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4-1 北畠小夜

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 感情が落ち着くまでに、丸一日掛かった。
 それは突然叫びだしたり、泣き出したりする事がどうにか収まったと言うだけで本当に自分が落ち着いたのかどうかは、まるで小夜自身には分からなかった。
 戦をしている身である。それが誰であろうとも、人が死ぬのは、当然の事だと受け止めなくてはならない。死は常に、一歩進んだ先に待ち受けている物なのだ。
 ただ、自分は本当に大塔宮のために手立てを尽くしたのか。その自問だけが繰り返し襲って来た。胸が絞め付けられるように痛むのも、収まらない。
 人一人の死にこれほど動揺していて、奥州軍を統括する陸奥守としての職が果たせるのか。自分にそう言い聞かせる事によって、どうにか立ち直ろうとした。何があろうとも、この務めを投げ出す訳には行かないのだ。
 そして今は、大塔宮の事をひとまず忘れ、関東の情勢について思いを巡らしている。
 影太郎からは大塔宮の死を伝える報せが来ただけで、具体的な事はまだ何も分からない。
 だから今は目に見える事に集中するしかない。自分にそう言い聞かせないと、何も手に付きそうになかった。
 奥州でも、北条時行に呼応する者は多い。
 足利直義は鎌倉を奪られ、三河にまで逃げ延びている。敗北を重ね、多くの将が討たれたようだが、それでも軍としての体裁は保ったまま、守りを固めてそれ以上の追撃は防いだようだ。
 ただ、それまで奉じていた成良親王は、京都へと送り届けていた。
 鎌倉を奪った、と言う事が武士達に与える影響は強いようだ。
 諸将の中には北条の叛乱が奥州全域に波及する事を警戒して様々な進言をしてくる者もいたが、小夜は特に大きな動きは見せず、師行、宗広、行朝を中心にして叛乱を一つ一つ討伐させるだけに留めていた。
 時行の叛乱は今は勢いがあるが、明らかに準備不足だった。一時の勝利と北条徳宗の血に惹かれて兵が集まってきても、それをまとめて支えるだけの人も物も無い。時間を置けばここからさらに関東を固める可能性もあるが、それよりも早く京から討伐のための軍が出るだろう。
 小夜は地図を見つめながら、時行の叛乱よりも、直義が成良親王だけを送り返して自身は三河で留まった理由について考えていた。
 かつて足利は三河の守護であった事もあり、それ以降も彼の地に多くの所領を持っている。幕府が倒れるまでは足利の一族である吉良が守護大名であり、足利にとっては第二の本領と言える土地だった。
 直義が敗走した軍を立て直すために三河を選んだのは当然とも言える。だが同時に、三河より西に目をやれば、別に見えてくる物もあった。
 東海道を基準にして考えれば、日本の東西はちょうど三河で分けられる。伝統的に鎌倉を中心にした幕府の力が直接及んだのは三河までで、それより西では京を中心にした政の力の方が強いのだ。京に置かれた六波羅探題が三河よりも西の尾張からの武士を管理していたのもそのためだ。
 だからその三河で留まり、親王を京に返すのは、足利の軍勢を京の朝廷から切り離すための構えとも見れる。三河で東海道を抑えておけば、京と鎌倉の間を行き交う人間を抑える事にもなるのだ。
 やはり足利直義は最初から負けるつもりで北条時行と戦っていた。いや、恐らくはここまで見越して潰せたはずの蜂起を見逃したのだろう。
 後は足利尊氏が鎌倉奪還のために朝廷から征夷大将軍の官職を受け、軍勢を率いて鎌倉に入れば、それで足利幕府が出来る事になる。だが、帝もそう甘くはないはずだった。特に征夷大将軍の地位に対する警戒心は、誰よりも強い。となれば、朝廷から独立しつつも朝敵の名は避けたい足利と、足利を手元で飼いならしたい帝の駆け引きがもうしばらくの間は続く事になる。
 先を見通していたとしても、勝てる戦いに負けると言う賭けは重いはずだった。例え北条時行の叛乱が潰える事は確実でも、その前に足利が立ち直れないほどの深手を受ける事もあり得るのだ。
 足利兄弟もそれだけの覚悟を決めたと言う事で、この先は容易に引き下がりはしないだろう。

「何を考えているんだい?」

 勇人に声を掛けられ、小夜は我に返った。いつのまにか、地図すら目に入れる事をやめていた。
 勇人は半年ほどの間師行に預けられて鍛えられていたが、今は多賀国府に戻っていた。師行に言われ、馬に馴れるために多賀国府の馬を世話しながら、小夜の周りで様々な仕事をしている。
 体つきは少したくましくなっていたが、顔の方はかなり頬がこけ、鋭くなっていた。そして、刀を差すようになっている。

「戦いがいつ始まるか、かな」

 この先の未来を知っている人間に対して、奇妙と言えば奇妙な言葉だった。だが、勇人も小夜が自分の知識をそこまであてにしてない事を理解しているようで、こちらから尋ねない限り、自分の知るこの先の事をあらためて告げてきたりはしなかった。
 戦は生き物で、常に形を変えて動き回り、しかも見る角度によっても姿が変わる。だから書物には、戦の全てを書き残したりは出来ない物だ。戦の結果を知っていたとしても、それで戦に勝てる訳ではない。
 ただ勇人には、元居た時代など関係なく、鋭い部分と深い部分があった。親房とはまた違って考えを聞くにはいい相手だ。

「足利尊氏の代わりに今陸奥から君が出て行って北条時行を叩くと言うのは、やはり現実的じゃないかな?」

「まだ陸奥が固まっていないからね。仮に今から私に叛乱討伐の綸旨が出ても陸奥で兵が集まるまでは時間が掛かるし、私が陸奥を空けたらこの土地での北条残党の叛乱が盛り返す事になっちゃう」

「陸奥を捨てる覚悟で出せ得る限りの兵で強引に鎌倉を落として、そのままそこを起点に関東を抑えると言うのは?」

 かなり突飛な発想である。しかし足利より先に討伐軍を出して鎌倉を取る事に、陸奥を捨てるだけの意味がある、と見ているのはある意味で正しい考えだ。

「まずその兵力で北条時行を首尾良く討てるかどうか。次に討てたとしても公家の私が関東を治めるには最低限相応の任官が必要だけど、足利方が鎌倉将軍府を取り仕切ってる現状でそれに競合する官位がすんなり降りるかどうか」

 勇人は腕組みをしながら小夜の反論を聞いている。

「一番大きな問題として私が陸奥を捨てる覚悟で今から綸旨を願って兵を集めたとしても、京にいる尊氏さんが綸旨無しで鎌倉奪還の檄文を飛ばして集める兵の方が絶対に多いし早い。最悪、陸奥を失った根無し草状態の軍で鎌倉を取った足利の軍勢とぶつかる事になっちゃうね」

「武士の信望はそれほどに、か」

「天の時は地の利に如かず地の利は人の和に如かず」

「孫子…じゃないな。それは孟子だっけ」

「うん、孟子。孟子は孫子や呉子と違って兵家じゃないけどね」

「よしんば君に天の時があったとしても地の利も人の和も無しにどうやって戦うんだい」

「孟子や孫子辺りがここにいれば、そもそも戦うのが間違ってる、って言うんじゃないかなあ」

「身も蓋もない」

 それでも実際の戦は事前に計算した通りには行かない物だし、思いも寄らない勝機が戦いの中で生まれる事もある。
 結局の所、戦はやってみなければ本当には分からないと言う部分がある。倒幕の戦の時、最初はほとんど誰も鎌倉幕府が滅びるとは思っていなかったはずだ。それでも、戦が始まれば幕府は当然の事のように倒れた。
 後から見れば、いくらでも幕府が倒れる理由は見付けられた。さもそれが必然の事であったかのように、したり顔で語る者もいる。だが実際にはそれらは全て後付けで、恐らくただ一人戦況の全てを見通していた楠木正成すら、ある時点までは手探りで戦っていたのだ。
 小夜はそこまでで一度思考を打ち切り、勇人をうながすと多賀国府の一角に出た。
 これ以上二人で話していると、どうしても大塔宮の死について語ってしまいそうだったのだ。そしてそれは口に出せば必ず泣き言になるだろう。
 自分がここに来た時、多賀国府の中に周囲からは塀で区切って見えないようにした場所を作らせていた。
 和政と、朱雀を始めとする五人の侍女達がすでに来ていた。和政は小夜が勇人を連れて来たのを見て、一瞬眉をひそめたが、何も言わずいつもの通りに棒を手に取った。
 近侍として付いた時から、小夜は侍女達と共に剣の稽古をずっと和政に付けさせてきた。最初は公家の姫である小夜に剣を教える事に和政は難色を示したが、今はもう諦めているようだ。
 剣の稽古を始めたのは、戦に出るのなら自分の身は自分で守れる程度にはなりたいと思ったのと、やはり本物の武器の扱いが分からなければ戦の事は分からない、と考えたからだった。自分で兵を率い、戦に出るようになってみれば、自分のその考えは正しかった、と思える。
 しばらく皆で素振りをした後で、一人一人が和政と向かい合う。
 和政は小夜の配下の中では随一の剣の使い手で、今陸奥にいる名のある武士達と比べてみても、和政以上と思えるのは師行ぐらいしかいなかった。棒で向かい合っても、いつも小夜と朱雀以外の侍女達は、向き合うだけで気力も体力も使い果たしてしまう。小夜と朱雀も、踏み込んで一度打ち込むのが精一杯で、その後は構えを取り続ける事も出来なかった。
 不思議な物で相手が持っているのは棒だとわかり切っているのに、向き合っていると並みの相手の真剣以上の圧力を感じてしまうのだ。
 長年の稽古で、自分もそれなりに剣は使えるようになっている。だが、自分より強い者はいくらでもいるだろう。生まれ持った才能の差はどんな物にでもあるし、何より男女の差と言うのは大きい。そもそもの力が違うのだ。
 勇人以外の全員が和政と向き合う修行を終え、勇人が和政と向き合った。侍女達は全員和政と向き合った事で、気力を使い果たしたようで、座り込むようにしてその様子を見守っている。小夜も立っているのが精一杯だったが、一人で六人を相手にした和政は、それでもまだ余力は十分のようだった。
 勇人は無言で和政に一礼すると、棒を構える。別段変哲もない平凡な構えに見えた。
 その平凡さのまま、勇人は和政に踏み込み、打ち込んだ。
 和政が一歩後ろに退き、そして棒でそれを受ける。和政の表情が一瞬驚愕の色を浮かべていた。それまでぼんやりと二人を見ていた朱雀を始めとする侍女達も、己の目を疑うような顔をしている。
 二人の立ち位置が入れ替わる。稽古の最中はいつでも表情を緩める事のない和政だが、今はいつもにもまして厳しい顔で勇人の方を見ている。
 そして気迫の質が変わる。自分達を相手にしていた時とは違い、ほとんど殺気とも思える気が、和政の構える棒を満たしていた。もう勇人も先ほどのように不意に踏み込んだりはせず、正面に棒を構えて和政を相手にじっと向き合っている。
 二人の気がぶつかりあっていた。そのたびにどちらかが動く。そう思えたが、実際にはどちらも動いてはいない。
 微動だにしないまま、勇人は滝のような汗を流していた。まだ夏の盛りだが、それにしても尋常でない汗の量だ。和政の顔からも、汗がしたたり落ちる。
 息苦しかった。側で見ているだけなのに、呼吸する事すら難しいほどの重圧が襲ってくる。
 勇人の構える棒がわずかに揺れた。和政がそれに合わせて一歩踏み込む。しかしそれ以上はどちらも動かない。ただ、さらに空気は張り詰めた。
 何故、勇人と和政はこんな立ち合いをしているのか。止めるべきなのか。明らかに二人は尋常な様子ではない。このまま打ち合えば、どうなるか分からなかった。だが声にならない。周囲の侍女達も、言葉を失っているようだ。
 やめい、と、ほとんど気合のような凄まじい静止の声が響いた。その声に弾かれたように、二人は気を吐き、構えを崩す。
 勇人はそのまま棒を取り落とし、膝を突いてしまった。慌てて駆け寄る。肩で息をしていた。

「和政、勇人。稽古に熱心なのはいいが少し力を込め過ぎではないか。侍女達だけなく顕家様まで戸惑っておられたぞ」

 いつのまにか後ろに来ていた宗広が、大きく息を吐いた後、そう言った。一瞬、凄まじい形相を浮かべていたが、すぐにいつもの穏やかな顔に戻る。

「申し訳ありませんでした」

 和政が棒を収め、自分と宗広に一礼する。勇人もどうにか立ち上がり、自分と宗広、そして和政に一礼した。
 外に出るように、と宗広が促して来る。それで小夜は困惑から救われ、宗広と共に稽古場から出た。和政は何事も無かったように侍女達に今日の稽古の終わりを告げている。勇人はやはり気力を使い果たしていたのか、また座り込んでいる。

「ありがとう、宗広さん。私じゃ、止められなかった」

 縁側を歩きながら宗広に礼を言った。

「いや、年甲斐もなく大きな声を出してしまいましたな。それがしも若い二人の気に恐れをなしてしまったのでしょう」

「あのまま打ち合ってたら、どうなってたと思う?」

「さて。和政は熱くなっていたようですが、稽古の意味を履き違えるような男ではありますまい。ただ、まだ加減が分からぬ勇人が本気で打ち込めば、それをどう受けたか」

「稽古で和政があそこまでの気を込めたのは、私も初めて見た」

「それほどの物を勇人が引き出したと言う事でしょう。腕の方は、和政どころかまだ顕家様にも及ばぬ程でしょうが。勇人は稽古であっても何の気負いも無く、自分の命を捨てるつもりで挑んだ。それに対して和政も咄嗟に本気で応じる以外には応じようがなかった。師行殿が一体勇人にどんな鍛え方をしていたのか、目に浮かぶようですな」

 師行であれば、その人間が死なないぎりぎりの所で、その人間の持っている物を最大限に引き出すような、そんな鍛え方をするはずだ。
 勇人の中の歪んでいるとも思えた部分が師行によって引き出されて真っ直ぐな強さに変わった。その異質な強さが和政を戸惑わせたのか、あるいは苛立たせたのか。
 楓に言われて師行に預けただけだったが、あるいは勇人は、この先驚くほどに強くなるのかも知れない。
 大塔宮の事については、宗広も何も言わなかった。この事で何か語れるとしたら、親房だけだ。
 鎌倉についての続報が入って来たのは数日後だった。尊氏が綸旨を得ないまま京を出陣し、直義の軍勢と合流していた。朝廷は結局それを追認するように尊氏に征東将軍の号を与えている。
 その後わずか十日程で北条時行は鎌倉を追われ、逃亡した。尊氏はそのまま朝廷からの帰還の命令を無視して、鎌倉周辺の安定を名目にそこに留まり続けている。
 それからさらに数日後の夜、八月も末に影太郎からの合図があった。
 夏の空に星が輝いていた。
 何故星が季節によって移り変わり、また同じ所に戻るのか、何故それとは別の動きをする星もあるのか、納得のいく説明をしてくれた書物は無かった。親房に尋ねても、答えが返ってこなかった事の一つだ。
 今小夜が立っている大地もまた星で、それが一年掛けて太陽の周りを回っているのだ、と教えてくれたのは勇人だ。

「とうとう」

 縁側で小夜は呟いていた。足利の奥州管領として斯波家長が三千の軍勢を引き連れて鎌倉を出、多賀城を横切るようにして奥州斯波郡を目指している、と言う報せだった。

「いささか、遅うございましたな」

 闇の中で影太郎が呟いた。もう五年も自分の側で働いている忍びだが、極端に自分の事は何も喋らない男だった。ただ、今はわずかに声が沈んでいる。小夜が分かるほどにこの男の感情が表に出るのは初めてだった。
 こうして自らが現れて報告に来たのは、大塔宮の事があるからだろう。

「正成さんが紀州で押さえていてくれたおかげ、かな」

 紀州での叛乱討伐に斯波父子がてこずっていなければ、今年の春には斯波家長は奥州に入って来ていたはずだ。
 斯波家長が奥州に入ってくれば、それだけで相当数の武士があちら側になびくだろう。建武の親政には不満でも、北条の叛乱に与するだけの理由はない、と言う武士はいくらでもいる。
 それはそれで良かった。腰が定まっていない武士達は最初からそれほどあてにしていない。ただ、斯波家長に奥州で地盤を固める時間を与えてしまうと言うのは、また別だ。

「大塔宮の、最期の事だけど」

 影太郎の沈黙が続いたので、小夜の方から切り出した。

「その事で、陸奥守様のご処断を受けたく、自ら参った次第でございます」

「元々、鎌倉から大塔宮を救い出せと言うのがどれだけ困難な仕事だったかは理解してるはずだよ。それが出来なかったからって、処断なんてする訳ない。ただ、何があったのか、訊きたいだけ」

 影太郎はそれでもしばらく沈黙し、それから口を開いた。

「大塔宮は、主上の影の力によって奪い返されました。その後、鎌倉で足利直義配下の淵辺義博によって殺められました」

 その答えを聞き、小夜は天を仰いだ。絶望とも畏怖とも憤怒とも知れない感情が襲ってくる。主上の影の力。つまり後醍醐帝が自ら使う忍び達。それが存在し、暗躍している事は自分も父の親房も気付いてはいた。倒幕の戦の折にもほとんど動きをみせなかったそれが、今になって動いたのか。帝の実の息子である大塔宮の命を奪うために。

「止める事は、出来なかった?」

 なるべく咎める口調にはならないように、尋ねた。影太郎に取っても完全に想定外の相手からの横槍だったろう。

「それがしらが主上の影と戦う事を大塔宮が望まれませんでした。これ以上陸奥守様と正成殿に迷惑を掛ける事は出来ぬと。例え主上を敵としても大塔宮をお守りする、と申し上げたのですが」

「そう」

「それがしの独断で主上を敵とする、と言う言葉を発した事は申し開きもございません。ただ、配下達の事は何卒ご寛恕頂きたく」

「難しい判断だったろうけど、良くそこまでやってくれたと思う。私の気持ちも、影太郎の考えと大きく外れてない、よ」

 自分がその場におらず、そしてそれに備えた指示を何も与えていなかった以上、影太郎としては大塔宮の意思を確かめる、と言うのがどうした所で出来る事の限界だったろう。元々、後醍醐帝は大塔宮を捕らえて足利に引き渡す、と言う事までやっていたのだ。後醍醐帝の邪魔が入る事を予想していなかった小夜自身の手落ち以外の何物でもなかった。
 しかし、そんな事まで予想しなければならなかったのか。帝が親王を、父が子どもを殺すと言う事まで考えなくてはならない世界に自分は生きているのか。そんな嘆きのような物が自分の中から襲ってくる。
 影太郎を下がらせ、そのまま親房の部屋へ向かった。
 夜更けで火も灯していなかったが、親房は月と星の光に照らされ、書見台の前で座っていた。周りには、筆で何かを書き殴ったらしい大量の紙が散らばっている。
 ちらり、とその内容に目をやった。日付と地名がいくつも書き綴ってある。

「来たか」

 親房が口を開いた。書見台の上の紙に向いている筆は止まっている。

「大塔宮の事だけど」

「亡くなられたそうだな」

「影太郎達が正成さんの忍び達と一緒に助け出したよ。けど、主上の影に奪い返されて、足利に引き渡された」

「そうか」

 答える親房の声はどこまでも静かだった。

「どうして」

 最初に口を衝いて出たのはその言葉だった。

「どうして主上はここまでされたの、大塔宮を相手に。親子なのに」

 一度口に出してしまえば、後は次々とほとんど理屈にならないような言葉が流れてきた。それはすぐに理屈どころか、意味のある言葉ですら無い物に変わる。
 気付けば小夜は、泣きじゃくりながら親房に縋り付いていた。何を喋ったのかは覚えていない。大塔宮への思い、帝への不信、父への不満、他にも心の中にあるだけの物を、親房へと際限なくぶつけ続けた気がした。

「今は、もうこの事は表に出すな」

 それが収まった後、小夜の頭を撫でながら親房が言った。

「わしはこれから、主上と大塔宮の間に本当は何があったのか、ひたすら考え続けようと思う。その答えが出るまで、決して主上に対して迂闊な事はするな」

 このまま責務の全てを親房に委ねてしまいたい、と言う想いが湧き上がって来た。これほどまでに醜く厳しい世界で戦わなくてはならないのなら、全てを投げ出してしまいたかった。自分がさらに泣き言を重ねれば、親房は恐らく自分の重荷を代わりに引き受けてくれるだろう。
 それは、ただそう思っただけだった。戦に関しては、親房よりも自分の方が間違いなくずっと優れている。そして今更投げ出すには、自分はもう戦で血を流し過ぎていた。

「わしは何があっても、お前を見捨てはせん。それは、忘れるな」

 親房がそう言った。帝とは違う、と口に出す事まではしなかった。
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