ダリア

埴輪

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ダリアの旅

5 トーマ 《中》

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 育ちざかりであろうが、いきなり干し肉を与えても上手く呑み込むことはできないだろう。
 吐瀉物の中に形となるものはなく、ろくに食べ物も与えられなかったはずだ。
 空いた腹を急に刺激するのは良くない。
 ただでさえ心労が溜まっているのだ。
 作るなら、なるべく胃の中から温まり、噛まずに飲み込める柔らかいものが望ましい。

「お粥なら…… 食べれるかしら」

 ちょうど粟の実が少し残っている。
 粟粥ならばすぐに作れそうだと思った。
 そうと決まればダリアの行動は速い。
 急いで薪を用意し、水を汲む。
 しかし汲んだ水に映る自身の顔を見て、ダリアは驚き、思わず少し零してしまった。
 少年のことばかり気にかけて、自分もまた血まみれであったことをすっかり忘れていたのだ。
 顔にこびりついた血や少年を抱き込んだときに胸から腹にかけて血が沁み込んでいる。
 マントとスカーフ以外に特に執着もないダリアは仕方なしに下着を残して、血と泥で大層汚れた服を取り替えた。
 さすがにこんな姿で料理しても美味しくないであろうと思ったのだ。
 そのついでに腕輪や首飾りも荷物の中にしまっておく。
 なんとなしに義理と習慣でつけていたそれらが動くのには邪魔だと思えた。

 人攫い達の隠れ家の一つだったらしい小屋の中には男物の衣服の他に女物もあった。
 所々破かれ、また血に濡れたそれらの本来の持ち主がどうなったのかと考えると心が沈む。
 かき集めた衣服に手を合わせ、どうか持ち主達が無事であることを祈ることしかできない。

(どうか、悪い人達の手から逃げ出し、今は静かに生きていることを祈ろう…… そうでないのなら、せめて―――)

 せめて、苦しまずに死んでいることを、ダリアは願わずにはいられなかった。 
 


*


 ダリアは躊躇いもなく外の木の陰で汚れた服を脱ぎ捨て、拝借した衣服の中で一番まともなものを着こんだ。
 体型が分からなくなるまで重ね着をし、ぬかるんだ土の上に小屋にあった薪を組み立てる。
 細い枝から順に太い枝を積み上げる。
 薪があって良かったとダリアは心底思った。
 煙が上がって来たのを確認し、ダリアはまず湯を沸かすことにした。
 今だ小屋から出で来ない少年に早く温かいお湯を渡してやりたかったのだ。

 そして、焚火で沸かした湯を小屋の中に差し出してから少し経った頃。
 少年が、少し離れたところからこちらを見ていることに気づいた。
 服は例の物を着ている。

「こっちへいらっしゃい」

 言葉が通じないとどうしても身振り手振りを使わないといけない。
 身分の高そうな少年を手招きすることに若干の恥じらいと申し訳なさを感じながらも、ダリアは焚火の側へと少年を招いた。
 そんなダリアの内心の葛藤を知らないであろう少年はマントをぎゅっと掴んだまま、ゆっくりと歩いて来る。
 裸足で土の上を歩くことに抵抗があるらしく、泥濘の感触に怯えているようだ。
 その様子に、そういえば服はあったが靴らしきものはなかったなとダリアは気づく。
 死体から靴を剥ぎ取るしかなさそうだが、果たして少年がはそれを履いてくれるのか。
 ダリアがかき集めた衣服の中で一番上等なものを差し出してみたが、少年はそれはもう激しく嫌がっていた。
 自分を害した者達が着ていたもの、もしくは同じように酷い目にあったかもしれない誰かが着ていたもの。
 その嫌悪感は分からなくもなく、無理強いはできなかった。

 しかし、少年の着ている服はやはり悪目立ちをしてしまうだろう。

 恐る恐るダリアにマントを返そうとする少年にダリアは首を振った。
 やはり思った通り少年にはあの小屋で見つけた不思議な意匠の服がよく似合っている。
 まるで彼だけのために仕立てられたように思えるほど。
 都の騎士のような、または学者のような、凛々しい姿にダリアは微笑み、そして半ば強引にその上にマントを羽織わせる。
 こんな辺境でこんな綺麗な生地で仕立てられた珍しい服を着ていたら盗賊や抜け目ない商人に餌を差し出しているようなものだ。
 ただでさえ汚れを拭きとり、髪を洗った少年は見かけない類の顔立ちをしている。
 柔らかく、少しのっぺりとした顔貌に繊細な頤。
 辺境で食うものにも困り、日々野良仕事や獣退治に勤しむ男子達とはまったく違う。
 かと言って富豪の子息かと思えば少年の立ち居振る舞いはあまりにも無防備で、洗練された様子も、ダリアが尽くすことを当然とする雰囲気もない。
 異国の少年だからだろうか。
 とにかく平和で、随分と無防備なところから攫われたのだろうとダリアは推測する。
 なんとか聖書のおかげで文字が読める程度の学しかないダリアにはそれぐらいしか思いつかなかった。
 
 

* *


 焚火の周りに敷物を敷き、その上に少年を座らせる。
 焚火を物珍しそうに見る少年がなんだか可愛らしかった。
 亜麻色の髪に、光の角度で黒にも見える薄茶色の瞳。
 髪にはまだ所々汚れがあったが、泡もなくお湯だけで洗ったのならそれが精いっぱいであろう。
 ただ、乾ききっていないのは見過ごせない。

「駄目よ。ちゃんと拭かないと……」
   
 手ぬぐいを差し出し、髪を指差すと慌てたように乱暴に拭き始める。
 その素直な様子は微笑ましいが、乱暴な拭き方ではせっかく綺麗な色をした髪が痛んでしまう。
 ダリアは少年が拒絶するかもしれないと思いながら、そっとその動きをとめ、無言で彼の前に傅く。
 目に見えて慌てる少年にダリアは思わず笑った。
 鈴が鳴ったような、そんな無邪気な笑い声はダリアをひどく幼く見せる。
 未婚であろう少年の前でこうも無防備に、顔を見られたまま笑う自分の大胆さに恐れる気持ちと奇妙な清々しさを覚えながら、ダリアは笑みを深くした。
 心なしか、少年の頬に赤みが差している。
 良い兆候だ。

「怖がらないで…… ね?」

 抵抗は、なかった。




* * *



 洗った粟の実を唯一荷物にあった鍋に水と一つまみ分の塩をまとめて放り込む。
 あとは沸騰を待つだけだ。
 誰にでもできる、実に簡単な作業に若干の物足りなさを感じながらダリアはとりあえずすぐに温まるものを作ることに専念した。 
 まずは心落ち着かせるために白湯を一杯。
 飲み水ももう底をつきているが、ダリアは迷わずそれを少年に差し出す。

「どうぞ」

 湯気の出るカップを差し出された少年は目を忙しなくダリアとカップに合わせ、なかなかそのカップを受け取ろうとしない。
 遠慮と警戒が混ざったような視線に、ダリアは無理もないと思った。
 こちらの言葉が分からない少年からすればダリアはあの人攫いらしき男達と同じ様に未知の存在だ。
 会ったばかりのダリアを信用できるのかといえば、それも難しいだろう。

「大丈夫よ」

 ゆっくりと言葉を紡ぎ、ダリアはそっと白湯に息を吹きかける。
 顔に当たる温かな湯気と指に染みわたる熱さ。
 早く少年にもそれを実感して欲しかった。
 少年の視線を感じながら、ダリアはそっと目を伏せてカップの淵に唇をつける。
 そして少年の目を真っ直ぐ見つめて一口呑み干した。

「ね……?」

 カップから、湿った唇を放す。
 慈しむように微笑みながら、ダリアはどこか悪戯っぽく微笑む。

「大丈夫でしょう?」

 改めて差し出されたカップを、少年は耳まで赤くしながら、そして今度は受け取った。

「×××××……」

 俯く少年から紡がれる言葉の意味をダリアは知らない。
 ただ、その声が震え、湿り気を帯びていたことにダリアは気づかないふりをした。



* * * *


 生憎と食器の類は一人分しかない。
 元から粟自体大した量もなかったため、ダリアは当たり前のように先に少年の空腹を優先した。
 
 鍋の蓋を開けると湯気が溢れ、ダリアの肌を優しく撫でた。
 その熱気の心地良さと粟粥特有の匂いを吸い込みながら、ダリアは杓子でまず粥の上澄みを掬う。
 それと同時に白湯を呑み干して、少し落ち着いたらしい少年の胃が湯気の動きに合わせて動き出したようだ。
 杓子で掬っていると腹の虫が鳴る音が静かな辺りに響き渡る。
 粥の匂いに刺激されたのか、空腹音を放つ自分の腹を必死に抑える少年の慌てた姿は随分と幼く、可愛らしいとダリアは思った。
 羞恥もあるのだろうが、だいぶ血色が良くなった顔色を見て思わず安堵する。
 胃を慣らすためにも、ダリアはまず実の入っていない上澄みだけを丁寧に器に盛り、そして一つしかない匙を手に取った。
 先ほど白湯を渡したときの少年の様子を当然のように覚えているダリアは湯気の立つ器を持って少年の傍らに腰かける。
 身を強張らせる少年に、もう言い慣れてしまった言葉を呪文のように唱える。

「怖がらないで」

 目に見えて落ち着き、少年の身体から力が抜ける。
 どうやら、少しは効果があるようだ。 

 ダリアはそっと匙を掬い、細く息を吹きかける。
 匙の表面の淡く黄色味がかった液が揺れ、そして少年の見ている前でそれに口をつける。
 あまり口につけないように、そっと匙の先端で流し込むダリアの姿はまるで小鳥が水を啄むような印象を少年に与えた。
 ダリアもまた空腹だったせいか、妙にその粥が美味しいと思えた。
 微かな塩気の後に少しの甘みを感じ、そして慣れた粟の味に心が落ち着く。

(美味しい……)

 命の味がする、というのは大げさだろうか。
 少年にも早く、これを食べて欲しいと思った。

 こくんっと上下する喉を少年が凝視していたが、ダリアはそれに気づかず、大雑把に作った割には美味くできた粥に満足気な笑みを浮かべた。
 ずっとダリアを見ていた少年は顔を真っ赤にしている。

 微笑みを浮かべたまま、ダリアはそっと、温かい器と、匙を差し出した。

「どうぞ、召し上がれ」
 
 毒見が済んでいたせいか、少年は匙を使う余裕もなく、勢いよくそれを飲み干した。

 
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