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2   男のプライドと意地

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「痛ってぇー」 
 起き上がったオレの一声がこれだったからか、篤はオロオロとオレの周りをうろついている。 
 見てくれは、かっこいい男なのに、まさしく熊そのもの。 
「大丈夫か?俺、ゆうべ、やっちまったのか?」 
「この酒乱め!せいぜい、反省しやがれ」 
 不機嫌に顔を歪めると、篤はキュッと唇を噛みしめる。 
 オレが痛いのは、頭だ。かすかに寒気もする。 
 風邪でも引いたかな?と、思いながら体を起こすと、目の前がくるりと回ってベッドに突っ伏した。 
(熱でもあるのかな?) 
「ごめん、ごめんな」 
 篤はオレの背中にふわりとバスローブをかけると、躊躇いがちにさすってくる。 
「え?」 
 篤の様子がぎこちなくて、オレは篤を見上げた。 
 すると篤は顔面を紅潮させ、視線を彷徨わせると、シーツをオレの下半身に引っ張り上げた。 
「ええ?」 
 局部にシーツが擦れ、オレは自分が何も身に着けていなかったことに気付いた。 
「ご、ごめん」 
 恥ずかしさに顔面が紅潮する。 
 急いでバスローブを身に着けると、ベッドを下り下着と制服を持ち、脱衣所に向かった。 
 篤は一足先に目覚めたようで、すでに制服姿で、散らかっているティッシュペーパーを拾い集めダストボックスに入れている。 
 オレは篤を吐精させ、寝かしつけた後、薫を想い自慰に耽っていた。 
 暗がりでダストボックスの位置がわからなかったから、ベッドの下に落として、そのまま眠ってしまったのだ。 
「ごめん、片付けてもらって」 
 急いで身支度を整えて、脱衣所から出てきた。 
 すると、篤は恥らうように頬を染め、首を小さく振る。熊のような体躯をしているのに、少女のような仕草をする篤を見て、オレは声を出して笑った。 
「まだ痛む?」 
「え?・・・ああ」 
 心配げに小首を傾げた篤の表情が気になったが、ズキンズキン痛む頭では、難しいことは考えられなかった。 
 
 
 
 べろんべろんに酔っ払った上に、酒癖の悪かった篤はケロッとしているのに、オレは頭痛がして最悪な気分だった。 
 頭は痛いし、体は怠いし、胸はムカムカするし。 
 篤に抱えられるように登校したが、いっそ、篤に家まで送ってもらえばよかったと後悔していた。 
 あれこれ聞かれるのが面倒で、保健室にも行きたくもない。 
 唯一の救いは、いい天気でポカポカ暖かなことだ。 
 オレはいつもの隠れ家ではなく、もう少し、校舎に近い芝生でばったりと倒れていた。 
 とてもじゃないが、丘を上がりいつもの隠れ家まで行く体力が残されてなかったからだ。 
 とりあえず、寝たい。 
 この場所も大きな木の根が枕になるし、鬱蒼と茂った木々がスクリーンになり人目も隠してくれる。まさしく、新しく発見した絶好の隠れ家だ。 
 明香里や篤が探しに来ても、万が一、薫がオレを探してくれても見つかる心配はないだろう。 
 
 
 
「生き倒れ、発見だな」 
「ったく、こいつは・・・」 
 がさっと耳元で草が鳴り、クスクスと忍び笑いが聞こえたような気がして、急速に現実に引き戻される。  
 深く眠っていたので気づかなかったが、日差しが陰り肌寒く、ぶるっと震える。 
「寒っ・・・」 
 両手で自分の体を抱き、体を丸めると背中をとんと叩かれた。オレはまだ眠い目を何度も擦った。 
 がさっと草が鳴ると、もう一度、今度は強く背中に衝撃が走る。 
「ったぁ」 
 叩くなんてものじゃない。オレの背中を蹴ったんだ。 
 背中にあたる固いものは、間違いなく靴のつま先だ。 
 オレは目を開けると、体を起こしながら背後を振り返った。 
「んあっ、・・・」 
 人の眠りを妨害するんじゃない! 
 そう叫ぶつもりだったのに、オレの腹から力が抜けていく。 
 目の前には無表情の薫と苦笑を浮かべる松岡が立っていた。 
 蹴ったのは薫のようだ。 
「行方不明だって聞いて探してたんだけど、何?薫と隠れん坊の勝負でもしてたの?」 
「え?・・・勝負?」 
 寝起きで今一つ働きの悪いオレの頭は、松岡の言葉をなかなか理解できない。オレは目の前の松岡と、立ったままオレを見下ろしている薫を交互に見た。 
「だけど、優の負けだね」 
「オレの負け?」 
「そう、どこに隠れても、すぐに見つけられるなんて、薫の鼻はたいしたもんだ」 
「薫が?」 
 見つけてくれた? 
 絶対に見つからないと思っていた新しい隠れ家なのに。 
 冷え切っていた体が、温かくなる。 
「松岡!」 
 立て板に水のごとく、ぺらぺらとしゃべっていた松岡に、今まで黙っていた薫が、大きく咳払いした。 
「具合が悪いって、明香里たちが大騒ぎして探してたんだが、お前、ここで何してたんだ?」 
「あ、そう、勝負・・・」 
 体調不良で寝てましただなんて、言えない。 
 薫は端正な顔を顰めて、オレをじっと見下ろしてくる。まるで観察するように。 
 久々に絡む視線を、オレはドキドキしながらも心地よく感じていた。 
「ゆうべも無断外泊して」 
「薫も外泊だったし、オレも真似したんだ」 
 薫の柳眉がピクンと動くのを見て、嬉しくなる。 
 オレと交わす会話で、薫の表情が変わるんだ。こんなに嬉しいことはない。 
「オレ、無断外泊はしてない。明香里は知ってる」 
「おまえ、まさか、明香里と?」 
 上品な眉毛を寄せて、薫は表情を険しくした。 
「まさか」 
 オレはぷっと吹き出していた。 
 明香里は由美ちゃんとこに泊まったはずだ。 
 オレが笑ったのと同時に、松岡もクスクス笑いだす。 
「篤も無断外泊だったぞ」 
 薫はぷいっと顔を背けてしまった。 
 もしかして、心配してくれた? 
 それは、オレに対して?明香里に対して? 
 でも、どちらでも構わない。 
 少し照れくさそうな薫の横顔に、オレは笑みが浮かんだ。 
「やっと話ができて嬉しい」 
「・・・」 
 薫は黙って、オレに背を向けた。そのまま行ってしまう薫を引き留めたくて、オレはしっかり立ち上がろうとした。 
 その時、 
「優!」 
「よかった、無事で」
がさがさと木々をかき分け、明香里と篤が走りこんでくる。そして、篤はオレの体を力任せに腕に抱きしめた。 
「心配した」 
「はぁ?」 
 篤はオレの体に傷がないか、体に手を這わせ、観察してくる。 
「俺が無茶したから、体が辛かったんだろう?ごめんな、学校なんか連れてくるんじゃなかった。あのままホテルで休むか、優の家に送るべきだったんだよね」 
 俺って気が利かない・・・と、思いつめた顔でオレの頭を抱き寄せる。 
 篤、確かにお前は気が利かない。せっかく薫と話をしていたのに。 
 そこまで考えて、オレは篤の言葉に違和感を覚えた。 
「え?ええええ!」 
 誤解だ! 
 そう叫ぶ前に、松岡が、オレから篤を引きはがすと、篤の頬に平手を炸裂していた。 
 小気味よいパチンとした音が、静かな藪の中に響き渡ると、藪の中で囀っていた小鳥が数羽飛び立っていった。 
「兄貴、俺、優と関係を持ったんだ。男としてきちんと責任を取りたいんだ」 
「なんだって?」 
「ま、待って!責任なんて・・・」 
「優は黙ってて!これは俺と兄貴の問題なんだ!」 
「オレの問題だ!」 
 せっかく薫と久しぶりに話ができたというのに、こんなとんでもない誤解を聞かせることになるなんて・・・。 
 最悪。 
 大声を出した途端、忘れていた頭痛が戻ってきて、目が回る。 
 よろけたオレを明香里が支えた。 
「野獣のエサに置き去りにしてゴメンね」 
「明香里ぃ!」 
 深刻そうに呟き、目元をハンカチで拭う明香里は、 
「でも、美少年と美少年もすきだけど、美少年と野獣もそそるのよ。物語みたいで素敵!」 
「あ、そう」 
 オレの困った顔が好きだという明香里は、言葉でオレを追い詰めて、嬉しそうにケラケラ笑っていた。 
 明香里の目元を濡らす涙は、どうやら笑いすぎて流れた涙のようだった。 
 

 
「俺の真似が、篤と関係を持つことなのか?とんだ阿婆擦れだな」 
「薫先輩だって、女と外泊だろ?優のこと、とやかく言えないんじゃないか?」 
「篤、いい加減にしないか!」 
「潤には、兄貴には関係ない!」 
 数分後、事態は最悪な方向に向かっていた。 
 今まで無視を決め込んでいた薫なのに、オレのふしだらさに激怒した。潔癖症の性格がそうさせたのかもしれない。 
 叱責しながら鋭く睨まれ、手をあげた薫に打たれるかと思ったくらいだ。だけど、振り下ろされる手を受け止めた篤は、男らしい相貌をさらに男らしくして、薫をなじる。それを思いつめた顔の松岡が止めるという具合に。 
「篤・・・」 
 関係ないと言われた松岡は、辛そうに相貌を歪めた。そして「そうだな、確かに関係ない」とつぶやく。 
 薫はひとつ大きなため息をつくと、すっかり憔悴した松岡の背中に手を添える。 
「誤解だ、関係ないなんていうな!」 
 薫を止めるつもりだった。だけど、追いすがったオレを薫は突き飛ばした。 
 冷ややかな眼差しが、胸にいくつもの棘を刺していく。 
 オレはもう一度追いすがった。今度は松岡の手をぐっと引いてみた。 
「松岡!」 
「もういいんだ」 
 松岡は首を左右に振るとオレの手を振り払い、薫とともにスクリーンのようになった木々の中に消えていった。 
「全然、よくない!」 
 オレはその背中に、二人に聞こえるように、大声で叫んでいた。 
『失恋した』 
 失恋した篤の相手は松岡だった。 
 熱くなった篤が、何度も「潤」と松岡の名前を呼んでいた。 
 オレが体に触れられたとき、薫の名前を呼んだように、篤も恋人の名前を呼んでいた。 
『潤、愛してる』 
 達するとき、篤が囁いたのを聞いた。その声は溶けてしまいそうなほど甘くて、オレは切なくなった。 
 オレも『好き』と薫に告げられたら。『愛してる』とたった一言でいいから伝えられたら・・・。 
 吐精し、幸せそうな笑みを浮かべ、眠りに落ちていく篤の相貌を見て、オレは自分の欲望を握り、夢見たんだ。 
 とても幸せそうだったのに、こんな誤解で喧嘩別れなど、していいのか? 
「家まで送る」 
 呆然と立ち尽くすオレの肩に腕を回した篤を、オレは渾身の力を込めて殴り倒した。 
 

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