婚約者は俺にだけ冷たい

円みやび

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昔、よく見た笑顔で手を振っている奏多に夢と現実のどちらなのか分からなくなる。
「かな、た?」
優一が動かないのを見兼ねて奏多は駆け寄ってきた。

「ゆうちゃん!どこ行ってたの?俺結構待ったよ」
何が起こっているのだろう。
目の前にいるのは本当に奏多なのか?

未だ夢の中にいるようにボッーとする優一の頬を奏多が両手で挟んだ。
「どうしたの?」
「奏多か?」
こうしているのが信じられない。
「そうだよ」
静かな声。
低くなった静かな声は優一の知っている最近の奏多だ。

なんで普通に話しかけてくるんだ?
優一のことが嫌いではないのか。
どうしてここにいるのか。

色々な複雑な思いが駆け巡る中、口から出てきたのは奏多を心配する思いだった。

「大丈夫なのか!」
奏多は想定していた言葉と違ったのかキョトンとした後、ニッコリ笑った。
「全然、平気。だって俺がやったんだもん」
「俺がやったって…」
何を奏多がやったんだ?と今度は優一が首を傾げる番だ。

「全部俺がやった。ニュースが流れた時の親父顔!優一にも見せたかったよ」
コロコロと変わる奏多の雰囲気にどっちが本当の奏多なのか分からなくなる。

「どうして…」
どうしてそんなことしたのだろう。
優一が見ていて仲のいい親子とは言えないもののそんなに仲が悪いようにも見えなかった。

優一の疑問の声は奏多に届いていたはずだがニコニコと笑っているだけで答えようとはしない。
気になるが幼い頃から変わっていなければ奏多に何を聞いても答えないだろう。

「それでゆうちゃんはどこ行ってたの?」
「引っ越ししてくる人がいるとかで掃除しに行ってたんだ」
「ああ、俺が住むとこか」
奏多が住む?そんな冗談、面白くないと奏多を見上げた。

「嘘をつくな。どうしてお前がこんな田舎に住むんだ。大学があるだろ」
「嘘じゃないよ!大学は行ってない」
「何、言ってるんだお前…」

何故、自分はここ数年のことなどなかったかのように普通に奏多と会話をしているのだろう。
奏多と自分はもうなんの関係でもない。

「家の中で話そう」
奏多がそう言って振り返った後ろ姿があの日見た教室の中と重なった。

今は奏多一人なのに奏多の隣には和泉が見える。
二人は手を繋いでいて、そして首に手を回してキスを…目の前がチカチカしてあの人同じように猛烈な吐き気が込み上がってくる。

口に手を当てしゃがみ込んだ。
違う。今いるのは学校じゃないしここには奏多しかいない。
それにもう自分には関係のないことだろ。
そう言い聞かせるが吐き気は治まってくれない。

ついてこない優一に気づいて振り返った奏多が慌てて駆け寄ってきた。
「ゆうちゃん!どうしたの!!」
「吐きそう」
「吐きそうなの?」
奏多が優一の背中をさすろうとして伸びてきた手を音が鳴るほど強く振り払った。

「触るなっ!その手で….」
和泉を…多くのΩを…触ったであろうその手で同じように触れられたくない。

奏多は振り払われた手を呆然と眺めてやりきれないように目を瞑った。
「ふっー、わかった。触らない。一人で立てる?」
「少し一人になりたい」
奏多にどこかへ行ってほしい。
そうすればこの吐き気も少しはマシになるだろう。
優一の気持ちが伝わったのか奏多は静かに離れてどこかに歩いて行った。

あの日のことは忘れていたつもりだったのに鮮明に思い出された。
奏多への気持ちは何重にも鍵をして胸の奥底に沈めたはずが一瞬にして開いてしまう。

奏多がどういうつもりで昔のように優一に話しかけてくるのか分からないがそんな奏多を昔のように慕いそうになっている自分に吐き気する。

優一から切り捨てたはずなのに。
いつまでも囚われている自分が大嫌いだ。
それでも奏多が元気そうでよかったと安心してしまう自分には気づかないフリをした。



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