フェールの花-価値のない王子は完璧な王に愛される-

淡海のえ

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挿話集

53 初めてのアニタ

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 人の多さに驚いて、自然とクライスの足が止まる。祭が開かれているのではないかと勘違いしてしまいそうだ。

「アニタはアラガスタの王都であり、物流の中間地点でもあるんですよ」

 一緒に来てくれたネイトの言葉に、本で読んだ内容が頭をよぎる。ただ文字を読んだだけでは、理解したと言えないのだと改めて思う。

 王都が城から末広がりになるフェールと違って、アラガスタは城と王都が離れている。コールが内乱のせいで、城と町が離れることになってしまったと言っていた。

 元は王都であるアニタは、現在城の周りに広がる平野にあった。けれど内乱で戦場となってしまい、同じ場所に町を建てるよりは、別の場所に建ててしまった方が再建にかかる時間が短いと判断したらしい。

「クライス様、まずは何からご覧になりますか?」

 聞いてくるユイアナも、アニタは久しぶりらしく楽しそうに見える。クライス自身もわくわくしているが、横にコールがいないのが残念でしょうがない。

 本当なら一緒に来られるはずだったのだが、急な用事が入ってしまった。代わりに政務を行ってくれると言ってくれたスリアには、任せられないもののようだった。

 一緒に行けないのなら、また次の機会でいいと思っていた。でもコールに代わりとして、ネイトを行かせると言われて何も言えなくなってしまった。

 結局、もともと一緒に来てくれる予定だったユイアナとキール、コールの代わりのネイトの四人でアニタに来た。

「コール様の好きなものって何かな」

 せめて好きなものでもお土産に持って帰りたいと思う。

「クライス様がお喜びになることが、コール様にとって一番だと思いますよ」

 だんだんとネイトのこともわかってきて、間違いなくどうでもいいと思っているのがわかってしまう。二人はとても仲が良くて、お互いのことが手に取るようにわかるらしい。

 だからネイトがどうでもいいと感じるなら、コールにとってもお土産など期待していないということになる。コールを喜ばせたいと思うのに、なかなか上手くいかない。

「もう、そういうことじゃないんです! クライス様、ネイト様が言うことは無視しましょう」

 珍しく頬を膨らませて怒るユイアナに、ネイトとキールが苦笑している。同時にユイアナに軽く手を引かれて、人の波に入る。

 杖が人にぶつからないか不安に感じると、ネイトがすぐ前を歩き出してくれる。キールが後ろを歩いてくれて、ユイアナが杖の方に回ってくれる。

 フェールにいる頃に同じことをされたら、間違いなく苛立ってしまっていたと思う。人に気を遣われるのは、自分がダメな証のように感じていた。

 でも今は素直に感謝できる。

「気になる場所があったら言ってくださいね」

 後ろを振り向かずに、ネイトがのんびりと言ってくる。一緒に歩いたのは三ヶ月くらい前なのに、しっかり歩調を覚えてくれているらしい。

「ありがとう」

 自然と頬が緩んで、笑顔になる。

「あ、あそこは前にクライス様が美味しいと言ったお菓子のお店ですよ」

 ユイアナの瞳がキラキラしているのを見て、寄ることにする。店内には数人の客がお菓子を選んでいるようだった。

 中を確認したキールに了承を貰って、店内に入る。一気に甘い香りが押し寄せて来て、少しだけ気後れしそうになる。

「わぁ、いい香り」

 反してユイアナはとても嬉しそうにしている。さっきよりさらに瞳を輝かせるのを見て、寄って良かったと思う。

 けれどキールとネイトは無理だったらしく、店の外で待っていると言われてしまった。

「クライス様、クライス様! お酒を使ったお菓子も置いてありますよ」

 クライスがお酒が苦手なことは、ユイアナも知っているのにと思ってはっとする。

「もしかしてコール様はお酒を使ったお菓子なら食べるの?」

「はい、たくさんは召し上がりませんけど」

「ユイアナ、ありがとう」

 お酒を使ったお菓子にもいろいろ種類があって、どれにしようか目移りしてしまう。結局、無難なパウンドケーキを選ぶ。

 こういう時、コールならもっと奇抜なものを選ぶだろうなと思う。

「ユイアナはどれがいい?」

「好きなものを選んでいいんですか?」

「もちろん」

 いつもは落ち着いているユイアナが、少しだけはしゃいでいる。せっかくコールが送り出してくれたのだから、自分ももっと楽しまなければと思う。

 その後は、必要な冬ものを見たりお茶をしたりした。フェールにいる頃は、全部できなかったことばかりだった。

「アニタはどうだった?」

 夜になって、政務を終えたコールが部屋に帰って来る。

「とても楽しかったです。コール様はお疲れ様でした」

 部屋に戻ると、コールはいつもクライスを一度抱きしめてくれる。コールの腕の中が一番安心する。

「あ、コール様にお土産があるんですよ」

 テーブルに置いておいたパウンドケーキを差し出す。

「お酒が入っているお菓子なら食べるってユイアナに聞いて……」

 ふと、一人ではしゃいでいる気がしてだんだんと声が小さくなってしまう。

「クライスが食べさせてくれるなら、何でも食べるが?」

 ネイトが言っていたことは、嘘ではなかったのかもしれない。はしゃいでしまった自分を見るコールの瞳は、とても甘い。

「そ、それじゃあ……どうぞ」

 そっと口の前に差し出すと、コールがゆっくりと口を開くのが見える。なぜかどきどきしてしまって、手が震える。

 コールが咥えるのを見た瞬間に、急いで手を離してしまう。一口で食べきれなかったパウンドケーキを、コールの指が摘まんでいる。

「まだ全部食べ切れていない」

 楽しそうなコールの言葉に、頬が熱くなる。

「じ、自分で食べ……むぐっ!」

 自分で食べられるでしょうと言おうとして、パウンドケーキで口を塞がれた。ふわっと洋酒の匂いがする。

 残りを食べろということなのだろうかと思ったら、コールの顔が近づいてくる。

「んっ!」

 咥えさせられたパウンドケーキを、コールの口が奪っていくのが見える。非効率的な食べ方に、呆れなければいけないはずなのにくらくらしてくる。

 しかも全部奪うのではなく、わざと残しているのがわかる。手で取ってしまおうかと思ったら、行動を予測していたのであろうコールに腕を掴まれる。

 せめてもの反攻に、コールを睨むとまた嬉しそうな顔をされる。再び近づいてきたコールに最後の一口を持っていかれる。

 そしてそのまま口付けられる。入り込んできた舌は、甘くて洋酒の香りがする。

「んぅ……」

 苦手なはずのお酒なのに、なぜか甘くてうっとりしてしまう。おずおずと、自らもコールの舌を舐めるようにすると口付けが深くなる。

 少しずつ力が抜けていってしまうと、コールの腕に抱き上げられる。

「疲れてないか?」

 何の確認を取られているのかわかっていて、大丈夫ですと答えていた。
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