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母、アンジェリカの人生
しおりを挟むあの時、その慌てぶりを不審に思うべきだった。そうすれば母は………
子どもだった自分に何も出来たはずがない。そうわかっていても、側にいながら母を守れなかった自分を、シオンは今も赦してはいない。
今度こそ大切な人を幸せにしたいと思ったのに!
ピンクのガーベラを愛する大切な人の命が、
またしても、指の隙間から零れ落ちていくかもしれない…………
最悪の想像に、シオンの身体が総毛立った。
◇
父、前ゼノア公爵の本邸にいた頃の母は、日に日に窶れ、笑顔を失くしていった。
終いには倒れてしまい、医者の薦めもあって転地療養を選んだ母に、自分もついて行くことにした。
跡取り息子を本邸から出したくない父は、強く反対したが、母の側を離れない息子に、渋々それを許した。
「あんたのせいだ!」
そう言って、仇を見るように自分を見る息子に、それ以上、反対出来なかったというのもある。
父と母は、身分の高さからは珍しく、恋愛結婚だった……そう思わせられていた。
母に求愛したのは父だけではなかったが、最も熱心に母を口説く父に、祖父母は娘の幸せを託したそうだ。
母も父を愛するようになり、世紀の大恋愛とまで言われた結婚生活は、幸せそのものに見えていたという。
───ジェイド・ゼノア。お前の父親のもうひとつの家庭が見つかるまでは。
なぜ母は、ああも苦しまなければならないのかと、原因をしつこく尋ねる孫に、祖父母は自分達が娘を不幸にしたと、涙ながらにすべてを話してくれた。
『ジェイドには、若い頃からの愛人がおった。
お前の母と結婚する頃には、既に娘がいたのだ。
それが事前にわからなかったのは、ジェイドが本邸の女中頭として隠していたせいだ
……………私達の調査が甘かったのだよ
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身分に対する責任感があそこまで強かったとは……そう育つようにしたのは私達だ、私達のせいだ、アンジェがあんなめに会ったのは。私達がジェイドを薦めなければ……。
ああ、すまない。脱線してしまったね。
………本妻であるアンジェと同じ屋敷に住む愛人が、何もしないわけないだろう?
アンジェよりも先に屋敷に住んでいた愛人は、真の女主人は自分であると言っていたらしい。
そして屋敷中の使用人を味方につけて、あの娘への嫌がらせを、どんどんエスカレートさせたと………。
可哀想に、そのせいでお前の兄は……産まれてくることが出来なかったのだよ。
お腹の子が跡取りだったと知ったジェイドは、激怒して愛人と娘達を、この時ようやく別邸に追いやったそうだ。
だが、お前の母の心にはジェイドへの愛は残っておらず、関係が修復されることはなかったらしい。
それでもジェイドには、アンジェの血を引く跡取りが必要だったのだろう。
お前を身籠ったと聞いたときに、無理にでも連れ帰るべきだったと、今でも思っているよ。
身重のアンジェへの嫌がらせを、愛人がやめなかったらしいからな。
…………シオン、生まれてきてくれてありがとう。
お前が無事生まれたことを、アンジェは本当に喜んだのだよ。あんなに責任感の強い娘が、お前の為に離婚を考え始めたくらいにね。
第一、跡取りが出来たことで安心したのか、お前が産まれてからは、ジェイドは愛人の元で暮らしていたようだからな。
今もジェイドは変わらないか?
そうか………………
すまない、シオン。
まだ子どものお前に、話していいことではないのはわかっている。
だが、あの愛人が男子を産めば、お前も何をされるかわからん。
それを知っていても、私らはお前達の側で守ってやれないのだ。
せいぜい、うちの騎士をつけてやることしか出来ない。
だから、お前も気をつけるのだ。
そして、自分自身と母親を守って欲しい』
そう言って、祖父はシオンを抱きしめた。
シオンの記憶には父に愛されている母の姿がない。祖父の話に、その理由を知った。
シオンがやがて11歳を迎えるという頃、
偽りだった愛と、度重なる夫の裏切りに兄の死、今なお続く愛人の嫌がらせ。
そして跡取りを産む道具のような扱いを受け続けた母は、ついに離婚を迫った。
離婚は父の破滅を意味する。
今さら思い至った父は、こともあろうに愛人に相談したらしい。
医者を使い、転地療養を勧めてきたのだ。
まさか跡取り息子に、自分の行いを知られているとは思わなかったのだろう。
シオンが母の療養先についていくと聞いて、慌てふためく父にそう思っていた。
離れれば大丈夫だと、安心していたシオンのその隙をついて、母は療養先で毒を飲まされる。
医者の奮闘も虚しく、苦しみ抜いた末に、シオンとジェスキアの叔父に看取られ、母は息絶えた。
離婚を避ける為、愛人が画策した結果だった。
離婚ではなく、母の病死であれば父は破滅から逃れることが出来る。
そうなれば自分達は安泰だと思ったのだという。
だが、毒に苦しんだ母は身体中を掻きむしり、白かった肌は首もとまで、赤いみみず腫で埋め尽くされていた。
葬式を出さないわけにはいかないが、これでは参列者に会わせられない。
急いで葬式を出す必要があった父と愛人は、父が求婚の際に贈った、母の好きなピンク色のガーベラで隠すことにしたらしい。
母の死と、死に様に衝撃を受けたシオンは、茫然自失となり、父達の行いをただ見続けていた。
もう一度側に寄った時、母はピンク色で覆い尽くされ、顔しか見えていなかった。
葬式が始まっても、母親の棺の側で涙ひとつ溢さず、一言も発しないシオンを、誰もが涙ぐんで遠巻きにしていた。
その時、シオンの耳に信じられない声が届く。
「大好きなお花を、こんなに飾ってもらえて
シオン様のお母様はとてもお幸せね。
こんな風にしてくれるなら、私もピンクのガーベラを好きになってあげてよ?」
ロイド侯爵に連れて来られた、フレデリカの姉、ルシェラが、そう言ったのだ。
そして母の棺の前でシオンの頬にキスをし、期待に満ちた目を向けてきた。
この子だけはあり得ない。
ドガンッ
鈍くなった感情でシオンがそう思った瞬間、教会が揺れた。
破壊する勢いで扉を開け、祖父母が現れたのだ。
「公爵、何故、私達を待たぬ! お前の行いを知らぬと思うてか! アンジェをこれ以上、蔑ろにするでないわ!」
祖父母は、自分たちが到着していないにもかかわらず、葬式を始めた父を射殺さんばかりに睨みつけている。
参列者達が道を開き、祖父母を母の棺へ通した。
次の瞬間、
「キャアァァァ! アンジェ、アンジェ!」
「何ということだ! 公爵! 娘に何をした!」
祖父母の嘆きと怒号が響き渡った。
娘の亡骸にすがりついた祖母が、全身のみみず腫を見つけ、そのみみず腫を隠すように飾られた花に、祖父は母の死の真相に気付いた。
祖父母の到着から青ざめていた父は、すぐさま別室に連れていかれ、毒殺を白状させられたという。
その後祖父母は、娘の死を辱しめられたくない、孫を晒し者にしたくないと、参列者達に内密にするよう頼んだ。
そして、ゼノア公爵家の墓地ではなく、実家の霊廟に母の遺体を納めた。
ピンクのガーベラをすべて取り除いたあとで。
その霊廟で、シオンは石に刻まれた母の名前を見ていた。
その下に刻まれた、たった29年間の日付。
まだ子どものシオンにも、短すぎるとわかる人生に、自分の無力さを憎み唇を噛んだ。
日が沈み、探しに来た使用人に促されて帰るシオンの手は、いつからそうしていたのかわからない、フレデリカの手に握られていた。
フレデリカにとっては二人目の母の死。
衝撃を受けたフレデリカは、高熱を出して床に伏し、母の葬儀には参列出来なかった。
高熱を出しているくせに土気色の顔で、それでも、シオンの手を離さないフレデリカの熱い手が、ギリギリでシオンを救う。
5つも年下のフレデリカにすがって、ようやくシオンは泣けたのだ。
父と愛人が何をしたのかを知らないフレデリカだけが、シオンの哀しみを知っていた。
フレデリカに手を握られたまま、涙もそのままに祖父母の元に行き、父と愛人がこれまで母にしてきたことを洗いざらいぶちまけた。
その証言もあって、父は更に厳しく調べられたあと、爵位を剥奪され、僅か12歳のシオンがゼノア公爵を継いだ。
それから一度も、父と愛人には会っていない。
何をされたのか、何処へ行ったのかも知らない。
生きているのかすら知りたくなかった。
ピンク色に包まれた母を見たその時から、シオンにとってその色のガーベラは『死』そのものであり、愛する人に死を招く不吉なものとなった。
◇
けして、ピンクのガーベラを渡さなかったのに、何故またこんなことに。
母よ お願いです
フレデリカを守ってください
貴女が好きな花を、貴女そのものだと言ってくれたフレデリカをどうか………
ロイド侯爵邸に向かう馬上で、シオンは亡き母にすがっていた。
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