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第二章
第三話 薬
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仕事を終え、いつものように亮の部屋を訪ねた月龍が見たのは、常ならぬ光景だった。
蓮の膝の上で眠る亮。その髪を、如何にも愛しげに撫でている蓮の顔は、何処までも優しかった。
二人の様子は、どう見ても仲睦まじい恋人にしか見えない。月龍は愕然として外に出た。
事情があるはずだ、とは思う。
月龍は蓮のことも、亮のことも信用していた。
――信じたいと、思っている。二人に限って、裏切るような真似はすまい。
月龍が思うような男女の睦み合いではないと、必死で自身に言い聞かせる。それでも、沸き上がる嫉妬は抑えることができなかった。
なにをしている、そう怒鳴り込むのが最も感情に素直な行動だろう。二人の言い分も聞かず、亮には手を上げるかもしれない。蓮に対しても声を荒らげるだろう。
二人を、詰るようなことはしたくなかった。
気遣ってではない。結果、亮と蓮に不信感を植え付け、嫌われるのを恐れただけだ。
一旦、引いた方がいい。
預けた刀を受け取り、不可解な表情の衛士に見送られて、月龍は逃げるようにその場を後にした。
馬を駆って、帰って来た邸の薄暗さと静けさに、ほっと息を吐く。
月龍の生活は、型破りなものだった。
衛尉の位を預かる者としては邸は小さく、体裁を整える意味でももっと大きな所へ居を移せと、亮にも言われている。
けれど一人で暮らすのに広さはいらぬ、かえって邪魔だと断り続けているのだ。
そもそも、一人で住んでいること自体がおかしな話だった。
月龍の地位ならば、家僕の七、八人は使っていないとおかしいのだが、人を寄せつけるのを嫌って、こちらも拒んでいる。
軍関係者や高官達は、このような生活ぶりも非難した。月龍の評判がよくない理由の一つである。
否、偏見はなにも、生活ぶりばかりが理由ではない。始まりはやはり、出自のせいだ。
月龍の義理の祖父、邵丹朱は、宦官だった。
中書令の位にあった。宦官とはいえ、中書令ともなれば財産もある。
そうなると、後に残したいと思うのも道理だ。けれど宦官が、血を分けた子を設けるなどできるわけもない。
できることといえば、王に許可を得て養子をとるくらいだった。
月龍の養父は、邵丹朱の意を酌んで官僚となった。しかし体が丈夫ではないせいもあるのか、子宝に恵まれなかったという。
それで月龍がもらわれてきたのだ。
手配をしたのは、邵丹朱。
当時赤子だった月龍には当然、実家の記憶はない。邵丹朱も月龍の出自については、とある諸侯の第二子と告げただけで、諸侯の名は明かさなかった。
養父は邵丹朱の弟の子だと明言しているというのに。
だから周囲はおろか養父も、諸侯の子だなどとは信じていない。何処ぞで捨てられていたのを拾ったのだろうと、月龍自身も思っている。
邵丹朱は最初、月龍が宦官になることを望んだ。年の近い王子の遊び相手、側近として仕えさせるなら、宦官が一番近しいからだ。
けれど、幼い頃から頑強な体躯を持っていた月龍に武官としての素質を見出したのか、その道を諦めた。
それでも、月龍が最も亮に近いところにいることに変わりはない。自分の息子を、王子に取り入れさせようとしていた官僚達の当ては、完全に外れたことになる。
憂さ晴らしのつもりか、大の大人が幼い月龍を口汚く罵るのは珍しいことではなかった。
何処の馬の骨とも知れぬ餓鬼、そう吐き捨てられれば、事実であるだけに傷は深い。
憤慨したのは亮だった。
出自が知れぬのは本人のせいではない、落ち度のないお前が何故罵倒されなければならぬと、涙まで流して怒ってくれた。
お前もお前だ、何故謂れのない罵倒を黙って受けると、矛先を変えて怒鳴られもしたが、月龍を思う余りの言動に腹など立つはずもない。
人目に晒され続け、分別を弁えざるを得なかった亮が、我を忘れて怒り狂ったのは自身のことではなく、月龍のことだった。
当時の月龍にとって、亮がくれた優しさがどれほど嬉しかったことか。
亮に近付いたせいで、より風当たりは強くなった。けれど出会わなければ、月龍の心は、今よりもなお荒みきっていただろう。
権力欲に溺れた祖父と、その言いなりの愚かな養父。そんな彼らに養われなければならない、出自もわからぬ脆弱な自分――
世を嫌い、よくて出奔、悪ければ自らの死を望んでいたかもしれない。
亮はただの友人ではなかった。恩人ですらある。
月龍が気を許せるのは、未だ亮だけだ。故に、他者を遠ざける。
邸に人を置けば、その目を気にして寛ぐことさえできないのだから。
安らげるのは暗く静まり返った邸の中、そして亮の部屋だけだった。
――そう。亮の部屋は安らげる空間だったはずなのに。
蓮の膝に頭を預けた、亮の姿が頭に浮かぶ。激しく頭を振って、棚から小さな包みを取り出した。
時折、服用している薬だ。どのような調合がされているのかは、知らない。
飲むと軽度の酩酊感があり、睡魔に襲われる。眠れぬ夜に、疲れを癒してくれるものだった。
包みを開いて中身を口に含むと、酒で一気に流し込む。牀に腰掛けていたが、それも億劫になり、仰向けに倒れた。
目の焦点が合わない。宙で彷徨わせる視線はやがて、眩暈に支配される。
回る世界の中で瞼を閉じると、穏やかな幸福感が身を包んだ。
逃避に過ぎないことはわかっている。本当は、蓮や亮と話し合うべきだ。
今からでも戻って問いただそう――そう思うのも、事実だった。
けれど、目を閉じて浸るまどろみから抜け出すのも辛い。
行くべきか。
それともこのまま、安逸に逃れてしまおうか――
月龍の心は、揺れていた。
蓮の膝の上で眠る亮。その髪を、如何にも愛しげに撫でている蓮の顔は、何処までも優しかった。
二人の様子は、どう見ても仲睦まじい恋人にしか見えない。月龍は愕然として外に出た。
事情があるはずだ、とは思う。
月龍は蓮のことも、亮のことも信用していた。
――信じたいと、思っている。二人に限って、裏切るような真似はすまい。
月龍が思うような男女の睦み合いではないと、必死で自身に言い聞かせる。それでも、沸き上がる嫉妬は抑えることができなかった。
なにをしている、そう怒鳴り込むのが最も感情に素直な行動だろう。二人の言い分も聞かず、亮には手を上げるかもしれない。蓮に対しても声を荒らげるだろう。
二人を、詰るようなことはしたくなかった。
気遣ってではない。結果、亮と蓮に不信感を植え付け、嫌われるのを恐れただけだ。
一旦、引いた方がいい。
預けた刀を受け取り、不可解な表情の衛士に見送られて、月龍は逃げるようにその場を後にした。
馬を駆って、帰って来た邸の薄暗さと静けさに、ほっと息を吐く。
月龍の生活は、型破りなものだった。
衛尉の位を預かる者としては邸は小さく、体裁を整える意味でももっと大きな所へ居を移せと、亮にも言われている。
けれど一人で暮らすのに広さはいらぬ、かえって邪魔だと断り続けているのだ。
そもそも、一人で住んでいること自体がおかしな話だった。
月龍の地位ならば、家僕の七、八人は使っていないとおかしいのだが、人を寄せつけるのを嫌って、こちらも拒んでいる。
軍関係者や高官達は、このような生活ぶりも非難した。月龍の評判がよくない理由の一つである。
否、偏見はなにも、生活ぶりばかりが理由ではない。始まりはやはり、出自のせいだ。
月龍の義理の祖父、邵丹朱は、宦官だった。
中書令の位にあった。宦官とはいえ、中書令ともなれば財産もある。
そうなると、後に残したいと思うのも道理だ。けれど宦官が、血を分けた子を設けるなどできるわけもない。
できることといえば、王に許可を得て養子をとるくらいだった。
月龍の養父は、邵丹朱の意を酌んで官僚となった。しかし体が丈夫ではないせいもあるのか、子宝に恵まれなかったという。
それで月龍がもらわれてきたのだ。
手配をしたのは、邵丹朱。
当時赤子だった月龍には当然、実家の記憶はない。邵丹朱も月龍の出自については、とある諸侯の第二子と告げただけで、諸侯の名は明かさなかった。
養父は邵丹朱の弟の子だと明言しているというのに。
だから周囲はおろか養父も、諸侯の子だなどとは信じていない。何処ぞで捨てられていたのを拾ったのだろうと、月龍自身も思っている。
邵丹朱は最初、月龍が宦官になることを望んだ。年の近い王子の遊び相手、側近として仕えさせるなら、宦官が一番近しいからだ。
けれど、幼い頃から頑強な体躯を持っていた月龍に武官としての素質を見出したのか、その道を諦めた。
それでも、月龍が最も亮に近いところにいることに変わりはない。自分の息子を、王子に取り入れさせようとしていた官僚達の当ては、完全に外れたことになる。
憂さ晴らしのつもりか、大の大人が幼い月龍を口汚く罵るのは珍しいことではなかった。
何処の馬の骨とも知れぬ餓鬼、そう吐き捨てられれば、事実であるだけに傷は深い。
憤慨したのは亮だった。
出自が知れぬのは本人のせいではない、落ち度のないお前が何故罵倒されなければならぬと、涙まで流して怒ってくれた。
お前もお前だ、何故謂れのない罵倒を黙って受けると、矛先を変えて怒鳴られもしたが、月龍を思う余りの言動に腹など立つはずもない。
人目に晒され続け、分別を弁えざるを得なかった亮が、我を忘れて怒り狂ったのは自身のことではなく、月龍のことだった。
当時の月龍にとって、亮がくれた優しさがどれほど嬉しかったことか。
亮に近付いたせいで、より風当たりは強くなった。けれど出会わなければ、月龍の心は、今よりもなお荒みきっていただろう。
権力欲に溺れた祖父と、その言いなりの愚かな養父。そんな彼らに養われなければならない、出自もわからぬ脆弱な自分――
世を嫌い、よくて出奔、悪ければ自らの死を望んでいたかもしれない。
亮はただの友人ではなかった。恩人ですらある。
月龍が気を許せるのは、未だ亮だけだ。故に、他者を遠ざける。
邸に人を置けば、その目を気にして寛ぐことさえできないのだから。
安らげるのは暗く静まり返った邸の中、そして亮の部屋だけだった。
――そう。亮の部屋は安らげる空間だったはずなのに。
蓮の膝に頭を預けた、亮の姿が頭に浮かぶ。激しく頭を振って、棚から小さな包みを取り出した。
時折、服用している薬だ。どのような調合がされているのかは、知らない。
飲むと軽度の酩酊感があり、睡魔に襲われる。眠れぬ夜に、疲れを癒してくれるものだった。
包みを開いて中身を口に含むと、酒で一気に流し込む。牀に腰掛けていたが、それも億劫になり、仰向けに倒れた。
目の焦点が合わない。宙で彷徨わせる視線はやがて、眩暈に支配される。
回る世界の中で瞼を閉じると、穏やかな幸福感が身を包んだ。
逃避に過ぎないことはわかっている。本当は、蓮や亮と話し合うべきだ。
今からでも戻って問いただそう――そう思うのも、事実だった。
けれど、目を閉じて浸るまどろみから抜け出すのも辛い。
行くべきか。
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