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5-4 北畠小夜
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東坂本の行在所で帝に拝謁した。
「良くぞ参った、陸奥守。奥州より遠征、ご苦労である。また、道中で多くの兵が命を落としたと聞く。陸奥出羽五十四郡の軍兵の忠節も、まこと天晴れである。しかし戦はまだ半ばでもある。早速に新田、楠木、名和らと計り、逆賊尊氏を京より追い払うように」
帝の労いの言葉に小夜は黙って頭を下げた。帝はいつもと変わらず超然としていたが、周囲の廷臣達は、ただ奥州軍の来着に喜びの声を上げるだけである。
帝がわずかとは言え道中で死んだ兵達の事を口にした事と、六の宮が自分から奥州軍の労苦を帝に報告した事が小夜にとっては救いだった。輿に乗っていたとはいえまだ子どもに六の宮に取っては辛い行軍だったはずだが、それでも自分より周りの人間の方がずっと辛いのだと言う事を、最後まで見失わなかったようだ。
行軍で着いて来れず死んだ兵は恐らく千人を超えていた。途中の足利との小競り合いで死んだ兵よりもずっと多い。
小夜も帝も、大塔宮の事は、まるで無かった事かのように振る舞っていた。
「六の宮の事は頼むね、お父さん」
「任せておけ。またしばらくの間朝廷で過ごさねばならんと思うとうんざりするがな。何やら宮中もきな臭さは増しているようだが廷臣共は変わらんな」
親房も帝の周囲で以前とは違う動きがあるのには気付いているようだった。本人は嫌っているが、宮中内部での策謀に関しては親房は驚くほど敏感だ。
親房と六の宮を行在所に残し、顕家は軍議の場に向かった。楠木正成や新田義貞を始めとした諸将がいる。供をするのは和政一人だ。
「良くぞ来てくださった、陸奥守殿。まさか奥州よりこれほどまでに早く到着されるとは。今しばらくそれがしが踏み止まっていれば尊氏を挟撃出来たかと思うと慚愧に堪えませぬ」
新田義貞はいきなり頭を下げてきた。相変わらず素直な人物である。その素直さはこの男を大きくも見せるし、小さくも見せる。
そこを使い分ける、と言う事がまるで出来ていないのが、この男の弱点でもあった。周りにそれを補えるような人間もいない。
自分の方が官職は上だが、明確に総大将として新田義貞の上に立っている訳ではない。大きな所は合議で決めるしかなく、それを考えれば今はこの素直さはありがたかった。
敵は足利尊氏一人が総大将としてしっかりと立っている。それだけでも大きな不利ではあるのだ。
「済んだ事であろう、義貞。今は次の戦だ。我が軍はただちに唐崎に軍を進めて京より外に出ている足利軍を打ち払いたいと思う。京の軍勢を包囲出来る態勢を作りたい」
「何と。陸奥守殿の軍勢は疲れ切っているのではございませんか」
「ここで休ませれば数日の間は兵は動けまい。それよりは強行軍の勢いが残っている内に出来る限り敵を叩いておきたい。そうすれば味方も勢いづくであろう」
無茶を言っている、と自分でも思っていた。こんな事を言ったのは今の状態では他の味方があてになりそうにない、と思ったからだった。楠木勢以外は一度逃げ散った味方をもう一度まとめ直し、敗戦から立ち直るまでにまだしばらくの時間が掛かるだろう。奥州軍が休息を取っている内に足利の攻撃を受ければまた総崩れになりかねなかった。
それを避けるにはとにかく奥州軍だけでも敵を攻め立てて勝ちを上げ、味方を勢い付けるしかない。
奥州から掛けてきた軍勢は獣だった。ただ、飼いならされている獣である。道中は容赦のない摘発を繰り返しながら、それでも小夜と諸将が説く勤王の志を信じてぎりぎりの所で統率を保ちながらここまで駆けてきた。帝のいるここで戦らしい戦をすれば、獣の力を持ったまま人に戻せもするだろう。
「なるほど。さすがは陸奥守様。お見事な兵略でございます」
どこまで意味を深く考えたのかは分からないが、義貞は納得したように頷いた。
それで軍議の大きな所は終わった。小夜は軍議の間中、正成に気を配っていたが、正成は型通りの挨拶をした後は、他の諸将と同じように今の自軍の状況を説明し、最後に別動隊が山陽道からの足利の兵站を妨げている、と短く付け足しただけだった。やはり今動けるのは楠木勢だけらしい。
拝謁と軍議の間に、軍勢は琵琶湖を渡り始めていた。唐崎に作らせた本陣で、宗広、行朝を始めとする諸将達と合流した。
「大将のいなくなった親光の軍勢の残りは、それがしの軍勢にそのまま組み込んでもよろしいでしょうか?すでに向こうから合流し始めておりますので」
宗広がそう訊ねてきた。表情はいつも通りの穏やかな物だ。
「頼みたい。主だったものは結城の郎党であるし、それが一番いいだろう」
「ありがとうございます」
「親光は惜しい事をした。もうわずかに早く到着出来れば死なせずに済んだと思うと悔み切れぬ」
「勿体ないお言葉でございますが、戦での事、と思っておりまする。嘆くのは戦に勝った後での事にしたいとも」
「そうか。では今はもう言うまい。まずは唐崎周辺の軍勢だ。勝とう」
「はい」
初戦の唐崎での戦いは凄惨な物になった。追い込まれた細川定禅の軍勢が園城寺に逃げ込み、小夜が次の指示を出す前に味方に付いていた比叡山の僧兵が寺に火を着けたのだった。
比叡山と園城寺が長年争っているのは知っていた。迂闊に敵を園城寺に追い込むべきではなかった、と小夜は後悔したが後の祭りだった。
武器も持っていない衆人が火にまかれて逃げ回り、仏像や仏具、経典を抱えて飛び出した者が外で待ち構えていた比叡山の僧兵に囲まれ切り刻まれる。そんな光景があちこちで起きたが、逃げ出して来た者を追い討つな、と命ずる以外に小夜が出来る事は無かった。
園城寺は足利方の旗幟を鮮明にしており、比叡山を強くとがめる訳にも行かない。京周辺の戦では比叡山の動きは戦局に大きく関わってくるし、どんな形であれ勝ちは勝ちだ。
「おかしなものですな。山門の衆人が御仏を焼くとは」
行朝がいつものようにのんびりとした口調で言った。本当は堪え難い物を感じているのだろう。行朝にはあらゆる事に関してどこか潔癖な所がある。
「乱世のせいだ。そう思おう」
小夜は短く答えた。あまり心を動かす訳には行かない。この次は京の中で戦う事になるのだ。
「京の外で敵を待ちますか?敵は兵糧に苦労しているようですが」
「そうしたい所だが長丁場は朝廷が待ちきれまい。上から戦の催促をされれば新田の軍勢との足並みが乱れるのは見えている。それに」
「それに?」
「いや、何でもない」
飢えた軍をあまり長い間都に置いておきたくない、と言いかけて小夜は言葉を飲み込んだ。ここまでの行軍中でどれほどの土地を荒らして来たと言うのだ。戦のために東海道の村々は荒らしてもいいのに京の都を荒らす事は許せない、と言うのでは今帝の周りにいる廷臣達と同じだった。
翌日になって新田軍が京に突入した。小夜は勇人を側に呼んだ。
「勇人、この先は奥州軍も全力で戦う。私の側にいる旗本や私自身も含めて出し惜しみしてる余裕はない。ここかさ先も付いてくるなら一人の兵として扱うしかないけど、いい?」
「構わないよ。好きに使ってくれていい」
「ならこの先は私の旗本に加わって」
戦場に居続ける事を本人が望む以上、これ以上の特別な扱いは出来なかった。旗本の五十人は小夜が戦場で命を落としそうになった時、代わりに五十回まで死ぬのも役割だ。
勇人が頷く。今の勇人なら、足手まといにはならないだろう。
そのまま、京の七口の一つ、粟田口から奥州軍も京に入れた。
敵も奥州軍に向けて進んで来た。新田義貞の相手を高の軍勢に任せ、こちらには足利尊氏自らが率いる軍勢が出て来たようだ。しかし京は大軍が陣形を組んで戦えるような土地ではない。
「和政、宗広、全軍を四つに分ける。和政、宗広、行朝らで指揮し、入れ替わりで敵とぶつかれ。半時で退却の鐘を打たせる事を八度繰り返す。つまり四時敵とぶつかり続ける。それで、どこまで押せるかやってみる」
「四つ、と言われると残り一つは?」
宗広が尋ねてきた。和政は何も言わない。
「私が指揮する」
「危険では?市内での戦いは乱戦になります。直接指揮なさるにしても和政は側に置かれた方が良い」
「大将が命を惜しんではこの戦には勝てぬ。旗本の五十騎がいる。それで死ぬのならそこまでだ」
それ以上は宗広も何も言わなかった。和政は最後まで無言のまま一礼し、兵をまとめに掛かる。
ぶつかり合いが始まった。陣形も何も無く、それぞれの兵が互いの力を振り絞って戦うだけの戦だ。和政は自ら前に出て馬上で太刀を振るい、足利軍を押し始める。しかし足利も大軍である。ある程度押した所で後続の圧力が増し、逆に押し返される。そこで鐘が打たれ、入れ替わるように宗広が前に出て、それを押し留めるが、やはりじわじわと押される。また、鐘。行朝が出た所で、押し返す敵が止まった。
「顕家様、お尋ねしてよろしいですか?」
横にいる勇人が硬い言葉で声を掛けてきた。
「申して見よ」
「このまま正面から敵を押しても両軍に犠牲が出るだけで、足利の軍勢を崩す事は難しいのではありませんか?」
「そうだな。さすがに尊氏自ら率いているだけあって正面の軍は良くまとまっていて腰が強い。押すだけでは崩れまい。だが、他で戦う軍にはそうでない軍もあろう」
「なるほど」
それだけで勇人は意味が分かったようだった。敵の総大将である足利尊氏の軍勢には全軍が注目している。例え大きく崩して敗走させる事は出来なくても、正面からぶつかって押し込み、劣勢だと言う事になればそれだけで浮足立つ者は出て来る。
「行くぞ。和政が一度押し、宗広と行朝で押し返してくる敵を止めた。次は我らで最初和政が押した所までまた敵を押し戻す」
「はい」
鐘を打たせて、駆けた。勇人はぴたりと付いてくる。前に出て軍配を振り、声を張り上げた。
やはり直接ぶつかり合えば、敵の力の程は分かる。尊氏の用兵に隙は無く、その兵は強いが、ここで本気で勝とうとはしていない。京の中での戦いは不毛だと思っているのだろう。
敵が勝負どころだと思っていないからと言って、こちらに取ってもそうであるとは限らない。戦では押せる時は押す事だ、と小夜は思っていた。
そのまま小夜が半時ぶつかり合い、かなり足利軍を押し込んだ。勇人は他の旗本達に混ざって特に目立つ事無く戦っている。これが初陣になるが、今の所冷静さを保っているようだった。
和政と変わり、同じ事をまた繰り返す。二度目は、押し返そうとする足利軍の勢いはかなり弱まっているように思えた。兵糧不足が響いているのか。
夕刻近くになり、敵に動揺が走った。三条河原で押し合っていた新田義貞が敵を敗走させた、と言う伝令が届く。正面の足利軍もさらにじりじりと後退し始めた。他の戦線ではあちこちで足利方が敗走しているようだが、さすがに尊氏が率いる主力はまとまりながら後退していく。
「追い討ちますか?」
戻って来た和政が訊ねてきた。顔の半分が返り血で真っ赤になっている。
「いや、今日の所はここまでの勝ちで良い。足利全軍の布陣が分からぬ内は夜の追撃は危険だ。それにさすがにそろそろ兵も限界であろう」
「はっ」
「それより今の内に顔ぐらいは洗ってこい、和政。子どもが見れば泣くような顔になっているぞ」
小夜がそう言うと、和政は返り血とは別の朱に顔を染め、慌てて陣の奥へ入って行った。
「良くぞ参った、陸奥守。奥州より遠征、ご苦労である。また、道中で多くの兵が命を落としたと聞く。陸奥出羽五十四郡の軍兵の忠節も、まこと天晴れである。しかし戦はまだ半ばでもある。早速に新田、楠木、名和らと計り、逆賊尊氏を京より追い払うように」
帝の労いの言葉に小夜は黙って頭を下げた。帝はいつもと変わらず超然としていたが、周囲の廷臣達は、ただ奥州軍の来着に喜びの声を上げるだけである。
帝がわずかとは言え道中で死んだ兵達の事を口にした事と、六の宮が自分から奥州軍の労苦を帝に報告した事が小夜にとっては救いだった。輿に乗っていたとはいえまだ子どもに六の宮に取っては辛い行軍だったはずだが、それでも自分より周りの人間の方がずっと辛いのだと言う事を、最後まで見失わなかったようだ。
行軍で着いて来れず死んだ兵は恐らく千人を超えていた。途中の足利との小競り合いで死んだ兵よりもずっと多い。
小夜も帝も、大塔宮の事は、まるで無かった事かのように振る舞っていた。
「六の宮の事は頼むね、お父さん」
「任せておけ。またしばらくの間朝廷で過ごさねばならんと思うとうんざりするがな。何やら宮中もきな臭さは増しているようだが廷臣共は変わらんな」
親房も帝の周囲で以前とは違う動きがあるのには気付いているようだった。本人は嫌っているが、宮中内部での策謀に関しては親房は驚くほど敏感だ。
親房と六の宮を行在所に残し、顕家は軍議の場に向かった。楠木正成や新田義貞を始めとした諸将がいる。供をするのは和政一人だ。
「良くぞ来てくださった、陸奥守殿。まさか奥州よりこれほどまでに早く到着されるとは。今しばらくそれがしが踏み止まっていれば尊氏を挟撃出来たかと思うと慚愧に堪えませぬ」
新田義貞はいきなり頭を下げてきた。相変わらず素直な人物である。その素直さはこの男を大きくも見せるし、小さくも見せる。
そこを使い分ける、と言う事がまるで出来ていないのが、この男の弱点でもあった。周りにそれを補えるような人間もいない。
自分の方が官職は上だが、明確に総大将として新田義貞の上に立っている訳ではない。大きな所は合議で決めるしかなく、それを考えれば今はこの素直さはありがたかった。
敵は足利尊氏一人が総大将としてしっかりと立っている。それだけでも大きな不利ではあるのだ。
「済んだ事であろう、義貞。今は次の戦だ。我が軍はただちに唐崎に軍を進めて京より外に出ている足利軍を打ち払いたいと思う。京の軍勢を包囲出来る態勢を作りたい」
「何と。陸奥守殿の軍勢は疲れ切っているのではございませんか」
「ここで休ませれば数日の間は兵は動けまい。それよりは強行軍の勢いが残っている内に出来る限り敵を叩いておきたい。そうすれば味方も勢いづくであろう」
無茶を言っている、と自分でも思っていた。こんな事を言ったのは今の状態では他の味方があてになりそうにない、と思ったからだった。楠木勢以外は一度逃げ散った味方をもう一度まとめ直し、敗戦から立ち直るまでにまだしばらくの時間が掛かるだろう。奥州軍が休息を取っている内に足利の攻撃を受ければまた総崩れになりかねなかった。
それを避けるにはとにかく奥州軍だけでも敵を攻め立てて勝ちを上げ、味方を勢い付けるしかない。
奥州から掛けてきた軍勢は獣だった。ただ、飼いならされている獣である。道中は容赦のない摘発を繰り返しながら、それでも小夜と諸将が説く勤王の志を信じてぎりぎりの所で統率を保ちながらここまで駆けてきた。帝のいるここで戦らしい戦をすれば、獣の力を持ったまま人に戻せもするだろう。
「なるほど。さすがは陸奥守様。お見事な兵略でございます」
どこまで意味を深く考えたのかは分からないが、義貞は納得したように頷いた。
それで軍議の大きな所は終わった。小夜は軍議の間中、正成に気を配っていたが、正成は型通りの挨拶をした後は、他の諸将と同じように今の自軍の状況を説明し、最後に別動隊が山陽道からの足利の兵站を妨げている、と短く付け足しただけだった。やはり今動けるのは楠木勢だけらしい。
拝謁と軍議の間に、軍勢は琵琶湖を渡り始めていた。唐崎に作らせた本陣で、宗広、行朝を始めとする諸将達と合流した。
「大将のいなくなった親光の軍勢の残りは、それがしの軍勢にそのまま組み込んでもよろしいでしょうか?すでに向こうから合流し始めておりますので」
宗広がそう訊ねてきた。表情はいつも通りの穏やかな物だ。
「頼みたい。主だったものは結城の郎党であるし、それが一番いいだろう」
「ありがとうございます」
「親光は惜しい事をした。もうわずかに早く到着出来れば死なせずに済んだと思うと悔み切れぬ」
「勿体ないお言葉でございますが、戦での事、と思っておりまする。嘆くのは戦に勝った後での事にしたいとも」
「そうか。では今はもう言うまい。まずは唐崎周辺の軍勢だ。勝とう」
「はい」
初戦の唐崎での戦いは凄惨な物になった。追い込まれた細川定禅の軍勢が園城寺に逃げ込み、小夜が次の指示を出す前に味方に付いていた比叡山の僧兵が寺に火を着けたのだった。
比叡山と園城寺が長年争っているのは知っていた。迂闊に敵を園城寺に追い込むべきではなかった、と小夜は後悔したが後の祭りだった。
武器も持っていない衆人が火にまかれて逃げ回り、仏像や仏具、経典を抱えて飛び出した者が外で待ち構えていた比叡山の僧兵に囲まれ切り刻まれる。そんな光景があちこちで起きたが、逃げ出して来た者を追い討つな、と命ずる以外に小夜が出来る事は無かった。
園城寺は足利方の旗幟を鮮明にしており、比叡山を強くとがめる訳にも行かない。京周辺の戦では比叡山の動きは戦局に大きく関わってくるし、どんな形であれ勝ちは勝ちだ。
「おかしなものですな。山門の衆人が御仏を焼くとは」
行朝がいつものようにのんびりとした口調で言った。本当は堪え難い物を感じているのだろう。行朝にはあらゆる事に関してどこか潔癖な所がある。
「乱世のせいだ。そう思おう」
小夜は短く答えた。あまり心を動かす訳には行かない。この次は京の中で戦う事になるのだ。
「京の外で敵を待ちますか?敵は兵糧に苦労しているようですが」
「そうしたい所だが長丁場は朝廷が待ちきれまい。上から戦の催促をされれば新田の軍勢との足並みが乱れるのは見えている。それに」
「それに?」
「いや、何でもない」
飢えた軍をあまり長い間都に置いておきたくない、と言いかけて小夜は言葉を飲み込んだ。ここまでの行軍中でどれほどの土地を荒らして来たと言うのだ。戦のために東海道の村々は荒らしてもいいのに京の都を荒らす事は許せない、と言うのでは今帝の周りにいる廷臣達と同じだった。
翌日になって新田軍が京に突入した。小夜は勇人を側に呼んだ。
「勇人、この先は奥州軍も全力で戦う。私の側にいる旗本や私自身も含めて出し惜しみしてる余裕はない。ここかさ先も付いてくるなら一人の兵として扱うしかないけど、いい?」
「構わないよ。好きに使ってくれていい」
「ならこの先は私の旗本に加わって」
戦場に居続ける事を本人が望む以上、これ以上の特別な扱いは出来なかった。旗本の五十人は小夜が戦場で命を落としそうになった時、代わりに五十回まで死ぬのも役割だ。
勇人が頷く。今の勇人なら、足手まといにはならないだろう。
そのまま、京の七口の一つ、粟田口から奥州軍も京に入れた。
敵も奥州軍に向けて進んで来た。新田義貞の相手を高の軍勢に任せ、こちらには足利尊氏自らが率いる軍勢が出て来たようだ。しかし京は大軍が陣形を組んで戦えるような土地ではない。
「和政、宗広、全軍を四つに分ける。和政、宗広、行朝らで指揮し、入れ替わりで敵とぶつかれ。半時で退却の鐘を打たせる事を八度繰り返す。つまり四時敵とぶつかり続ける。それで、どこまで押せるかやってみる」
「四つ、と言われると残り一つは?」
宗広が尋ねてきた。和政は何も言わない。
「私が指揮する」
「危険では?市内での戦いは乱戦になります。直接指揮なさるにしても和政は側に置かれた方が良い」
「大将が命を惜しんではこの戦には勝てぬ。旗本の五十騎がいる。それで死ぬのならそこまでだ」
それ以上は宗広も何も言わなかった。和政は最後まで無言のまま一礼し、兵をまとめに掛かる。
ぶつかり合いが始まった。陣形も何も無く、それぞれの兵が互いの力を振り絞って戦うだけの戦だ。和政は自ら前に出て馬上で太刀を振るい、足利軍を押し始める。しかし足利も大軍である。ある程度押した所で後続の圧力が増し、逆に押し返される。そこで鐘が打たれ、入れ替わるように宗広が前に出て、それを押し留めるが、やはりじわじわと押される。また、鐘。行朝が出た所で、押し返す敵が止まった。
「顕家様、お尋ねしてよろしいですか?」
横にいる勇人が硬い言葉で声を掛けてきた。
「申して見よ」
「このまま正面から敵を押しても両軍に犠牲が出るだけで、足利の軍勢を崩す事は難しいのではありませんか?」
「そうだな。さすがに尊氏自ら率いているだけあって正面の軍は良くまとまっていて腰が強い。押すだけでは崩れまい。だが、他で戦う軍にはそうでない軍もあろう」
「なるほど」
それだけで勇人は意味が分かったようだった。敵の総大将である足利尊氏の軍勢には全軍が注目している。例え大きく崩して敗走させる事は出来なくても、正面からぶつかって押し込み、劣勢だと言う事になればそれだけで浮足立つ者は出て来る。
「行くぞ。和政が一度押し、宗広と行朝で押し返してくる敵を止めた。次は我らで最初和政が押した所までまた敵を押し戻す」
「はい」
鐘を打たせて、駆けた。勇人はぴたりと付いてくる。前に出て軍配を振り、声を張り上げた。
やはり直接ぶつかり合えば、敵の力の程は分かる。尊氏の用兵に隙は無く、その兵は強いが、ここで本気で勝とうとはしていない。京の中での戦いは不毛だと思っているのだろう。
敵が勝負どころだと思っていないからと言って、こちらに取ってもそうであるとは限らない。戦では押せる時は押す事だ、と小夜は思っていた。
そのまま小夜が半時ぶつかり合い、かなり足利軍を押し込んだ。勇人は他の旗本達に混ざって特に目立つ事無く戦っている。これが初陣になるが、今の所冷静さを保っているようだった。
和政と変わり、同じ事をまた繰り返す。二度目は、押し返そうとする足利軍の勢いはかなり弱まっているように思えた。兵糧不足が響いているのか。
夕刻近くになり、敵に動揺が走った。三条河原で押し合っていた新田義貞が敵を敗走させた、と言う伝令が届く。正面の足利軍もさらにじりじりと後退し始めた。他の戦線ではあちこちで足利方が敗走しているようだが、さすがに尊氏が率いる主力はまとまりながら後退していく。
「追い討ちますか?」
戻って来た和政が訊ねてきた。顔の半分が返り血で真っ赤になっている。
「いや、今日の所はここまでの勝ちで良い。足利全軍の布陣が分からぬ内は夜の追撃は危険だ。それにさすがにそろそろ兵も限界であろう」
「はっ」
「それより今の内に顔ぐらいは洗ってこい、和政。子どもが見れば泣くような顔になっているぞ」
小夜がそう言うと、和政は返り血とは別の朱に顔を染め、慌てて陣の奥へ入って行った。
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