薄味甘味アソート(ウスアジカンミアソート)

山橋雪

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誘導

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 頑固な人だ。

 良く言われる言葉である。

 しかし当の本人はと言えば、全く気にしていない。というかなぜそう言われるかわからない。

 自分の思ったこと、考えを通そうとして何が悪いのだ。
 勿論相手の主義主張を聞き議論の末に、相手の意見の方が妥当であったり、若しくは自身の考えに誤りがあったのなら、素直に相手に譲りたいし自身を正そうと思う。
 だが、その前段階、自身の意見を言っただけで、鼻つまみにされるのは納得がいかない。


 先程の会議だってそうだ。関連部署が主催で、プロジェクト進行上の懸念点の洗い出しの会議だ。レビュワーとして呼ばれた。

 いざ聞いてみればグダグダの非常に粗が目立つ説明だった。
 それだけでも非常に不愉快だったが、まずは今後大きな懸念になりそうな点を詰めたら、面倒くさそうにはぐらかされた。困るのは彼らだと言うのに。


 会議が終わり自席に戻ってきてしばらく経っているが、思い出したら腹が立ってきた。

 キーボードを打つ指に力が入る。
 そんなとき、後ろから間延びした緩い声が聞こえた。 

 同僚だった。このオフィスで唯一の同期だ。 

「もう少しテキトーに構えたらどうだい」

 この人はいつもこんな調子だ。
 先程の会議にも出席していたが、やんわりとした口調で、プロジェクトの全体的な流れについてのみコメントしていた。
 口調もそうだが、細かな点が気になる私とは真逆だと思う。
 ソリが合わないとかそんな次元ではない。

「常日頃から"適当"に対処しているつもりですが」

「あー…………そういう、ね。いや、僕が言ってるのは、もう少しチカラ抜いた感じでも良いんじゃないのってこと」

「……理解できません。給料を頂いている立場である以上、業務に対しては真面目に取り組むべきです」

「それはそうなんだけど。別にチカラを抜くことイコール真面目でない、にはならないと思うけどね」

 …………それはたしかにそうだけど。予想していなかった反論に一瞬思考が止まる。
 はぁ、という間抜けな声が漏れた。

「常に全力疾走じゃ疲れるでしょ」

「疲れて何が悪いのですか。集中して業務に取り組めば誰だって疲れるものでしょう。それともなにか? だらだらと仕事して無駄に残業時間を増やすのが良いと言っています?」

 つい苛つきが隠せず言葉が鋭くなる。悪い癖だ。彼は苦笑いをしていた。

「いや、そういう意図でもないんだけどな……とにかくあんまり追い込みすぎないようにって思っただけさ。まぁ、なにかあったら頼ってよ、数少ない同期なんだから」

「…………検討します」

 社交辞令的に、ありがちな前向き風の返事を返した。社会人になって数年も経てば、元来の性分とは合わないこんな返事もできるようになる。
 彼はニコリと微笑んでから彼のデスクに戻って行った。


 ……彼は何しに来たんだ?


 仕事はいくらでもたまっていくのだから、雑談なんてしてられないのだが。彼だって仕事ができないわけではないから、上から色々振られて忙しいだろうに。

 まぁ、どうでも良いか。
 次のタスクに移ろう。えぇと…………。


 *


 午後も淡々と業務を続けた。

 幸いにして、先程のような何のために開催しているのかわからない会議もなく、集中する時間が作れたのは非常にありがたかった。

 溜まっていたタスクも少しは減らせたか。今日までに必ず消化しなければならないもので、残っているタスクはない。あとは明日以降でも大丈夫だ。

 時計は……定時間際だ。良かった。
 先程の同期との会話が頭に木霊していた。あんな大見得を張った以上、今日は残業している姿を見られたくなかった。

 ……よし、帰るか。デスクの周りを片付け始めた。その時だった。電話がなった。


 この時間に鳴る電話で良い電話だった試しがない。
 なんでよりにもよってこの時間にその用件なのか、という電話しかない。
 溜息とともに覚悟を決めて電話に出た。

「はい。設計第二課、佐々木です」

「もしもし。佐々木か。山田だ」

 私が担当している案件の現場からだった。
 現在据付工事中。
 納期に対して確保できている据付日程が非常にタイトな案件だ。そのため、万一のトラブルが起きた場合でもリカバリを容易にするために、ベテランを現場代理人にたてたのだが…………その万一が起きてしまったのか…………。

「お疲れ様です。今日の据付作業はいかがでしたか。なにか問題でもございましたか」

「あぁ、今日は順調に進んだよ、予定している工程まできっちりと進んだ。問題はこの後だ」

「今日は順調だったのですね、良かった。それで問題と言うのは?」

「この後に作業に必要な資材が届いていない。塗料だ」

「え?」

 ……そんなわけがない。
 たしかに手配をして、現地までの発送手続きをした。無いわけがない。意味がわからなかった。

「たしかに送ったはずなんですけど…………確認しますのでちょっとお待ちいただいても良いですか。すぐ折り返します」

「それはいいけど早くしてくれ。この後すぐに顧客と今後の作業について話さないといけない。塗料が届いてないと知られてしまったら…………」

「す、すぐに調べますから。顧客と打ち合わせをするのは何時頃ですか?」

「あと1時間後だ」

「……わかりました。至急調べますから一旦切ります」

 電話を切った。
 その後で思わず頭を抱えてしまった。

 意味がわからない。というか、なんでそれが分かるのが今なんだ。タイトなスケジュールとはいえ工事の始まりから今日までに数日はあっただろう。塗料がないなんてすぐ気付けるだろうに、なんで直前なんだ。

 しかしどうしよう。もう17時を回っている。

 明日の作業は8時から。それまでに塗料がないと作業ができず、後ろの工程が遅れる。
 塗料が乾く時間を確保する必要があるから、塗装後になんとか作業時間を短縮することでリカバリをすることはできない。
 つまり、塗料が明日の作業開始までに現場に届いてなければ納期遅延が確定するということだ。

 契約上、納期遅延は数千万円の違約金が発生する。当然大赤字だ。そうなれば私の会社での立場も危うくなるだろう。

 なんてことだ。冗談じゃない。これまでどれだけ努めて業務にあたってきたと思っているんだ。それがおじゃんか。
 あぁ、いや、こんなことを考えている場合じゃない。もう5分経っている。55分後には顧客との打ち合わせが始まってしまう。その場ではせめて見通しくらいは話せないと顧客を怒らせてしまうだろう…………だめだ、思考がまとまらない………………


「……どうしよう…………」

 思わず口に出た。

 それに答えるように後ろから緩い声が聞こえた。

「大丈夫、なんとかなるよ」
 
 驚いて振り返ると、彼がいた。

「……ど、どういうこと…………?」

「言葉どおりの意味さ。盗み聞きするつもりはなかったんだけど、聞こえちゃったから聞いちゃった。塗料がなくなってしまったんだろう?」

「そうですけど…………けど明日の8時には現場にないといけないんですよ?今から発注したって間に合いませんし、場内に在庫があるかどうかもわからないし…………」

「在庫ならある。うちのプロジェクトもそろそろ現場に送る部品だったりを発注する時期でね、塗料も発注しようと思っていたんだ。その前に場内の在庫があるか念のため調べたら、ちょうど必要分あることを確認したんで、取り置いてもらってたんだ」

「そ、そうだったんですね………で、でもそちらのプロジェクトの予算に影響が…………」

「それは大丈夫さ。本来使うはずだったお金が浮いているだけなんだから。使いなよ」

 煩わしいと、性分が合わないと思っていた同期が菩薩のように見えた。思わず感謝の言葉が出る。その瞬間だった。

「あ、ありが……」

「ただし条件がある」

「えっ」
 

「キミが欲しいんだ」

 ドキリとした。胸がぎゅっと締め付けられたようだった。
 心臓がかつてないほど速く鳴っている。言葉の真意が読めない。
 どういう意味だ? ………………え、なに? く、口説いているの? この私を?

「ど、どどどういう、意味……」

 蚊の鳴くような声しか出なかった。

「ふふ……僕の策略のためにキミが欲しいんだ。悪いようにはしないよ。どう? 乗ってくれないかい?」

 彼はニコリと微笑んだ。

 今まで気付かなかった彼の綺麗な顔立ちに目を奪われた。
 思考すらも奪われて、頭は真っ白だった。
 もうどうにもできず発した言葉は。 

「……はい」
 
「良かった。じゃあ、仕事に移ろう。時間がない。ほら、惚けていないで」

 その言葉で我に返った。


 惚けていたのか私は…………?


 オフィスで、しかもこんな一大事に、惚けてしまっていた事実が恥ずかしくってしようがない。思わず語気が強くなった。

「ほ、惚けてなどいません。話が見えずポカンとしていただけです」

「ポカンとするのは良いんだ」

 彼がカラカラと笑っていた。
 なんだか型に嵌められていっている感もあるが、惚けていたと思われるよりはましだ。

「貴方の策略がどんなものだがわかりませんが、とにかく、貴方が確保していた場内の在庫をこちらに回してくれるという理解で良いのですね?」

「あぁ、その通り。あとはその塗料を現場までどう運ぶかだけど、そこはポーターを手配するしかないだろうね」

「そうですね、けどポーターにはアテがあります。前にある業者を利用しましたが、急な依頼でもすぐに対応してくれました。今電話して確認してみます」

「そうなんだ、良い返事が聞けると良いね。じゃあその間、僕は場内からその塗料を持ってきてすぐに渡せるように梱包しておくよ」

 そう言って彼は走って行った。 

 ありがたい。そう思いながら、ポーターの業者に電話した。
 

 *


 ポーターは二つ返事でOKしてくれた。

 あと2時間後に取りに来てくれて、明日の朝7時には現地に届けに行けるらしい。
 遅い時間の受取、しかも夜中の運送になるのにありがたい限りだ。

 ポーターへの発注処理、および場内在庫の出庫処理などをすぐに済ませ、現場代理人にその旨を伝えようと電話を取ったところで彼が戻ってきた。

「ほら、塗料だ。段ボールに詰めといたよ。その様子だとポーターからは良い返事が聞けたようだね」

「ええ、お陰様で。あと2時間後には取りに来て明日の朝に届けてくれるって。発注処理、場内在庫の出庫処理も済ませました。今から現場代理人に電話しようと思います」

「それは良かった。そして事務的な処理の速さはピカイチだね、流石。……現場代理人への電話なんだけど、僕も同席しても良いかな?」

「えっ……別に良いけど…………何か山田さんに用事でもあるの?」

「まぁ、そんなとこ」

 含みのある笑みに見えた。
 真意が掴めないが、先の彼の言葉を信じるならば、悪いようにはしないのだろう。

 首肯して、現場代理人にコールしつつ、スピーカーをオンにした。顧客との会話の時間まで5分を切っていた。ぎりぎり間に合った。

「はい。山田です」

「もしもし、設計第二課の佐々木です」

「おう、佐々木か。顧客と会うのはもうすぐだからハラハラしたぞ、で、どうだ? 塗料はあったか?」

「えぇ、なんとか場内の在庫を見つけました。ポーターも手配できましたので明日の朝7時にはそちらに届きます」

「それは何よりだ、ありがとうな。助かるよ。顧客にもそう伝えとく」

 その時、彼が会話に割って入った。

「あ、もしもし、すみません。設計第二課の田中です」

「え? 田中? なんだ、お前いたのか」

「えぇ、佐々木さんが何やら困ってそうだったので、事情を伺いまして。何か手伝えることはないかとお話してたんですよ」

「なんだ、そうだったのか。わざわざありがとうな」

「いえいえ、ただ、明日届ける塗料ってうちのプロジェクトが確保してたものなので、明日上司にどう言おうかなぁって少し悩んでましてね…………現地で困ってそうだから融通したよって言うために、日報かなんかで塗料が無かったこと、ちらっとでも書いてくれませんかね?」

「なんだ、そんなことか。構わないよ。顧客との会話が終わったらすぐ日報出すから待ってな」

「ありがとうございます。助かります。では、明日以降の作業も気をつけて。お疲れ様でした」

「了解。お疲れ様」

 会話はそれで終了した。

 声色から察するに現場代理人も安心したようだ。
 一時はヒヤリとしたがなんとかなって本当に良かった。
 彼には感謝だな。それにしても……

「現場代理人への報告まで付き合ってくれてありがとうね。それにしても策略って上司への言い訳のこと? それなら私から貴方の上司に話したのに」

「ううん、そうじゃないんだ。現場代理人の山田さんから報告が出るのが大事なんだ」

「ああ、現場から言われる方が上司を説得しやすいってこと?」

「いや、そういうわけでもない」

「……ごめんなさい、じゃあどういうこと?」

「ふふ、僕はね。今彼に罠を張ったのさ」

 ……罠。普段の生活で聞き慣れない言葉に耳を疑った。

「君のプロジェクトでの発注や発送に関する記録をひと通りチェックしてみたんだけど、たしかに発送された記録は残っていた」

「ですよね、発送した記憶がありますから。どうして無くなったのか理解できなかったけれど、今になって思えば多数の業者が出入りするから、間違って持っていかれたなんて可能性もあるかもしれませんね。それはそれで管理体制に問題があるのですけれどね」

「……本当にそうかな。本当に間違いで持っていかれたのだろうか。………………僕はね。ベテランの彼を疑っているのさ」

 山田さんを疑っている…………?
 社内一のベテランで信頼の厚い彼を疑う……?

「彼が現場代理人になる現場は多数ある。比較的大きな案件が多い。複数の業者が出入りするような案件だ。それだけ彼の社内における信頼が厚いということだ。だが、改めて彼が現場代理人になった案件の記録を洗ってみると、時々物が無くなっているんだ。今日みたいに」


 ……思わず言葉を失った。それって………………。


「不思議だよね。決まって大きな案件で、発送した物品の数が多いときに起こるんだ。そして、まさに作業が始まるって断面でそれが発覚している」


 彼は微笑んでいる。どこか真っ暗な陰が差しているように見えるのは気のせいだろうか。


「その時その時でなんとか追加の物を手配して届けたんだろうね、納期に間に合わせるのに必死だから、ちょくちょく物が無くなっている事実に対しては誰も何も思わなかったんだろう。いや、思う暇が無かった、が正しいか。案件が終われば、無事終わって良かったねでおしまい、デカイ物が無くなったわけではないから収支に大きな影響は及ぼしていないしね」

「そしてここからがミソだけど、彼の親族をあたると、彼の息子が塗装屋を営んでいるらしいことがわかったんだ。あまり景気の良くない塗装屋をね。…………ここまで情報が揃うとなんだかきな臭く感じないかな?」

 彼はまだ微笑んでいる。
 顔は微笑んでいるというのに凄みを感じる。
 美しさと怖ろしさが綯い交ぜになったその様はそれでもなお綺麗だった。
  

 彼は静かに語る。
 

「……僕はね。この会社をとりたいと思っているのさ。だが、正攻法だと時間がかかる。そこでまずは顔の効く彼をとるのさ。これはそのための最初の一歩」

「物が無くなった彼の現場で、物が無くなった報告を彼から社内に出してもらい、物が無くなったという記録を正式につけさせる。日報という言葉を使ったのが罠さ。始末書だったら彼は書かなかったろう。物が無くなったことに対する始末書だから、物が無くなったことにフォーカスがいくからね。一方で日報はその日の作業内容にフォーカスが行くから、ついでとして物が無くなったことを書いてくれるかなと思ったのさ。上司を説得するため、という前口上もその印象を強めるためのカモフラージュ。普段から僕が軟派な道化を演じていたのも彼の猜疑心を薄めるのに寄与しただろう」

「しかし記載内容のどこにフォーカスがいったとしても記録は記録。その日報が出たら、場内からの発送処理は適切になされている記録を突きつける。彼はのらりくらりと逃げようとするだろうが、そこで、彼の息子が塗装屋であるという情報を出してみたらどうだろう。彼と面白い会話ができそうとは思わないかな?」
 

 普段の気の抜けた立ち振る舞いからは想像のつかない姿だった。
 ものすごいギャップだ。
 けれどそれ以上に、なにか人を惹きつけるものを感じた。

「そこで君の出番さ」

「……わ、私?」

 予期せぬ指名にドキリとした。だが悪い気はしなかった。
 むしろ嬉しさを覚えた。 

「キミが欲しいと言ったろう。僕の策略には君は不可欠なんだ。君に論理で勝てるものはいない。まずは山田さんへの激詰め、期待してる。僕にはできないからね、道化だから」

 爽やかな笑顔だった。

 あぁ、なんだか波乱を招く方向に誘われている気がする。
 けれど妙な高揚感すら覚えていて心地よい。

 期待をされてしまったからか。自身の能力に。
 それとも彼に必要とされているからか。

 わからない。
 けど今は分からなくても良い。


 さて、忙しくなりそうだ。

 まずは、より詳細な情報を集めて裏を固めるか。
 逃げられないようにね。

 口元が緩むのを止められなかった。


 彼と一緒にカラカラと笑った。

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