42 / 52
第七噺『新説御伽草子』
二【灰燼】
しおりを挟む
「お父さあん」
突然慌ただしく足音を立ててスクナが家に飛び込んできた。
奉公をしている家からの帰りだろう。
息を切らせているスクナに風鬼は慌てて駆け寄った。
「おお、私の可愛いスクナ! どうしたのだ、そんなに息せき切って。雲のようなふわふわの髪の毛が乱れてしまっているぞ」
風鬼はスクナの髪を整えながら芝居がかった声で言った。
スクナは「そんなことより」と息を整えながら風鬼を訴えるように見上げた。
「お父さんが以前仕事で請け負った、未開の地の調査があったでしょう? 打ち出の小槌を報酬にもらったとき」
風鬼は少し上を向いて思い出した。
「大黒が原の探索をしたときだろうか?」
「そう、大黒が原。あの土地は上手く手を加えれば栄えそうだと言っていたよね」
春日童子も思い出した。呉葉の誕生日の贈り物を買いに行ったとき、小物屋で父と鉢合わせした際に話してくれた仕事だった。
「それがどうしたのだ?」
「中心部に大きな桜の木が発見されたんだって」
そういえば、と風鬼は当時のことを思い出す。
「大きな木はあったが枯れていたぞ。天狗にそう報告したけれど、あれは桜の木だったのか」
スクナは興奮した面持ちでその場で跳ね上がった。
また髪の毛が乱れそうだ、と春日童子は思う。
「それがね、とある鬼が仕事の報酬で、『花を咲かせる灰』をもらったんだって。犬の死体の灰みたいなんだけど。大黒が原の枯れ木に蒔いたら、たちまち桜の実がなったんだって! まだ蕾みたいだけれど、満開になったらお花見、行こうよ!」
満面の笑みでスクナが言う。
桜の花びらを初めてこの人界に蒔いたのは、木花咲耶姫という女神だ。
木花咲耶姫は須佐之男地区に住む女神のため、昔から人界に降りてこられ、桜の花を人間だけでなく、鬼にも楽しんでもらいたいという慈しみの心から、鬼ヶ島にも桜の木を植えて下さった。
それ以来、鬼ヶ島に住む者にとっても桜は身近な愛すべきものとして浸透していた。
「良くそんな情報が入ってきたな、スクナ」
春日童子の言葉に、スクナは少々動揺したように視線を反らしながら頷いた。
「あ、うん。今歩いていたら知り合いが教えてくれたの。桜が散る頃、大黒が原で仕事を請け負ったから確かな情報だって。私たち家族はそういうの好きそうだから、皆で行ってくるといいって」
普段それほどうるさく話さないスクナだが、どこか不自然なくらい興奮して話し出した。
余程綺麗な桜なのだろう、と春日童子は想像して頷いた。
「お姉ちゃんの元気、取り戻すためにもさ」
「そうか、スクナ。お前は姉さん思いの良い妹だな」
風鬼は感激したようにスクナの髪の毛を大きく撫でた。
呉葉は天邪鬼先生の一件があってから、あまり賑やかな場所に顔を出さなくなった。
一匹が良いのだとさり気なく一匹でいることが今以上に多くなった。
スクナは鬼ヶ島でも一際大きな地主の元へ奉公に行っている。
その帰りに教えてもらってきたのだろう。
やがて学校帰りの呉葉が戸を開けて俯きがちに入ってきた。相変わらず元気はなさそうだったが、いつもの派手な着物は健在だった。
「お帰り呉葉。遅かったな」
春日童子よりもかなり遅れて帰ってきたため、風鬼は思わず心配になった。
花畑で呉葉が感傷に浸っていた頃から、風鬼は彼女を気にして見ていた。
「ただいま」
呉葉は首巻きを解いた。その仕草に気付いた風鬼は、彼女に声をかける。
「呉葉、そんな首巻き持っていたか? 随分綺麗だな。群青色と銀の交わった色だな」
春日童子はそれを見て口を固く結んだ。
あの首巻きには見覚えがあった。
天邪鬼先生のお気に入りで、いつもしていた首巻きだ。
呉葉はいつの間にか彼にもらっていたのだろうかと思ったが、恐らく違う。
天邪鬼先生の家に行き、勝手に遺品として持ってきてしまったのではないだろうか。
「呉葉ちゃん、その首巻きさあ」
あまり褒められたことではないので咎めようとしたのだが、呉葉は色をなくしたような目を春日童子に向け首を振った。
「頂いたのよ、春日くん」
「……そう」
虚ろな目で答えた今の呉葉にあまり強く言っても可哀想かもしれないと判断した春日童子は、それ以上追求するのはやめておいた。
しかし、いつ彼と接触したのだろうか。
父との会話を盗み聞きしたとき、『打ち出の小槌』を借りたようだったが、まさかそのときにでも首巻きを拝借してしまったのだろうかと想像してみたが、あまり詮索するのはやめることにした。
「ところで、三匹で集まってどうしたの? 春日くんが進級出来なかったの?」
進級問題はもう万事解決していたので、春日童子はがっくりと肩を落として呉葉を見て、花見の件を教えてやった。
「……そう。お花見の件は少し考えさせてもらえるかしら」
呉葉は俯き加減で答えた。
春日童子はその理由がやはり天邪鬼先生にあると思った。
天邪鬼先生は花が好きだったようだし、鮮やかな色合いも好んでいた。
桜を見てしまったら、天邪鬼先生を思い出してしまうのではないかと恐れているのだろう。
「まあ、満開まで時間はあるからゆっくり考えておくといい」
呉葉は、天邪鬼先生が亡くなって以来、情緒不安定になっているということを、風鬼も理解していた。
風鬼は、呉葉に向かって安心させるように微笑んだ。
春日童子はふと、この元気のなさは、以前祖父を看護していた当初の母とどこか感じが似ていると思った。
結局、あまり外出したがらない呉葉を強引に連れ出す形で、春日童子たちは花見に行くことになった。
それなら弁当を作ると呉葉が言ったが、他の三匹は彼女に気を遣って、呉葉を休ませて三匹で弁当を拵えた。
大黒が原の桜はまだ満開とは言えなかったが、七分咲きでとても綺麗だった。
まだ少し時期が早いため、花見をしている者はいなかった。
丁度中心部に大きく根付いていた桜の木は、悠然と揺れてなお地面に根付く。
これはかなり大規模な自然災害が起きない限り倒れそうもない見事な桜だった。
これほど大きな桜の木は鬼ヶ島中探しても見たことがない。春日童子はしばらく見とれるように口を開けて木を見上げた。
「綺麗だな」
春日童子と少し離れたところでスクナも大きく聳え立つ一本の桜をうっとりと見つめた。
「スクナ、何やってるんだ。弁当先に食べるぞ」
兄の無粋な叫び声に、スクナは肩を竦めて「はあい」と返事をした。
呉葉は桜の木を見上げてどこか寂しそうに眺めていた。
天邪鬼先生の件を引きずっているのは一目瞭然だったが、果たして時は解決してくれるだろうかと不安だった。
*続く*
突然慌ただしく足音を立ててスクナが家に飛び込んできた。
奉公をしている家からの帰りだろう。
息を切らせているスクナに風鬼は慌てて駆け寄った。
「おお、私の可愛いスクナ! どうしたのだ、そんなに息せき切って。雲のようなふわふわの髪の毛が乱れてしまっているぞ」
風鬼はスクナの髪を整えながら芝居がかった声で言った。
スクナは「そんなことより」と息を整えながら風鬼を訴えるように見上げた。
「お父さんが以前仕事で請け負った、未開の地の調査があったでしょう? 打ち出の小槌を報酬にもらったとき」
風鬼は少し上を向いて思い出した。
「大黒が原の探索をしたときだろうか?」
「そう、大黒が原。あの土地は上手く手を加えれば栄えそうだと言っていたよね」
春日童子も思い出した。呉葉の誕生日の贈り物を買いに行ったとき、小物屋で父と鉢合わせした際に話してくれた仕事だった。
「それがどうしたのだ?」
「中心部に大きな桜の木が発見されたんだって」
そういえば、と風鬼は当時のことを思い出す。
「大きな木はあったが枯れていたぞ。天狗にそう報告したけれど、あれは桜の木だったのか」
スクナは興奮した面持ちでその場で跳ね上がった。
また髪の毛が乱れそうだ、と春日童子は思う。
「それがね、とある鬼が仕事の報酬で、『花を咲かせる灰』をもらったんだって。犬の死体の灰みたいなんだけど。大黒が原の枯れ木に蒔いたら、たちまち桜の実がなったんだって! まだ蕾みたいだけれど、満開になったらお花見、行こうよ!」
満面の笑みでスクナが言う。
桜の花びらを初めてこの人界に蒔いたのは、木花咲耶姫という女神だ。
木花咲耶姫は須佐之男地区に住む女神のため、昔から人界に降りてこられ、桜の花を人間だけでなく、鬼にも楽しんでもらいたいという慈しみの心から、鬼ヶ島にも桜の木を植えて下さった。
それ以来、鬼ヶ島に住む者にとっても桜は身近な愛すべきものとして浸透していた。
「良くそんな情報が入ってきたな、スクナ」
春日童子の言葉に、スクナは少々動揺したように視線を反らしながら頷いた。
「あ、うん。今歩いていたら知り合いが教えてくれたの。桜が散る頃、大黒が原で仕事を請け負ったから確かな情報だって。私たち家族はそういうの好きそうだから、皆で行ってくるといいって」
普段それほどうるさく話さないスクナだが、どこか不自然なくらい興奮して話し出した。
余程綺麗な桜なのだろう、と春日童子は想像して頷いた。
「お姉ちゃんの元気、取り戻すためにもさ」
「そうか、スクナ。お前は姉さん思いの良い妹だな」
風鬼は感激したようにスクナの髪の毛を大きく撫でた。
呉葉は天邪鬼先生の一件があってから、あまり賑やかな場所に顔を出さなくなった。
一匹が良いのだとさり気なく一匹でいることが今以上に多くなった。
スクナは鬼ヶ島でも一際大きな地主の元へ奉公に行っている。
その帰りに教えてもらってきたのだろう。
やがて学校帰りの呉葉が戸を開けて俯きがちに入ってきた。相変わらず元気はなさそうだったが、いつもの派手な着物は健在だった。
「お帰り呉葉。遅かったな」
春日童子よりもかなり遅れて帰ってきたため、風鬼は思わず心配になった。
花畑で呉葉が感傷に浸っていた頃から、風鬼は彼女を気にして見ていた。
「ただいま」
呉葉は首巻きを解いた。その仕草に気付いた風鬼は、彼女に声をかける。
「呉葉、そんな首巻き持っていたか? 随分綺麗だな。群青色と銀の交わった色だな」
春日童子はそれを見て口を固く結んだ。
あの首巻きには見覚えがあった。
天邪鬼先生のお気に入りで、いつもしていた首巻きだ。
呉葉はいつの間にか彼にもらっていたのだろうかと思ったが、恐らく違う。
天邪鬼先生の家に行き、勝手に遺品として持ってきてしまったのではないだろうか。
「呉葉ちゃん、その首巻きさあ」
あまり褒められたことではないので咎めようとしたのだが、呉葉は色をなくしたような目を春日童子に向け首を振った。
「頂いたのよ、春日くん」
「……そう」
虚ろな目で答えた今の呉葉にあまり強く言っても可哀想かもしれないと判断した春日童子は、それ以上追求するのはやめておいた。
しかし、いつ彼と接触したのだろうか。
父との会話を盗み聞きしたとき、『打ち出の小槌』を借りたようだったが、まさかそのときにでも首巻きを拝借してしまったのだろうかと想像してみたが、あまり詮索するのはやめることにした。
「ところで、三匹で集まってどうしたの? 春日くんが進級出来なかったの?」
進級問題はもう万事解決していたので、春日童子はがっくりと肩を落として呉葉を見て、花見の件を教えてやった。
「……そう。お花見の件は少し考えさせてもらえるかしら」
呉葉は俯き加減で答えた。
春日童子はその理由がやはり天邪鬼先生にあると思った。
天邪鬼先生は花が好きだったようだし、鮮やかな色合いも好んでいた。
桜を見てしまったら、天邪鬼先生を思い出してしまうのではないかと恐れているのだろう。
「まあ、満開まで時間はあるからゆっくり考えておくといい」
呉葉は、天邪鬼先生が亡くなって以来、情緒不安定になっているということを、風鬼も理解していた。
風鬼は、呉葉に向かって安心させるように微笑んだ。
春日童子はふと、この元気のなさは、以前祖父を看護していた当初の母とどこか感じが似ていると思った。
結局、あまり外出したがらない呉葉を強引に連れ出す形で、春日童子たちは花見に行くことになった。
それなら弁当を作ると呉葉が言ったが、他の三匹は彼女に気を遣って、呉葉を休ませて三匹で弁当を拵えた。
大黒が原の桜はまだ満開とは言えなかったが、七分咲きでとても綺麗だった。
まだ少し時期が早いため、花見をしている者はいなかった。
丁度中心部に大きく根付いていた桜の木は、悠然と揺れてなお地面に根付く。
これはかなり大規模な自然災害が起きない限り倒れそうもない見事な桜だった。
これほど大きな桜の木は鬼ヶ島中探しても見たことがない。春日童子はしばらく見とれるように口を開けて木を見上げた。
「綺麗だな」
春日童子と少し離れたところでスクナも大きく聳え立つ一本の桜をうっとりと見つめた。
「スクナ、何やってるんだ。弁当先に食べるぞ」
兄の無粋な叫び声に、スクナは肩を竦めて「はあい」と返事をした。
呉葉は桜の木を見上げてどこか寂しそうに眺めていた。
天邪鬼先生の件を引きずっているのは一目瞭然だったが、果たして時は解決してくれるだろうかと不安だった。
*続く*
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
0
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる