側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、孤独な陛下を癒したら、執着されて離してくれません!

花瀬ゆらぎ

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側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、孤独な陛下を癒したら、執着されて離してくれません!

婚約破棄と父からの残酷な命令

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「おまえには、国王陛下の側妃になってもらう」

 父、オーロン伯爵の声は、冷たく絶対的だった。

 背筋に嫌な汗が伝う。

 絶望から立ちあがろうとしていたのに、それすら許されない。
 傷ついた心に残されていた、わずかな灯火も消えてしまった。

 イリアは愛する婚約者アルフレッドと、一番の親友リリアンに裏切られ、婚約を破棄されたばかりだった。

 侯爵家の子息であるアルフレッドを、イリアは『運命の相手』として深く信頼し、彼と築くはずだった平穏な未来を心から望んでいた。

「ごめん、イリア。……リリアンと結婚したい」

 謝罪の言葉を口にしているのに、アルフレッドの声は淡々としていた。

 そこにはもう、かつての愛はない。
 庭園に咲く花々を眺めながら微笑み合った日は、遠い過去のようだった。

 彼の隣に立つのは、リリアン。幼いころからともに育った良き理解者。誰よりも、アルフレッドとの婚約を喜んでくれた親友……のはずだった。

 彼女は震える手を握りしめながら、泣き笑うような顔をしていた。

「イリア、ごめんなさい。でも、私……本当に彼を愛しているの」

 ようやく、奪えたわ。

 そんな気持ちが透けて見える声に、イリアの心は静かに壊れていった。

 つい昨日まで、アルフレッドと未来を誓い合っていたのに。
 それが、親友の手で奪われていくなんて……。

「……どうか幸せに」

 絞り出した声は、自分でも驚くほど穏やかだった。

 その瞬間、アルフレッドが安堵するように目を伏せ、リリアンと目配せしたのを、イリアは一生忘れないだろう。

 人の幸せを壊してまで得ようとする愛を、どうして祝福できただろうか──

 この数日、自身の心の狭さに悩み、落ち込んでばかりいたが、父の言葉はイリアを現実に引き戻した。

「側妃だなんて、私は……」
「婚約を破棄された娘などに、正当な嫁ぎ先はない。せめて、王家に恩を売り、我が伯爵家のために役立て」

 野心家の父がいかに怒っているのか、イリアはその言葉の節々から感じ取った。

 婚約者にも、父にも見捨てられた。悲しみを分け与える親友も、もういない。

 恥知らずめ。結婚できるだけマシと思え。

 そう言っているかのような、父の冷たいまなざしから目をそらし、イリアはドレスをつまんで頭をさげた。

「つつしんで、お受けいたします」
「わかれば、それでいい。さてイリア、出発は明後日。すぐに準備をしなさい」
「あまりにも……急ではありませんか?」

 盾ついたように見えたのか、父は不機嫌そうに鼻を鳴らす。

「フェイラン陛下はまだお若いが、正妃との間に子がなく、世継ぎを望まれているのだ。おまえはただ、自身の役割を果たすがよい」

 そう吐き捨てると、父はメイドに支度をするよう言いつけ、部屋を出ていった。





 王都へ向かう馬車の車輪が、乾いた石畳を軋ませながら進んでいった。

 窓の外には、ミモザの花が咲き乱れている。けれど、その色彩さえ、今のイリアには色褪せて見えた。

 リリアンと一緒に、ミモザの花飾りを編み、お互いの髪に飾り合った昼下がり。
 突然降り出した小雨に濡れながら、傘を分け合った帰り道。
 どんな王子様が迎えに来てくださるかしらと、空にかかる虹をふたりで眺めた夕刻。

 どの記憶にも、明るい笑い声と優しい笑顔があった。

 あれもすべて、嘘だったのだろうか。

 街を抜け、のどかな農園の景色が広がると、ようやく、イリアは息をついた。しかし、気が晴れることはない。

 見送りの者は、誰ひとり声をかけてこなかった。

 侯爵家の子息に裏切られ、取り急ぐように側妃として嫁ぐ娘に、使用人ですら、祝福された結婚ではないと哀れみの目を向けていた。

 これほど、屈辱的な結婚があるだろうか。

 それにしても、とイリアは頭を巡らせる。

 陛下はどんな方だろう。あまり表に出てくることのない方だとは聞く。

 即位当初、薄情、病弱、怠惰……さまざまなうわさのあった方ではあるが、公爵令嬢と結婚し、大陸中が祝福に包まれたのは、遠い記憶ではない。

 まさか、アルフレッドとともに陛下の結婚を祝福した自身が、王の寵愛を受けることになるとは誰が想像できただろう。

 馬車が大きく揺れ、ふたたび、石畳の道を走り始めたのに気づいて、イリアは窓から顔をのぞかせ、前方を眺めた。

 遠くに、白い城壁が見える。

 あれが、エストレア王城。我が夫となるフェイラン・アーデン陛下の住まう城。

 雲を貫くようにそびえる塔の先端が、陽光を受けて淡く輝いていた。そのまぶしい光の裏には何があるだろうか。イリアは拍動する胸を押さえた。

「……せめて、誇りだけは、失わないように」

 誰にも届かない声で、小さくつぶやいた。その言葉だけが、傷ついた彼女を支える、かすかな祈りだった。

 城下町の入り口に差し掛かると、馬車はゆっくりと停車した。

 何ごとかと耳を澄ますと、御者のやり取りから、検問を受けているのがわかった。

「行ってよしっ!」

 乾いた声が響き、馬車はふたたび動き出す。

 派手な歓迎を期待していたわけではない。けれど、王家の紋章を掲げた馬車が通るというのに、人々の関心は薄かった。

 ちらりと足を止めた者たちが、「今日は何かの行事でもあるのか?」と、ひそひそと声を交わしている。

 イリアは気づかずにはいられなかった。歓迎されていないと。それどころか、その存在すら公にはされていないのだ。
 
 先代の王にも多くの側妃がいた。だが、彼女たちは外交のために他国から迎え入れられた姫君たちだった。イリアのように自国の……しかも、伯爵の娘を迎えるのは珍しかった。

 フェイラン陛下と王妃との間には、まだ子がいない。後継を求める声が高まるなか、自分は"そのため"に召されたことも理解している。

 それにしても、ここまで冷ややかなものかしら。

 馬車から足を地に下ろしたイリアは、王宮の入り口で待ち構える侍女を見て、よりその思いを強くした。

 イリアを出迎えたのは、たったひとりの侍女だった。王の側妃を迎えるというのに、この静けさ。胸の奥に、わずかな痛みが走る。

 彼女はイリアを見るなり、丁寧に頭を下げた。

「イリア・ローレンス様でいらっしゃいますね。陛下付の侍女、エルザと申します。本日より、お身周りのことはすべて私が承ります」

 言葉遣いは丁寧だった。だが、その笑みの奥には、どこか探るような冷たさがあった。

 エルザは、イリアよりひと回りほど年上に見えた。伯爵家のメイドたちはイリアに対してのびのびと接していたが──この城では、誰もがこうなのだろうか。

「ご丁寧にありがとう。……案内をお願いできるかしら」
「かしこまりました。こちらへどうぞ」
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