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第四章
第八話 解任
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「――成り代わりだ」
月龍ではどうせ答えに辿り着かないと踏んだのか。軽く目を伏せながら、ため息混じりの声が落ちる。
月龍は眉を顰めた。
「おれと成り代わってなにになる」
蒼龍は薛の嫡男のはずだ。わざわざ身分のない宦官の息子になる意味はない。むしろ地位を貶めるだけだ。
「お前――実は自分の立場がわかっていないだろう」
「わかっている。出自もわからぬ、一武官だ」
「阿呆。衛尉の位にある男が、一武官などと言うな。まったく、自覚がないのは恐ろしい」
額を押さえ、頭を左右に振る。小莫迦にした気障な仕草だが、不思議と腹は立たなかった。
いいか、と人差し指を月龍の鼻先で振りながら、芝居がかった調子で続ける。
「お前はこの亮さまの――次期王の側近で、公主を娶ろうかという話すら出ている。おれに取り入り、うまく操れば朝廷を牛耳ることすら容易い」
「まさか、お前を操るなど」
「わかっている。愚直なお前にできる芸当ではないし、おれもそれほど間抜けにはなれん。だが立場でいえば可能だ。幾ら有力とはいえ、一諸侯の跡取りなどとは比べ物にならぬ。理解できたか?」
噛んで含められて、首肯する。
亮と出会わなければ今の自分がないことは理解していた。実力に自信はあれども、亮の後押しがなければこの歳で衛尉にまで昇ることはできなかっただろう。
ようやく蔑まれないだけの地位を得たとの認識しかなかったので、まさか羨望の対象になるなどとは、考えたこともなかった。
「しかも薛だろう? 微妙な立場だからな」
「そうなのか?」
「お前、知らんのか? 表立った反抗こそしていないが、薛候は朝廷を見限っている」
思い切りひそめられた眉に、非難の色が浮いている。
無骨な月龍は政情に疎く、腹の探り合いが苦手だ。表では従順に振舞いながら、裏ではよからぬ画策をする、そういった世界にどうしても馴染めない。
とはいえ、亮の側近となるからには、このままではいられないのは事実ではあるが。
「ともかく今、朝廷で薛の評価は低い。薛の嫡男としてよりは、邵月龍として入り込む方が動きやすかろう。――お前のこともそうだ。せっかく名門の出ではあったが、有利に働く名ではない。伏せておく方が得策だな」
自分を捨てた親の名を使おうとは思わないが、わずかな失望は禁じ得なかった。
出自がわからぬことが劣等感の源となっていた月龍にとって、有力諸侯の血を引いていた事実は安堵に値する。
だがその事実を口外できない以上、成り上がり者との罵声に反撃できない現実に変わりはなかった。
「厄介なことに変わりはないがな。薛の嫡男――名は確か、朱公と言ったか。評判のよくない男だ。大層な放蕩者らしく、幾月か前に出奔したと聞いていたが。性質の良くない男に目を付けられたからには、気をつけねばらならんな」
まさか此処で現われるとは。
ため息混じりの声に、月龍も嘆息する。憂鬱のためではなく、感嘆故にだ。
幾ら名のある諸侯とは言え、嫡男の名がこうもさらりと口をつくとは。
謀反の恐れのある薛だから特別なのか、この調子で他も覚えているかは定かではないが、流石は聡明なる亮である。
「しかし、参ったな」
口元に手を当てた亮が、神妙な顔でぽつりと洩らす。
「弟は無頼者で兄は無骨者、二人の共通点は無礼者、か――これが有力諸侯の子息なのだから嘆かわしい」
あまりに真面目な口ぶりに、ああそうだなと応じかけてふと気づく。
なんのことはない、軽口で月龍をからかっているのだ。
その無礼な無頼者に騙された間抜けは誰だ。
喉元まで浮いた反論を飲み込む。
口下手な月龍が勝てるはずもなく、負けるとわかっている舌戦をあえて仕掛けるほど自虐的ではない。
「お前もなにか話があるのではなかったか」
「ああそうだった。月龍、お前の、衛尉の任を解く」
話題を変えたのは苦し紛れに他ならない。
なのに返ってきたのは予測もしていなかった、物騒な命令だった。
月龍ではどうせ答えに辿り着かないと踏んだのか。軽く目を伏せながら、ため息混じりの声が落ちる。
月龍は眉を顰めた。
「おれと成り代わってなにになる」
蒼龍は薛の嫡男のはずだ。わざわざ身分のない宦官の息子になる意味はない。むしろ地位を貶めるだけだ。
「お前――実は自分の立場がわかっていないだろう」
「わかっている。出自もわからぬ、一武官だ」
「阿呆。衛尉の位にある男が、一武官などと言うな。まったく、自覚がないのは恐ろしい」
額を押さえ、頭を左右に振る。小莫迦にした気障な仕草だが、不思議と腹は立たなかった。
いいか、と人差し指を月龍の鼻先で振りながら、芝居がかった調子で続ける。
「お前はこの亮さまの――次期王の側近で、公主を娶ろうかという話すら出ている。おれに取り入り、うまく操れば朝廷を牛耳ることすら容易い」
「まさか、お前を操るなど」
「わかっている。愚直なお前にできる芸当ではないし、おれもそれほど間抜けにはなれん。だが立場でいえば可能だ。幾ら有力とはいえ、一諸侯の跡取りなどとは比べ物にならぬ。理解できたか?」
噛んで含められて、首肯する。
亮と出会わなければ今の自分がないことは理解していた。実力に自信はあれども、亮の後押しがなければこの歳で衛尉にまで昇ることはできなかっただろう。
ようやく蔑まれないだけの地位を得たとの認識しかなかったので、まさか羨望の対象になるなどとは、考えたこともなかった。
「しかも薛だろう? 微妙な立場だからな」
「そうなのか?」
「お前、知らんのか? 表立った反抗こそしていないが、薛候は朝廷を見限っている」
思い切りひそめられた眉に、非難の色が浮いている。
無骨な月龍は政情に疎く、腹の探り合いが苦手だ。表では従順に振舞いながら、裏ではよからぬ画策をする、そういった世界にどうしても馴染めない。
とはいえ、亮の側近となるからには、このままではいられないのは事実ではあるが。
「ともかく今、朝廷で薛の評価は低い。薛の嫡男としてよりは、邵月龍として入り込む方が動きやすかろう。――お前のこともそうだ。せっかく名門の出ではあったが、有利に働く名ではない。伏せておく方が得策だな」
自分を捨てた親の名を使おうとは思わないが、わずかな失望は禁じ得なかった。
出自がわからぬことが劣等感の源となっていた月龍にとって、有力諸侯の血を引いていた事実は安堵に値する。
だがその事実を口外できない以上、成り上がり者との罵声に反撃できない現実に変わりはなかった。
「厄介なことに変わりはないがな。薛の嫡男――名は確か、朱公と言ったか。評判のよくない男だ。大層な放蕩者らしく、幾月か前に出奔したと聞いていたが。性質の良くない男に目を付けられたからには、気をつけねばらならんな」
まさか此処で現われるとは。
ため息混じりの声に、月龍も嘆息する。憂鬱のためではなく、感嘆故にだ。
幾ら名のある諸侯とは言え、嫡男の名がこうもさらりと口をつくとは。
謀反の恐れのある薛だから特別なのか、この調子で他も覚えているかは定かではないが、流石は聡明なる亮である。
「しかし、参ったな」
口元に手を当てた亮が、神妙な顔でぽつりと洩らす。
「弟は無頼者で兄は無骨者、二人の共通点は無礼者、か――これが有力諸侯の子息なのだから嘆かわしい」
あまりに真面目な口ぶりに、ああそうだなと応じかけてふと気づく。
なんのことはない、軽口で月龍をからかっているのだ。
その無礼な無頼者に騙された間抜けは誰だ。
喉元まで浮いた反論を飲み込む。
口下手な月龍が勝てるはずもなく、負けるとわかっている舌戦をあえて仕掛けるほど自虐的ではない。
「お前もなにか話があるのではなかったか」
「ああそうだった。月龍、お前の、衛尉の任を解く」
話題を変えたのは苦し紛れに他ならない。
なのに返ってきたのは予測もしていなかった、物騒な命令だった。
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