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婚約
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しおりを挟むメリッサはこの国の唯一の王女として何不自由なく暮らしていた。
数年前の国の王太子との婚約破棄は今だ多くの人々の記憶に残り、一部はメリッサを冷血で不義理な女と罵っている。
気に病むほどのことではないとメリッサは無視していた。
他人の評判を気にしていたのなら初めからメリッサはもっと楽な手段を使ってディエゴから離れていただろう。
メリッサはもうディエゴの姿を見ても愛しいとは思えない。
ただただその醜い顔や身体を見て気味が悪いと拒絶するだけだ。
それならば早いうちから離れた方がいいに決まっている。
風の噂でディエゴは隣国でも英雄として讃えられ、右目とその周りの傷跡を眼帯で隠して元気に暮らしているという。
メリッサには気持ち悪いだけの傷跡が、眼帯をつけることによって隣国では謎めいた危険な香りがすると大変受けが良いらしく、多くの美女と浮名を流しているそうだ。
実に喜ばしいことだと、ここ数年ですっかり淑女らしくなり少し落ち着いたメリッサは祝福した。
何の含みもなく、ディエゴの恋を応援していた。
何故ならメリッサにも新しい恋が芽生えていたからだ。
恋人の名はカイル。
栗色の髪の穏やかな笑みを浮かべるメリッサの護衛騎士だ。
国王自らがメリッサに薦めただけのことはあり、カイルは温和な印象を人に与えながらも相当な剣術の才の持ち主で、真面目で律儀な男だ。
何よりも我儘で冷血な王女と噂されるメリッサを蔑むことも怯えることもせずに、時折叱りつけて来るところが気に入っている。
メリッサは罪悪感を感じることもなく、自分がカイルに惹かれるのは彼がどことなく昔のディエゴに似ているからだと分析している。
特に剣筋は驚くほど似ている。
メリッサも力を正義とするこの国の王女として数多くの試合や訓練を見て来た。
護身用に剣術も少々齧っている。
もちろんそれを教えてくれたのはディエゴであり、幼い頃はよく彼について兵士達の訓練場に紛れたものだ。
ある意味で生まれた時からメリッサはディエゴの剣筋を知り、彼自身が自覚していないような癖も覚えていた。
カイルはそんなディエゴによく似ていた。
剣の腕だけではなく、顔や体格も共通点が多い。
特に表情の作り方などはそっくりだ。
メリッサのすることに驚くときの目の開き具合や、間抜けに口を少し開ける仕草。
次いで怒りに震えて口の端がぴくぴく動き、そして一旦落ち着くために深呼吸するときに浮き出る額の青筋。
そこから冷静であることを心がけて理論的にメリッサを諫めようとする真面目で損な性格。
あとは細かい造作でいえば鼻筋の通り具合と眉毛。
そして耳と背中がよく似ている。
髪の色と穏やかな笑みのせいで、大半の者は気づかないし、メリッサもわざわざディエゴの話題を出そうとも思っていない。
また、メリッサ自身が一番そんなディエゴの共通点の多いカイルに恋をし、恋人となったことを不思議に思っていた。
メリッサはとにかく我儘でカイルを色んなところに引っ張り、甘え、怒らせた。
そして一度怒るとなかなか機嫌が直らず拗ねてしまうところもディエゴに良く似ていると思いながら、かつて気難しいディエゴを一瞬で上機嫌にさせたメリッサの魔法は今も絶大な威力を持っているらしく、身分が低いことを盾にして捻くれるカイルですら魅了した。
年々美しくなっていくメリッサに無邪気に懐かれ、そして甘えて媚びる姿に、カイルは面白いぐらいに嵌って行った。
魔性の王女だと言われるメリッサがただカイルをからかっているだけだと思いながらも、理性ではなく本能がメリッサを欲してしまうのだ。
メリッサと王太子の婚約の話はカイルも知っている。
国中が祝福し、落胆したのだ。
病気の母のために幼い頃から必死に働いていたカイルも何度もその噂を耳にした。
特に王太子は国中の若者達の憧れであり、同い年であるカイルもその武勇の数々と凱旋の行列の先頭に堂々と立つ眩しく自信に満ちた姿を何度も見た。
王太子に憧れ、忙しく働く合間にも自身を鍛え、棒切れを使ってままごとのような剣の練習をしていたのだ。
そして母の死後、なんとも運の良いことに近衛隊隊長に才能があると言われてそのまま養子となり、とんとん拍子にカイルは騎士の階段を登った。
その先で出会ったのが、我儘な王女であり、カイルは己の幸運を神に感謝するほど内心でメリッサに惚れていた。
雲の上の存在であるメリッサに愛され、我慢できずに愛を吐き出したカイルは全てを捨ててメリッサを連れて逃亡するつもりだった。
近衛隊長の養子になったとはいえ、カイルは身分の低い母を持ち、父は誰かも分からないのだ。
母は亡くなる直前までカイルの父について話さず、良い相手ではないことだけは確かだ。
だがそれと同時に母は恨み言一つ漏らさず、父の正体を話さないのに、時折カイルを見つめてあの人によく似ていると心底愛おしそうに、半ば無意識に囁くのだ。
しかし、いくらカイルの母が父を愛していても、誰か分からなければ意味はないし、また息子に隠すような相手なのだからもしかしたらとんでもない悪人かもしれない。
そのことをメリッサに話しても、メリッサにはどうでも良いらしくまったく気にする素振りを見せずカイルに抱き着く。
メリッサにとって身分の差は特に気にならないものだ。
彼女にとって自分が好ましいか好ましくないかというシンプルな組み分けが全てであり、また妙に大らかなところがあるため、周囲の者もディエゴの件があるのにメリッサを心底憎むことができず、やはり甘やかしてしまう。
また隣国でもその優秀さを発揮して、様々な成果を時折報告しに帰国するディエゴに暗い影はなく、メリッサの話題も触れることもしなければ避けることもしない。
そしてメリッサも決してディエゴに近づくことなく、二人の関係は落ち着いているといえた。
ある面で見ればそれが普通の従兄妹の距離感であり、今までが異常にくっつきすぎていたのだと城の者達はどうにか自分達を納得させた。
そうでなければ、今だディエゴが帰国するたびに妙な緊張感が城全体を包み、誰かが突けば忽ち大きな災いが降りかかりそうな空気に皆が怯えていたのだ。
いつか、ディエゴは帰国してこの国の王となる。
多くの者がそろそろ国王が退位して、ディエゴを即位させた方が良いのではないかと囁く。
さすがにいくら少し見下している国王でも馬鹿正直にいつ退位するのか聞く者はいない。
そして当のディエゴが国王の意思を尊重し、自分が即位するのはまだ早いと辞退するため、強く意見出来る者はいなかった。
だが、できればディエゴが即位するまでに婚約し、結婚してほしいというのが人々の願いだ。
とっくに一般の男子の結婚適齢期を過ぎたというのに、今だディエゴには婚約者がいない。
メリッサとのことで女嫌いになったのではないかという噂もあるが、隣国で何人もの美女と熱い恋愛をしていたという話が伝わり、まだ遊び足りないのだろうと思われた。
そして一方のメリッサはカイルという騎士に惚れ、彼と恋仲となり、ついには婚約をするに至った。
そう、カイルとメリッサの仲は反対されるどころか今や国王公認となっているのだ。
むしろ国王の方が姪のメリッサとお気に入りの騎士であるカイルの恋を応援し、その仲を取り持っていた。
カイルが国王にメリッサに惚れているのかと問われたとき、彼は死を覚悟しながらメリッサへの純粋な愛を裏切ることができずに正直に答えた。
メリッサを連れて逃げることも考え、悩みに悩んだカイルだったが、その次の日から国王の勅命でカイルとメリッサの婚約が発表された。
まさに想定外の事態であり、大喜びするメリッサを衝動のままに抱きしめてその唇を奪ったことは一生の恥だ。
国王が何故ここまでカイルとメリッサの仲を喜ぶのかは謎であるが、気まぐれなメリッサの気分が変わらないようにと国王は半ば無理やりメリッサの成人の誕生日の日に正式な婚姻を認め、勝手に二人の結婚式の日取りまで決めてしまった。
あまりの強引さに怒るべきだが、本音をいえばカイルはできるだけ早いうちにメリッサと夫婦になりたかった。
この無垢で残酷な魔性染みた少女が自分に飽きて離れていってしまわないよう、早くその手綱をとりたいと思ったのだ。
カイルの不安を知るメリッサも早めにその不安を取り除いてやりたく、強引な結婚に反対しなかった。
問題は王女であるメリッサと結婚するにはカイルの身分が低すぎることだろう。
カイルをメリッサの亡き母の実家の養子に入らせ、更には特例ともいえる国王の采配でメリッサを王家の分家の当主にし、その夫となるカイルとともに新たな家名を与えると告げた。
いくら王でも横暴だと騒ぐ一部の臣下は急遽次代の王であり、王家の血筋をひくディエゴを隣国から呼び出した。
過去の出来事を思えば、メリッサの結婚という火薬庫に爆弾を投入するような危険な綱渡りだが、利権を欲し、現国王を頑なに認めない彼らは苦渋の決断でディエゴに事情を説明した。
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