ずっと抱きしめていたい

綾月百花   

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秘密の場所で永遠を誓って

・・・

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「もう歩けないよ」 
 山の中の渓流に沿って、一時間ほど歩いたオレは、転がっていた大きな岩に抱きついた。 
 白々と夜が明ける頃まで、しつこいお仕置きをされ、意識を手放すように眠った恋人を、薫は昼前に優しく叩き起こした。 
『出かけるよ』と。 
 まだ眠く、ぼんやりしているオレに、簡単な朝食を食べさせると、薫は強引にオレを引っ張り出した。 
 オレは当然、足腰がくがくだ。それに恥ずかし場所は、まだ薫がいるみたに痺れているというのに。 
「なにを情けないこと言ってるんだ?」 
 数歩先を歩いていた薫は、石にしがみついたオレを見て、一瞬目を細めたが、すぐに爽やかな表情に戻り、オレのもとに戻ってきた。 
「そんなこと言ったって」 
 すがすがしい顔をしている薫が、憎らしくなる。 
「もう、やめて!」と何度も頼んだのに、ガツンガツンオレの中に突っ込んで。気を失ったオレを揺すり起こし、朝までお仕置きした薫が。 
「この渓流沿いにあるって聞いてるんだ。優が見たらきっと喜ぶものが」 
「・・・・・・」 
 ぶっと膨れたまま岩にしがみつき動かないオレに、薫は小さく吐息を漏らした。 
「体、辛いの?」 
「辛い。もう歩けない」 
 薫はシンプルな白いシャツにベージュのスラックス、白いスニーカーを身に着け、黒と赤のリュックを背負っている。 
 オレは白いシャツに、薫と同色のハーフパンツ、白いスニーカー。 
 薫が持ってきてくれた服は、ペアルックに見えるけど。今のオレの心はときめかない。 
「じゃ、岩じゃなくて、俺に言いなさい」 
 薫はリュックを下ろすと、それをオレに手渡し、目の前に小さく屈んだ。 
「薫・・・」 
「早く、行きたいんだ。負ぶさって」 
「でも・・・」 
「早くしないと、俺、その岩に嫉妬して、岩を粉々にするかも」 
 いつまでも岩にしがみついているオレに、さりげなく脅しをかける。 
「・・・薫、うん」 
 憎いといったことは、撤回だ。 
 薫は優しいし、とても意思が強いと思った。 
 リュックを背負い、ぎゅっと薫の首に腕を回し負ぶさると、薫は静かに立ち上がった。 
「しっかり掴まっていろよ」 
 薫の足取りはしっかりしていた。 
 足場の悪い岩場も軽々超えていく。 
 広くて逞しい背中は、綺麗に筋肉がついている。薫の体には同性なのに、強く憧れる。 
 金髪碧眼でなくても、白馬にのって現れたら、お伽の国の王子様に一瞬でなってしまいそうだ。ダンスが上手なだけの王子様じゃなくて、頭もよくて、優しくて、愛情も深い。 
 こんなに素敵な薫を、いつまで独り占めできるんだろう? 
 猛さんが寛さんと愛し合いながら、他の女の人と結婚したように、オレと薫もいずれ一人だけを愛することを許されなくなるかもしれないな。 
 それは一年後かもしれないし、五年後かもしれない。それまでオレは薫を独り占めしていていいのかな? 
 ―――それまでしか薫を独り占めできないのかな? 
 今が幸せなら、それでいいはずなのに。 
 幸せすぎて、不安になる。 
 幸せすぎて、怖くなる。 
 幸せすぎて、欲張りになってしまう。 
 ずっと薫を抱きしめたい―――と思ってしまう。 
「あった」 
 薫の歩調が速くなった。 
「川を渡るから、しっかり掴まっていて」 
 言うが早いか、飛ぶが早いか。 
 薫は川の中に突き出た岩を、軽々飛んで対岸に渡った。 
「ほら、優の好きなイチゴ」 
 薫はオレを降ろし、すぐに手を引っ張る。 
「ほんと、どうしてこんなところに?」 
 言いながら、一面イチゴが生い茂る土手に屈みこんだ。 
 薫に顔を見られる前に、こぼれてしまった涙を拭いたかったからだ。 
 薫はリュックをオレの背から降ろし、それを拡げている。その間に、綺麗に涙をふき取り、目の前のイチゴを数個摘んだ。 
「食べてもいいんだよね?」 
 オレは摘んだイチゴをすべて口の中に入れていた。 
「すっぱ・・・」 
 まだ熟したりなかったのか、イチゴはかなり酸っぱかった。 
 唾液がいっぱい出て、ついでに涙もじわっと浮かぶ。 
 これはこれで成功? 
 泣いていたことを知られなくて。 
「でも、おいしいかも?」 
 また数個摘まんで、口に入れようとしたとき、 
「あ・・・」 
 薫がオレの様子を見て、動きを止めていた。 
 まさか、いきなり食べだすとは思わなかったのだろう。 
「食べちゃ、ダメだった?」 
 摘んだイチゴを掌に載せて、薫の目の前に差し出すと、薫は「食べてもいいけど」と苦笑を浮かべた。 
「タッパーに摘んできてって、親父に言われているし。いつもうちで食べているイチゴジャムはこれらしいから」 
「へえー、そうなんだ」 
 オレは親指大の小さなイチゴを指先で摘んで、じっと眺めた。 
「これ、ワイルドストロベリーって言うらしい」 
「ベッドシーツと同じ?」 
「そう、親父たちはワイルドストベリーの信者らしいから」 
「信者?」 
 そのイチゴをパクンと口に含むと、じわっと唾液がいっぱい出てくる。やっぱり涙もじわっと浮かんだ。 
「甘酸っぱくて、切ない味だ」 
 薫の口の中にも一粒入れてやる。 
「そうかな?甘くて一途な味だと思うけど」 
 薫は真っ赤なイチゴを一粒摘まんで、また口に入れた。 
「ほら」 
 口移しに甘酸っぱい果汁と果肉が、口の中を行ったり来たりし、薫が嚥下した。 
「どう?」 
「甘くて切ない」 
「取り敢えず甘かったんだ?」 
 くすっと笑った薫が、リュックの中から可憐な箱を取り出した。 
「昨日は引き分けだったから、努力賞」 
 薫はリボンのついた箱をオレに手渡すと「開けてみな」と言った。 
 オレはピンクのリボンを解き、箱のふたを開けた。 
 薄いスポンジのような白いクッション材に包まれたものを取り出し、薫の顔を見上げた。 
「新しいカップ?」 
「いいから、開けなさい」 
 薫に促され、慎重に広げていく。途中でその手は止まった。 
「薫が直したの?」 
「優よりは上手いと思うけど、どう?」 
「こんな割れたマグカップ、くっつけずに捨てちゃえばよかったのに」 
 オレは継ぎはぎだらけのマグカップをぎゅっと胸に抱きしめ、泣いていた。 
「可愛い黒豚が、すごく不細工になってるし、これじゃ、もう紅茶も飲めないよ」 
 しっかり文句を言うのも忘れずに。 
「だから、これで育てようと思って」 
「なにをだよ?」 
「俺もワイルドストロベリーの信者になろうと思って」 
 グシュグシュ泣いている隙に、リュックから取り出したのか、薫は小さなスコップを持っていた。 
「赤い実をたくさん実らせると、幸せになれるって言い伝えられてるんだ。それも、幸せを掴んだ人から、株分けしてもらうと効果も抜群だって」 
「え?」 
「親父たちが大昔に、一株だけ植えたんだってさ。土手いっぱいにワイルドストロベリーが増えた今、とても幸せだって言ってた。時代が時代だったから、同性婚は認められなくて、引き裂かれた時は辛かったけど、その代わりに、愛する人の子供を授かったってね」 
「うん」 
(やっぱり辛かったんだ) 
 また涙がぽろっとこぼれて、オレは慌てて、手で涙を拭う。 
「ごめん、涙腺が壊れてるみたいだ」 
 目の前にいる薫に無理やり微笑んだ。 
「優・・・」 
 オレの名前を呼びながら、薫の腕が伸びてくる。 
「薫・・・」 
 磁石と磁石が引き寄せられるみたいに、一瞬で薫に抱きしめられていた。 
「ワイルドストベリーの信者にはなるけど、俺は親父たちみたいに、大切な人を諦めたりしないよ。法律だって、祖父(じい)さんだって変えてみせる!」 
「薫」 
 真っ直ぐ向けられる澄んだ瞳が、強い意思を持ち、誠実に伝えてくる。 
 我が道を行くをモットーにしている薫なら、それも可能かもしれない。そう思わせるところが凄いと思う。 
「今ここで、もう一度誓うよ」 
 いったんオレから離れた薫は、土手いっぱいに群生しているワイルドストロベリーを見渡して、すっと立ち上がった。 
「おいで」 
 オレは力強く頷くと、薫の後を追っていった。 
「丈夫で、甘くて、実をいっぱいつけるワイルドストロベリーはどーれだ?」 
 魔法のステッキを振るように、スコップで円を描く薫は、真剣な眼差しだ。 
「じゃ、これ。これにしない?」 
 オレは、薫がスコップを向けた先にあったワイルドストロベリーを指さした。 
それはギザギザの葉に黄色い花心を持っていて、可憐な白い花と赤い実がぎっしりとついたワイルドストロベリーだった。 
「うん、軸もしっかりしてるし、なかなか可愛い」 
 薫は両手でワイルドストロベリーを包み込むようにして愛でると「これにしよう」と言った。 
「俺はこの先、ずっと優を愛し続けます。ずっと愛する人を抱きしめていられるように、見守っていれください」 
 薫の手が、オレの手をギュッと掴む。 
 オレも薫の手をギュッと握り返した。 
「オレも、薫をこの先ずっと愛し続けます。抱きしめられるだけじゃなく、抱きしめて薫を癒してあげたいです。オレと薫がいつまでも一緒にいられるように、見守ってください」 
 力強く言って、薫を見上げた。 
 オレたちは誓いのキスをした。 
 そして、ふたりでワイルドストロベリーを大きく掘り、継ぎはぎだらけのマグカップに移し替えた。 
 幸せすぎて、不安になる。 
 幸せすぎて、怖くなる。 
 幸せだから、欲張りになってしまう。 
 でも、幸せだからオレは薫を愛していける。 
 ふたりで抱きしめあっていれば、不安も恐怖も、すべて幸福な色に変わっていく。 
 爽やかな風が土手の草木を揺すった。 
 ふと閉じた目を開けると、薫がじっとオレを見ていた。 
 視線があうと、薫の瞳が細められ、優しく微笑む。 
 愛おしくて触れたくなった。 
 その甘そうな瞳にも、時々意地悪を言う唇にも、優しく抱きしめてくれる腕にも。 
 オレは薫を抱きしめようと手を伸ばした。 
 だけど、それは薫も同じだったみたいで、ふたりの間で指先が触れ合った。 
「優を抱きしめたい」 
「オレが先に言おうと思ったのに」 
 指先が絡まり、腕が、胸触れる。 
 甘い吐息が愛の呪文を紡ぎ、優しく触れてくる。 
 腹も足もすべて触れたくなって、オレたちは甘酸っぱい香りのする、ワイルドストロベリーが見守る秘密の土手で抱き合った。 

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