59 / 61
8 日常に戻りたい
6 日常に戻りたい(6)
しおりを挟むシグロの個展を訪ねた後、可愛らしいお店に入った。カラフルな色で色づけされた壁紙が特徴的だ。パンケーキや蜂が描かれている。店は満席だったようだが、すぐに入れてもらえた。
「ご予約ありがとうございます。ご案内します」
「頼む」
並んでいるお客さんがいるのに、申し訳なさを感じながら、お店に入っていった。
スフレパンケーキと言うらしい。パンケーキの上にアイスクリームと蜂蜜がトッピングされ、チョコレートソースがかけられている。
飲み物は紅茶だ。
アリエーテの顔が年相応の女の子の顔になる。
「美味しいか?」
「とても美味しいです」
イグレシアも頼んでいて、2人で同じ物を食べる。
「イグはいろんな事を知っているのね。こんなに美味しいパンケーキが食べられるお店があるなんて知らなかったわ」
「側近の奥方が通っているらしい」
「私はいつも教会にしか通ってないものね。この街でどんな事が流行っているかなんて知らないわ」
「これから視野を広げていくと行くといい」
「また連れてきてくださいね」
「勿論、そのつもりだ」
大好物の蜂蜜をたっぷりかけて、アリエーテは美味しくいただく。
お揃いの結婚指輪がキラリと輝いて美しい。
イグレシアはお店で精算すると、またアリエーテと手を繋ぎ、街中を歩いて行く。次は宝石店に入り、綺麗な宝石を見て歩く。0が幾つ付いているのかしら?宝石よりも値札を見てしまう。こんな小さな物なのに、とても値段が高い。
「欲しい物はあるか?」
「特にないわ」
「物欲のない妻だ」
陳列棚には美しいネックレスや指輪が並べられている。
この値段の価値は、どんな風に付けられているんだろう?
「どんな物を持っている?」
「普段着に合わせたものを持っているわ。教会に行くときははめないし」
「それならドレス用のアクセサリーの方がいいのか?」
「私も詳しくなくて」
アクセサリーはアリエーテが心を沈めているときに、由香が買ったものだ。アリエーテ自身、自分の持ち物もあまり把握していない。
宝石がこんなに高額だと知らなかった。今付けているネックレスは幾らしたんだろう?と首を傾げてしまう。
「宝石商を城に呼ぶか?」
「なくても困らないわ」
「気に入った物がないのか?」
「そうね、今、とても欲しい物はないわ」
「王宮に戻ったら持っている物を見せてくれるか?」
「ええ、いいわよ」
「次は金額が書かれていない物を見せよう」
「え?」
「アリエーテは宝石ではなく、値札を見ていたな?」
「……そうね」
アリエーテの心の声が聞こえていたようにイグレシアは鋭く指摘してきた。
「イグって時々鋭くって、ドキッとしちゃうわ」
「そうであろう」
イグレシアはすぐにお店を出た。
ゆっくり歩道を歩いて行く。
街路樹の緑や木漏れ日が美しい。爽やかな風が吹いている。
久しぶりの散歩は気持ちがいい。手を繋いで歩くのも楽しい。
「楽しそうだな。アリエーテの弾んだ笑顔を久しぶりに見た気がするな」
「ずっとベッドの上でしたもの」
「抱かれるのが嫌なのか?」
「嫌ではないわ。イグに愛されたいもの。でも一日中は辛いわ」
「これからは気をつけよう」
「ありがとう、イグ」
突然、女性の悲鳴があがった。すると今まで誰もいなかったのに、イグレシアとアリエーテの周りに、私服の騎士が囲んだ。
「なに?」
「心配するな、護衛だ」
「殿下、こちらへ」
「何があったの?」
「人質立てこもり事件のようです」
「私が祈りを捧げるわ」
「アリエーテは死んだ事になっている」
「私は生きているわ」
アリエーテはイグレシアの手を振りほどいた。
(守られるだけの人生は嫌だ。使命は全うしたい)
騎士の間をすり抜けようとしたら、イグレシアがアリエーテの手を握った。
「近づく必要はないだろう」
「認知しなければ、効果を発動できないわ」
すっかり聖女の顔をしたアリエーテを止めることはできないだろう。イグレシアはアリエーテの手を放した。
「それなら、こちらにどうぞ」
騎士の一人が、アリエーテを守るように手を引き、野次馬の中に入って窓から顔を出している男の姿を見せて、すぐに群衆の中から出た。
「ここから戦意喪失の祈りを捧げます」
護衛の騎士とイグレシアがアリエーテを囲む。背の高い男達に囲まれて、アリエーテの姿は人目から隠された。すぐに虹色の空になり光が降り注ぐ。
野次馬達も空を見上げている。光が消えると辺りは静かになった。野次馬の一部は倒れ、街を守る騎士団が突入する。
「さあ、今のうちに移動するぞ」
イグレシアがアリエーテの手を取り、足早に事件現場から立ち去る。
デートは中止になってしまった。
馬車に乗り込み、宮殿に戻っていく。荷物は騎士の一人が取りに行った。
「ごめんなさい」
「アリエーテに見逃すことはできまい。また次の機会にデートに行こう。身体は平気か?」
「広範囲じゃないから、大丈夫よ。プールに入ってみたかったわ」
「プールはお風呂の大きい物だ。お風呂に水を張ったらいいだろう」
「プールを見たことがなかったの……」
王立学校では授業でプールの時間があるが、学校に通っていなかったアリエーテは、プール自体見たことがない。他にも聖女の仕事をしていた事で、知らないことが多い。イグレシアはそんなアリエーテに新しい風を吹き込んでくれる。今日はその日だったのに、自分で楽しみを投げ出してしまった。
聖女の仕事は尊いけれど、自分を犠牲にしていることはアリエーテ自身も気付いている。
「しばらくは、記者が聖女の行方を捜すだろう。国王が箝口令を出すだろうが、従う者ばかりではないからな」
「国王陛下にも迷惑をかけてしまったのね」
(私の行為は自己満足なのだろうか?これからは自分だけではなくてイグも巻き込んでしまう。イグの言うとおり、聖女は死んだ事にした方がいいのだろうか?)
アリエーテは聖女としての自分に自信が持てなくなりそうになっていた。けれど……。
「アリエーテは今日、女性の命を守った。名誉なことだ。胸を張れ」
大好きなイグレシアに励まされて、アリエーテの心は救われた。
「……イグ、ありがとう」
馬車の中でイグレシアはアリエーテの手を握る。
しょんぼりとしてしまったアリエーテが顔を上げると、アリエーテの黄緑の瞳にイグレシアの顔が写っている。
聖女の力を使うときとは違った幼い顔を見ると、守ってやりたくなる。それと同時に神の力を持った彼女は素晴らしい。大切にしなくてはとイグレシアは改めて思った。
1
あなたにおすすめの小説
存在感のない聖女が姿を消した後 [完]
風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは
永く仕えた国を捨てた。
何故って?
それは新たに現れた聖女が
ヒロインだったから。
ディアターナは
いつの日からか新聖女と比べられ
人々の心が離れていった事を悟った。
もう私の役目は終わったわ…
神託を受けたディアターナは
手紙を残して消えた。
残された国は天災に見舞われ
てしまった。
しかし聖女は戻る事はなかった。
ディアターナは西帝国にて
初代聖女のコリーアンナに出会い
運命を切り開いて
自分自身の幸せをみつけるのだった。
身代わりで呪いの公爵に嫁ぎましたが、聖女の力で浄化したら離縁どころか国一番の溺愛妻になりました〜実家が泣きついてももう遅い〜
しょくぱん
恋愛
「お前のような無能は、死神の生贄にでもなっていろ」
魔力なしの無能と蔑まれ、家族に虐げられてきた伯爵令嬢レティシア。 彼女に命じられたのは、近づく者すべてを病ませるという『呪いの公爵』アレクシスへの身代わり結婚だった。
鉄格子の馬車で運ばれ、たどり着いたのは瘴気に満ちた死の城。 恐ろしい怪物のような男に殺される――。 そう覚悟していたレティシアだったが、目の前の光景に絶望よりも先に別の感情が湧き上がる。
(な、何これ……汚すぎるわ! 雑巾とブラシはどこ!?)
実は、彼女が「無能」と言われていたのは、その力が『洗浄』と『浄化』に特化した特殊な聖女の魔力だったから。
レティシアが掃除をすれば、呪いの瘴気は消え去り、枯れた大地には花が咲き、不気味だった公爵城はまたたく間にピカピカの聖域に塗り替えられていく。 さらには、呪いで苦しんでいたアレクシスの素顔は、見惚れるほどの美青年で――。
「レティシア、君は一体何者なんだ……? 体が、こんなに軽いのは初めてだ」
冷酷だったはずの公爵様から、まさかの執着と溺愛。 さらには、呪いが解けたことで領地は国一番の豊かさを取り戻していく。
一方で、レティシアを捨てた実家は、彼女の『浄化』を失ったことで災厄に見舞われ、今さら「戻ってきてくれ」と泣きついてくるが……。
「私は今、お城の掃除と旦那様のお世話で忙しいんです。お引き取りくださいませ」
これは、掃除を愛する薄幸令嬢が、その愛と魔力で死神公爵を救い、最高に幸せな居場所を手に入れるまでのお話。
大根令嬢の雑学無双、王弟殿下を添えて。~ 前世を思い出したので、許婚をほったらかして人助けしまくります!!
古森真朝
恋愛
気弱な伯爵令嬢のカレンは、自分勝手な婚約者レナートに振り回されていた。耐え続けていたある日、舞踏会で何者かに突き飛ばされ、階段から落ちてしまう。
その傷が元で儚く……なるかと思いきや。衝撃で前世を思い出したカレンは一転、かの『ド根性大根』みたいな超・ポジティブ人間になっていた。
『モラハラ婚約者の思惑なんぞ知るか!! 今度こそ好きなことやって、目いっぱい幸せに長生きするんだから!!!』
昔ひたすら読書に耽って身に着けた『雑学』を武器に、うっかり採れ過ぎた作物や、開墾しようとすると不幸に見舞われる土地、不治の病にかかった王族、等々の問題をどんどん解決。
領地の内外で心強い友人が出来たり、いつの間にかものすごく有名になっていたり、何かと協力してくれる王弟ヴィクトルから好意を寄せられたり(注:気付いてない)する中、温かい家族と共に仕事に励んでいく。
一方、前世から因縁のある人々もまた、こちらに転生していて――
雑草と呼ばれた令嬢は、氷の公爵の庭を咲かせる
もちもちほっぺ
恋愛
亡き母の形見の庭を守ることだけが、フェリシアの居場所だった。
継母に食卓での給仕を命じられ、義妹に母の形見の花を踏みにじられても、父は「仲良くしなさい」と言うだけだった。
植物魔法は「雑草いじり」と蔑まれ、フェリシアはルミナリス家の娘ではなく、使用人以下として生きてきた。
転機は突然訪れる。
「氷の魔王」と恐れられるギルバート・ウィンストン公爵との縁談。嵐の中、馬車も出してもらえず送り出されたフェリシアが辿り着いたのは、十年間何も育たなくなった荒廃した庭だった。
【番外編完結】聖女のお仕事は竜神様のお手当てです。
豆丸
恋愛
竜神都市アーガストに三人の聖女が召喚されました。バツイチ社会人が竜神のお手当てをしてさっくり日本に帰るつもりだったのに、竜の神官二人に溺愛されて帰れなくなっちゃう話。
【完結】赤ちゃんが生まれたら殺されるようです
白崎りか
恋愛
もうすぐ赤ちゃんが生まれる。
ドレスの上から、ふくらんだお腹をなでる。
「はやく出ておいで。私の赤ちゃん」
ある日、アリシアは見てしまう。
夫が、ベッドの上で、メイドと口づけをしているのを!
「どうして、メイドのお腹にも、赤ちゃんがいるの?!」
「赤ちゃんが生まれたら、私は殺されるの?」
夫とメイドは、アリシアの殺害を計画していた。
自分たちの子供を跡継ぎにして、辺境伯家を乗っ取ろうとしているのだ。
ドラゴンの力で、前世の記憶を取り戻したアリシアは、自由を手に入れるために裁判で戦う。
※1話と2話は短編版と内容は同じですが、設定を少し変えています。
物置部屋に追いやられた伯爵令嬢ですが、公爵様に見初められて人生逆転しました〜妹の引き立て役だったのに、今では社交界の花と呼ばれています〜
丸顔ちゃん。
恋愛
伯爵家の令嬢セレナは、実母の死後、継母と義妹に虐げられて育った。
与えられた部屋は使用人以下の物置、食事は残飯、服はボロ。
専属侍女も与えられず、家の運営や帳簿管理まで押し付けられ、
失敗すれば鞭打ち――それが彼女の日常だった。
そんなある日、世間体のためだけに同行させられた夜会で、
セレナは公爵家の跡取りレオンと出会う。
「あなたの瞳は、こんな場所に閉じ込めていいものではない」
彼はセレナの知性と静かな強さに一瞬で心を奪われ、
彼女の境遇を知ると激怒し、家族の前で堂々と求婚する。
嫁ぎ先の公爵家で、セレナは初めて“人として扱われ”、
広い部屋、美味しい食事、優しい侍女たちに囲まれ、
独学で身につけた知識を活かして家の運営でも大活躍。
栄養と愛情を取り戻したセレナは、
誰もが振り返るほどの美しさを開花させ、
社交界で注目される存在となる。
一方、セレナを失った伯爵家は、
彼女の能力なしでは立ち行かず、
ゆっくりと没落していくのだった――。
虐げられた令嬢が、公爵の愛と自分の才能で幸せを掴む逆転物語。
「婚約破棄された転生令嬢ですが、王城のメイド五百人に慕われるメイド長になりました。なお元婚約者は私のメイドに土下座中です」
まさき
恋愛
社畜OLとして過労死した私は、異世界の令嬢・アリア・ヴェルナーに転生した。
目が覚めたら、婚約破棄されていた。
理由は「地味で面白みがない」から。
泣く暇もなかった。翌朝、王城のメイド採用面接に向かった。
最初は鼻で笑われた。雑用係からのスタートだった。
でも——前世で叩き込まれた仕事術と、一人ひとりの話を聞く姿勢で、少しずつメイドたちが集まってきた。
厨房が変わった。リネンが変わった。王城全体が変わっていった。
そして就任スピーチで宣言した。
「500人全員の名前を、覚えます」
冷酷と噂される王太子は、静かに見ていた。
悪役令嬢は妨害を仕掛けてきた。
元婚約者は——後悔し始めていた。
婚約破棄された令嬢が、500人に慕われるメイド長になるまでの物語。
なお元婚約者は、私のメイドたちの前で土下座中です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる