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8 日常に戻りたい
6 日常に戻りたい(6)
しおりを挟むシグロの個展を訪ねた後、可愛らしいお店に入った。カラフルな色で色づけされた壁紙が特徴的だ。パンケーキや蜂が描かれている。店は満席だったようだが、すぐに入れてもらえた。
「ご予約ありがとうございます。ご案内します」
「頼む」
並んでいるお客さんがいるのに、申し訳なさを感じながら、お店に入っていった。
スフレパンケーキと言うらしい。パンケーキの上にアイスクリームと蜂蜜がトッピングされ、チョコレートソースがかけられている。
飲み物は紅茶だ。
アリエーテの顔が年相応の女の子の顔になる。
「美味しいか?」
「とても美味しいです」
イグレシアも頼んでいて、2人で同じ物を食べる。
「イグはいろんな事を知っているのね。こんなに美味しいパンケーキが食べられるお店があるなんて知らなかったわ」
「側近の奥方が通っているらしい」
「私はいつも教会にしか通ってないものね。この街でどんな事が流行っているかなんて知らないわ」
「これから視野を広げていくと行くといい」
「また連れてきてくださいね」
「勿論、そのつもりだ」
大好物の蜂蜜をたっぷりかけて、アリエーテは美味しくいただく。
お揃いの結婚指輪がキラリと輝いて美しい。
イグレシアはお店で精算すると、またアリエーテと手を繋ぎ、街中を歩いて行く。次は宝石店に入り、綺麗な宝石を見て歩く。0が幾つ付いているのかしら?宝石よりも値札を見てしまう。こんな小さな物なのに、とても値段が高い。
「欲しい物はあるか?」
「特にないわ」
「物欲のない妻だ」
陳列棚には美しいネックレスや指輪が並べられている。
この値段の価値は、どんな風に付けられているんだろう?
「どんな物を持っている?」
「普段着に合わせたものを持っているわ。教会に行くときははめないし」
「それならドレス用のアクセサリーの方がいいのか?」
「私も詳しくなくて」
アクセサリーはアリエーテが心を沈めているときに、由香が買ったものだ。アリエーテ自身、自分の持ち物もあまり把握していない。
宝石がこんなに高額だと知らなかった。今付けているネックレスは幾らしたんだろう?と首を傾げてしまう。
「宝石商を城に呼ぶか?」
「なくても困らないわ」
「気に入った物がないのか?」
「そうね、今、とても欲しい物はないわ」
「王宮に戻ったら持っている物を見せてくれるか?」
「ええ、いいわよ」
「次は金額が書かれていない物を見せよう」
「え?」
「アリエーテは宝石ではなく、値札を見ていたな?」
「……そうね」
アリエーテの心の声が聞こえていたようにイグレシアは鋭く指摘してきた。
「イグって時々鋭くって、ドキッとしちゃうわ」
「そうであろう」
イグレシアはすぐにお店を出た。
ゆっくり歩道を歩いて行く。
街路樹の緑や木漏れ日が美しい。爽やかな風が吹いている。
久しぶりの散歩は気持ちがいい。手を繋いで歩くのも楽しい。
「楽しそうだな。アリエーテの弾んだ笑顔を久しぶりに見た気がするな」
「ずっとベッドの上でしたもの」
「抱かれるのが嫌なのか?」
「嫌ではないわ。イグに愛されたいもの。でも一日中は辛いわ」
「これからは気をつけよう」
「ありがとう、イグ」
突然、女性の悲鳴があがった。すると今まで誰もいなかったのに、イグレシアとアリエーテの周りに、私服の騎士が囲んだ。
「なに?」
「心配するな、護衛だ」
「殿下、こちらへ」
「何があったの?」
「人質立てこもり事件のようです」
「私が祈りを捧げるわ」
「アリエーテは死んだ事になっている」
「私は生きているわ」
アリエーテはイグレシアの手を振りほどいた。
(守られるだけの人生は嫌だ。使命は全うしたい)
騎士の間をすり抜けようとしたら、イグレシアがアリエーテの手を握った。
「近づく必要はないだろう」
「認知しなければ、効果を発動できないわ」
すっかり聖女の顔をしたアリエーテを止めることはできないだろう。イグレシアはアリエーテの手を放した。
「それなら、こちらにどうぞ」
騎士の一人が、アリエーテを守るように手を引き、野次馬の中に入って窓から顔を出している男の姿を見せて、すぐに群衆の中から出た。
「ここから戦意喪失の祈りを捧げます」
護衛の騎士とイグレシアがアリエーテを囲む。背の高い男達に囲まれて、アリエーテの姿は人目から隠された。すぐに虹色の空になり光が降り注ぐ。
野次馬達も空を見上げている。光が消えると辺りは静かになった。野次馬の一部は倒れ、街を守る騎士団が突入する。
「さあ、今のうちに移動するぞ」
イグレシアがアリエーテの手を取り、足早に事件現場から立ち去る。
デートは中止になってしまった。
馬車に乗り込み、宮殿に戻っていく。荷物は騎士の一人が取りに行った。
「ごめんなさい」
「アリエーテに見逃すことはできまい。また次の機会にデートに行こう。身体は平気か?」
「広範囲じゃないから、大丈夫よ。プールに入ってみたかったわ」
「プールはお風呂の大きい物だ。お風呂に水を張ったらいいだろう」
「プールを見たことがなかったの……」
王立学校では授業でプールの時間があるが、学校に通っていなかったアリエーテは、プール自体見たことがない。他にも聖女の仕事をしていた事で、知らないことが多い。イグレシアはそんなアリエーテに新しい風を吹き込んでくれる。今日はその日だったのに、自分で楽しみを投げ出してしまった。
聖女の仕事は尊いけれど、自分を犠牲にしていることはアリエーテ自身も気付いている。
「しばらくは、記者が聖女の行方を捜すだろう。国王が箝口令を出すだろうが、従う者ばかりではないからな」
「国王陛下にも迷惑をかけてしまったのね」
(私の行為は自己満足なのだろうか?これからは自分だけではなくてイグも巻き込んでしまう。イグの言うとおり、聖女は死んだ事にした方がいいのだろうか?)
アリエーテは聖女としての自分に自信が持てなくなりそうになっていた。けれど……。
「アリエーテは今日、女性の命を守った。名誉なことだ。胸を張れ」
大好きなイグレシアに励まされて、アリエーテの心は救われた。
「……イグ、ありがとう」
馬車の中でイグレシアはアリエーテの手を握る。
しょんぼりとしてしまったアリエーテが顔を上げると、アリエーテの黄緑の瞳にイグレシアの顔が写っている。
聖女の力を使うときとは違った幼い顔を見ると、守ってやりたくなる。それと同時に神の力を持った彼女は素晴らしい。大切にしなくてはとイグレシアは改めて思った。
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