3 / 31
第一章 無口な騎士団長は初夜を逃さない
3
しおりを挟む
*
ヴァルディエ公爵令嬢リーゼと、ヴァイス伯爵家の子息にして第一王国騎士団長であるシルヴィオ。二人の結婚は、彼女の父による政略的なものだった。
ラグローリア王国は長きにわたり、諸侯政治が敷かれてきた。
王都エリーシュでは、お飾りの若き国王を意のままに操ろうと、貴族たちの激しい権力争いが渦巻いている。
かつて、王国唯一の筆頭公爵家として権勢を誇っていたヴァルディエ家の当主アルブレヒトは、王の寵愛を独占するためなら手段を選ばない男だ。
そんな父にとって、現在、筆頭公爵として君臨し、清廉潔白で非の打ち所がないブラッツ公爵家当主レナートは、もっとも邪魔な政敵だった。
正面から粗を探しても、塵ひとつ出てこない。だからこそ、父は弱点を探すことにした。
レナートの懐刀であるシルヴィオを監視し、レナート失脚の足掛かりを見つける──その目的のために、リーゼを利用しようと目論んだ。
騎士団長程度の地位の男にとって、公爵家の娘との結婚は身に余る光栄だ。あまりに話がうますぎる。
だからこそ、聡明なレナートは、アルブレヒトの野心に気づいている可能性があった。
そうでなければ、レナートがシルヴィオの結婚をこころよく思っていないなどといううわさ話を耳にすることもなかっただろう。
誰からも祝福されない結婚をした。
そう思っていたけれど、シルヴィオは公爵令嬢との結婚に満足しているようでもあった。
唐突な夫の帰還。
思いがけない優しさを見せた夫への戸惑い……。
リーゼはすぐに部屋を出る気になれず、灰色に染まる空を眺めていた。
すると、雲の切れ間から羽をはばたかせて近づいてくる小さな影を見つけた。
急いで鍵を外す。窓を開けると同時に、灰色の翼が室内へ滑り込んでくる。
「フィン!」
部屋の中をぐるりと飛んだフィンが、ゆっくりとリーゼの肩にとまり、ぶるりと体を震わせて雪を払うと、独特のしわがれた声でさえずる。
「レナート、サンジョウ。……レナート、サンジョウ」
やはり、シルヴィオの帰還を受けて、レナートは早速王宮を訪れたのだ。
予想していたとはいえ、その事実にリーゼは愕然とした。
「それで、お父さまは?」
問い詰めるように尋ねた。
ヨウムのフィンとは、公爵家に連れてこられた幼い日からの付き合いだ。
孤独な屋敷で、唯一心を許せる相棒。彼だけが、雨の日も雪の日もリーゼに寄り添い、誰にも話せない秘密を共有してきた。
言葉以上の意思を通わせる彼には、リーゼの焦りなどお見通しだろう。
フィンは一度だけ小さく首を傾げると、宙へ向かって叫んだ。
「コクオウ、アワズ。……コクオウニ、アワズ」
フィンが繰り返す言葉の意味を理解し、リーゼの背筋に冷たいものが走った。
「お父さまは陛下に会えなかったのね……」
現国王マリウス・フォン・ラグローリア陛下は、十八歳の若き国王。レナートに絶大な信頼を置くと聞く。
今日はアルブレヒトが謁見する手はずになっていた。すでに城へ到着していた父を差し置いて、マリウスはレナートとの面会を優先したのだ。
「お父さま……怒っているわね、きっと」
報告がもう少し早ければ、父は陛下との謁見を急かしたはず。リーゼの失態を、父が許容するはずがない。
代償は鞭打ちだろうか……。いや、リヒトの身に危険が及ぶかもしれない。
アルブレヒトの怒りを想像すると、全身がぞわりと震える。
気持ちを落ち着かせようと、肩に乗るフィンの背中をするりとなでたリーゼは、彼の足に縛り付けられた紙切れに気づいた。
「お父さまからの手紙ね?」
リーゼはすぐにそれをほどき、サッと目を通す。
乱暴な筆致で、ただ一言、こう書かれていた。
『シルヴィオを宝石商バルタザールのもとへ連れていけ』
拒否権などない、絶対の命令だった。
(バルタザール……?)
王都の宝石店はすべて頭に入っているが、そのような名の店は聞いたことがない。
では、裏通りの店だろうか。
だとしたら、父はなぜ、そんな場所を指定したのか。
考え込もうとしたそのとき、部屋に近づいてくる確かな足音が、扉の向こうから聞こえてくる。
シルヴィオだ。
リーゼは弾かれたように窓辺から離れると、燃え盛る暖炉の炎の中へ手紙を投げ込み、フィンを鳥籠へと戻した。
手紙が跡形もなく燃え尽きた直後、ノックとともに扉が開く。
「……まだここにいたのか」
ヴァルディエ公爵令嬢リーゼと、ヴァイス伯爵家の子息にして第一王国騎士団長であるシルヴィオ。二人の結婚は、彼女の父による政略的なものだった。
ラグローリア王国は長きにわたり、諸侯政治が敷かれてきた。
王都エリーシュでは、お飾りの若き国王を意のままに操ろうと、貴族たちの激しい権力争いが渦巻いている。
かつて、王国唯一の筆頭公爵家として権勢を誇っていたヴァルディエ家の当主アルブレヒトは、王の寵愛を独占するためなら手段を選ばない男だ。
そんな父にとって、現在、筆頭公爵として君臨し、清廉潔白で非の打ち所がないブラッツ公爵家当主レナートは、もっとも邪魔な政敵だった。
正面から粗を探しても、塵ひとつ出てこない。だからこそ、父は弱点を探すことにした。
レナートの懐刀であるシルヴィオを監視し、レナート失脚の足掛かりを見つける──その目的のために、リーゼを利用しようと目論んだ。
騎士団長程度の地位の男にとって、公爵家の娘との結婚は身に余る光栄だ。あまりに話がうますぎる。
だからこそ、聡明なレナートは、アルブレヒトの野心に気づいている可能性があった。
そうでなければ、レナートがシルヴィオの結婚をこころよく思っていないなどといううわさ話を耳にすることもなかっただろう。
誰からも祝福されない結婚をした。
そう思っていたけれど、シルヴィオは公爵令嬢との結婚に満足しているようでもあった。
唐突な夫の帰還。
思いがけない優しさを見せた夫への戸惑い……。
リーゼはすぐに部屋を出る気になれず、灰色に染まる空を眺めていた。
すると、雲の切れ間から羽をはばたかせて近づいてくる小さな影を見つけた。
急いで鍵を外す。窓を開けると同時に、灰色の翼が室内へ滑り込んでくる。
「フィン!」
部屋の中をぐるりと飛んだフィンが、ゆっくりとリーゼの肩にとまり、ぶるりと体を震わせて雪を払うと、独特のしわがれた声でさえずる。
「レナート、サンジョウ。……レナート、サンジョウ」
やはり、シルヴィオの帰還を受けて、レナートは早速王宮を訪れたのだ。
予想していたとはいえ、その事実にリーゼは愕然とした。
「それで、お父さまは?」
問い詰めるように尋ねた。
ヨウムのフィンとは、公爵家に連れてこられた幼い日からの付き合いだ。
孤独な屋敷で、唯一心を許せる相棒。彼だけが、雨の日も雪の日もリーゼに寄り添い、誰にも話せない秘密を共有してきた。
言葉以上の意思を通わせる彼には、リーゼの焦りなどお見通しだろう。
フィンは一度だけ小さく首を傾げると、宙へ向かって叫んだ。
「コクオウ、アワズ。……コクオウニ、アワズ」
フィンが繰り返す言葉の意味を理解し、リーゼの背筋に冷たいものが走った。
「お父さまは陛下に会えなかったのね……」
現国王マリウス・フォン・ラグローリア陛下は、十八歳の若き国王。レナートに絶大な信頼を置くと聞く。
今日はアルブレヒトが謁見する手はずになっていた。すでに城へ到着していた父を差し置いて、マリウスはレナートとの面会を優先したのだ。
「お父さま……怒っているわね、きっと」
報告がもう少し早ければ、父は陛下との謁見を急かしたはず。リーゼの失態を、父が許容するはずがない。
代償は鞭打ちだろうか……。いや、リヒトの身に危険が及ぶかもしれない。
アルブレヒトの怒りを想像すると、全身がぞわりと震える。
気持ちを落ち着かせようと、肩に乗るフィンの背中をするりとなでたリーゼは、彼の足に縛り付けられた紙切れに気づいた。
「お父さまからの手紙ね?」
リーゼはすぐにそれをほどき、サッと目を通す。
乱暴な筆致で、ただ一言、こう書かれていた。
『シルヴィオを宝石商バルタザールのもとへ連れていけ』
拒否権などない、絶対の命令だった。
(バルタザール……?)
王都の宝石店はすべて頭に入っているが、そのような名の店は聞いたことがない。
では、裏通りの店だろうか。
だとしたら、父はなぜ、そんな場所を指定したのか。
考え込もうとしたそのとき、部屋に近づいてくる確かな足音が、扉の向こうから聞こえてくる。
シルヴィオだ。
リーゼは弾かれたように窓辺から離れると、燃え盛る暖炉の炎の中へ手紙を投げ込み、フィンを鳥籠へと戻した。
手紙が跡形もなく燃え尽きた直後、ノックとともに扉が開く。
「……まだここにいたのか」
11
あなたにおすすめの小説
村娘あがりの娼婦ですが、身請けされて幸せです
春月もも
恋愛
村を飛び出して王都に来たリリアは、いまは高級娼婦として生きている。
ここは通過点のはずだった。
誰かに選ばれて終わる物語なんて、わたしには関係ないと思っていたのに。
触れない客。
身体ではなく、わたしの話を聞きに来るだけの商人。
「君と話す時間を、金で買うのが嫌になった」
突然の身請け話。
値札のついた自分と向き合う三日間。
選ばれるのではなく選ぶと決めたとき、
通過点は終わりになる。
これは救いではなく対等な恋の話。
世間知らずな山ごもり薬師は、××な騎士団長の性癖淫愛から逃げ出せない
二位関りをん
恋愛
平民薬師・クララは国境沿いの深い山奥で暮らしながら、魔法薬の研究に没頭している。招集が下れば山を下りて麓にある病院や娼館で診察補助をしたりしているが、世間知らずなのに変わりはない。
ある日、山の中で倒れている男性を発見。彼はなんと騎士団長・レイルドで女嫌いの噂を持つ人物だった。
当然女嫌いの噂なんて知らないクララは良心に従い彼を助け、治療を施す。
だが、レイルドには隠している秘密……性癖があった。
――君の××××、触らせてもらえないだろうか?
最弱白竜ですが、なぜか学園最強の銀竜に番認定されました
めめめ
恋愛
竜の血を引く者だけが貴族になれるこの世界で、白竜は最も格の低い竜の証。
白竜の男爵令嬢リーゼロッテは、特待生として国内最高峰の王立竜騎学園に入学する。待っていたのは上位貴族からの蔑みと、学園を支配する四人の御曹司「四竜」。
その筆頭、銀竜公爵家の嫡男ルシアンに初日から啖呵を切ったリーゼは、いじめと嫉妬の嵐に巻き込まれていく。
それでも彼女は媚びない、逃げない、折れない。
やがてルシアンはリーゼから目が離せなくなり――
白竜の少女が、学園と王国の運命を変える。
身分差×竜×学園ラブファンタジー、開幕。
酒飲み聖女は気だるげな騎士団長に秘密を握られています〜完璧じゃなくても愛してるって正気ですか!?〜
鳥花風星
恋愛
太陽の光に当たって透けるような銀髪、紫水晶のような美しい瞳、均整の取れた体つき、女性なら誰もが羨むような見た目でうっとりするほどの完璧な聖女。この国の聖女は、清楚で見た目も中身も美しく、誰もが羨む存在でなければいけない。聖女リリアは、ずっとみんなの理想の「聖女様」でいることに専念してきた。
そんな完璧な聖女であるリリアには誰にも知られてはいけない秘密があった。その秘密は完璧に隠し通され、絶対に誰にも知られないはずだった。だが、そんなある日、騎士団長のセルにその秘密を知られてしまう。
秘密がばれてしまったら、完璧な聖女としての立場が危うく、国民もがっかりさせてしまう。秘密をばらさないようにとセルに懇願するリリアだが、セルは秘密をばらされたくなければ婚約してほしいと言ってきた。
一途な騎士団長といつの間にか逃げられなくなっていた聖女のラブストーリー。
◇氷雨そら様主催「愛が重いヒーロー企画」参加作品です。
異世界もふもふ死にかけライフ☆異世界転移して毛玉な呪いにかけられたら、凶相騎士団長様に拾われました。
和島逆
恋愛
社会人一年目、休日の山登り中に事故に遭った私は、気づけばひとり見知らぬ森の中にいた。そしてなぜか、姿がもふもふな小動物に変わっていて……?
しかも早速モンスターっぽい何かに襲われて死にかけてるし!
危ういところを助けてくれたのは、大剣をたずさえた無愛想な大男。
彼の緋色の瞳は、どうやらこの世界では凶相と言われるらしい。でもでも、地位は高い騎士団長様。
頼む騎士様、どうか私を保護してください!
あれ、でもこの人なんか怖くない?
心臓がバクバクして止まらないし、なんなら息も苦しいし……?
どうやら私は恐怖耐性のなさすぎる聖獣に変身してしまったらしい。いや恐怖だけで死ぬってどんだけよ!
人間に戻るためには騎士団長の助けを借りるしかない。でも騎士団長の側にいると死にかける!
……うん、詰んだ。
★「小説家になろう」先行投稿中です★
不憫な侯爵令嬢は、王子様に溺愛される。
猫宮乾
恋愛
再婚した父の元、継母に幽閉じみた生活を強いられていたマリーローズ(私)は、父が没した事を契機に、結婚して出ていくように迫られる。皆よりも遅く夜会デビューし、結婚相手を探していると、第一王子のフェンネル殿下が政略結婚の話を持ちかけてくる。他に行く場所もない上、自分の未来を切り開くべく、同意したマリーローズは、その後後宮入りし、正妃になるまでは婚約者として過ごす事に。その内に、フェンネルの優しさに触れ、溺愛され、幸せを見つけていく。※pixivにも掲載しております(あちらで完結済み)。
地味令嬢の私が婚約破棄された結果、なぜか最強王子に溺愛されてます
白米
恋愛
侯爵家の三女・ミレイアは、控えめで目立たない“地味令嬢”。
特に取り柄もなく、華やかな社交界ではいつも壁の花。だが幼いころに交わされた約束で、彼女は王弟・レオンハルト殿下との婚約者となっていた。
だがある日、突然の婚約破棄通告――。
「やはり君とは釣り合わない」
そう言い放ったのは、表向きには完璧な王弟殿下。そしてその横には、社交界の華と呼ばれる公爵令嬢の姿が。
悲しみも怒りも感じる間もなく、あっさりと手放されたミレイア。
しかしその瞬間を見ていたのが、王家随一の武闘派にして“最強”と噂される第一王子・ユリウスだった。
「……くだらん。お前を手放すなんて、あいつは見る目がないな」
「よければ、俺が貰ってやろうか?」
冗談かと思いきや、なぜか本気のご様子!?
次の日には「俺の婚約者として紹介する」と言われ、さらには
「笑った顔が見たい」「他の男の前で泣くな」
――溺愛モードが止まらない!
冷徹団長の「ここにいろ」は、騎士団公認の“抱きしめ命令”です
星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全16話+後日談5話⭐︎
王都最硬派、規律と責任の塊――騎士団長ヴァルド・アークライトは、夜の見回り中に路地で“落とし物”を拾った。
……いや、拾ったのは魔物の卵ではなく、道端で寝ていた少女だった。しかも目覚めた彼女は満面の笑みで「落とし物です!拾ってくださってありがとうございます!」と言い張り、団長の屋敷を“保護施設”だと勘違いして、掃除・料理・当番表作りに騎士の悩み相談まで勝手に開始。
追い出せば泣く、士気は落ちる、そして何より――ヴァルド自身の休息が、彼女の存在に依存し始めていく。
無表情のまま「危ないから、ここにいろ」と命令し続ける団長に、周囲はざわつく。「それ、溺愛ですよ」
騎士団内ではついに“団長語翻訳係”まで誕生し、命令が全部“愛の保護”に変換されていく甘々溺愛コメディ!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる