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第四章
第九話 周到
しおりを挟む軽口を叩いていたときよりもずっと、あっさりとした語調での解任宣言に唖然とする。
亮の不興を買っただろうか。
疑問が浮かぶも、即座に否定する。衛尉として失態はない。
月龍を嫌っているのならばこうやって膝を付き合わせて話をするはずもなく、まして好悪の感情で地位を左右する亮ではなかった。
愕然とする月龍を見て、ふふ、と薄く笑みを洩らす。
すっと伸びてきた指の背が、月龍の頬を軽く叩いた。
「ほらな。突然結論だけを言われても、訳がわからぬであろう。物事を説明するには、順を追ってせねばならぬ。相手を混乱させたいのでなければな」
笑み含みの声に、納得した。
確かに月龍の話し方は滅茶苦茶だった。諫める方法として、同じようにして見せたのか。
対政というよりも対人として必要なこと。
まるで師のような顔をする亮に、心遣いがわかるからこそ憮然とする。
「それで、任を解く理由とは?」
「ああ。岷山へ兵を出すことが決定した」
唇に笑みを刻みながらも、眉の辺りに憂いが見えた。
主が昏君と化した今、朝廷は目に見えて力を落としている。薛だけではなく、朝廷から離れようとしている諸侯は、他にも多くいた。
けれど表向きは、あくまで忠誠を誓っているように振舞っている。
そのような中、疎い月龍でさえ知っている程、岷山だけはあからさまに反抗を示していた。税を収めず、徴収にさえ応じない。
うまい手だ。亮がかつて、洩らしたことがある。
岷山に対してではない。その後ろで操る、商の天乙への称賛。
朝廷は確かに衰退の一途を辿っているが、瓦解寸前というほどでもない。その力を測るために岷山を使ったのだと、亮は推測した。
反抗を示し、敵対の意思すら表した諸侯に、武力をもって立ち上がることができなければ、朝廷の力はその程度だと世に知らしめることができる。
兵を挙げたら挙げたで構わない。未だにそれだけの力はあると知ることができるし、そうすることで朝廷の兵力を多少なりとも疲弊させられる。
岷山が倒れたとしても、天乙の腹は痛まない。どう転んでも、天乙の利には変わりなかった。
恐らくは、朝廷恐るるに足らずだの、今起って朝廷を倒せば国を手に入れられるだの、甘い言葉で岷山を唆したのだろう。
朝廷の対応としては、兵を挙げる方がましか、とも亮は言っていた。だからこそ口元には笑みを、知っていながら天乙の策に乗らざるを得なかった複雑さを眉に表していたのだ。
「扁将軍の部隊が岷山へ向かうことになっている。お前の任を解くのは、その部隊に編入させるためだ。位は――まぁ、大隊長といったところか。今よりも多少位は落ちるが、手柄を立てれば容易に取り戻せる。今以上にもなれよう」
にやりと意味深長に唇を歪める様を、納得した。同時に、感謝も。
月龍の実力を認めているからこそ、亮は衛尉の任を与えた。だがそうは思っていない輩も多い。
縁故の為、酷い場合には龍陽の寵故に、とさえ言われている。
だから実戦に赴き手柄を立てて、言われない中傷を払拭しろと言ってくれているのだ。
不意に、亮の表情が柔らかくなる。
「いいか、必ず武功を立てろ。月龍、お前の力が周辺諸国に知れ渡るほどにな」
亮にしては毒気のない表情は、珍しく弱気になっている証だろう。
亮はよく、朝廷の滅亡だの王の破滅だと口にする。
とても本気とは思えぬ軽い口調ながら、本音であることは知っていた。飄々としているのは、彼なりになにか考えがあるのだろうと思っている。
惜しい。心底そう感じずにはいられない。
亮は天乙を高く評価し、希代の名君と讃えるが、亮こそまさにその器だった。
知識の広さ、深さ、明敏さ、他者への寛容さ――そして見る者を魅了する美貌。
もし亮があと十歳年長で、五年ほども前に王になっていたら、朝廷は持ち直したかもしれない。
けれどもう遅い。衰退の一途を辿る現在の状況で、王位を継いでほしいとは露ほどにも思えなかった。そうなっては亡命すら叶わなくなる。
月龍にとっては朝廷の存続も、世の平穏も関係ない。
薛や諸侯達の動きが気にならないのも、いざとなれば亮と蓮を連れて逃げればいいだけと、腹を括っているからだ。
恐らく亮も、月龍の覚悟は知っているはず。その上で、周辺諸国に名を示すほどの武功を立てろと言う理由は、ひとつしかない。
武力のある者は、いつの世でも重用される。名を知られていれば、亡命の際にも有利だった。
――蓮を守る武器を手に入れろと言っているのだ。
寄せられた信頼が、嬉しい。
柔和な中にも真剣味を増した亮の瞳を見返し、決意を表すために力強く頷いて見せた。
「今までおれを引き立ててくれたお前のためにも、必ず」
「阿呆」
亮の返答は、至極冷淡なものだった。指二本で、額をぐいっと押される。
「おれではなく、蓮のためだろうが。まぁいい。蓮で思い出したが――対策をせねばな」
「対策?」
「蒼龍のことだ。放っておけばまた蓮に近付き、利用される」
「大丈夫だろう」
心配に、軽く答える。
「あの男は危険だと、言い含めておけば――」
「お前は何処まで阿呆なのだ」
言葉は、亮の呆れ声に遮られる。
「蓮はすでに、その男を信用しているのだろうが」
「だがおれやお前から言えば」
「おれやお前を信じつつ、真偽を確かめようとむしろ近付きかねん」
蓮はか弱そうに見えて、芯は強い。また、人の好さに加えて純粋だった。
蒼龍が見せていたらしい健気な弟の顔に、すっかり騙されている。その蒼龍が訪ねてくれば、自ら招き入れるのは疑いなかった。
ならばどうするか。周辺に注意をして、近付けさせないようにするしかない。
「問題はどうやって見分けるか、だな」
亮が口元に手を当てて、ぼそりと呟く。
亮でさえ無理だったのに、護衛が見分けられるはずもない。
蓮は区別もつくが、蒼龍にほだされている彼女が、退けるとも思えない。
ふむ、と小さく唸った亮が、懐から取り出した懐剣を月龍に突き出す。
「やる。これを使え」
亮がもつ懐剣は、実用性がないとは言わないが、装飾品のように美しいものだ。
反射的に受け取るも、使え、の意味がわからない。
王子から剣を賜ることは名誉ではあろうが、武官である月龍はもっと、実用性に富む剣も刀も持っている。
「柄の紋を見ろ」
不思議そうな顔でもしていたのか。亮は片眉を上げて呆れを示しながらも、説明の体勢に入った。
言われて手元に目を落とすと、確かに紋様が刻み込まれている。亮の紋に似てはいるが、違う物だった。
王族が、自身を示すもの以外の紋を身につけているのはおかしい。
「王太子、亮の紋だ」
にやりと口元を歪めた亮に、はっと息を飲む。
亮は未だ立太子していないが、他に継ぐ者もいない。
いずれ王位を継ぐべきは亮以外にいないのは事実で、公表されてはいないが、王太子としての紋は用意されていると聞いたことはあった。
なるほど。月龍でさえ初めて目にする紋。それが刻まれた懐剣など、蒼龍が持っているはずがない。
他者にも二人を見分けられる、容易な目印となる。
「感謝する」
これで、蓮を守ることができる。
亮の気遣いに、深々と頭を下げた。
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