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第一章
第四話 待ち人
しおりを挟む蓮の来訪を告げる衛士の声に立ち上がり、緊張の面持ちを見せる月龍を、不思議に思う。すでに何度も顔を合わせているのだから、蓮の気安さは知っているはずだ。
なのに、未だに全身を硬直させる意味がわからない。
亮はむしろ、蓮といると心が落ち着く。
月龍を固くさせる笑顔は、亮の気負いを払拭してくれる。安堵とか安らぎとかいう感情に、胸を満たされるのだけれど。
これが、恋情を抱いているか否かの違いなのだろうか。
「こんにちは亮さま。邵さまも」
入ってきた蓮は、相変わらず花のような笑みで会釈する。
頬を強張らせたまま返礼もできぬ月龍だが、それでも初めの頃に比べればまだよくなった方だ。以前は蓮の姿を目にした途端、両膝を折って足元に平伏していたのだから。
公主に対しては至極もっともな態度ではあるが、蓮自身、そのように振舞われるのを好まない。できればおやめ下さいと何度となく促され、ようやく膝を折ることはやめた。
けれど今度は、自然に振舞おうと努めるあまりか、常以上の無愛想になるのだから度し難い。
背を押してやるつもりで、蓮に話しかける。
「どうでもいいが、この男を邵と呼ぶのはやめてくれんか。せっかくこうして私室で会っているというのに、姓で呼ばれては公の場にいるようで落ち着かん」
邵とは養子先の姓であるから、自分のものではない気がする。月龍は常々そう言っていた。
ならば惚れた女には字で呼ばれた方が嬉しかろう。
「でも邵さまは地位のある方ですから。失礼ではありませんか?」
月龍は衛尉だった。年齢の割りには出世している。
もちろん亮の力添えもあるが、武芸に関しては、確かな実力者であるのも事実だった。
だが、公主相手に胸を張れる程の官位ではない。己の身分には頓着せずとも、相手を敬う礼節は守る――蓮らしい発言だった。
「いえ、私は構いません」
構わないのではなくそうして欲しいくせに、月龍の口調には愛想がない。
亮は、ハッと短く笑う。
「なに、惚れた女に親しく呼ばれて怒る男はいない。遠慮せずに、月龍と呼んでやれ」
「亮!」
「ああ、そういえばまた、花を持って来てくれたのだな」
気持ちをあっさり暴露されたためか、月龍が気色ばむ。
怒りをかわすために、話題を変えて立ち上がった。両手を広げて、ゆっくり蓮に歩み寄る。
「美しい花だ。お前が摘んでくれたのだと思うと、なおさら別格に思える」
亮は意図的に優しげな笑みを刻んだ。
蓮の腕にはいっぱいの花束も、亮ならば片手で足りる。花束を片腕で抱え込み、残った片手で肩を抱き寄せると、蓮の額に口づけた。
まったくなにをしているのか。嫉妬に歪む月龍の顔を横目に、自嘲する。
煽ってみたかと思えば、こうやって意地の悪いことをするなど、まるで子供だ。
煮え切らない月龍をたきつけるためにと考えたのは、嘘ではない。
けれど、うっとりと見上げてくる蓮の眼差しが心地よかったのも、否定できなかった。
優越感を瞳に乗せて、月龍に視線を流す。
悔しかったらお前もこれくらいやってみせろ。
挑発は、無粋な月龍では無理だとわかっているだけに、やはり意地が悪いのかもしれない。
「私はこれで失礼させていただきます」
眉をひそめたまま一礼すると、月龍は一直線に出口へと向かう。
さすがにやりすぎたか。
たきつけるためにやったことが逆効果になっては意味がない。蓮の肩を離すと、慌てて後を追った。
「怒るな。ただの挨拶だ。深い意味があることではない」
「わかっている。だが見てもいられない。今日は帰る」
蓮の目を気にした小声に、囁くような声が返ってくる。
洩れた嘆息に、亮もため息を落とした。
「悪かった。見せつけるつもりがなかったとは言わん。悪ふざけが過ぎた」
「しかし」
「もうお帰りに?」
何事か言いかけた月龍を、蓮が遮る。
二人でこそこそと話していれば気にもなるだろう。蓮はゆっくりと歩いて来たので、会話は聞かれずにすんだとは思うが、一瞬脈拍が上がった。
「亮さま、お花の半分を邵さま――月龍さまにお渡し頂けますか?」
わざわざ名を呼び替えたのは、先ほどのやり取りのせいだろう。初めて字を呼ばれたことに驚いたのか、月龍の眼が丸くなる。
亮は亮で、蓮の意図を知って驚いたのだけれど。
「そうか。いつもより花が多かったのは、月龍の分もあったからか」
「ええ、最近は月龍さまもいらっしゃることが多かったから」
独語めいた呟きに、蓮の笑顔が縦に揺れる。花束を二つに割いて、月龍の胸に押し付けた。
「よかったではないか」
「お前のついでだ」
蓮に聞こえぬように、小声で交わす。愛想のない返答ながらも、喜んでいるのは明らかだった。
亮のついででも思い出してくれたことが、嬉しかったのか。
弛んだ口元を隠すように、花束に顔を埋める。瞳がうるんでいるようにさえ見えた。
「どうでもいいが、よくよく花の似合わん男だな」
「うるさい」
「あら。私はお似合いになると思いますけど」
からかいの言葉を一蹴したのは月龍で、まともに受けて答えたのが蓮だった。小首を傾げる様が愛らしい。
「後宮の女官さんの間でも評判の、美丈夫ですもの。私も先日、鍛錬されているのをお見かけして、思わず見惚れてしまいました」
笑顔で語るのは本音だろう。相手を喜ばせるためにと、偽りを口にする蓮ではない。
月龍は、容姿に関してはそれなりの自信をもっていた。褒められるのも慣れているはずだが、ただ顔を硬直させているばかりだった。
他ならぬ蓮に褒められて嬉しいのだろう。
ならば笑みでも刻んで、ありがとうと応じればいいものを、眉間に皺を寄せて口を噤むだけとは。
険しい表情を不思議そうに見上げていた蓮が、あっと小さく声を上げる。
「もしかして、お花は嫌い? ご迷惑だったかしら」
渋面は嬉しさの裏返しなのだと気づけ、という方が無理である。訊ねるというよりは、申し訳なさそうな声だった。
「いや、そのようなことは。――蓮さま」
慌てた素振りで頭を振り、月龍は意を決したように呼びかける。
蓮が多少なりとも気にかけてくれていることを知り、誘いをかけてみる気にでもなったのか。
蓮はどのような反応をするだろう。
態度を見る限り、月龍に対して好意的なのは間違いない。ならば喜んで応じる可能性は、強かった。
――ちくりと、なにかが突き刺さるような痛みが胃の辺りを襲う。
「蓮さま、私は」
呼びかけられれば、振り返る。蓮は口ごもる月龍を、真っ直ぐに見上げた。
月龍が引きつった口元で、ゆっくりと告げる。
「私は、帰ります。失礼致しました」
一礼すると踵を返した。足早に立ち去ろうとした月龍の襟首を、慌ててつかまえる。
「何処へ行く。蓮を誘うのではなかったのか」
「駄目だ。目と目が合っただけで、鼓動が喧しく騒ぐ。二人きりでなど会えるか。心臓が過剰労働に耐えきれん」
「なにを阿呆なことを言っている。月龍、お前な」
「頼む、見逃してくれ」
早口で返ってきたのは、囁き声だった。
額を接した状態で見る、月龍のすがる目つきなど、気味が悪い。
身震いして手を離すと、月龍は一目散に出て行った。
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