冥合奇譚 ~月龍の章~

月島 成生

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第二章

第四話 思慕

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 眠る亮の髪を、そっと撫でる。
 感触は蓮のものと似ているはずなのに、亮の髪には何処か、神聖なものが感じられた。

 周囲からはよく、亮と蓮は似ていると言われる。髪質や瞳の色が同じだから、印象が似るのは理解できるが、どうしても蓮には、自分が亮ほどに美しいとは思えなかった。
 それほど蓮の目に、亮の美貌は際立って見えている。

 幼い頃から、言い聞かされたせいばかりではない。ずっと亮の妻になるのだと――なりたいと、思っていた。
 その亮に月龍とのことを勧められて、寂しくないはずはなかった。
 だが誰よりも大切だと言ってくれた亮の言葉に、嘘はない。
 蓮のことを考えた上で、亮が最も信頼しているであろう親友に任せたいと思ってくれた。それだけでも充分に嬉しかった。

 ただ、亮の独断で任された月龍にとっては迷惑だったと思う。
 蓮を慕ってくれていると亮から聞かされたことを告げると、案の定驚いた様子だった。頭の回転の早い月龍はすぐに亮の意図を組んで、蓮を受け入れてくれたけれど。

 やはり不本意だったのだろう。初めの頃、月龍はいつも不機嫌そうにしていた。
 苦虫を噛み潰したような顔に、不安が募る。
 それでも、あまり変わらぬ表情の下、ぶっきらぼうな物言いの中にも優しさが見えた。

 その優しさに蓮が惹かれていくのと、月龍の態度が少しずつ柔和になっていったのと、どちらが早かっただろうか。
 今では互いに、思慕の情を認識できていると思う。

 亮を慕う気持ちは消えていないけれど、兄に対する親愛の情へと自然に変化した。でなければ今、これほど穏やかな気持ちで、亮の寝顔を見守れるはずがない。
 浮いてきた不思議な感慨に、ふと笑みが洩れる。
 長年の想いすら払拭してしまった月龍の威力とは、一体なんなのだろう。瞼の裏に姿を思い描くだけで、胸の内が温かくなってくるような気がした。

 早く、会いたい。

 思って、ふと気がついた。
 いつもならとっくに、月龍が来ている時刻だった。なのに今日はまだ、来ていない。

 月龍とて要職にある身だから、毎日会えるわけではないのはわかっている。仕事の都合で遅れるなど、よくあることだ。
 だがそのようなときには、必ず従者を遣してくれる。この時間になっても連絡がないのは、初めてだった。
 亮が正装をするのは、王に会うときくらいだ。悩み事というのも、王にまつわることだろう。
 もしかしたら王朝や軍に関係のある話かもしれない。
 だとしたら月龍も今頃、遣いどころではなく対応に追われている可能性もあった。

 月龍も、亮のように悩んでいるかもしれない。

 かたんと音が聞こえたのは、その時だった。

「月龍」

 物音の方向へ目を向けると、ゆっくり入ってくる姿が見えた。ほっとして名を呼ぶ。
 呼びかけに、月龍は破顔しない。いつものことだ。
 ただ、今日は眉間のシワがより深い。怖いくらいの険しさに、心配が増す。

「今日は遅かったけれど、なにかありましたの?」
「――いや、少し」

 少ない言葉に、やはりと思う。曖昧にごまかすような返事は、なにかがあったことの裏返しなのだろう。月龍も亮と同じく、蓮には詳しい話をしないつもりかもしれない。
 心配をかけたくないと配慮してくれる気持ちは嬉しい。だが、月龍が見せる遠慮に、寂しさを覚えるのは事実だった。

 月龍の態度は、最初に比べれば随分と柔らかくなったが、丁寧な調子は崩れていない。
 蓮のことも、未だ公主と呼ぶ。王子たる亮を呼び捨てにし、ぞんざいな口のきき方もしているから、常に堅苦しい物言いをしているわけではないはずだ。
 亮の前にいるときが自然な姿だと言うなら、蓮にも同じように接してほしい。そうすればもっと、距離を縮められる気がするのだけれど。

 月龍の様子は、やはりいつもと違うように見受けられた。
 眉間に刻まれた皺だけではない。何処か落ち着きがないように見えた。
 無言で亮の寝顔を見下ろす――かと思えば目をそらし、蓮に視線を向けたかと思うと、すぐにそらす。
 どうかしたのだろうか。横顔を見上げて首を捻り、決まりの悪そうな様子にふと、亮の言葉を思い出す。
 くすりと笑みが洩れた。

「もしかして、嫉妬してます?」

 問いに、月龍の身が竦む。無言ながら、肯定の返事だった。
 落ち着きがなかったのは、亮と蓮の現状をどう理解したものか、また、どう言及しようかと迷っていたせいかもしれない。

 なるほど、狂いはしなかったけれど嫉妬はした、ということか。
 嬉しいと感じるのは、筋違いかもしれない。けれど悋気を見せるのは、月龍の関心が蓮に向いている証だった。
 そう思えば、誇らしい気がしてしまう。

「亮さま、ずっと悩んでらして。眠れないと仰るから、膝をお貸ししたのです。子供の頃、亮さまがよく、こうやって寝かしつけて下さったの。それを思い出して」
「恩返しのつもりで?」
「そう言ってしまうと、少し大仰過ぎる気がしますけど」

 笑み含みで言うと、月龍はそうかと嘆息した。安堵の色が見える。
 蓮はそっと、起こさないように亮の下から抜け出した。

「亮さまもよくお休みになっていらっしゃいますし、今日はこのまま帰りましょうか」

 臥牀がしょうの脇で脱いだくつを履きながら言う。
 遠慮は亮に対してだけではなく、月龍にも向けたものだ。なにか問題があって対応に追われているのならば、蓮のことばかりにかかわらせてしまうのも申し訳ない。

 立ち上がろうとした蓮の目の前に、すっと手が差し出された。
 え、と向けた視線の先にあった月龍の微笑に、さらに驚く。
 立つために手を貸そうとした仕草も、わずかに浮かんだ笑みも、とても自然だった。常の月龍にはもっと、ぎこちなさが残っている。

「それとも――私でよければ、お話を伺うことくらいはできますけど」

 いつもとは違う態度が、抱える問題の大きさを物語っている気がした。
 亮が蓮の膝枕で眠ったように、月龍も甘えたいと思ってくれたのかもしれない。だとすれば、応えたかった。

 軽く目を瞠ったのは、申し出に驚いたからだろう。
 考える素振りのあと、月龍はゆっくりと頭を振った。

「ありがたい申し出ですが、あまり引き止めては趙公チョウこうの心証が悪くなる」

 蓮には、年の離れた兄がいる。すでに父の後を継いでいるから確かに「趙公」ではあるが、なにもそう畏まって呼ぶ必要はない。
 将来的には、月龍にとっても義兄となる。
 もっと親しんでほしいと思うのだけれど、蓮のことすら公主と呼ぶ月龍には、無理な相談かもしれない。
 実直で、月龍らしい物言いに、笑みがこぼれる。

「では、送ってくださいますか?」

 いつものように。
 小さく付け加える蓮に、月龍はひとつ、無言で頷いた。
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