冥合奇譚 ~月龍の章~

月島 成生

文字の大きさ
16 / 80
第二章

第五話 違和感

しおりを挟む
「公主」

 起こさぬようにひっそりと、足音すら殺して亮の部屋を辞した後、歩き出した蓮を止めたのは月龍だった。

「そちらではなく」

 こちらへ、と手で指されたのは、表の方向だった。
 普段は、宮殿内の厩へと向かう。最初の頃は、馬を引いてくるまで表で待ってほしいと言われていたし、本来ならそうすべきなのもわかっていたが、一緒にいられる時間は少ないのだからと強硬について行った。
 今は諦めたのか、注意もされなくなっていたのだけれど。

「でも」
「馬はもう、表に停めてあります」

 平然とした返答に驚く。今までの習慣を変えるだけの理由は思いつかなかった。
 見上げる先に、月龍の憮然とした横顔が見える。

「実を申し上げると、一度、邸に戻ったのです」

 視線に気づいたのだろうか。答える月龍の語調は、言い訳するような早口だった。
 確かに邸から宮殿に向かったのなら、すぐに蓮を連れ帰るのに、わざわざ宮中の厩まで行く必要はない。

 問題は何故、一旦は帰った月龍が訪ねて来たのかということだ。

 急用で、遣いも出さずに慌てて邸に戻ることはあるだろう。
 用事を済ませて、ふと蓮を思い出した可能性もある。待ちぼうけを食らわせるわけにはいかないと、思ったのかもしれない。
 遣いを出すにも、月龍の邸には従者もいないと聞く。遣いを頼むには宮中に来なければならず、どうせ宮殿に来るなら自分が行った方が早い。
 そう考えたとすると、おかしな言動ではなかった。

 けれど、月龍はそのような気の回し方をする性格だっただろうか。

 月龍の眉間に、また皺が寄っている。ちらりと落とされた目と、月龍の視線が絡んだのも一瞬、再びそらされた。
 怒っているというよりは、困っているように見える。

 そこまで考えて、ようやく気づいた。
 亮の部屋に入って来た時から、月龍の様子はおかしかった。それは睦まじそうな亮と蓮に起因する。
 もしかしたら部屋に入ってくる前にも、その姿を見ていたのかもしれない。
 声をかけきれず、一度は帰った。だがやはり気になって話しをしに来たのではないか。
 だとすると、蓮に事情を説明しにくいのにも頷ける。

 自分よりも年上で、体も随分と大きな男性に対する感想としてはおかしいけれど、可愛いと思ってしまった。

「公主?」

 突然、くすくすと笑い出した蓮を訝しく思ったのだろう。呼びかけてくる月龍に笑みを向けて、腕に腕を絡ませる。

「いえ、なんでも。参りましょうか」

 月龍が見せた驚きの表情は、長くは続かなかった。すぐに微笑が浮かぶ。
 渋面が多い月龍が見せてくれた優しい顔に、しばし見惚れる。
 自分がこのような表情を引き出したのだと思うと、やはり嬉しかった。

 案内された先に停められていたのは、いつもとは違う馬だった。
 さして不思議ではない。月龍が数頭の馬を所持しているのは知っている。邸に戻ったのなら、直後に往復させる負担を嫌って替えてきたのだろう。
 一人では馬に乗れない蓮のために、手を貸してくれる。
 共に乗馬した時の、後ろから抱かれる形になるのが好きだった。背中に感じる体温と、手綱を持つために回された両手に、包みこまれるような安心感を覚える。

 ずっとこの時間が続けばいい――そう願う間もなく、蓮の邸に着いてしまう。実際よりも随分と短く感じられる、半刻だった。
 昨日までと同じ場所で、馬を止める。先に下りて、蓮が下りるのを手伝ってくれるのもいつもと変わらない。
 違うのは何処か、柔和さを纏った月龍の立ち居振る舞いだった。

 蓮に対するとき、月龍には緊張が見えていた。それを寂しく思っていたから、この変化は嬉しい。
 思わず、月龍の胸に飛び込む。
 今まで親しく接してきたのが、兄や亮といった身内ばかりだったせいか、すぐに甘えてしまう蓮の悪い癖だ。月龍にも同じ感覚で飛びついて、何度も困らせた。

 また、困らせてしまう。
 我に返った蓮が身を離すよりも早く、やんわりと抱きとめられた。

 驚くというよりは、嬉しい。単純に蓮の甘え癖に慣れただけかもしれない。それでも、ずっと感じていた月龍との距離が縮んだ気がする。
 目を上げた蓮の頬に、月龍の手が当てられた。優しい目が、蓮を見つめている。
 自然の流れに沿うような動きで、唇が寄せられた。

 ――その自然さこそが、不自然だった。

 思い返してみれば、違和感は初めからあった。
 亮の部屋に入って来たときの挙動不審、雰囲気の違い――馬そのものや、停められていた場所も違う。
 ただそれらには、納得できるだけの理由があった。だからさして、気にしていなかったのだけれど。
 蓮は身を捩る。

「やめてください」

 唇が、触れる寸前だった。
 無理強いをするつもりはないのか、軽く胸を押しただけで放してくれる。口元に、微苦笑が滲んでいた。

「失礼した。少し、性急に過ぎたようで」
「違う」

 言い訳を遮る声が、硬くなる。目付きが鋭くなるのを自覚した。

「月龍は、このようなことはしない」

 はっと息を飲む音。
 驚愕のためか、それとも他に理由があるのか。眉根を寄せての謝罪が続く。

「申し訳ない。公主に対するご無礼、お詫び申し上げる。けれど決して、軽い気持ちではなく――」
「違います」

 蓮と出会う以前、月龍の女性関係が褒められたものではなかったことは、知っている。
 先程の行為も、遊び慣れた男が本性を見せたのかと思えば、不思議ではない。そもそも付き合い初めて数ヶ月、触れられるのは当然ですらある。
 遠慮を取り払ったからこその言動かもしれない。
 けれど、どうしても腑に落ちなかった。

「あなたは、月龍ではない」

 小さな違和感の積み重ねが導き出した答えは、それだった。
 はっと、ため息にも似た短い笑声が吐き出される。

「公主はなにを仰っているのか。私が月龍ではないなどと――昨日の今日で、この顔をお忘れになったか」

 笑みを刻もうとした唇の端が、引きつっている。
 ――まるで、いつもの月龍のように。

 同じ顔と、同じ声。
 けれど、月龍ではない。
 焦ったように言葉を繋げる姿に、確信が深まる。
 ――少なくとも、蓮が知っている月龍とは、違っていた。

「――あなたは、誰?」

 月龍の――否、月龍によく似た男の否定を無視して、問いかける。
 瞬間、男の顔から無理に浮かべられていた笑みが消えた。
 優しげな色を湛えていた瞳には、鋭い眼光が宿る。――このような表情をすると、月龍そのものだった。

 男が、すぅっと目を細める。
 二人の間を、冬の到来を感じさせる冷たい風が、吹き抜けて行った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

~春の国~片足の不自由な王妃様

クラゲ散歩
恋愛
春の暖かい陽気の中。色鮮やかな花が咲き乱れ。蝶が二人を祝福してるように。 春の国の王太子ジーク=スノーフレーク=スプリング(22)と侯爵令嬢ローズマリー=ローバー(18)が、丘の上にある小さな教会で愛を誓い。女神の祝福を受け夫婦になった。 街中を馬車で移動中。二人はずっと笑顔だった。 それを見た者は、相思相愛だと思っただろう。 しかし〜ここまでくるまでに、王太子が裏で動いていたのを知っているのはごくわずか。 花嫁は〜その笑顔の下でなにを思っているのだろうか??

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

嘘コクのゆくえ

キムラましゅろう
恋愛
アニーは奨学金とバイトで稼いだお金で魔法学校に通う苦学生。 生活は困窮、他の学生みたいに愛だの恋だのに現を抜かしている暇などない生活を送っていた。 そんな中、とある教授の研究室で何らかの罰としてアニー=メイスンに告白して来いと教授が学生に命じているのを偶然耳にしてしまう。 アニーとは自分のこと、そして告白するように言われていた学生は密かに思いを寄せる同級生のロンド=ハミルトンで…… 次の日、さっそくその命令に従ってアニーに嘘の告白、嘘コクをしてきたロンドにアニーは…… 完全ご都合主義、ノーリアリティノークオリティのお話です。 誤字脱字が罠のように点在するお話です。菩薩の如き広いお心でお読みいただけますと幸いです。 作者は元サヤハピエン主義を掲げております。 アンチ元サヤの方は回れ右をお勧めいたします。 小説家になろうさんにも時差投稿します。

幸せアプリ

青の雀
恋愛
結婚間近の同棲していた恋人に捨てられ、契約直前の仕事を同期男性に盗られたその日はまさに厄日かと思われた。 帰宅して、風呂上りにスマホでサーフィンしていたら、見覚えのないアプリがインストールされている! すぐに削除するつもりが……、次第にアプリの指示通り行動していたら、幸せが手に入るようになりました♡

25年の後悔の結末

専業プウタ
恋愛
結婚直前の婚約破棄。親の介護に友人と恋人の裏切り。過労で倒れていた私が見た夢は25年前に諦めた好きだった人の記憶。もう一度出会えたら私はきっと迷わない。

二年間の花嫁

柴田はつみ
恋愛
名門公爵家との政略結婚――それは、彼にとっても、私にとっても期間限定の約束だった。 公爵アランにはすでに将来を誓い合った女性がいる。私はただ、その日までの“仮の妻”でしかない。 二年後、契約が終われば彼の元を去らなければならないと分かっていた。 それでも構わなかった。 たとえ短い時間でも、ずっと想い続けてきた彼のそばにいられるなら――。 けれど、私の知らないところで、アランは密かに策略を巡らせていた。 この結婚は、ただの義務でも慈悲でもない。 彼にとっても、私を手放すつもりなど初めからなかったのだ。 やがて二人の距離は少しずつ近づき、契約という鎖が、甘く熱い絆へと変わっていく。 期限が迫る中、真実の愛がすべてを覆す。 ――これは、嘘から始まった恋が、永遠へと変わる物語。

処理中です...