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第二章 初めての贈り物は甘くて危険な賭けでした
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「ここからは歩いていこう」
細い路地の手前で馬車を停めると、シルヴィオはリーゼの手を引いて、うっすらと雪の積もる石畳の上へ降り立った。
バルタザールの宝石店は、大通りに面した路地にあるようだった。
しかしながら、心配していたような物々しさはなく、雪を溶かす日差しの差し込む路地裏からはパンの焼ける香ばしい匂いがし、採れたての野菜を並べる露店もあった。
リーゼは露店の前で足を止めて、土をきれいに洗い落とした色とりどりの野菜を眺めた。
ヴァルディエ公爵の屋敷にリーゼが連れてこられたのは、11歳の時だった。それまでは、優しい両親、2歳になる弟リヒトと、貧しいながらも笑顔のあふれる生活を送っていた。
母がリヒトをおぶって洗濯や食事の準備をする間、リーゼは父を手伝って畑仕事をよくした。荷馬車に積んだ採れたての野菜を町へ売りに行った日々は、儚くも懐かしい思い出の一つだった。
「リーゼ、珍しいか?」
シルヴィオがいぶかしそうに話しかけてくる。公爵令嬢が足を止めるような店ではないと、彼の表情を見ればすぐにわかった。
「あ……ええ。街へ出るのは、初めてなものですから」
「……そうだったな。あなたは幼いころ、部屋から一歩も出られないほど病弱であったと聞いた。これからは俺がどこへでも連れていこう」
手を差し伸べられ、リーゼは笑顔でその手を取った。
シルヴィオなら生まれ故郷へ連れていってくれるかもしれない。
淡い期待が浮かんだが、リーゼが彼を監視しているように、リーゼもまたアルブレヒトに監視されている。
それは決して叶わない夢なのだということもわかっていた。
不安定な段差のある石畳を進んでいくと、指輪の形が刻まれた木製看板が現れた。店先に下がるそれが、風でゆらゆらと揺れ、リーゼたちを招いているように見える。
シルヴィオは後ろをついてくる従者たちに、店の前で待機するよう声をかけると、片手で薄い木製のドアを押した。
ギィ、と鈍い音がして開くドアの中を、彼は用心しながらのぞき込み、慎重に踏み入った。
店内は薄暗く、甘ったるい香水の匂いが漂っている。リーゼですら、公爵御用達の店にしては陰気すぎないかと思ったほどだ。彼がそのような態度を取るのも無理はなかった。
「店主はいるか?」
警戒心を隠さずにシルヴィオが呼びかけると、暗闇から初老の男がぬっと現れた。
その瞬間、驚きで叫びそうになったリーゼは、とっさに口もとを両手で覆った。
その男の顔を、リーゼは知っていた。
あれは、シルヴィオとの結婚が決まった直後のことだ。結婚準備のため、屋敷には連日、見知らぬ商人たちが出入りしていた。
その中のひとりに、この男もいた──
初老の男はリーゼを目に留めると、いかにも人がよさそうな笑みを浮かべ、腰を曲げた。
「これはこれは、リーゼ様。当店へようこそお越しくださいました。店主のバルタザールと申します」
「え、……ええ。父がぜひにと言うものですから、夫と参りました」
リーゼは強張るほおをゆるめて、シルヴィオを紹介した。
しかし、ぞくぞくと冷たい寒気がさっきからずっと背中を這っている。
このバルタザールという男は、リーゼの知る限り、宝石商ではない。
あの日──、確かに見たのだ。
ウェディングドレスの採寸を終え、部屋へ戻ろうとしたあのとき、アルブレヒトがこの男と応接間で話す姿を。
『この旗の紋章をよく覚えておけ。次に声をかけるときは、獲物に仕掛けるときだ』
低い声でバルタザールへ命じたアルブレヒトの手には、太陽を模した模様の描かれた紙が握られていた。
リーゼはあの模様を知っていた。
(あれは、反乱軍の──暁の紋章。まさか。でも、どうして……)
ごくりと息を飲んだとき、アルブレヒトが薄く開いた応接間の扉に気付いて立ち上がった。
リーゼは無我夢中で走って自室へ戻った。
あの日見たことは記憶の中に封じ込めた。公爵邸で見聞きしたものは、そうやって忘れる努力をしてきた。そうしなければ、生きられないと信じていた。
まさか、こんなところであの日の記憶が呼び戻されるとは想像すらしていなかった。
「シルヴィオ・ヴァイスだ。珍しい場所に店を出しているのだな」
冷静なシルヴィオの声にハッとして、リーゼは彼を見上げた。
何かを疑うのか、彼は男に冷ややかな目を向けていた。しかし、バルタザールは笑顔を保ったまま、物腰柔らかに答える。
「はい。商人だった曽祖父より譲り受けた家でございます。若旦那様にはボロ屋に見えましょうが、思い入れがありますゆえ……ささ、どうぞ、中へお入りください」
バルタザールは店の奥へと進みながら、慣れた手つきで壁のランプに次々と火を灯していった。
「ここからは歩いていこう」
細い路地の手前で馬車を停めると、シルヴィオはリーゼの手を引いて、うっすらと雪の積もる石畳の上へ降り立った。
バルタザールの宝石店は、大通りに面した路地にあるようだった。
しかしながら、心配していたような物々しさはなく、雪を溶かす日差しの差し込む路地裏からはパンの焼ける香ばしい匂いがし、採れたての野菜を並べる露店もあった。
リーゼは露店の前で足を止めて、土をきれいに洗い落とした色とりどりの野菜を眺めた。
ヴァルディエ公爵の屋敷にリーゼが連れてこられたのは、11歳の時だった。それまでは、優しい両親、2歳になる弟リヒトと、貧しいながらも笑顔のあふれる生活を送っていた。
母がリヒトをおぶって洗濯や食事の準備をする間、リーゼは父を手伝って畑仕事をよくした。荷馬車に積んだ採れたての野菜を町へ売りに行った日々は、儚くも懐かしい思い出の一つだった。
「リーゼ、珍しいか?」
シルヴィオがいぶかしそうに話しかけてくる。公爵令嬢が足を止めるような店ではないと、彼の表情を見ればすぐにわかった。
「あ……ええ。街へ出るのは、初めてなものですから」
「……そうだったな。あなたは幼いころ、部屋から一歩も出られないほど病弱であったと聞いた。これからは俺がどこへでも連れていこう」
手を差し伸べられ、リーゼは笑顔でその手を取った。
シルヴィオなら生まれ故郷へ連れていってくれるかもしれない。
淡い期待が浮かんだが、リーゼが彼を監視しているように、リーゼもまたアルブレヒトに監視されている。
それは決して叶わない夢なのだということもわかっていた。
不安定な段差のある石畳を進んでいくと、指輪の形が刻まれた木製看板が現れた。店先に下がるそれが、風でゆらゆらと揺れ、リーゼたちを招いているように見える。
シルヴィオは後ろをついてくる従者たちに、店の前で待機するよう声をかけると、片手で薄い木製のドアを押した。
ギィ、と鈍い音がして開くドアの中を、彼は用心しながらのぞき込み、慎重に踏み入った。
店内は薄暗く、甘ったるい香水の匂いが漂っている。リーゼですら、公爵御用達の店にしては陰気すぎないかと思ったほどだ。彼がそのような態度を取るのも無理はなかった。
「店主はいるか?」
警戒心を隠さずにシルヴィオが呼びかけると、暗闇から初老の男がぬっと現れた。
その瞬間、驚きで叫びそうになったリーゼは、とっさに口もとを両手で覆った。
その男の顔を、リーゼは知っていた。
あれは、シルヴィオとの結婚が決まった直後のことだ。結婚準備のため、屋敷には連日、見知らぬ商人たちが出入りしていた。
その中のひとりに、この男もいた──
初老の男はリーゼを目に留めると、いかにも人がよさそうな笑みを浮かべ、腰を曲げた。
「これはこれは、リーゼ様。当店へようこそお越しくださいました。店主のバルタザールと申します」
「え、……ええ。父がぜひにと言うものですから、夫と参りました」
リーゼは強張るほおをゆるめて、シルヴィオを紹介した。
しかし、ぞくぞくと冷たい寒気がさっきからずっと背中を這っている。
このバルタザールという男は、リーゼの知る限り、宝石商ではない。
あの日──、確かに見たのだ。
ウェディングドレスの採寸を終え、部屋へ戻ろうとしたあのとき、アルブレヒトがこの男と応接間で話す姿を。
『この旗の紋章をよく覚えておけ。次に声をかけるときは、獲物に仕掛けるときだ』
低い声でバルタザールへ命じたアルブレヒトの手には、太陽を模した模様の描かれた紙が握られていた。
リーゼはあの模様を知っていた。
(あれは、反乱軍の──暁の紋章。まさか。でも、どうして……)
ごくりと息を飲んだとき、アルブレヒトが薄く開いた応接間の扉に気付いて立ち上がった。
リーゼは無我夢中で走って自室へ戻った。
あの日見たことは記憶の中に封じ込めた。公爵邸で見聞きしたものは、そうやって忘れる努力をしてきた。そうしなければ、生きられないと信じていた。
まさか、こんなところであの日の記憶が呼び戻されるとは想像すらしていなかった。
「シルヴィオ・ヴァイスだ。珍しい場所に店を出しているのだな」
冷静なシルヴィオの声にハッとして、リーゼは彼を見上げた。
何かを疑うのか、彼は男に冷ややかな目を向けていた。しかし、バルタザールは笑顔を保ったまま、物腰柔らかに答える。
「はい。商人だった曽祖父より譲り受けた家でございます。若旦那様にはボロ屋に見えましょうが、思い入れがありますゆえ……ささ、どうぞ、中へお入りください」
バルタザールは店の奥へと進みながら、慣れた手つきで壁のランプに次々と火を灯していった。
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