きみの言うことが本当なら、トーマスきみは」
一拍の間に飲み込んだ唾の音はどちらのものか。普段なら言い淀んでいたはずだ。しかし、良くも悪くも何でも話せる仲だと思っていたが故に、オレは反射的に言葉を紡ぐ唇を止めることができなかった。
「ゲイなの?」
よほどしばらく、トーマスはぎゅっと唇を引き絞って沈黙していた。
部屋は静止画のように時を止めた。
オレから言うことはない。言えない。何も。
ほんのわずかに裏切られたような気持ちがあったとしても。
「そうだよ」
彼はオレと目を合わせてはっきりと肯定した。
「気味悪くなったかい? 勘違いをされたなんて」
そして自嘲気味に笑った。
普段の彼はそこにいなかった。
優しくて、男前で、陽気に笑う彼はいない。
「オレは、別に……ただ、驚いて……」
しどろもどろの言葉は虚空に消えた。自分でもどう受け止めたらよいのかまったくわからなかった。
一つ言えるとすれば、トーマスにそんな表情をさせたくなかったってことだ。
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