箱庭系譜

たき

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トラオム

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 『こんにちは、お元気ですか。私は元気です。最近、庭にお花を植えました。綺麗に花が咲くのを楽しみに毎日水をやっています。あなたは、いつ頃戻られますか。花が咲く頃には隣に居てくれると嬉しいです』

 筆を置いて背を伸ばす。
 それは誰にも届く事のない手紙。
 出せなかった手紙の束で一杯になった机の引き出しに、新たな一枚を差し込んだ。
 戦争が終わってから三年が経った。私は、彼が戦場へと旅立ってから毎日手紙を書き続けた。彼の無事を祈って。また彼の隣に座れることを願って。
 遺品のハンカチーフと一通の手紙が届いたのは、終戦から半年が経った頃だった。
 親しい人の死というものは、意外にもあっさりとしていて、それでいて深く心に沈み込む鉛玉のような気味の悪い感覚がある事を知った。
 手紙を読んだ。
 とても短い手紙だった。

『僕は大罪を犯してしまいました。もう二度と君の元へ帰る資格は無いでしょう。我が儘を言わせていただくならば、せめて、せめて君は幸せに生きてください。僕の事は、忘れてください』

 後から聞いた話だ、彼が犯したという大罪について。
 彼の戦友は顔を伏せて語った。

「人を喰うのは罪だろうか。俺にはそれが、分からなくなってしまった。あいつは間違いなく善人だった。泣きながら喰らったあいつは」
 
 涙が頬を伝うのが分かった。
 彼は、どれだけ過酷な戦場を生きたのかと。
 どんな咎があってそんな罰を受けなければならないのかと。
 私はその手紙を読んでから、ずっと同じ夢を見る。
 私は、夢を見ていた。
 彼が死んでしまう夢を。
 死んでしまった彼が帰ってくる夢を。

「…やぁ、ただいま」

「…おかえり…なさい…」
 
「…僕さ、死んじゃったんだ」

「…はい…聞きました…」

「僕は大罪を犯した」

「………」

「僕は自分が許せない」

「………」

「人の肉を喰うが悪だと知っていながらも、それでも、空腹が満たされる事に、生きていられることに、幸福を感じてしまった僕を許せないんだ」

「………」

「…じゃあね、僕は、もう行くよ」

 口が縫い付けられたように動かない。
 引き留める為の手も動かない。
 追いかけるための足も、何もかもが動かない。
 そんな夢だ。
 私は、夢を見ていた。
 彼が生きている夢を。
 彼の隣で牡丹を眺める夢を。

「綺麗だね、君が育てたのかい?」

「はい、あなたを待っている間に」

「とても綺麗だ、本当に。今まで見た花の中で一番綺麗だよ」

「ありがとう…帰ってきてくれて…ありがとう…」

「………君は、夢を見ていたんだ。悪い夢を、ずっとね。僕はここにいるよ。君の隣に」

 悪い夢。
 そうだ、悪い夢だ。
 彼が死んだ事も、罪の告白も、全て、悪い夢だった。
 そうに違いない、だって、だってあんなにも。
 牡丹の花が綺麗なんですもの。

 空き家になった庭先に、美しい一輪の花が静かに咲いていた。
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