冥合奇譚 ~月龍の章~

月島 成生

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第一章

第五話 前兆

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「まったく、仕方のない男だ」

 両手を腰にあて、ため息と共に背中を見送る。
 蓮が、亮の裾を引いた。

「あの方は、私のことがお嫌いなのかしら」

 何故そうなる。
 問い返しそうになり、すぐに理解した。
 蓮が来るのを心待ちにしていながら、いざ来るとさっさと帰ってしまう。会っている短い間も、緊張のせいか、渋面を崩しもしないので、怒っているようだった。
 態度だけ見れば、そう思われても無理はない。

「まさか。月龍はお前に、相当惚れ込んでいるぞ」
「え?」

 蓮の瞳に、驚きが浮かぶ。
 先ほどそう言ったはずなのだが、亮の冗談とでも思って、本気にしていなかったのか。
 唖然とした眼差しを何故か見ていられなくて、目をそらす。

「ほら。お前達が初めて会ったという花畑。あのときに一目惚れしたのだそうだ。まぁ、心の弱いところはあるが、あれはいい男だぞ。あの通り男前だしな。見惚れたというからには、お前も満更ではないのではないか?」
「――それは」
「将来も有望だぞ。出世は約束された身だ。今はまだ分不相応かもしれんが、いずれお前の相手としても不足ない地位になろう。あれだけ惚れ込んでもいるし、お前のことを大切にしてくれるだろうしな」

 何事か言いかけた蓮を遮ってまで、何故こうも一人で喋っているのか。
 蓮の前では割合口が軽くなるのは自覚していたが、一方的にまくし立てるのは初めてだった。
 何より、話していなければ落ち着かない心境こそが解せない。

「私をあの方に娶らせると? でも――」

 亮を見上げる瞳が揺れている。
 ゆっくりと紡がれた声がかすかに震えて聞こえたのは、気のせいだろうか。

「でも、私は亮さまに嫁ぐのではなかったのですか」
「もちろんだ。お前がそうしたいのなら、おれに異論はない」

 卑怯な言い方だ。自覚があるのに改めない分だけ、性質が悪い。

「だが、お前の相手としておれが最適かと訊かれれば、自信はない。おれの立場は――ほら、色々とあるからな。ならば、お前を慈しんでくれるであろう月龍に任せるのも、悪くはないと思った」

 そう、悪くはないと思った。
 けれど、積極的に結びつけようと思ったわけでもない。月龍を煽ってみたり、落ち込ませるような真似をしたり――亮の言動は支離滅裂だった。

「決めるのはお前だ。お前が、最も幸せになれる道を選べ。誰よりも大切なお前のためにおれができるのは、お前の決定を見守ることだ」

 心の底から、蓮の幸せを願っている。事実ではあっても、伝える必要はなかったはずだ。
 この言葉は、蓮を追い詰める。

 ――亮が被った、偽善者の面が。

「誰よりも、大切な――」

 蓮が、口の中で咀嚼するようにゆっくりと呟く。何処か熱っぽさを含んだ瞳が、亮を見上げていた。

「嬉しい」

 すん、と鼻をすする音と同時、蓮が腕の中に飛び込んでくる。反射的に抱きとめた。
 男にしては細い亮の腰に、蓮の腕が回る。

「亮さまが私のこと、それほどまで気にかけて下さっていたなんて。蓮は、果報者です」

 薄い胸板に頬を埋めた蓮が発したのは、涙声だった。
 亮は蓮の背に腕を回して、柔らかく抱きしめる。
 抱擁は珍しくない。兄妹のように仲よく育った二人には、日常的な触れ合いだった。

 なのに何故か、息詰まるような苦しさを感じる。
 何故、これほどまでに胸が騒ぐのだろう。

 蓮の髪から発せられる花の香りに、亮は深く瞼を閉じた。
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