魂喰らいの魔女

ザシガワラ

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-Chapter1- 寄る辺なき少女とロックバンド

02

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「どうしたの・・・?」
妹の幻影に釘付けとなっていた俺を、小夜啼鳥のような声が現実へ引き戻した。
妹の顔に見えたそれは、しかしほんの一瞬のことだったようで、改めてよくよく見ると妹とはいくつかの顔のパーツが異なっていた。
鼻梁は妹よりもやや高く、少しだけ切れ長の目は歳に似合わぬ大人びた妖艶さを持っているが、表情全体で見るとやはり年齢相応の幼さを感じさせる。
それらの要素が組み合わさることで、どこか浮世離れしたオーラがある。
この不思議な少女は一体何者なんだろう?
身なりの粗末さからするに、近頃都市に増えているというストリートチルドレンだろうか。都会の公園と言えばホームレス等も居着いていたりして、彼等のような特定住居を持たぬ者たちにとっては最後の楽園。この少女もきっと、親を亡くし家なき子となって、あてどなく彷徨った果てにこの公園に迷い込んだのかもしれない。
憶測だらけの現状で、それでも漠然とだがわかることもある。
少女と俺は──この邂逅だけで終わってはいけない気がする、ということ。
だからこの出会いが風のように吹き抜けてしまわぬうちに、俺はある提案をしてみた。
「なぁ?いきなりでお節介かもしれないが・・・俺に着いてこないか?これから仲間達とのパーティがあるんだ。夜の公園は知っての通り物騒なもんだし、君が本当に身寄りが無くて何処にも帰る場所が無いってんなら・・・どうだ?」
「パーティ・・・でも・・・私は・・・」
「もちろん無理に誘うつもりは無いぜ。着いてくるも来ないもお前さんの自由だ」
私は・・・・・あぅっ・・・」
少女が何かを言いかけた時、彼女の腹がぎゅうっと鳴いた。
長い前髪の下で頬が少しだけ赤くなる。
「ははは、腹減ってんだな。飯ももちろん用意されてるだろうが、さぁどうする?」
「じゃあ・・・行く」
「決まりだな。我慢はするもんじゃねぇ」
この時の俺はたぶん、妹に瓜二つというだけでこの少女の助けになってやれないかを考え始めていたのだと思う。
そうでなければただのストリートチルドレンを、バンドの祝賀パーティに誘ったりはしない。

俺たちは公園を出ると、コニーのアパートを目指して歩き出した。
こんな幼い少女と並んで歩くなんて、妹が生きていた時ぶりだった。
改めてその姿を見るとやはり酷い格好だ。黒づくめでずんぐりとした案山子のコスプレのようだが、傍目には幽霊を引き連れているようにも映るだろう。
声を発しなければ、子供だなんて誰もわからないかもしれない。
歩きながら「そういえば」と切り出す。
「お前さん、なぜ俺を呼び止めた?そのまま逃げても良かったんだぜ」
「あの犬から助けてくれたの・・・お礼、してなかったから・・・それだけ。あと私・・・」
「ん?どうした?」
「オマエサンって名前じゃない」ムスッとしながら少女が言う。
「あぁ、悪い。危うくバンドメンバーにまで“オマエサン”って紹介するとこだ。俺はノア。デスマーチってバンドでボーカルやってる」
「私・・・ラヴィ」
「そうか、いい名前だ。・・・・・よろしくな?」
「えっ・・・今・・・なんて言ったの?」
俺にとっては何気なく発したに過ぎないその一言に、ラヴィと名乗った少女は過剰なまでの動揺を見せた。
まるで“過去にも似た経験をした”、とでも言いたげな表情。心ここになく、いつかの記憶へと再び手を伸ばしかけているような。
「名前を褒められるのは初めてか?」
衝動的に訳を知りたくなって遠回しに問いただしてみたが、陰のある表情で「別に・・・」とあえなく返答を濁されてしまう。
どうやら下手な詮索はまずいと判断して他の話題を必死に探していると、ラヴィの方から口を開いてくれた。
「ねぇ・・・バンドってなんなの?」
「おん?知らないのか?よく音楽番組とかで見かけるだろ。ギターとかドラムとか鳴らしながら、歌を歌ったりしてる奴らのことだよ」
「音楽ばんぐみ?・・・ぎたぁ・・・どらむ・・・」
険しく眉根を寄せながら、ラヴィはそれらの言葉の意味と一生懸命格闘していた。
彼女が生まれついてのストリートチルドレンであるなら、ずっとテレビが無い暮らしを送ってきてたってとこだろう。
ハッとしたラヴィが問うた。
「それって・・・吟遊詩人みたいな人たちのこと?」
「ははは。例えがちょっと古臭すぎる気もするがまぁ似たようなもんだ。ラヴィはこの街で吟遊詩人を見たことがあるのか?」
「うん・・・この街じゃないけど、私が昔住んでた村にはよく来てくれて、頼んだら歌ってくれてたよ」
「ちょっと待て、だって?お前さんは元々この街のストリートチルドレンじゃあないのか・・・?じゃあ、お前さんの両親はどこに」
「すとりいとなんちゃらのことはよく分からないけど、お父さんもお母さんも・・・遠い昔に村で死んだの・・・・・・・・・・。だからずっと長い間私はひとりで生き続けてきた」
俺は上手く二の句を継げずにいた。ラヴィが話す内容は不可解で、話がまるで噛み合わない。やはりこの子は悪戯に大人をからかっているのだろうか。
しかしその真っ直ぐな瞳は純真そのものであり、大の大人を騙そうなどという偽りの意思は感じられない。
俺はてっきり、ラヴィがあの公園周辺を住処とするストリートチルドレンだとばかり決めつけていた。
だが話を引き出せば出すほどに、その正体は曖昧模糊になっていく。
というのは、このロンドンにおいて近代じゃほとんど馴染みがない行政区分だ。
かなり古くから街に住んでいる老人達の中には、故郷の村で幼少期を過ごしたという者も居るだろう。しかし今や彼等の故郷のほとんどは統廃合を繰り返し、既に地図上からも消滅している。
ラヴィのような幼い子供が本当にそういった村の産まれだとしたら、いったい何処からこの子がやってきたのか皆目見当もつかない。時間の感覚があまりにズレ過ぎている。
同じ人間の筈なのに、彼女が放つ得体の知れなさに薄気味悪さを覚える自分がいた。
そんな不安げな様子が伝わってしまったのかラヴィが少しおろおろし始めたので、俺はひとまず彼女の出自を探ることをやめ、違う話題に切り替えた。
彼女について詳しく調べるのは、ひとまずパーティが終わってからでも良いだろう。

ラヴィと公園で出会ってから既に一時間、歩き始めてからはちょうど三十分が経っていた。
幼い少女を長時間に亘って歩かせてしまったことに今更ながらしまったと思ったが、当人はケロッとしていたのでどうやら杞憂だったらしい。
ずっと路上で生活してきていたのであれば、普通の子供以上に体力は有るのだろう。
もちろんラヴィがただのストリートチルドレンであるという可能性は今となっては低い。
しかし知らない人にすんなりついてくるあたり、一般家庭でちゃんとした教育を受けた家の子という訳ではなさそうだ。
そんなことをぼんやり思いながら、気づけば俺たちは見知った大通りに出た。
ラヴィにとってはもちろん馴染みなど無いのだろうが、度々往来していた俺にとっては庭のような景色だ。
「あ・・・あの人、知り合い?」
「ん、そんなところだ。バンド仲間のひとりさ」
数メートル先のマンションの三階、ほぼ転落しそうなほど危険な角度で窓から身を乗り出し、こちらに手を振る若い女性がいた。
彼女こそ、デスマーチの紅一点にしてドラマーのコニーその人だ。
「遅いぞバカぁああぁぁいつまで待たせてんだよぉおぉ」
「あの人・・・なんか・・・こわいね・・・」
「もうすっかり出来上がっちまってるみたいだな。呑むとああなるが、普段はもっと気さくな奴だから今だけ勘弁してやってくれな」
ビクビクと震えるラヴィに苦い顔で説明しながら、俺たちはマンションのエレベーターホールに向かった。
ボタンを押そうとした寸前に、ちょうど三階のエレベーターが一階へ降り始めた。
バンドの誰かが寄越してくれたのかもしれない。
到着したエレベーターからは、吐き出されるようにコニーが飛び出してきた。
「と、ととっ!わーっ」
「おいっ・・・ちょっ・・・」
ちょうど俺と対面の形となり、ぶつかりかけたコニーはなんとか両足を突っ張って持ちこたえようとしたが、その健闘むなしく、転がるように倒れてきてしまった。
二人分の体重を乗せ、ずん、と背中を打つ音が廊下に響き、打ち付けた箇所が激しく痛んだ。
「コニー危ないだろがっ!こっちは女の子連れてんだぞ」
その女の子はというと、エレベータードア脇に位置どっていたので巻き込まれずには済んだらしい。だが前髪に隠れていてもわかるくらい、今にも泣きだしそうな雰囲気が伝わってきていた。
「あははは・・・ごめんごめん。て、言うか!!遅いぞコラぁあぁあ代わりのボーカル探すからなマジでぇぇ」
公園で通話した時の事をご丁寧に覚えているあたり思ったほど酔ってもなさそうだが、元々の酒癖が悪いのでまともに相手をするとやはり強烈だ。
見開かれた淡いグリーンの瞳は、メデューサのような眼力で反発するこちらの威を削いでくる。
容姿自体は、うら若き乙女としてとても美しいものだ。
ドラムを叩く際に邪魔だからという理由で結われたハイポニーテールは、かえって女性的な魅力を醸し出しているし、整った目鼻立ちはほとんどの男性諸氏のタイプに当てはまりそうな万能感さえあって、しかも胸だって結構ある。
他の奴らが見たら泣いて羨むであろうお幸せな状況なのだが、僕らにとってこういったじゃれ合いは日常茶飯事で、ごく有り触れた光景に過ぎない。
猫が飼い主の手をおもちゃにするようなものだろう。さしずめ飼い主は俺ということになりそうだが。
「ほら、どけっつの!」
「遅刻した癖に態度がデカいんだか・・・ら・・・?」
目の端でそりゃもうガクガクと震えている少女を捉えたコニーは、下敷きにしていた僕の上から起き上がるやいなやそちらへ猛然と突進し始めた。
ターゲットのラヴィは反射的に猛禽類に追い詰められた野兎の如く逃げ惑う。が、あっけなく捕まってしまった。
「えっ!ちょっとなんなのこの子!?どこで見つけてきたの!?めっちゃくっちゃ可愛いいいぃぃぃ・・・」
「あ、えっ・・・うわっ・・・ぁ・・・」
得物をその手で捉えた猛禽類は、今や見た目よりも遥かに小さく見えるその子を捕食──はせずに、その頭を丹念に撫で始めたのだった。
されるがままのラヴィを他所に、心底幸せそうなコニーは瞬く間に機嫌を治したらしく、つい先程までの鬼の形相は見る影も無い。
そういえばコニーは、とにかく“小さくて可愛いもの”に昔から目がなかった。
例え人間の子供であっても、一度自分が「可愛い」と思ったものであれば見境なく愛玩し、持ち帰ってしまいかねないほどに重度な発作が起こる。
こればかりは酔っていてもいなくても彼女の特性のようなもので、スイッチが入ればいつだって起こりうる事象だった。
「おっと、こうしちゃいられないわ。早くアイツらにも紹介しなきゃっ」
コニーはそう言ってラヴィをひょいと小脇に抱えると、バンドメンバーが待つ自分の部屋を目指し、光の速さで階段を駆け上がって行った。
「あぅ、ノアっ、たっ・・、たすけてぇぇっ・・・」
「はぁ・・・すまん。部屋に行くまでの辛抱だ。こうなったコイツはある程度経たないと落ち着かないもんでな・・・」
追い掛けるのに諦めがつくぐらい圧倒的な速さであわれ拉致られていく涙目の兎を見送り、俺はエレベーターで二人をゆっくりと追うことにした。
部屋で待っているであろうメンバーに「あの子のことをどう説明したものか」と思案しながら。
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