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挿話集
51 ネイトの受難-始まり編-
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全ての発端はスリアの放った一言だった。
「リンクスは本当にネイトが好きなんですね」
朗らかな微笑みと一緒に、とんでもないことを言われる。いや、まだここまでだったら他愛ない会話で終わったはずだ。
なのになぜかリンクスが黙ってしまった。正確に言うと、黙ったというよりは動きが止まっている。
いつもさらっと何でもこなすリンクスにしては珍しい。
「おい、何ぼーっとしてんだよ」
アラガスタの王族はコールを筆頭に、親しい者には甘いところがある。けれどさすがに次期王女に声をかけられて黙ってしまうのはまずいだろう。
そっと肘で背を押すと、はっとしたようにリンクスが振り返る。さっさと適当に返事をしろと視線を送る。
けれどなぜか焦ったように、頬を染めて手にしていた本をドサドサっと、芝居か何かのように劇的に落としてくれた。見たこともない様子に、思わずネイトも本を拾おうとした手を止めてしまう。
結果として、肯定しているとしか思えないリンクスの態度にコールもスリアも生温い視線を送ってくる。コールとほぼ同じくらいのでかい体をして、何をしているんだと怒鳴りたくなる。
スリアやクライスがしたら可愛いと思えるが、リンクスやコール、そしてネイトがやっても全く可愛くない。むしろ背筋がぞっとする。
頬を染めるような奴じゃなかっただろうと、今すぐ肩を強く揺すって目覚めさせたい。さらにコールにくだらないネタを与えないで欲しい。
間違いなく、何かの折に話を持ち出されるのが目に見えている。ただでさえ人の話を聞いてくれないのに、どうしくれると思う。
さらには自分の首をもしめるような行動をなぜしたのか。
「止めろ。今すぐ否定しろ」
小さな声で伝えると、リンクスが慌てて何度も頷く。
「え、あ、は、はい! 私が好きなだけです」
「誰が肯定しろって言った!」
思わず怒鳴ってしまうと、コールの爆笑する声とスリアが必死に笑いを堪えている音が聞こえる。幼なじみではなく、普段はちゃんと線を引いて仕事していたのが台無しだ。
「あぁ、すみません……」
見るからに肩を落とされて、何とも言えない気持ちになる。あれ? リンクスって優秀じゃなかったか? と疑問になる。
コールに言われれば、どんなことでも答えるだけの能力がある。実際に、先日のコールの我儘にも実に上手く対応していた。
いくつかはコール的には不満があったようだが、ネイトからしたら全員無事に戻って来れたのだから問題はない。リンクスがもう二度とコールとは外に出たくないと言っていたのには、少しだけだが同情はした。
「はぁ……体調が悪いならもう先に休めよ」
「いや、今日はもう終えよう」
冬になって、日が落ちるのが早くなったせいで政務の時間は短くなっている。もちろん冬に備えて夏と秋の間に、決められることは全て終えるようにしているから政務の量も少ない。
ただ一番の理由は、コールがクライスのところに早く戻りたいからだろう。先日からスリアも本格的に政務に加わったことで、仕事的には例年より進みが早いから文句はない。
「では、私もこれで」
王族二人はさっさと部屋から出て行ってしまうが、この微妙な空気をどうしろと言うのか。
「お疲れ様です」
二人に頭を下げると、横にいたリンクスも慌てて頭を下げている。どう考えてもおかしい。
「本当に大丈夫か?」
「大丈夫です。少し考え事をしていましてすみません」
「こないだの件か?」
ポーリスに同行して、クライスを守るように言われて戻って来てから何か変わった気がする。考え事をしていたり、話の内容を聞いていない時さえある。
コールとの付き合いを考えれば、リンクスとの付き合いは約半分……八年くらいだ。十五歳でコールに採用されてから、普通なら五年以上はかかる訓練をたった二年で終えて諜者になった。
すぐにフェールに潜入したと聞いたが、一年もしないうちに出戻って来た。アラガスタの諜者と見破られたのではなく、勧誘されてフェールの諜者となって戻って来た。
こうなっては仕方ないとコールは笑っていたが、もっと上手くやってこいと内心思ってしまった。そしてアラガスタで司書という役割を得て、アラガスタにとって都合の良い内容を、ポーリスを通してフェールに流していた。
「えぇ、まぁ……」
はっきりとしないリンクスもまた珍しい。
「そんな煮え切らない奴だったか?」
「……今まで命の危機という状況に陥ったことがなかったんです」
報告では兵が完全に揃っていなかったおかげで、難はなかったと聞いている。
「何があったんだ?」
「何があったと言いますか……コール様が……」
たぶんクライスが関係あるのだろう。詳しく聞かなくても、何となく察してしまう。
「コール様に仕えるのが嫌になったのか?」
「いいえ、違います!」
即答したので、見過ごすことにする。もし肯定するような返事がきたら、ただではおかないところだ。
「けれどいつでも命を失う可能性があると思ったら、このままでいけないと思い始めまして……」
見過ごしてやろうとしたのに、結局嫌だと言うことだろうか。
「だから、その……ネイトにお願いがあります」
どうしてだからなのかよくわからない。
「一応、聞くが叶えるかは別の話だ」
さっさと言えと思うのに、リンクスは神妙な顔をして黙ってしまう。どれだけ難しい願いなのかとこっちまで無駄に緊張してくる。
「……く、唇を奪わせてください」
「…………は?」
何を言われたのか考えて、理解したら信じられないくらいに冷たい声を出していた。自らの命が危機に瀕して思うことがそれなのかと。
「オレにお願いしてないで、誘ってくる令嬢とすればいいだろう」
リンクスがよく貴族の令嬢に誘われているのを見た。諜者だからなのか全て断っていたが、今はもう諜者ではない。
好みの令嬢の誘いに乗って、口付けでも何でもしてくればいい。
「あ……そ、そうですね……」
見るからに悲壮感を漂わされて、面倒くさいなと思ってしまう。ふと、まさか本当に自分にしたかったのかと思った。
けれどあまりにも有り得な過ぎて、自分で笑ってしまう。
「まぁ、飲みながら相談にでも乗ってやるよ」
「……ありがとうございます」
相談に乗ると言っているのに、リンクスの肩は完全に落ちているように見えた。
「リンクスは本当にネイトが好きなんですね」
朗らかな微笑みと一緒に、とんでもないことを言われる。いや、まだここまでだったら他愛ない会話で終わったはずだ。
なのになぜかリンクスが黙ってしまった。正確に言うと、黙ったというよりは動きが止まっている。
いつもさらっと何でもこなすリンクスにしては珍しい。
「おい、何ぼーっとしてんだよ」
アラガスタの王族はコールを筆頭に、親しい者には甘いところがある。けれどさすがに次期王女に声をかけられて黙ってしまうのはまずいだろう。
そっと肘で背を押すと、はっとしたようにリンクスが振り返る。さっさと適当に返事をしろと視線を送る。
けれどなぜか焦ったように、頬を染めて手にしていた本をドサドサっと、芝居か何かのように劇的に落としてくれた。見たこともない様子に、思わずネイトも本を拾おうとした手を止めてしまう。
結果として、肯定しているとしか思えないリンクスの態度にコールもスリアも生温い視線を送ってくる。コールとほぼ同じくらいのでかい体をして、何をしているんだと怒鳴りたくなる。
スリアやクライスがしたら可愛いと思えるが、リンクスやコール、そしてネイトがやっても全く可愛くない。むしろ背筋がぞっとする。
頬を染めるような奴じゃなかっただろうと、今すぐ肩を強く揺すって目覚めさせたい。さらにコールにくだらないネタを与えないで欲しい。
間違いなく、何かの折に話を持ち出されるのが目に見えている。ただでさえ人の話を聞いてくれないのに、どうしくれると思う。
さらには自分の首をもしめるような行動をなぜしたのか。
「止めろ。今すぐ否定しろ」
小さな声で伝えると、リンクスが慌てて何度も頷く。
「え、あ、は、はい! 私が好きなだけです」
「誰が肯定しろって言った!」
思わず怒鳴ってしまうと、コールの爆笑する声とスリアが必死に笑いを堪えている音が聞こえる。幼なじみではなく、普段はちゃんと線を引いて仕事していたのが台無しだ。
「あぁ、すみません……」
見るからに肩を落とされて、何とも言えない気持ちになる。あれ? リンクスって優秀じゃなかったか? と疑問になる。
コールに言われれば、どんなことでも答えるだけの能力がある。実際に、先日のコールの我儘にも実に上手く対応していた。
いくつかはコール的には不満があったようだが、ネイトからしたら全員無事に戻って来れたのだから問題はない。リンクスがもう二度とコールとは外に出たくないと言っていたのには、少しだけだが同情はした。
「はぁ……体調が悪いならもう先に休めよ」
「いや、今日はもう終えよう」
冬になって、日が落ちるのが早くなったせいで政務の時間は短くなっている。もちろん冬に備えて夏と秋の間に、決められることは全て終えるようにしているから政務の量も少ない。
ただ一番の理由は、コールがクライスのところに早く戻りたいからだろう。先日からスリアも本格的に政務に加わったことで、仕事的には例年より進みが早いから文句はない。
「では、私もこれで」
王族二人はさっさと部屋から出て行ってしまうが、この微妙な空気をどうしろと言うのか。
「お疲れ様です」
二人に頭を下げると、横にいたリンクスも慌てて頭を下げている。どう考えてもおかしい。
「本当に大丈夫か?」
「大丈夫です。少し考え事をしていましてすみません」
「こないだの件か?」
ポーリスに同行して、クライスを守るように言われて戻って来てから何か変わった気がする。考え事をしていたり、話の内容を聞いていない時さえある。
コールとの付き合いを考えれば、リンクスとの付き合いは約半分……八年くらいだ。十五歳でコールに採用されてから、普通なら五年以上はかかる訓練をたった二年で終えて諜者になった。
すぐにフェールに潜入したと聞いたが、一年もしないうちに出戻って来た。アラガスタの諜者と見破られたのではなく、勧誘されてフェールの諜者となって戻って来た。
こうなっては仕方ないとコールは笑っていたが、もっと上手くやってこいと内心思ってしまった。そしてアラガスタで司書という役割を得て、アラガスタにとって都合の良い内容を、ポーリスを通してフェールに流していた。
「えぇ、まぁ……」
はっきりとしないリンクスもまた珍しい。
「そんな煮え切らない奴だったか?」
「……今まで命の危機という状況に陥ったことがなかったんです」
報告では兵が完全に揃っていなかったおかげで、難はなかったと聞いている。
「何があったんだ?」
「何があったと言いますか……コール様が……」
たぶんクライスが関係あるのだろう。詳しく聞かなくても、何となく察してしまう。
「コール様に仕えるのが嫌になったのか?」
「いいえ、違います!」
即答したので、見過ごすことにする。もし肯定するような返事がきたら、ただではおかないところだ。
「けれどいつでも命を失う可能性があると思ったら、このままでいけないと思い始めまして……」
見過ごしてやろうとしたのに、結局嫌だと言うことだろうか。
「だから、その……ネイトにお願いがあります」
どうしてだからなのかよくわからない。
「一応、聞くが叶えるかは別の話だ」
さっさと言えと思うのに、リンクスは神妙な顔をして黙ってしまう。どれだけ難しい願いなのかとこっちまで無駄に緊張してくる。
「……く、唇を奪わせてください」
「…………は?」
何を言われたのか考えて、理解したら信じられないくらいに冷たい声を出していた。自らの命が危機に瀕して思うことがそれなのかと。
「オレにお願いしてないで、誘ってくる令嬢とすればいいだろう」
リンクスがよく貴族の令嬢に誘われているのを見た。諜者だからなのか全て断っていたが、今はもう諜者ではない。
好みの令嬢の誘いに乗って、口付けでも何でもしてくればいい。
「あ……そ、そうですね……」
見るからに悲壮感を漂わされて、面倒くさいなと思ってしまう。ふと、まさか本当に自分にしたかったのかと思った。
けれどあまりにも有り得な過ぎて、自分で笑ってしまう。
「まぁ、飲みながら相談にでも乗ってやるよ」
「……ありがとうございます」
相談に乗ると言っているのに、リンクスの肩は完全に落ちているように見えた。
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