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7-5 斯波家長

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 夏の半ばに、家長は鎌倉に戻っていた。
 予想した通り、陸奥は陸奥守の帰還によって徐々に、しかし着実に収まりつつある。今小さな叛乱を起こしてもこちらが消耗するだけなのが分かっていたので、家長も積極的に叛乱を起こさせる事はしていない。
 陸奥守と戦うために何が足りていないかを一つ一つ考え出せばきりが無かった。
 人が足りていない。その不足は、突き詰めていけば結局それに尽きた。
 大将として立つ自分に器量が不足しており、そのせいで集まって来る武士達も、その武士達から引き出せる力も不十分な物となっている。
 全体として見ればこちらに靡いてくる武士の数は以前と比べて最早圧倒的な物になっているのに、それでも優勢とは言い切れない理由は、それだった。
 足利に付く事を決めた武士達にはそれぞれ様々な思惑がある。保身を考えている者もいれば、恩賞が目当ての者もおり、ただ流されただけの者もいる。
 ただそれらの武士達も本当は内面のどこかに命を捨てて戦う覚悟を隠していて、それを引き出すのが武士の大将の器だと言えた。
 佐竹も相馬も力は十分あるはずなのに戦でそれを生かせないのは、武士達の能力や忠誠の問題と言うよりも、率いる自分にそれをするだけの価値がある、と未だに本当は納得させられていないからだった。
 京で足利が優勢になったのに合わせて、足利の一族である上杉憲顕のりあきや、家長の従弟である兼頼よりかねなどが補佐のためにやってきたが、どちらもまだ若く、今は家柄だけを期待されている節があった。
 上杉憲顕に関しては、関東における斯波家と上杉家の主導権争い、と言う側面もあるのかも知れなかった。若いと言っても家長より十歳程は上であり、本人にも機を見ては家長を出し抜こうとしている節があったが、家長は気にしてはいなかった。露骨に足を引っ張るような真似をしてこなければそれでいい。
 気に掛かるのは、もっと別の事だった。
 京にいる父の高経からはしばしば手紙が届いていたが、内容は楽観的な物ばかりで、家長に対しても京でのこちらの勝利が決定的になるまでは無理をしないように、と繰り返し伝えて来ていた。新田義貞さえ討ち取ればそれで全てが片付く、と思っているようだ。
 尊氏が光厳上皇から院宣を賜った事も、単純にそれでこちらが賊軍でなくなった、と考えているだけで、その先を深くは考えてはいないようだった。
 朝廷を二つに増やした。それでこの戦乱を終わらせる事は逆に難しくなった。そこまで見えている者が、足利の中に何人いるのか。

「陸奥守には、今のこの情勢はどう見えているだろうかな」

「あちらはあちらで、悩んでらっしゃるでしょうね」

 ほとんど独り言のように発した声に、白銀が答えた。最近は白銀は以前と比べても家長の側にいる時間が長くなっていた。

「では白銀にはどう見える?この情勢は」

「皆様自分が本当にやるべき事を見失ってらっしゃる。そう見えますね」

 こう言った話を振った時の白銀の返答はいつも簡潔だった。

「その中でやるべき事を見失っていない者達がいるようにも見える。今はそれが不気味だな。その者達のせいで、他の皆がやるべき事を見失っているのかもしれん」

「北条時行殿の元で暗躍している者達の事ですね」

「それもその一つだ」

 北条時行の元に、京からやって来たらしい得体の知れない者達が入り込んでいる、と言う情報は少し前に白銀が掴んで来ていた。
 足利に対抗する勢力として朝廷が再び北条を取り込む、と言うのであれば信義の問題は別として方策の一つとしては間違ってはいなかった。
 しかし、単に北条時行に勅免を与え、陸奥守の傘下として取り込むだけの動きでは無い物を家長はそれに感じていた。まだ幼い子どもである時行を傀儡として担ぎ、自分達は表に出る事無くそこに集まって来る武士達を自由に扱える兵としよう、としているようにすら思える。
そしてその酷く謀略に傾いた動きは、自分が今まで戦って来た中で感じた陸奥守の在り様とは異質の物だ。
 はっきりとその正体は掴み切れなくても、家長は自分と陸奥守、南部師行との戦いに水を差されたかのような気分になっていた。

「自分がやるべき事を終始見失わず、それどころか他の者が何をすべきかもすら明確に見え続けていたのに、それでも何故か死んでいった者もいたな」

「楠木正成殿の事ですか」

 これも繰り言のような呟きだったが、白銀はやはり答えた。

「紀伊の山中で白銀と共に正成殿に出会ったのが、昨日の事に様に思い出せる。あの頃の私にとって楠木正成と言う武士は底知れない相手で必死にその人物を図ろうとしていたが、結局最後まであの御仁の事は分からなかったな」

 湊川での楠木正成の戦いぶりとその死は、遠く離れた鎌倉でも広く人の口に上っていた。半分ほどの者達が最後まで帝に忠誠を尽くした事を敵ながら見事と讃えており、残りの者達は所詮無駄死にだとその死を嘲っていた。
 家長は口に出してその戦いについて何か言う事はしていなかった。ただ自分の肚の中でその死の意味について考えただけだ。今もそれについて考える事は時折している。

「後悔してらっしゃいますか?」

「何をだ?」

「楠木正成殿を足利の敵として死なせてしまった事を。それと陸奥守様や南部師行殿と戦う事になってしまった事を」

「互いが死力を尽くして戦い、生き残った側が新しいこの国を形作る。そう言った戦いであるなら私は迷いは無いよ。しかし今はその死力を尽くした戦いが何者かに利用されている気がするな」

 持って生まれた立場と背負って生きている物、そして思い描いている理想の国の形が違う。いくら陸奥守や南部師行が一廉の人物であると言っても、それはどうしようもない事だった。
 だから戦う理由で悩む必要は無く、どう戦うかだけを考えていればいい。そのはずだった。

「次に本格的な戦になるとすれば、陸奥守様が再上洛される折ですね」

「こちらから陸奥に攻め入るのは、さすがに無謀としか言いようが無いからな」

「もし陸奥守様がずっと再上洛をせず、陸奥だけを守る道を選ばれたら、その時は陸奥守様は家長様の敵ですか?」

「その話はするな、白銀」

「しかし、当然想定すべき可能性だとは思います」

「それでも今考えるべき事では無い」

 こちらから陸奥に攻め込む事が出来ないのであれば、いっそ白河以北の地を陸奥守に任せ、足利は残る日本の地を治める。自分と陸奥守の間でその取り決めを作ってしまうのが今一番この国に取っていいのではないか。
 次第に収まって行く関東と陸奥を交互に見る内に自分の中に浮かんだその考えをそれ以上考え続ける事を、家長はほとんどそれが浮かんだと同時に禁じていた。
 今戦に苦しむ民達の事を考えれば、恐らく一番正しい考えだ。しかしこの先百年二百年のこの国の事を考えれば、自分はここで天下を一つにまとめる事を諦める事は許されない。
 武家の棟梁は、何よりもまずこの国を一つにするために戦うべきものなのだ。
 白銀にとっては、それで家長が戦をする事が避けられるのであれば、最も望ましい展開なのだろう。それも分かっていたので、尚の事家長はこの事に付いて考える事を自分に禁じていた。
 何かを言いかけた白銀が口を閉じ、代わりに短刀を抜くと不意に家長の前に出た。
 何だ。そう言いかけて家長も口を閉じた。障子越しに誰かが身を低くしている姿が映っていた。
 殺気は無い。しかし目の前に来て姿を晒すまで、家長どころか白銀まで全く存在に気付けなかったのだ。

「何者だ」

 誰何した。音もなく障子戸が開く。そこでまた家長は息を呑んだ。障子越しには一つしか無かった姿と気配が、二つになっていた。
 同じような姿で、同じような顔の二人の男が身をかがめている。

「お初にお目に掛かります。それがしは赤」

「青と申します」

 二人がそれぞれ名乗った。赤と名乗った方は流暢な口調で、青と名乗った方はくぐもった聞き取り辛い声で喋っている。

「共に足利直義様にお仕えする忍びでございます。他に配下の者が十名ほどおりますが」

 そのまま赤の方が喋り出した。青の方は口を閉じている。

「直義殿の使われている忍びの中にお前達のような者がいるとは聞いていないが」

「我らは暗殺を生業としている忍びでございます故。最も今は別の仕事を行わせて頂いておりますが」

 直義が陸奥守の暗殺だけを狙って特別に腕の立つ忍びを動かしている気配がある、と言う話は以前に白銀から聞いた事があった。ただ白銀も迂闊にそれ以上は調べられなかった相手だ。
 どちらも相当に強い。それは分かった。白銀も一切警戒を解いていない。

「ではその者達が何故今私の前に現れた?」

「家長様との間で裏での連絡を密にせよ、との直義様のご命令でございます」

「裏での連絡とはどう言う事だ。何か味方の眼すらはばからなくてはならぬ事情でもあるのか」

 赤はそれには答えず、代わりに青の方が家長に書状を差し出してきた。
 かなりの厚みを感じる書状である。

「これは?」

「直義様からの書状でございます。どうか後の事はこれをお読み下さり、家長様ご自身で判断して頂きたく存じます」

 家長が書状を受け取ると、二人は頭を下げて姿を消した。
 鎌倉のこの屋敷は相応に警護が置かれている。それをやすやすと掻い潜りここまでやってきた、と思うと背筋が寒くなる物があった。
 口調や表情にも、慇懃だが不気味で不快さを感じさせる物が強く混じっている人間達だった。しかし目の光には、どこかにそれだけで無い物が宿ってもいた。
 二人の気配が消えてしばらくしてから、白銀が緊張を解いた。

「直義殿も意地の悪い事をしてくれる。いきなりあんな者達を送り込む事も無いだろうに。何かそうしなくてはいけないだけの理由があった、と言う事だろうが」

 空気を変えるように家長は呟き、白銀にも見えるように書状を開いた。
 半刻ほどの時間を掛け、書状を読み終えた。
 その間、家長も白銀も一言も発しなかった。
 中には、直義が湊川の戦いが終わった後で、正成から語られた話に、直義自身が調べ上げたと言う内容が加えて綴られていた。
 書状の最後は、尊氏も師直も通さず、家長だけにそれを伝える意味を良く考えて欲しい、と言う言葉で締められている。
 間違いなく直義自身の字であり、直義の花押も押されていた。
 書状を読み終えると、白銀は何も言わないまま部屋を一度出て行った。
 家長も何も言わないまま、まず火を起こすと書状を焼き捨てた。
 にわかには信じがたい内容ではあったが、その思い以外に否定する材料はなかった。そして、今まで自分が感じていた天下の情勢に対する違和感が説明出来る答えでもあった。
 書状が焼け切り、火も消えた辺りで、白銀が湯を携えて戻って来た。

「これで、戦のやり方だけを考えている訳には行かなくなった」

 白銀が差し出した湯を一杯飲み、そう呟いた。湯を飲んでから、声も出せない程に喉が渇き切っていたのだと気付いた。
 白銀は、今度は何も答えなかった。
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