2 / 2
側妃の条件は「子を産んだら離縁」でしたが、孤独な陛下を癒したら、執着されて離してくれません!
冷ややかな歓迎と孤独を纏う国王陛下
しおりを挟む
王宮の廊下を進むと、金糸のタペストリーや豪奢な花々が目に飛び込んでくる。
階段を上がると、歴代の王を描いた絵画が立ち並んでいた。
その一つひとつすべてが立派で、地方で育ったイリアの立場の小ささを思い知らせるようだった。
背筋を伸ばし、気を張って歩くイリアを、扉の前で止まったエルザが振り返る。
「こちらが、陛下の御前に出る際の控え室でございます」
そして、何気ない調子で言葉を続けた。
「田舎からおいでと伺っておりますので、王宮での作法が少々異なりますかと存じます。ご心配には及びません。私が丁寧にお教えいたします」
イリアは一瞬、崩れ落ちそうになる表情を保ったまま、心の奥がざらつくのを感じた。
"田舎からおいで"とは、ずいぶんな言い方ね。
それでも優雅な笑みを浮かべ、上品に返す。
「ええ、助かります。どうかよろしくお願いします」
控え室に通されると、エルザは早速、陛下に対する挨拶の手本を見せた。
「陛下への挨拶は特別でございます。ほんの少しでも手を抜けば、不敬と取られますゆえ、くれぐれもお気をつけくださいませ。まず、陛下の御前では、すそを両手で広く持ち上げ、このように腰を落とします。そして『お目にかかれて光栄でございます、陛下』とお声をかけてくださいませ」
イリアはその所作を見つめながら、胸の内で小さく首をかしげた。
(ドレスをあんなにも広げて……、少し、華やかすぎないかしら)
本来、公的な行事では、手のひらはそっとドレスに添えるだけのはず。
しかし、イリアは陛下に会ったことがない。ドレスを広げるのが正しいと言われれば、それを信じるしかない。
「わかりました。ありがとう」
そう答えつつ、イリアの脳裏には、一枚の絵画がよぎっていた。
ここへ来るまでの廊下に飾られた絵画。
令嬢が身をかがめ、両手を胸の前に重ねて、王へ一礼する姿。
それは、エルザの教えとはまったく違う所作──
(……やっぱり、何か引っかかるわ)
イリアはもやもやしたが、問いただそうとはしなかった。
それから、エルザの一方的な振る舞いを、イリアはただ黙って受け入れた。
父の用意した華やかなドレスを流行じゃないと言って取り替えたり、母の形見である格別豪華なネックレスを野暮ったいと馬鹿にして、箱から取り出そうともしなかったが、彼女の機嫌を損ねるのは得策ではなかった。
何より、エルザの用意した装飾品やドレスは、今まで見たことがないほどに雅やかで、どんなに彼女がイリアを軽んじようとも、表面上は歓迎してくれていると思えたのだ。
おそらく、今のイリアを見たら、アルフレッドが悔しがるほどに美しく着飾った彼女は、陛下の待つ部屋へと案内された。
長い回廊を渡り、何度も折り返す階段を昇った先に、その部屋はあった。
「陛下、イリア・ローレンス様をお連れいたしました」
エルザの呼びかけに応える声はなかった。しかし、彼女は臆する様子もなく、扉を押し開いた。
繊細で美しい金色の髪を持つ青年を真っ先に目にとめたイリアは、驚いてまばたきをした。
この青年が、フェイラン・アーデン──エストレア国の若き王。
彼は王座ではなく、木製の椅子に腰をおろし、机の上に開かれた書簡をぼんやりと眺めていた。
てっきり、謁見の間で顔を合わせるとばかり思っていたが、そうではなかった。執務中に見えるが、熱心に取り組んでいるようでもない。
ここは……、彼の私室だろうか。
そうと気づくと、イリアは軽く握ったこぶしに力を入れた。
温かく迎え入れてもらえると思っていた、ほんの少し前の自分がとてつもなく腹立たしく、恥ずかしかった。
側妃とはいえ、己の妃がやってきたというのに、形式すら欠き、私室に呼びつけるとは、イリアを軽んじているにほかならなかった。
イリアは深く息を吸い込んで落ち着きを取り戻すと、凛と背筋を伸ばして前へ進み出た。
フェイランがわずかに、こちらへ目を移す。かすんだ灰色のような青の瞳に、一瞬、ひるんだ。
王としての威厳など感じられない。
薄情、病弱、怠惰……彼を表す言葉すべてがあてはまるような、士気のない姿だった。
フェイランがゆっくりと立ち上がった。
イリアはハッとして、エルザに教えられた通りに左足を引いて腰を落とした。
そして、ドレスのすそを取ろうと、手を伸ばしかけて──ふと、あの絵画を思い浮かべた。
王妃として迎え入れられる令嬢が、両手を胸の前に重ねて頭を垂れていたあの姿。
それが本当の敬意の形のように思えた。
イリアはそっと両手を胸の前で重ね、深く頭を下げた。
「イリア・ローレンスにございます。陛下の御前に参上できましたこと、大変光栄に存じます」
長い沈黙が続いた。
耳に届くのは、鳥のさえずりだけ。
──間違えた、だろうか。
不安が胸を締めつける。急速に高まる激しい拍動。焦りがひたいに汗をにじませたとき、低く少しかすれた声が部屋に響いた。
「……そうか」
それだけだった。
イリアが顔をあげた時、フェイランはすでに視線を窓の外へ向けていた。
風に揺れるカーテンの向こう、遠くの空を見ている。
そこに、王としての関心も、これから夫婦になろうという妻への情もなかった。まるで、この世界の何事にも興味がないかのようだった。
「……エルザ」
「はい、陛下」
「彼女を、客室へ案内しなさい」
「かしこまりました」
エルザがうやうやしく頭を下げる。
イリアは驚きのあまり、声を出すことができなかった。
(客室……ですって?)
王の妃を、一時的な滞在者のように扱う。それは、イリアを重視していないと言ったようなものだった。
「それと……、ここへはもう来てはならない」
焦点の定まらないような目で虚空を見つめるフェイランは、どこか痛みをかかえたような表情をしていた。
「イリア様、どうぞこちらへ」
イリアは深く頭を下げ、エルザの待つ扉へと向かった。
そのとき、彼の視線が一瞬だけこちらに向いた気がした。けれど、それが錯覚なのか、本当なのか、確かめることはできなかった。
扉の静かに閉じる音が、胸の奥に重く落ちていった。
春を告げるミモザが咲き始めたころだというのに、王宮の空気は、外よりもずっと冷たかった。
階段を上がると、歴代の王を描いた絵画が立ち並んでいた。
その一つひとつすべてが立派で、地方で育ったイリアの立場の小ささを思い知らせるようだった。
背筋を伸ばし、気を張って歩くイリアを、扉の前で止まったエルザが振り返る。
「こちらが、陛下の御前に出る際の控え室でございます」
そして、何気ない調子で言葉を続けた。
「田舎からおいでと伺っておりますので、王宮での作法が少々異なりますかと存じます。ご心配には及びません。私が丁寧にお教えいたします」
イリアは一瞬、崩れ落ちそうになる表情を保ったまま、心の奥がざらつくのを感じた。
"田舎からおいで"とは、ずいぶんな言い方ね。
それでも優雅な笑みを浮かべ、上品に返す。
「ええ、助かります。どうかよろしくお願いします」
控え室に通されると、エルザは早速、陛下に対する挨拶の手本を見せた。
「陛下への挨拶は特別でございます。ほんの少しでも手を抜けば、不敬と取られますゆえ、くれぐれもお気をつけくださいませ。まず、陛下の御前では、すそを両手で広く持ち上げ、このように腰を落とします。そして『お目にかかれて光栄でございます、陛下』とお声をかけてくださいませ」
イリアはその所作を見つめながら、胸の内で小さく首をかしげた。
(ドレスをあんなにも広げて……、少し、華やかすぎないかしら)
本来、公的な行事では、手のひらはそっとドレスに添えるだけのはず。
しかし、イリアは陛下に会ったことがない。ドレスを広げるのが正しいと言われれば、それを信じるしかない。
「わかりました。ありがとう」
そう答えつつ、イリアの脳裏には、一枚の絵画がよぎっていた。
ここへ来るまでの廊下に飾られた絵画。
令嬢が身をかがめ、両手を胸の前に重ねて、王へ一礼する姿。
それは、エルザの教えとはまったく違う所作──
(……やっぱり、何か引っかかるわ)
イリアはもやもやしたが、問いただそうとはしなかった。
それから、エルザの一方的な振る舞いを、イリアはただ黙って受け入れた。
父の用意した華やかなドレスを流行じゃないと言って取り替えたり、母の形見である格別豪華なネックレスを野暮ったいと馬鹿にして、箱から取り出そうともしなかったが、彼女の機嫌を損ねるのは得策ではなかった。
何より、エルザの用意した装飾品やドレスは、今まで見たことがないほどに雅やかで、どんなに彼女がイリアを軽んじようとも、表面上は歓迎してくれていると思えたのだ。
おそらく、今のイリアを見たら、アルフレッドが悔しがるほどに美しく着飾った彼女は、陛下の待つ部屋へと案内された。
長い回廊を渡り、何度も折り返す階段を昇った先に、その部屋はあった。
「陛下、イリア・ローレンス様をお連れいたしました」
エルザの呼びかけに応える声はなかった。しかし、彼女は臆する様子もなく、扉を押し開いた。
繊細で美しい金色の髪を持つ青年を真っ先に目にとめたイリアは、驚いてまばたきをした。
この青年が、フェイラン・アーデン──エストレア国の若き王。
彼は王座ではなく、木製の椅子に腰をおろし、机の上に開かれた書簡をぼんやりと眺めていた。
てっきり、謁見の間で顔を合わせるとばかり思っていたが、そうではなかった。執務中に見えるが、熱心に取り組んでいるようでもない。
ここは……、彼の私室だろうか。
そうと気づくと、イリアは軽く握ったこぶしに力を入れた。
温かく迎え入れてもらえると思っていた、ほんの少し前の自分がとてつもなく腹立たしく、恥ずかしかった。
側妃とはいえ、己の妃がやってきたというのに、形式すら欠き、私室に呼びつけるとは、イリアを軽んじているにほかならなかった。
イリアは深く息を吸い込んで落ち着きを取り戻すと、凛と背筋を伸ばして前へ進み出た。
フェイランがわずかに、こちらへ目を移す。かすんだ灰色のような青の瞳に、一瞬、ひるんだ。
王としての威厳など感じられない。
薄情、病弱、怠惰……彼を表す言葉すべてがあてはまるような、士気のない姿だった。
フェイランがゆっくりと立ち上がった。
イリアはハッとして、エルザに教えられた通りに左足を引いて腰を落とした。
そして、ドレスのすそを取ろうと、手を伸ばしかけて──ふと、あの絵画を思い浮かべた。
王妃として迎え入れられる令嬢が、両手を胸の前に重ねて頭を垂れていたあの姿。
それが本当の敬意の形のように思えた。
イリアはそっと両手を胸の前で重ね、深く頭を下げた。
「イリア・ローレンスにございます。陛下の御前に参上できましたこと、大変光栄に存じます」
長い沈黙が続いた。
耳に届くのは、鳥のさえずりだけ。
──間違えた、だろうか。
不安が胸を締めつける。急速に高まる激しい拍動。焦りがひたいに汗をにじませたとき、低く少しかすれた声が部屋に響いた。
「……そうか」
それだけだった。
イリアが顔をあげた時、フェイランはすでに視線を窓の外へ向けていた。
風に揺れるカーテンの向こう、遠くの空を見ている。
そこに、王としての関心も、これから夫婦になろうという妻への情もなかった。まるで、この世界の何事にも興味がないかのようだった。
「……エルザ」
「はい、陛下」
「彼女を、客室へ案内しなさい」
「かしこまりました」
エルザがうやうやしく頭を下げる。
イリアは驚きのあまり、声を出すことができなかった。
(客室……ですって?)
王の妃を、一時的な滞在者のように扱う。それは、イリアを重視していないと言ったようなものだった。
「それと……、ここへはもう来てはならない」
焦点の定まらないような目で虚空を見つめるフェイランは、どこか痛みをかかえたような表情をしていた。
「イリア様、どうぞこちらへ」
イリアは深く頭を下げ、エルザの待つ扉へと向かった。
そのとき、彼の視線が一瞬だけこちらに向いた気がした。けれど、それが錯覚なのか、本当なのか、確かめることはできなかった。
扉の静かに閉じる音が、胸の奥に重く落ちていった。
春を告げるミモザが咲き始めたころだというのに、王宮の空気は、外よりもずっと冷たかった。
22
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
冷遇王妃はときめかない
あんど もあ
ファンタジー
幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。
だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。
婚約者に値踏みされ続けた文官、堪忍袋の緒が切れたのでお別れしました。私は、私を尊重してくれる人を大切にします!
ささい
恋愛
王城で文官として働くリディア・フィアモントは、冷たい婚約者に評価されず疲弊していた。三度目の「婚約解消してもいい」の言葉に、ついに決断する。自由を得た彼女は、日々の書類仕事に誇りを取り戻し、誰かに頼られることの喜びを実感する。王城の仕事を支えつつ、自分らしい生活と自立を歩み始める物語。
ざまあは後悔する系( ^^) _旦~~
小説家になろうにも投稿しております。
追放した私が求婚されたことを知り、急に焦り始めた元旦那様のお話
睡蓮
恋愛
クアン侯爵とレイナは婚約関係にあったが、公爵は自身の妹であるソフィアの事ばかりを気にかけ、レイナの事を放置していた。ある日の事、しきりにソフィアとレイナの事を比べる侯爵はレイナに対し「婚約破棄」を告げてしまう。これから先、誰もお前の事など愛する者はいないと断言する侯爵だったものの、その後レイナがある人物と再婚を果たしたという知らせを耳にする。その相手の名を聞いて、侯爵はその心の中を大いに焦られるのであった…。
婚約者に突き飛ばされて前世を思い出しました
天宮有
恋愛
伯爵令嬢のミレナは、双子の妹キサラより劣っていると思われていた。
婚約者のルドノスも同じ考えのようで、ミレナよりキサラと婚約したくなったらしい。
排除しようとルドノスが突き飛ばした時に、ミレナは前世の記憶を思い出し危機を回避した。
今までミレナが支えていたから、妹の方が優秀と思われている。
前世の記憶を思い出したミレナは、キサラのために何かすることはなかった。
“妖精なんていない”と笑った王子を捨てた令嬢、幼馴染と婚約する件
大井町 鶴
恋愛
伯爵令嬢アデリナを誕生日嫌いにしたのは、当時恋していたレアンドロ王子。
彼がくれた“妖精のプレゼント”は、少女の心に深い傷を残した。
(ひどいわ……!)
それ以来、誕生日は、苦い記憶がよみがえる日となった。
幼馴染のマテオは、そんな彼女を放っておけず、毎年ささやかな贈り物を届け続けている。
心の中ではずっと、アデリナが誕生日を笑って迎えられる日を願って。
そして今、アデリナが見つけたのは──幼い頃に書いた日記。
そこには、祖母から聞いた“妖精の森”の話と、秘密の地図が残されていた。
かつての記憶と、埋もれていた小さな願い。
2人は、妖精の秘密を確かめるため、もう一度“あの場所”へ向かう。
切なさと幸せ、そして、王子へのささやかな反撃も絡めた、癒しのハッピーエンド・ストーリー。
この恋に終止符(ピリオド)を
キムラましゅろう
恋愛
好きだから終わりにする。
好きだからサヨナラだ。
彼の心に彼女がいるのを知っていても、どうしても側にいたくて見て見ぬふりをしてきた。
だけど……そろそろ潮時かな。
彼の大切なあの人がフリーになったのを知り、
わたしはこの恋に終止符(ピリオド)をうつ事を決めた。
重度の誤字脱字病患者の書くお話です。
誤字脱字にぶつかる度にご自身で「こうかな?」と脳内変換して頂く恐れがあります。予めご了承くださいませ。
完全ご都合主義、ノーリアリティノークオリティのお話です。
菩薩の如く広いお心でお読みくださいませ。
そして作者はモトサヤハピエン主義です。
そこのところもご理解頂き、合わないなと思われましたら回れ右をお勧めいたします。
小説家になろうさんでも投稿します。
婚約者が裏でこっそり姫と付き合っていました!? ~あの時離れておいて良かったと思います、後悔はありません~
四季
恋愛
婚約者が裏でこっそり姫と付き合っていました!?
あの時離れておいて良かったと思います、後悔はありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる