特盛お江戸猫家族

杏菜0315

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お江戸猫家族2

作 杏菜

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第1話剣術と三味線どっち
 コトハの通っている寺子屋に女の先生がやって来た。
先生は隣町の女(め)筆(ひつ)指南(しなん)を掲(かか)げる寺子屋のメス猫の師匠棗(なつめ)先生だ。
棗(なつめ)先生は、月に数回コトハ達の通う松五郎塾にお裁縫(さいほう)や琴など女の子向けの事を教えに来るのだ。
今日の授業は、それぞれの好きな楽器を教わるというものだ。
「楽器ねえ・・・」
あまり気の進まないコトハ。
何しろこの日はお弁当を持参し、夕方まで授業があるからだ。
「それでは、三味線の者から。始め!」
コトハも三味線を選んでいるが、なんか違うと気に入ってなかった。
三味線の弦は何でこんなにやわっちいんだろ?と思っていた。
もっと激しく弾けたらなあ・・・
そんな事を考えていたからか、三味線を強く弾きすぎたコトハ。
弦は当然切れてしまった。
「コトハさん、またですか」
呆れる先生。
何しろ、コトハが弦を切ってしまったのは今日が始めてではないのだ。
「この前も何度か弦を切れさせてましたね。なぜ、やさしく弾けないのですか?」
また、棗先生のお得意のお説教が始まった。
コトハはうんざりして、弦を張り替えている先生の目を盗んで部屋から逃げだしたのだった。

「えい!やあー!とう!」
何人もの気合いの入った掛け声が聞こえてくる部屋が一室。
そこは、松五郎先生が教える男オスの剣術部屋だ。
「そこ!木刀なんだからひるまない!!」
松五郎先生の指示がとぶが、もしも当たれば木刀でも怪我をしないわけではなく、何せこの時代は防具もまだ出始めで少なく、着けない道場も少なくなかった。
怪我をしないためには、双方寸止めでやらなければならなく、技量がいる厳しい稽古(けいこ)になるのは必至だった。
そんな中、コトハは男オスに紛れて入り込んでいた。
三味線弾きなんかやってられるか!と、思いながら一心にオス猫に打ち込んでいた。
「うわあ!刃引(はびき)刀(とう)なんか出すんじゃねえよ‼」
一匹の生徒が大声を上げた。
松五郎先生が見た先には、刀を岩などに打ち付けて使えなくした刃引刀を振りかざし打ち込む、コトハの姿があった。
「こら‼刃引刀なんか持ち出したのは誰だ。使うな‼」
その刃引刀は、松五郎先生が昔使っていて刃がぼろぼろになった物を再利用で刃引刀に打ち変えた物だ。
「またコトハか。刃引刀は居合の稽古の時以外持ち出し禁止だと何べん言ったら分かるんだ、え?」
怒られ慣れているコトハは、刀をしげしげと眺めて鞘(さや)にゆっくり納め、平然としていた。
「コトハ、お前はメスだろ」
横に居た信吉が肘でコトハをつついた。
「だって・・・女メスの方の稽古(けいこ)はつまんないんだもん」
「そこ、何か文句でも?」
すかさず松五郎先生が指摘(してき)。
「いいえ、何も」
慌てて(あわてて)取り(と)繕(つくろ)う信吉。
何も言わず知らんぷりのコトハ。
そこにらちのすけがやって来た。
「やーやー、帰ってたんだな、らちのすけ」
かつて同じ道場に通っていた仲だ。
松五郎先生は気さくに話しかけた。
「おい、何やってんだコトハ。お前は隣の女メスの部屋での稽古(けいこ)だろ?」
男オスばかりの道場では、さすがのコトハもメスだから見つかりやすい。
「だってつまんないんだもん。父ちゃん、昔みたいに稽古(けいこ)つけてくれよ」
コトハが退屈(たいくつ)と言わんばかりにらちのすけにせがみだした。
「おい、誰だ。あの猫?」
「バカ、らちのすけさんだろ」
男子やオス達のひそひそ声がしたので松五郎先生は皆にらちのすけを紹介した。
「このネ猫は原田らちのすけ。先生と同じ道場に通っていた事があり、私と同郷の友で私より腕の立つやつだ。そして、コトハの父親でもあるぞ」
皆が一斉にコトハを見た。
「道理で刃引刀なんか持ち出しても相手に傷一つ負わせない訳だ」
と皆がコトハの腕の秘密に感心したのであった。
「そんな事はないが、コトハ刃引刀なんか持ち出したのか?」
らちのすけが見ると、コトハの手には刃引刀が持たれたままだ。
見つかっておろおろするコトハ。
「そんな事をさせる為に、剣術の稽古(けいこ)をつけてやって居たわけではないんだぞ。お仕置きとして、今日は大人しく女メスの部屋での稽古を受けろ、良いな!」
「は、はい・・・」
コトハがとぼとぼと隣の部屋に戻って行くとすかさず、信吉がらちのすけの元に前に進み出た。
「お会いしたかったです、らちのすけ先生」
「ん?君は確かコトハと仲の良い信吉だな」
信吉の顔に見覚えがあったらちのすけ。
「はい、噂に聞く凄腕とか。ぜひ、教えを乞(こ)いたいと思っていました」
「いや、そうでもないぞ。松五郎はああ言ったがそれほど強くなんかないぞ」
困ったらちのすけ。人に物を教えるのが苦手なのだ。
「それでは、手合せだけでも!」
なおも食い下がる信吉。
懐(ふところ)から出した手を顎(あご)に当て思案することしばし。
「しょうがない、コトハの友のたっての願いだ。昼御飯の後に稽古(けいこ)をつけよう。待っていろ」
と告げたらちのすけだった。


















               
第二話 稽古をつけたら・・・
「コトハ、そう言えば朝弁当作ったって言ってなかったっけ」
お昼休み、信吉が思い出したようにコトハに聞いた。
「う、うん。信きっぁんの分もあるから食べてよ」
この弁当は、早起きしてコトハが自分で作ったものだ。
「ありがとな。大変だったろ」
そう言って受け取ると早速弁当箱を開く信吉。
「おっ、卵焼きがある!」
「へへ、大家の喜平さんに卵別けてもらったんだ。信きっぁん好きだって前に言ってたろ?」
コトハの弁当の中身に満足した信吉は道場の隅で嬉しそうに食べ始めた。
「おっ、愛妻弁当か。ヒューヒュー♪」
周りの男オスどもがはやし立てるのも気にせず食べて一口
「不味(まず)い・・・」
と信吉は吐き出しそうになったのだった。
「この卵焼き、しょっぺえ」
塩辛くて眉(まゆ)にシワを寄せる信吉。
「嘘!まさか砂糖と塩を間違えたのかな?」
コトハも自分の分の卵焼きを食べてみる。
「あっ、ほんとだ。ごめん・・・」
しょげかえるコトハ。
「いや、気にしてないないよ!ご飯美味しいし!」
慌てて取り繕(つくろ)う信吉だが、
「それ、アオ姉が炊(た)いたやつだし」
余計にコトハをしょげさせてしまった。
「つ、作ってくれただけでおいらは嬉しいぜ。なっ、機嫌(きげん)直してくれよコトハ」
一生懸命に言い繕(つくろ)ってコトハの機嫌(きげん)を取る信吉だった。

午後からはらちのすけも加わっての稽古(けいこ)になった。
「さあ、信吉。攻め込んでみろ」
らちのすけの一言で大きく振りかぶった信吉。
そのまま振り落すと思いきや、左に寄せた構え方に変え、小手を狙って振り下ろした信吉。
だったが、らちのすけの方が早く、払(はら)い除(の)けられ信吉の頭上に振り下ろされてしまった。
しかも、寸止めでやられたので避けようとした信吉は足を滑らせ尻餅をつく格好になってしまった。
「どうした、信吉。そんな腕で俺に稽古(けいこ)をつけてほしいと言った訳ではないだろう!」
らちのすけの一言にもひるまず、信吉は立ち上がるとまた木刀を構えた。
構えた木刀をらちのすけの木刀に下から持っていき、大きく手元を上げ、払って突こうとした。
しかし、またもらちのすけにかわされ、胴(どう)を突かれた信吉。
またもやられた信吉は、悔(くや)しくて面(めん)を取る形でぽんぽんぽんと木刀を打ち込みながららちのすけに迫っていった。
が、全部ひょいひょいとかわされて、らちのすけから見て右から脇腹に入れられてしまった。
それから何度やっても信吉は一つも当てられなかったのだった。
「ゼー、ゼー、ゼー・・・」
汗だくの信吉に対して息一つ乱さないらちのすけ。
いつの間にか周りも稽古(けいこ)の手を休めて二匹の対決に見入っていた。
「信吉、筋はいいが木刀が大振りだぞ」
「はい、先生」
言って立ち上がる信吉。
「もう一度基本の構えをやってみろ」
らちのすけの指示に木刀を真っ直ぐ構える信吉。
「試しに振り上げてみろ」
言われるままに振り上げた信吉。
その後ろから、らちのすけが信吉に手を添(そ)えた。
「振り上げると握(にぎ)りが強くなっているのに気付いたか?」
無意識の事に驚(おどろ)く信吉。
「握(にぎ)りが強すぎてせっかくの早さが半減しているし、木刀が大振りになるのもそのせいだぞ」
「はい!」
らちのすけに言われてから何度か木刀を振ってみる信吉。
確かに強く握っていたようで、意識して振ると速さがぐんと増した気がした。
「ありがとうございます」
「意識しないで振れるように体に覚え込ませることで、俺から一本ぐらいとれるようになるかもな」
らちのすけにそう言われ、嬉しそうな信吉だった。
そこに廊下を駆けて来る足音がした。
「コトハさん!どこですか、出てきなさい!!」
足音の正体は棗(なつめ)先生だった。
「どうしたんですか、棗(なつめ)先生?」
慌てて駆け寄った松五郎先生に棗(なつめ)先生は
「またですよ、松本先生。もうコトハさんには付き合ってられませんわ!」
怒っていてもきちんと松五郎先生を苗字で呼ぶ棗(なつめ)先生。
「コトハがどうかしましたか?」
らちのすけも聞いてみる。
「逃げたんですよ、私の授業から!もう、どこに行ったのかしら。もう、毎度毎度」
コトハが授業を抜け出すなんて思いもしなかったらちのすけは、ビックリして松五郎先生に聞いた。
「コトハがあれだけ楽しみにしていた寺子屋を抜け出すなんて事があったのかい、松五郎」
「いや、いつもは真面目に授業を受けているんだが。なぜか棗(なつめ)先生の時だけ勝手な事をするんだ、どうしたものかならちのすけ」
らちのすけは考えた。
幼い頃から戯(たわむ)れに教えた剣術のせいで、コトハはオスっぽく育ったのではないかと。
「俺のせいでメスらしい事が苦手になってしまい、授業を受けるのが苦痛で逃げ出したのかもしれないな」
あいた、しまったと育て方を間違えた事に気付かされたらちのすけだった。

その頃当のコトハは松五郎塾から抜け出して土手の上で一匹で木刀を振りながら稽古(けいこ)をしていた。
「正眼(せいがん)の構(がま)え」
スッと前に構(かま)えるコトハ。
そのまま上に上げる。
「右上段の構(かま)え」
そして振り下ろす。
「下段の構(かま)え」
そして剣道で言う脇(わき)構(かま)えを更に後ろに持っていって陰(いん)剣(けん)。
これを何度も繰り返しながら木刀を振り続けるコトハ。

しばらくして、遠くから呼ぶ声が聞こえてきた。
「「コトハー」」
「コトハさーん」
呼んでいたのは信吉とらちのすけ父さんと棗(なつめ)先生だった。
「どうしたの父ちゃん、それに棗(なつめ)先生に信きっぁんまで?」
「お前が松五郎塾から居なくなるからだろ!」
らちのすけ父さんは、コトハを怒鳴りつけた。
「何で居なくなったんだ!」
「だ、だって女メスのたしなみって言われても何やってもつまんないし、上達はしないし。剣の稽古(けいこ)の方がよっぽどましだよ」
こりゃ、育て方を本気で間違えたなと心底(しんそこ)母親の居ない生活が悪い事を知るらちのすけだった。
「だからって、塾から居なくなることはないだろう。凄(すご)く心配したんだぜ」
信吉はほっとした顔をした。
「そうですよ、コトハさん」
棗(なつめ)先生は、ちょっと怖い顔で固まってしまった顔を見せないように努力しながら話しているようだ。
何せ、松五郎塾を抜け出したのは一度や二度ではないからだ。
「すみません、塾を抜け出したのは謝ります。でも、たまには剣の稽古(けいこ)もさせてください」
真面目な顔で頼み込むコトハ。
「仕方ないですね。では、私からの課題を解決出来たら剣の稽古(けいこ)に行くというやり方でどうでしょう?」
意外にもあっさり稽古(けいこ)の参加を認めた棗先生。
「良かったな、コトハ」
信吉が、コトハが稽古(けいこ)出来ることを我が事のように喜んでくれた。
「頑張ってくださいね、女メスのたしなみが出来ない人は稽古(けいこ)する資格はありませんから!!」
何か考えがあるような口ぶりの棗(なつめ)先生。これは今まで以上に厳しくされること間違いなしだと、ちょっぴりコトハが可哀想(かわいそう)になるらちのすけ父さんだったのでした。



























第三話酔っ払い二匹組
「はぁ、ヤクザの用心(ようじん)棒(ぼう)で賭場(とば)に出入りする日が続いて眠たいなあ。今日は休みで良かった」
賭場とは丁半(ちょうはん)博打(ばくち)で有名な賭け事の場である。
開催されるのは夜が多く、しかも違法な為、らちのすけは警護(けいご)に駆り出され連日寝不足気味だった。
それでちょっとばかりふらついていたらちのすけは、辻(つじ)で人、いや猫にぶつかってしまったのである。
「いてっ⁉誰だ、フラフラ歩きやがって!危うく商売道具で怪我しちまうとこだったじゃねえか」
派手に鉋(かんな)や釘などをばらまいた大工は、怒ってカンカンだ。
「おっ、おおすまん。ぶつかって」
とらちのすけが謝り、互いに顔を見合わせるとなんとぶつかったのは長屋の隣のコトハと仲良しの信吉の父親、大吉だった。
「あらまっ!お宅は隣の原田様じゃないですか」
「そういうあなたは隣の大きっぁん」
「こんな刻に会うとは仕事はどうなすったんですか?」
釘を拾いながら質問する大吉。
「いやぁ、早く終わりましてね。このまま帰ろうか考えてたところなんですよ」
らちのすけも釘(くぎ)を拾うのを手伝いながら答えた。
「そういえば、お宅のコトハちゃん頭が良いそうじゃないですか」
「いやいや、算額の方は信吉君の方が良いらしいじゃないですか。おまけに剣の筋もいい」
互いの子供を褒(ほ)めあっているうちに釘(くぎ)を拾い終わったところで、大吉は提案した。
「どうです、私のおごりで一杯」
「おっ、良いですね♪」
誘(さそ)われて嬉しそうならちのすけ。
「もう少し信吉の剣の腕について聞きたいですし」
「こちらだって居ない間の子供達の暮らしぶりについて聞きたいですし」
と二匹は子供達をだしに飲む計画を立てたのだった。

大吉がらちのすけを連れて行ったのは、煮売り居酒屋八の字という所だった。
「ここ、ここの料理が簡単ながら安くて美味いんですよ」
大吉はそう言うと畳の一画に座り勝手に注文し始めた。
「熱燗(あつかん)二つと、それと煮物を二人前」
煮売り屋とは酒も飲めて、料理も持ち帰れる店で、だいたいが座敷か店先の縁台(えんだい)で食べるといった風な所だ。
住居兼店舗なので店自体はそれ程広くはない。
だが、煮物を一口食べてらちのすけはビックリ。
おすみちゃん家の小料理屋浪花屋の味にも劣(おと)らない美味しさ。
おまけに酒は、水で薄(うす)めるのが常識だが、その辺の安居酒屋に比べると薄め具合が低い。
「大きっぁん、あんた良い店知ってるね!」
らちのすけは、この店をおおいに気に入ったのだった。
「ところで、先日は息子に稽古(けいこ)をつけてくれたようで。あの日は、信吉のやつ大喜びで帰って来たんでさあ」
「それは良かった。俺自身、人に稽古(けいこ)をつけてやったことが無いからどうだったか気になっていたところでね」
里芋(さといも)を口に運びながら、ほっとした様子のらちのすけ。
「しかし、あの日はうちのコトハが松五郎塾を抜(ぬ)け出した日でもあった。信吉君には迷惑をかけた、すまなかったと伝えてください」
頭を下げるらちのすけ。
「そ、そんな頭を上げてくだせえ。お侍様に頭下げられた日には、こちとら困ってしまいます‼」
慌ててらちのすけの頭を上げさせる大吉。
「子供達は幼なじみなんですから、遠慮(えんりょ)しないでくだせえ」
そう言いながら、らちのすけの杯(さかずき)に酒を注ぐ大吉。
「そうですか♪」
らちのすけも酒を大吉の杯(さかずき)に注(そそ)ぎ返した。

「それにしても近頃のお侍はいけねえ」
鶏肉を探していた大吉がふと漏(も)らした。
「なにがです?」
「浪人といえらちのすけ様の前でなんですが、近頃のお侍は気位(きぐらい)ばかり高くていけねえ」
「と言うと?」
杯(さかずき)をあおるらちのすけ。
「いやね、この前浪人とおぼしきお侍(さむらい)に仕事の弟子がぶつかられましてね。どこ見て歩いておると怒鳴(どな)られたあげく、その日の給金(きゅうきん)全部スラれたらしいんでさ」
「ほう、すると食うに困った浪人が巾着(きんちゃく)切(き)り(江戸時代のスリの呼び方)を働いたと。その上、弟子の方からぶつかったと皆に聞こえるように言ったと、こういうことですか」
そうなんですよと悔(くや)しそうに畳を叩く大吉。
「そりゃ、いけねえな。いくら侍(さむらい)といえ、おごり高ぶってものを言うのは」
大吉の意見に賛同したらちのすけ。
「そうですよねえ、らちのすけ様みたいなお侍(さむらい)が隣で良かったですよ」
分かってもらえて嬉しそうな大吉。
らちのすけは、侍の品格が落ちていってるなと椎茸(しいたけ)
をつまみながら頭を悩ませたのだった。

それからお互いに杯(さかずき)に酒を注ぎ合いながら煮魚だなんだと食べ、酒をおかわりしてぐでんぐでんに酔った二匹。
「いりゃ?酒の足(た)らん。おかわりぐらい用意しげなんか」
「あっ、ほんとれすな~。おかわりくだせぇ~」
とろれつが回らないで言った大吉。
「今日は好い(すい)とぉだけ飲めれよかやね」
らちのすけもろれつが回らなくなってきた。
「いっつもいっちゃんうれん娘に、た(た)いのい(いがい)にしっちけっち言われてうるしゃいっちゃん」
「たいのいってなんれすか?」
「ばーかの、そげな事もわからんちん!はかたかたの方で産まれたもんらから」
いきなり怒鳴(どな)ったらちのすけ。なんだか言葉のところどころに博多弁まで混じり出した。
「お客さん!もう店閉めやすぜ」
「あっ、そうれつか」
店の主人に言われて返事はしたものの、いっこうに腰を上げない大吉。同じくらちのすけ。
「も~、家はどこでやすか?お侍(さむらい)さん方」
主人の問いに
「へっ、魚屋や八百屋がならぶとーりのうやの喜平なかやですよ~♪」
と答えた大吉。
「はいはい、分かりました。このお客人ちょっくら送ってくるわ」
「はいよー」
主人は女将(おかみ)さんにそう告げると二匹を送って行くことにしたのだった。

「おそいですね、おかえおばしゃん」
「そうねえ、またどこぞで飲んでるのかねえ」
喜平長屋の木戸の前で待ち構えているのは、大吉の奥さんの楓さんとアオ。
「ぎょーらしかばい、しゅーじん」
大袈裟(おおげさ)だよ、主人と言いたいらしいらちのすけ。
「はいはい」
博多弁の分からない主人はあいまいに返事をして誤魔化(ごまか)した。
「あ~、あそこれすよ。おかえ~」
大声で楓さんの名を叫ぶ大吉。
「あんた酒臭いし、酔っ払ってるね。大声出したら近所迷惑だよ!」
カンカンの楓さん。
「あー、一緒に飲んでたの父ちゃんだったんでしゅね!道理で二匹して帰りが遅いと思ったでしゅ」
「しかも、誰だか送ってもらって」
楓さんがすまなそうに店の主人に頭を下げた。
「いや良いですよ、こんなのうちの店では日常(にちじょう)茶飯事(さはんじ)ですから。眠ってしまわれなかっただけ良いですよ」
しきりに謝る楓さんと、良いですよと手を前で振る店の主人。
「ありがとうございます、お父ちゃんが迷惑かけました」
アオもお礼を言ってから店の主人はようやく帰っていったのだった。
「木戸閉めますよ」
そこに、後ろから喜平さんの奥さんのお松さんの声がした。
「ちょっと待ってください、うちのが酔って座り込んじゃったんで」
「おかえさん、コトちゃん達呼んで来て加勢(かせい)してもらうでしゅよ」
らちのすけなんか侍(さむらい)だというのに、その場でイビキをかき始める始末だ。
「そうね、うちの信吉も呼んで来てくれる」
「分かりましゅたー」
慌てて木戸をくぐるアオ。
「仕方ないわねえ、じゃあ後四半刻(しはんとき)待ってあげるから、早く中に入れてちょうだいね」
「すみません」
あっちにもこっちにも頭を下げてばかりの楓さんだった。














第四話ヒメちゃんのある一日
その日は、朝からモモ先生の所に呼び出されたヒメ。
行ってみるとモモ先生の仕事場の前には、同じく呼び出されたのだろうおすみちゃんが居た。
ここしばらく仕事が無くて呼び出されなかった二匹。
「また、久しぶりにお披露目会かな?」
嬉しそうなヒメ。
「そうだと良いわね」
うなずくおすみちゃん。
しかし、中に入ってみるとなんだかどんよりと暗い感じが漂っていた。
「すみませーん、ヒメとおすみですけど」
「あら、よく来てくれたわね!」
慌てて駆け寄って来たモモ先生は、顔を輝かせた。
「今ね、お上(かみ)からお触れが出て南蛮の物が厳しく規制されてるの」
困った風なモモ先生。
「だから、しばらくお披露目会がなかったんで+すね」
納得の二匹。
どうりで、お披露目会会場裏のモモ先生の仕事場は落ち込んだ様子で着物職人も居ない訳だ。
「でもそれじゃ、何であたし達を呼んだんですか?」
疑問が残るヒメ。
「それでね、女メスだけじゃなくて男オスのお披露目会もやってみようと思っているの」
お上(かみ)からお触(ふ)れが出ているのに大胆(だいたん)発言(はつげん)のモモ先生。
「えっ、それって開催(かいさい)しても良いんですか?」
慌てるおすみちゃん。
「でもね、ひいきの侍(さむらい)の奥方(おくがた)によれば男オス達が女メスばかり派手になってと言っているのを聞いたらしいの」
「えーと、つまりそれは・・・」
ヒメもおすみちゃんも気付いて顔を見合わせる。
「そっ、ひがんでるのよ。要するに」
だからって大丈夫かなぁと不安な顔のおすみちゃん。
「でも、男物となったら着てお披露目会に出る人いないじゃないですか」
そんな不安なおすみちゃんをよそに、モモ先生の話は進んでゆく。
「だから来てもらったの。あなた達に、出演者の男オスの心当たりはないかと思って。もちろん、他の出演者の女メス達にも聞いてあるわ」
「えっ!」
「難しそう」
困惑する二匹。
でもすぐに、ピンときたヒメ。
「そうだ!コト姉に頼んで見れば良いんだ」
「そうだった、ヒメちゃん姉妹が居たんだった。良いなぁ」
おすみちゃんは人間の一人っ子だ。その点ネコは、最低同時に三匹から産まれる。
「それじゃ、ヒメちゃんが心当たりがあるのね」
助かったと、ほっと胸を撫で下ろすモモ先生。
「決まったら入場券あげるわね、二人には」
と言われて、モモ先生の仕事場を後にした二匹だった。

「ただいまー、コト姉帰ってる?」
アオ姉に聞くと
「寺子屋終わって、昼ご飯を食べてとっくに瓦版屋の仕事に行っちゃったでしゅよ」
と言われた。
「あり、新しいネタがあるって言って瓦版に書いてもらえるように頼もうと思ってたのに」
困ったヒメ。
ヒメはコトハの働いている瓦版屋一番屋でこの話を扱ってもらおうと思っていたらしい。
それなら、隣の信きっつぁんに寺子屋で探してもらおうと思いついたヒメは、早速頼みに行った。

「信きっつぁんいますか?」
戸を叩くと出て来たのは楓さんだった。
「ごめんね、信吉なら今コトハちゃんの仕事を手伝うとかで、出掛けちゃってるのよ」
すまなそうに言う楓さん。
「あっ、そうですか」
多分仕事は口実で、二匹でどっかに出掛けている可能性もあるなと思ったヒメだった。
そこで町中などを探してみる事にしたヒメ。
一番に瓦版屋の一番屋に行くと、オスを連れてコトハが来た事は間違いなかったようだ。
「やっぱり仕事かなあ?」
疑問をつのらせながらもヒメは、大通りの店が立ち並ぶ周辺や松五郎塾の近くの土手などを探したが見当たらなかったのだった。
しかし江戸は広い。諦めかけたヒメは夕暮れのカラスの鳴き声で「しまった!こんな事しなくても帰って家にいれば帰って来るじゃんコト姉は」と徒労(とろう)だったことに気付いて疲れてしまったのだった。
仕方ないの渋々(しぶしぶ)帰るとコトハはまだ帰ってきていなかった。

その夜、ヒメは夕食の時帰って来たコトハに聞いてみた。
「信きっつぁんとどこ行ってたの?」
食べていたご飯で、おもいっきりむせたコトハ。
実は、瓦版の取材がてら二匹で逢引(あいびき)していたことは内緒である。
「どうした、コトハ?」
事情を知らないらちのすけ父さんが、疑問を口にした。
アオからもらった湯呑(ゆのみ)の水を飲みながら、仕事で出掛けただけだよと、否定したコトハ。
納得してない様子のヒメ。
「それよりコトちゃんに用事があったんじゃないんでしゅか、ヒメちゃん」
ヒメがコトハに話があったことを思い出したアオ。
『おっ、助かったアオ姉』話がそれてホッとしたコトハ。
「そうなの、コト姉。実はモモ先生がね・・・」

詳細を聞いたコトハは、
「う~ん、男オスのお披露目会か~、難しいな。明日信きっぁんに話して探してもらうかな。それとも瓦版で呼びかけるかな。しかしお上(かみ)は近頃瓦版の内容にまで首を突っ込んで規制しやがるからなぁ」
と考え込んでしまった。
考える事は、姉妹そろって同じだったわけだ。









第五話お披露目会男子オス選抜会
次の日、信吉に聞いてみると、松五郎塾で選抜会をやらせてもらったらどうかと言われた。
「大丈夫かなぁ、松五郎先生許可してくれるかな?」
不安なコトハをよそに、早速朝一で塾に着くと相談し始める信吉。
「おお、それは着てみたい」
松五郎先生の方が乗り気になった。
「ええっ!松五郎先生出たいんですか、男オスのお披露目会?」
「大人物があればの話じゃよ」
と非常に乗り気で許可してくれたのだった。

選抜方法はいたって簡単。
出演してみたい人から順に、モモ先生の持って来た、出来たてホヤホヤの着物を男オス達に試着してもらい、モモ先生が直接決めるという方法だ。
「ねえ、信きっぁん・・・」
なぜか、恥ずかしそうに話しかける、コトハ。
「出てみてくれないかい、お披露目会」
「へっ?い、良いけど」
そんな才能無いと思っていた信吉は、コトハに頼まれてビックリ。
「あたい、信きっぁんの南蛮着物姿、見てみたいんだよ」
意外と可愛い一面を見せるコトハだった。

次の日、急きょお披露目会男オス選抜会が松五郎塾で開催されたのだった。
「まあ♡かわいい!」
信吉やその友達を見るなり抱き締めるモモ先生。
「若いって良いわぁ~♡」
とゲイ全開だ。
「先生、真面目にやってください!!」
「あら、私はいたって真面目よ」
こんな人とよく付き合えてるなヒメと、逆に感心してしまいそうになるコトハ。
「では、この“こおと“と言うものを着物の上から羽織(はお)ってみてください♡」
モモ先生が取り出したのは、何やら首元に止める箇所(かしょ)が1つの、膝(ひざ)丈(たけ)まである長いのが特徴の羽織(はお)り物だ。
「うわ、長くて冬暖かそう」
「でもこれじゃ、着物着てるの分からなくなるな」
と、口々に意見が飛び交う。
「前を止めなくても良いし、好きな着方を選んでみて♡」
もう、モモ先生は仕事を忘れて男漁(あさ)りを始めそうな勢いだ。
「せ、先生真面目にやってくれんかの」
松五郎先生が注意する程だ。

そして、ようやく決まったお披露目会出演者は五人。その中に信吉も入っている。
他に、なぜか松五郎先生とらちのすけも出る事になった。
「なぜ俺が出なきゃならんのだ」
嫌がるらちのすけ。
松五郎に呼ばれてホイホイ出てこなけりゃ良かったと後悔(こうかい)した。
「いいじゃないか、らちのすけ」
松五郎とらちのすけのそんなやり取りに気付いたモモ先生。
「あら、不満?男オスは、冬に向けてのこおと祭りみたいな感じでやりたいから、格好良い大人が必要なの♡」
と、らちのすけに腕を絡めるモモ先生。
「や、やめてくれ。俺には男色主義はない⁉」
慌てふためく、らちのすけだった。

その日の午後、早速モモ先生の仕事場に呼ばれた五人と松五郎先生とらちのすけ。
「何で俺まで・・・」
まだブツブツ言うそうならちのすけ。
「俺は日本の着物以外の着物は、着にくくて嫌だ」
「そんな事はないぞ、ほら」
と、松五郎先生が早速茶色い、ボタンが少ないこおとを羽織(はお)って見せた。
「着心地良いぞぉ‼着てみないか?」
「だから‼俺は着たくないって言っているだろうが!」
「そんな事言わないで♡」
二匹が言い争っている間に、こおとをらちのすけにかけたモモ先生。
「ほら、こうやって袖(そで)を通さなくても、着物の上から羽織(はお)るだけで。どう?」
無理矢理(むりやり)着させられたらちのすけ。
しかしなんだか、満更(まんざら)でもない様子。
「ん、う~ん。なかなか・・・」
良さそうと言いそうになって、慌ててどもるらちのすけだった。
「あなた達には、こっちを着てもらうわ」
そう言ってモモ先生が取り出したのは、白や黒などの柄(がら)に襟(えり)の付いたボタンがいっぱいで、袖(そで)にまでボタンが付いたものだ。
「これ、しゃつって言うの」
信吉達五人はそれを着せられ、ずぼんを履かされ、その上からこおとを羽織(はお)った。
とそこに、誰かやって来た。
「こんにちはー」
見るところ簡易(かんい)の筆や墨(すみ)を入れる矢立(やたて)を持っている。
「紹介するわ、絵師の山本様よ。今度、南蛮着物ばかりの本を書いてもらおうと思って呼んだの」
それは現代で言う所のファション雑誌のようなものだ。
「皆、着替え終わったら並んでみて。山本様に誰から描くか決めてもらうから」
左端に信吉が並び始めた。
子供達五人と大人二人が並び終わると、山本はう~んとうなりながら皆にああだこうだと姿勢の指示をだし、らちのすけに決めた。
「それじゃ、らちのすけ様以外帰って良いわよ。らちのすけ様が終わり次第、順々に来てもらうからね。あと、お披露目会の日時は決まり次第松五郎先生に知らせるわね♡」
モモ先生が手際よく解説して、その日は解散となった。らちのすけだけを除いて。
「ええっ‼まだ出るとも言ってないのにー!」
叫ぶらちのすけだった。





















第六話男オスのお披露目会と本
男オスのお披露目会の当日。
舞台そででは、ニコニコしながら松五郎先生がお客の入りを見ていた。
「おお、なかなかの客入りだなぁ」
男オスのお披露目会では、出演者の載った本を売るといった趣向(しゅこう)にした、モモ先生。
「き、緊張するなあ」
そのせいか、そわそわする信吉。
「大丈夫、俺が付いている」
仕事にはギリギリ間に合うとのことで、とうとう出演することになったらちのすけが、信吉を励(はげ)ました。

「これから、男オスのお披露目会を開催いたします」
司会のオスネコが始まりの合図を述(の)べた。
最初は信吉。
洗いざらしのクシャッとした感じの青いしゃつに、紫(むらさき)のボタン式のこおとだ。
「キャー、信吉くーん」
「格好良いー!」
松五郎塾の生徒がたくさん見に来ていた。
それから、残り四人の生徒が出終わると、松五郎先生の番になった。
松五郎先生は紺色(こんいろ)の着物に茶色い、ぼうし付の紐(ひも)のような形をした留め具のこうとだ。
「こちらは、着物に合わせる形のこおとになります」
司会のオスネコが説明した。
「うわぁ、凄(すご)い!」
日本の着物に南蛮の着物を合わせるといった斬新(ざんしん)さに、驚(おどろ)きの声が上がった。
「わぁー、買っていこうかしら」
子供や旦那に買っていってあげようと思う女メスの声が飛び交った。
そして、らちのすけの番になった。
枯(か)れ草色の着物にネズミ色のボタンが一つで後は張り付けて止める形のこおとだ。
「あれ、有名なおヒメちゃんの侍(さむらい)のお父さんよ」
「ほんとう?」
なぜか知れわたっていたらちのすけ。
客の声に驚(おどろ)き、歩いていた足がもつれかけて四足歩行になるところだった。

その後は、出演者の載った本の即売会(そくばいかい)が催(もよお)された。
信吉やらちのすけ目当ての女メス達が、とぶように買っていったのだった。
「信吉君着こなしが爽(さわ)やか♪」
「あら、らちのすけ様も大人の雰囲気(ふんいき)で格好良いわよ」
とその場で本をめくり、ワイワイ言い合っている。
「あら、この子の着てる着物、うちの子に似合いそう」
「そうね、これなんか出てこなかった着物じゃありません?」
お披露目会では出さなかった格好の南蛮着物にも、注目が集まった。
そのお陰で南蛮着物の予約がさっとうし、受け付けは嬉しい悲鳴をあげるはめになったのだった。

その次の日。
らちのすけが、上総(かずさ)の国までヤクザ見習いを送って行く日がきた。
「三匹とも良い子にしてるんだぞ」
ヤクザの仕事場まで、見送りに来た三姉妹に声をかけるらちのすけ。
「早く帰ってきてね、父ちゃん!」
悲しそうに別れを惜(お)しむ、ヒメ。
「道中気をつけてでしゅ」
無事を祈るアオ。
「父ちゃん、早く決まった仕事見つかると良いな」
仕事の心配をする、コトハ。
「あっ、娘さん達見送りに来たんですね」
送って行くヤクザ見習いが気づいたようで、らちのすけに声をかけた。
「おう、自慢の三姉妹よ!」
「皆、父ちゃん早く帰れるように急いで上総(かずさ)まで送ってもらうからね。お父ちゃん借りるよ」
優しく話しかけられた三姉妹。
二十歳位に見えるのにしっかりした身なりに見えるヤクザ見習い。
「はい、父ちゃんをよろしくお願いしましゅ」
となぜか逆の事を言うアオ。
「何言ってるんだ、送って行くのは父ちゃんの方だぞ」
突っ込んだコトハ。
「行ってらっしゃい父ちゃん、無事で帰って来てねー」
手を振る三姉妹。
「じゃ行ってくるなぁー」
と言って別れを惜(お)しみあう、三姉妹とらちのすけだった。

























第七話現代で言うところのストーカー
「あーあ、遅くなっちゃった」
暮れ(午後)六つ(七時)半(頃)ヒメは、暗くなった大通りの道を、モモ先生の仕事場から急いで家まで帰っていた。
男オスのお披露目会で売った本が予想以上に好評だったため、女メス版も作るということになり、呼び出されたヒメ。
ヒタヒタヒタ・・・
あれ?
ヒタヒタ。
ヒタ。
何やら自分の足音の他に、追いかけて来るような足音がした気がしたヒメ。
ちょうど長屋の前だったため、急いで木戸をくぐり、家に帰ったのだった。

次の日。
ヒメはおすみちゃんと出掛ける約束をしていた。
「ヒメちゃん、どこ行こうか?」
待ち合わせ場所のおすみちゃん家(ち)の小料理屋浪花(なにわ)屋の前で、ヒメが待っていると、中からおすみちゃんの声がして顔を出した。
「モモ先生のたるとき屋」
すかさず答えたヒメに
「ええー、またぁ!今月何回目だと思っているの、ほんとにヒメちゃん甘いもの好きだね」
と、おすみちゃんが呆(あき)れた声をあげた。
「へへっ♪」
笑っているヒメにおすみちゃんが脅(おど)しをかけた。
「笑ってる場合じゃないわよ、お披露目会の着物入らなくなっても知らないわよ」
「ええっ‼それ困るー‼」
現代と違って大量生産が整っていないので、いちいち採寸して南蛮着物を作っているため、今の採寸で作っているのが入らなくなってしまうと言いたいらしいおすみちゃん。
「ぶー!意地悪(いじわる)、あたしはそんなに太りませんよーだ」
そんな事を言い合いながら、ヒメとおすみちゃんが行くと、たるとき屋はすでに長蛇(ちょうだ)の列と化していて入れなさそうだった。
しかし、そこはモモ先生の関係者。店の裏に回ると二匹は扉を開けて、中の作業員にあいさつして、サクッと立ち入りの許可(きょか)を得(え)たのだった。
ヒタヒタ。
その時また、夕べのように足音が聞こえた気がしたヒメは、立ち止まった。
「んっ?立ち止まってどうしたの、おヒメちゃん」
先に扉をくぐりかけていたおすみちゃんに聞かれてヒメは、
「ううん、何でもない」
と答え後(あと)から入っていった。

中は一心不乱(いっしんふらん)にけいきなどの南蛮菓子を作る従業員とそれを買いに来た客の熱気(ねっき)で満(み)ちていた。
「良い、おヒメちゃん。いつものように作るお手伝いをしてそのお礼にもらって帰るんだからね」
毎度の事ながら言い聞かせる口調のおすみちゃん。
「うん、そうしないと店にもお客さんにも悪いもんね」
そう言うと二匹は、割烹(かっぽう)着(ぎ)に着替えて生くりいむを泡立てる作業に加わったのだった。

それからしばらくして、
「あのー・・・」
店の表側でやけにのんびりした声で従業員に話しかける男の客が居た。
「あそこで働いてるの、おヒメちゃんとおすみちゃんですよね」
「ああ、はい。そうですが」
「えっ!うそ、あのおすみちゃんとおヒメちゃん?」
新人従業員が簡単に答えてしまったせいで、聞いていた別の客にまで伝わり、店の中がざわつき始めた。
「握手させてください‼」
「いやいや、この紙に名前書いてくださいよ!」
調理場に繋(つな)がる通路は、従業員が止めに入ったはいいが、ヒメ達のひいきが集まって仕事どころではなくなってしまったのだった。

「しょうがない新人だな、悪いけど裏から帰ってもらえるかな?これじゃ仕事にならんからな」
店を任されている職人の主任で、モモ先生の片腕の男の人に頼み込まれて帰るはめになってしまったヒメ達だった。
「ちぇ、お菓子はおわずけか」
とのんきな事を言うヒメに
「おヒメちゃん状況分かって言ってる?」
とたしなめながら、おすみちゃんが裏口を開けようとしたが開かない。
何やら声がしているような気配がある。
もしやと思ったが、もう遅い。
裏の出入り口まで突き止めて、押し寄せていた。
「ちっ、あの新人ただじゃおかねえ!店が営業出来なくなったらモモ先生にどんだけ叱られると思ってるんだ全く!」
主任の男が悪態(あくたい)をついたが、だからって帰れるようになる訳ではなく、仕方なくヒメ達は握手や名前書きをしながら揉(も)みくちゃにされてようやく外に出られたのだった。

「ぷはぁー、やっと出られたわ」
「もう、しばらく店には行けないね」
残念そうなヒメ。
ガサガサ
「?」
あれぇー?と後ろを向いて首をかしげるヒメ。
「おヒメちゃん、さっきから何気にしてるの?」
「何か昨日から誰かにつけられている気がしてるんだけど・・・おかしいなぁ?」
首をかしげるヒメにおすみちゃんは
「ええっ‼それ早くお役人様に届けなくちゃ、怖くないのおヒメちゃん」
とヒメ以上に驚(おどろ)いたのだった。
「えー、それってあたしのひいきの人じゃないの」
とちっとも怖(こわ)がっている様子がないヒメ。
「もし、夜道で襲(おそ)われたらどうするの?」
おすみちゃんの問いにようやく
「あっ、それは嫌かも!」
とつけられる怖(こわ)さにようやく気付いたヒメ。
それじゃ遅いって、おヒメちゃん・・・
と心の中で呆(あき)れかえるおすみちゃんだった。

そこへ、何やら使いのようなものが現れた。
「あの、原田ヒメさんですよね。ある人からこれを渡してくれと頼まれたんでさぁ」
と、そのオス猫は懐から文(ふみ)を取り出すとヒメに押し付けて、ヒメ達の制止も聞かずさっさと立ち去って行ったのだった。
不審(ふしん)に思いながらも、ヒメが文(ふみ)を開いて見ると文(ふみ)にはこう書かれていた。
『原田ヒメさん、あなたを好(す)いてしまいました。つきましては私と会っていただけないでしょうか。越後屋(えちごや)福(ふく)太郎(たろう)』
しかし、かわいそうかな。字があまり読めないヒメとおすみちゃん。
ヒメに至(いた)っては自分の名前がやっとだ。
「読めなぁい。コト姉に聞いてみるから明日だね、これ読めるのコト姉だから」
「そうだね、なんだかおヒメちゃん宛(あて)みたいだし」
これにて、ヒメを付け回すやからが分り少しほっとしたヒメとおすみでした。






第八話てんてこまいの松五郎塾
「大変だぁ!」
息せき切って喜平長屋に帰って来たのは、コトハだった。
「どうしたの、コトちゃん?」
家で待っていたアオに問われて
「いや、それが、松五郎塾が大変なんだよ」
と言って事と次第(しだい)を話し出した。

なんでもこのところ入塾希望者が増えているらしく、特に男オスの希望者が多いらしい。
しかも皆、剣術(けんじゅつ)の稽古(けいこ)をつけてほしいと言う者ばかり。
「そうなんだ、楽しそうだね♪」
とアオ。
「それどころじゃないよ!」
それもそのはず。皆一様に、原田らちのすけ先生はどちらにと松五郎先生に聞いてくるのであった。
「ちょっと上総(かずさ)まで出ておる」
と松五郎先生がいうもんだから皆、帰って来たら松五郎塾の先生に戻るのだと信じて疑(うたが)わないらしく、生徒は増える一方だそうだ。
「それのどこが大変なの?」
首をかしげるアオにコトハは
「そんな調子で父ちゃんに憧れる素人ばかりが集まってるんだぞ。教える方は足りなくなるだろう」
と言われようやく
「ああ、そうだね」
とうなずくアオだから話がややこしくなる。
「今日なんか棗(なつめ)先生の授業の日だったんだけど、手が足りなくて、あたいまで駆り出される始末(しまつ)だよ」
とそこまで話終えるとアオの後ろで何かがはっている音がした。
アオの後ろを覗(のぞ)いたら、そこには横たわるヒメの姿があった。
「ど、どうしたんだあ?ヒメ」
と驚く(おどろく)コトハ。
「お腹(なか)が・・・痛い・・・」
「朝は元気だったじゃないか、昼何食べた?」
「けいき」
そこまでヒメが話すと、入口の扉を叩く音がした。
「はぁーい」
のんびりとアオが返事をして扉を開けると、そこにはおすみちゃんの姿があった。
「いつまでたっても来ないから迎(むか)えに来ちゃった」
しかし、ヒメは起き上がることも出来ずにうなったままだ。
「どうしたの、おヒメちゃん?」
心配そうにヒメに駆(か)け寄(よ)るおすみちゃん。
「けいきの食べ過ぎでバチが当たったんだ、きっと」
とこれまたのんきに構(かま)えているコトハにおすみちゃんは
「何言ってるんですか!すぐお医者様に見せなきゃ、おヒメちゃんのことだからまた人間用食べたんでしょ!」
「だって、くりーむ少ないし美味しくないんだもん。猫用」
この期(ご)に及んで言い訳(わけ)するヒメ。
「あっ、そうか!」
納得(なっとく)した様子のアオ。
「どうしたのアオ姉」
何に納得(なっとく)したのかコトハが聞くと
「猫用のけいき見たことあるけど、白いのが少なかったのはそのためかぁ」
と、知っていたにも関わらず猫用がある理由がわからず、ヒメが食べるのを見ていたのに止めなかったアオという間抜(まぬ)けなことが分かっただけだった。

それから急いで医者を連れて来て見てもらうと、やはりくりーむ中毒だと言われたヒメ。
お腹痛(なかいた)を止める薬をもらい、安静(あんせい)にして、これからはくりーむを控(ひか)えることと言い渡し医者は帰って行った。
「モモ先生が言ってたわ、人間と猫じゃ栄養素の量がまるで違うって」
食べ物に関(かん)しては、やはり料理屋の娘だけあって物知りなおすみちゃん。
「ありがとな、助かったぜ」
コトハがお礼を言うと
「いいえ、どういたしまして。おヒメちゃんお大事にね」
と唸(うな)るヒメに言い渡(わた)しておすみちゃんは帰っていったのだった。

次の日。
「皆さん喜べ、あの松五郎塾に二三日中に原田らちのすけ先生が帰って来るって話だよ!瓦版屋一番屋が仕入れた取って置きだよ」
その瓦版は、松五郎塾の生徒や家族を中心に瞬く間に売れていったのだった。
しかし一体誰がこの事を一番屋に教えたか。
それはコトハだ。
松五郎先生が困って、らちのすけに手紙を書いて返事をもらった内容を宛先(あてさき)を聞かれたコトハがこっそり盗(ぬす)み見たのだ。
コトハだって、早く父ちゃんに帰って来てほしい一匹だ。良い記事が最近なかった一番屋は、それを聞いて売れると思い記事にしたって訳だ。

「あおってどうするおつもりですか、先輩!」
松五郎塾が困り果てているのは百も承知(しょうち)のコトハは、この記事を書いた一番屋の先輩に詰(つ)め寄(よ)った。
「ごめんごめん。だって瓦版取りまとめの役の指示なんだよ」
好きな事だけ書いてりゃ儲(もう)かる訳じゃないんだなと現実を知るコトハだった。

一方、とうの松五郎塾は、部屋も先生も足りない状況で、先に入った者から後(あと)から入った者に教えるといった仕組みが出来上がっていた。
「だから!!お前の名前は三太だろ、こう書くんだよ」
書いて見せる先輩に
「こうですか?」
と後輩が書いたのはミ太に見えるような字だ。
こんな調子で授業の方は、遅々(ちち)として進まないのに剣術(けんじゅつ)の日になるとやる気を出す奴ばかりだから、困ったものだ。
コトハも、教える側に回され、てんてこまいだ。
父ちゃん、早く帰って来てよー!と、叫び出したい毎日だった。










第九話辻占い煎餅って知ってますか?
ある日の明け方。
まだ人もまばらだというのに、たるとき屋にはもう人が並び始めていた。
それもそのはず、今日はたるとき屋の新製品『辻(つじ)占(うらな)い煎餅(せんべい)』の発売日だからだ。
辻(つじ)占(うらな)いとは、おみくじのようなことを辻(つじ)でやっていたから付いた名前だ。
そのおみくじを煎餅(せんべい)に入れて売っているのが、辻(つじ)占(うらな)い煎餅(せんべい)である。
しかし、そこはモモ先生の独自性(どくじせい)。
南蛮から伝わった焼き菓子、くっきいにおみくじを入れた『辻(つじ)占(うらな)いくっきい』というのを開発して新しい辻(つじ)占(うらな)い煎餅(せんべい)を作り出し、売り出すことになったのだ。
それを買い求(もと)める中に、この前ヒメに手紙を渡(わた)した使(づか)いとそれを書いた本人、福太郎がいた。
「若旦那(わかだんな)、なにもご自分で買いに来られなくても、あたしに言ってくだされば買って来ましたのに」
「いや、こういうのは自分で買ってこそ、意味があるんだ!」
「またまたぁ、そう言って実は、おヒメちゃんに会うのが目的なくせに。素直(すなお)じゃないですね、若旦那(わかだんな)」
図星をとられ、真っ赤になった福太郎。
とその時、たるとき屋が開店の刻限(こくげん)をむかえ、扉を開ける従業員の姿が現れた。
「本日発売の辻(つじ)占(うらな)いくっきいは、先着100箱限りですのでそれをふまえてお並びください‼」
店員のメスネコが叫(さけ)んで呼(よ)びかけている。
どうやら今日は、まだ試(ため)し売(う)りの様だ。
「これじゃ、皆の分までは買えそうにないな」
福太郎が呟(つぶや)くと
「あらま!いつもそんなこと考えない若旦那(わかだんな)が、これは珍(めずら)しい」
と、皮肉(ひにく)交(ま)じりに言われてしまった。
「それは、いやみか?」
「いいえ、とんでもございません‼」
そうこう言い合っているうちに順番が来て、店内に入るとお客でごった返していた。
「すいませんが、従業員の中に原田ヒメさんは居ますか?」
その辺の店員を捕まえて聞く福太郎。
「お姉さんの原田アオさんなら居ますが、どういったご関係で?」
じろりと睨(にら)まれ、
「ひ、ヒメさんのひいきの者なんですが・・・」
と福太郎がどもりかけた時
「ちゅいかのくっきい持ってきましたよー!」
と、奥から出て来たのはアオだ。
「あ、アオさん来てちょうだい」
「なんですかぁ?」
アオが駆(か)け寄(よ)ると、人込みでつまずいて福太郎にドッシーンとぶつかってしまった。
「すみまちぇん、どんな用件でしょうか?」
「いたた、あの、ヒメさんに渡した手紙の返事を聞きに来たんですが」
こんなネコが、ヒメさんの姉とは思えないという表情の福太郎。
「手紙でしゅか?そんな話は聞いてないでしゅね」
首をかしげるアオ。
「そんなはずはない!おい、いせじ!本当にヒメさんに渡したんだろうな、手紙」
「はい、確かに!」
と、いせじが手に持てないくらいの南蛮菓子を持って、福太郎の元に戻って来た。
「あ、明日も来るから聞いといてくださいよ!この越後屋(えちごや)福太郎の手紙の返事を」
「すみまちぇん、聞いときまちゅので」
アオが謝ると、福太郎は使いのいせじに商品を全部持たせたまま、帰って行ったのだった。

「ヒメちゃん!」
アオは、帰って来るなり寝ていたヒメを叩(たた)き起こした。
「手紙ってなんでしゅか?今日たるとき屋に、いつも行く越後屋(えちごや)の若旦那(わかだんな)が来て返事を聞かれたでしゅよ!」
ぷりぷり怒るアオ。
「あっ、忘れてた。コト姉に読んでもらおうと思っていたんだった」
そう言ってヒメが取り出したのは、ぐしゃぐしゃの紙切れだ。
「もう!人からもらった手紙をそんなにして」
ヒメからその手紙を取り上げると、ちょうど昼飯に帰っていたコトハの前に突き出したアオ。
「何だよ、これ?」
「こんなんじゃ、読みずらいと思いまちゅけど読んでください、コトちゃん」
仕方なく、箸(はし)を置いて手紙を受け取るコトハ。
「えーと、なになに、原田ヒメさん、あなたを好(す)いてしまいました。つきましては私と会っていただけないでしょうか。越後屋(えちごや)福太郎。って誰だよ、ヒメ?」
「多分、いつも行く店の若旦那(わかだんな)」
ヒメも、手紙の内容に困ったらしく、それ以上口にしない。うかつに返事をして、どうにかなったらと、思い悩む三匹。
そこへ
「今帰ったぞ、コトハ。これで松五郎塾は心配要(い)らんぞ!」
大声で帰って来たのは、父親のらちのすけだった。
三匹の様子に
「ん、お呼びじゃなかったかな」
こりゃしまった、調子(ちょうし)狂(くる)わせだったかなと皆を見回したらちのすけ。
「父ちゃん!良いときに帰って来てくれたよ」
喜ぶコトハ。
「へっ?」
「この手紙の主(ぬし)に断(ことわ)りに行くの手伝ってよ」
ゆっくりと手紙をらちのすけ父さんに手渡すアオ。
「・・・なにぃ!ヒメを嫁(よめ)に欲しいだぁ!」
「父ちゃん、そこまで書いてないはずだよ」
突っ込むヒメ。
「とにかくこれは早く、断りに行かないといけない。ヒメ、付いて来なさい」
「はぁーい」

「ごめんください」
やって来たのは江戸一番の繁華街(はんかがい)にある、呉服屋(ごふくや)越後屋(えちごや)。
「へい、何でしょう」
店番の番頭(ばんとう)に声をかけ、事と次第(しだい)を話した。
「実は、ここの若旦那(わかだんな)の福太郎さんから、うちの子のヒメ宛(あ)てに恋文(こいぶみ)をいただきまして」
「まあ、それはまた。すぐに旦那(だんな)様(さま)と若旦那(わかだんな)をお連れします」

しばし待って、福太郎と父親の一太郎が現れた。
「私が、この店の主人の一太郎です。なんでも、ここにいる息子福太郎が、お宅の娘さんに恋文(こいぶみ)を渡したとか。本当だろうね、福太郎?」
問い詰(つ)める口調の一太郎。
「はい、確かに渡(わた)しましたよ」
平気な顔の福太郎。
「お前は、いつもそうだ!女の尻(しり)ばかり追いかけて、いつになったら仕事に身(み)をいれるんだ!」
その後も、ネチネチと朝からたるとき屋に行っていたことを叱(しか)りだした一太郎。
なぜか、付いて行ったいせじまでがしかられるはめに。
「あの、それで、うちのヒメは・・・」
おそるおそる、らちのすけが聞いてみると
「ああ、すみません、愚息(ぐそく)が大変ご迷惑をかけました。もう帰ってよろしいですよ」
その後も、
「よりによってお侍様の娘に手を出そうとは!福太郎聞いているのですか?」
と、更(さら)なるお説教をくらっていた福太郎さんだった。

帰り道。
「ありがとう、父ちゃん」
恥ずかしそうにらちのすけ父さんにお礼をを言ったヒメ。
「おう」
かわいい娘に、大事がなくて良かったとほっとしたらちのすけ。
「父ちゃん。手、繋(つな)ご」
最近、そういうベタベタした親子間の行動を嫌がるようになってきたヒメが、急に言い出した。
「えっ、急にどうした?」
「何でもないよ」
そっと繋(つな)いでやる、らちのすけ。
働いていてもまだまだ、子供なんだなと思ったらちのすけ父さんだったのでした。
第十話らちのすけ、駆り出される
「誰かー!あっちで喧嘩(けんか)が始まっちまったよ」
喧嘩(けんか)を止めてほしいと、叫んで回るメスネコが一匹。
「お嬢(じょう)さん、喧嘩(げんか)はどこかな?」
それに気づいて声をかけたのは、らちのすけ。
どうするつもりだろうと、一緒にいたコトハと信吉は思った。
「あっちです」  
メスネコに言われたすじを曲がると、オスネコどうしでの喧嘩が繰り広げられていた。
「お千(せん)ちゃんは、俺の嫁(よめ)になるんだ!」
「なにおう!そりゃ、こっちのセリフだい!」
場所は、二つの長屋の通りの境(さかい)。
「下がっていなさい、コトハ、信吉くん」
「「はい」」
らちのすけ達は、松五郎塾に向かう途中だった。
「てやぁー!」
一発、らちのすけの掛け声で、喧嘩中だったオスネコどうしが、離(はな)された。
見ていたメスネコ含(ふく)め、野次(やじ)馬(うま)達(たち)は何が起きたのか分からなかった。
しかし、そこは松五郎塾で剣の腕一二を争う、二匹。
ちゃんと、らちのすけがオスネコ達の間(あいだ)をぬって手を振り下ろし、二手に分け、捕まえたのが見えていた。
「これ以上やりあうならば、この剣(けん)でバッサリいかしてもらうが良いかね」
「げっ!お侍(さむらい)様(さま)だ」
「逃げろー!」
そう言って、オスネコ達は素早く逃げて行った。
「ありがとうございます。こら、二匹とも待ちなさーい」
お千(せん)ちゃんらしきメスネコも、お礼を言うとオスネコ達を追いかけて行ったのだった。
「やれやれ」
らちのすけがため息混じりに言うと
「信吉くんとコトハさんじゃないですか、こんなところでどうしたんですか?」
話しかけて来たのは、野次馬の中にいた三太という、最近松五郎塾に入ったオスネコの生徒だ。
「ん、塾(じゅく)行く途中で父ちゃんが、喧嘩(けんか)の仲裁(ちゅうさい)かってでたから」
いつも、信吉とコトハが仲良く塾に来るのは、みんな知っている。
「えっ!今父ちゃんて・・・てことは、あの方がコトハさんのお父様のらちのすけ様ですか?」
「いかにも」
らちのすけは居住(いず)まいをただし、答えた。
「嬉(うれ)しいです‼こんなところで会えるとは」
興奮気味(こうふんぎみ)の三太。
「今日から松五郎塾に来てくださるからな」
信吉が付け加えると、更(さら)に興奮(こうふん)して四足で跳(と)び跳(は)ねだした三太。
「三太、一緒に行こうぜ」
コトハの提案(ていあん)に、跳(と)び跳(は)ねながら三太は三匹に付いて塾への道を急いだのだった。

塾では、今日はらちのすけが来たので急きょ剣術(けんじゅつ)の稽古(けいこ)が行われた。
「らちのすけ先生に習いたい人は、松五郎先生と信吉くんと娘のコトハさんのいずれかに勝ったら習えますので、頑張(がんば)って下さい」
説明役の男の子が説明すると、三人の前には瞬(またた)く間(ま)に行列ができた。
しかし・・・

「弱い」
らちのすけがぼやくのも仕方なく、最初の行列が嘘のようにバンバン三人にやられて、一人としてらちのすけの元に辿(たど)り着(つ)けずに居たのだ。
「ようし、そろそろ出番かな」
そう言ったのは、今まで傍観(ぼうかん)を決め込んでいた、先輩達だ。
彼らは、今まで並んでいた誰よりも、威圧感(いあつかん)たっぷりだ。
はじめにやられたのは、コトハだ。
勢(いきお)いよく剣先(けんさき)で突(つ)かれ、はらおうとコトハが手元を大きくあげた。
そこを、お腹(なか)を突(つ)かれそうになり後ろに飛び退くが、足を滑(すべ)らせて転けてしまったのだ。
この動作の間(あいだ)、わずか一瞬。
そして、上からバンとやられて、コトハは、負けてしまったのだった。
「ふにゃ!」
コトハが、声をあげた直後
「いてっ‼」
「うおっ⁉」
信吉や松五郎先生からも、やられた声が上がった。
やっと骨のあるやつが現れたかと、ちょっと興奮し出したらちのすけ。
「松五郎がやられるとは、お前、腕(うで)鈍(にぶ)ってないか?」
「うるさい、油断しただけだ。そう言うらちのすけはどうなんだ?」
「へっ、見ていろ」
やられて戻ってきた松五郎にそう言うと、三匹の誰かをやっつけた者達に順番に挑んでいった、らちのすけ。
「いざ!」
らちのすけの構(かま)えた掛(か)け声で、先輩生徒達がらちのすけの前に並びだした。
一人目は、大きく振り上げてスッスッとよって来たので、アタマを狙(ねら)っているのがバレバレだった。
そこで、らちのすけは相手の脇腹(わきばら)に 剣先を当てに行ったが、横に飛び退(の)かれ、はずしてしまった。
らちのすけは、はずしてしまった剣先(けんさき)をそのまま高くあげ、バンバンと振りながら相手めがけて、歩みよった。
相手は、その早さに木刀でとっさに防(ふせ)ぎ、らちのすけの股(また)ぐらをスッとすり抜(ぬ)けていったのだ。
一連の動作に、体制(たいせい)を崩(くず)しかけたらちのすけ。
そこに、後(うし)ろから脇(わき)に一括(いっかつ)され、らちのすけが負けてしまった。
「なかなかやるな!」
それからの挑戦者もまずまずまで、 らちのすけは稽古(けいこ)のしがいがあるなと松五郎塾の腕の高い生徒に関心(かんしん)したのだった。
その日は、らちのすけに勝った者の攻撃をお手本に、皆(みな)手取(てと)り足取(あしと)り、自分より強い先輩に教わった。
実践(じっせん)は、似(に)たような位の者にどちらかが勝てるまで行われ、ようやく後輩達は自分の腕の位を知っていったのだった。
「さすが、らちのすけ先生だ。これじゃ、僕が勝てないのも納得だな」
そんな声が、三太をはじめ、後輩達から聞こえてくるほどだ。
結局、らちのすけに勝ったのは、股(また)をくぐった一人だけだった。
が、惜(お)しいところまで行くものが先輩達には多く、うかうかしてられないと思うらちのすけ。
それでも、らちのすけが完全に本気というわけではないため生徒から、松五郎先生とやって、本気を見せてくれと頼(たの)まれた。
二人が睨(にら)み合った瞬間(しゅんかん)、松五郎先生もさっきまでと違ってなにやら隠(かく)していたらしく、本気の殺気(さっき)を放(はな)ちだした。
「うそ、さっき俺が倒した先生とまるで違う・・・」
誰もが場の空気に、息を呑んだ。
はじめに攻撃に打って出たのは、らちのすけ。
右に木刀をあげ、
「うりゃー!」
と、掛け声とともに小手を狙った。
それを松五郎先生は、すんでで木刀で防(ふせ)いで押し返し、そのまま振り上げてらちのすけに下ろしたが、こちらも木刀で防(ふせ)がれた。
力を木刀に乗せておす、松五郎先生。
負けじと木刀で踏(ふ)ん張(ば)る、らちのすけ。
ここまで一瞬(いっしゅん)と言って良い速さだ。
その時、踏ん張っていたらちのすけが急に力を抜(ぬ)き、横にそれた。
力のやり処に困った松五郎先生は、つりあいがとれず、前につんのめった。
が、片足を半歩ほど前にやり、これまた踏(ふ)ん張(ば)った。
が、背中ががら空(あ)きになり、勢(いきお)いよく打たれた。ようにみえて、姿勢(しせい)を前に向け倒(たお)れ混(こ)ませて、ギリギリ当たらなかった松五郎先生。 
そのまま倒(たお)れ、床を転(ころ)げて逃げた松五郎先生は、素早く立つと、らちのすけめがけて突進(とっしん)。
また、木刀で防(ふせ)いだらちのすけ。
「やるな!松五郎」
「おうよ、腕は鈍(にぶ)ってなんかないわ!」
そう言いあうと、両者飛び退(の)いて構(かま)え直した。
ここまで、息ひとつ乱(みだ)していない両者。
「さすが父ちゃん!」
ここまで本気のらちのすけ父さんを見たことがないコトハが、興奮(こうふん)の色を見せる。
「いや、松五郎先生も凄(すご)いよ!」
賞賛(しょうさん)する信吉。
「そろそろ、決着を着けようぞ!」
「おう!」
そう言い、二人が互いをめがけて走り出した。
そして、勝負は一瞬(いっしゅん)でついた。
皆(みな)何が起こったか分らなかった。
「旅をしてるだけあるな、らちのすけ」
そして松五郎先生は、そう言うとパタッと倒(たお)れ込(こ)んで、乱(みだ)れた息を整えるように天井を向き、大きく深呼吸をしたのだった。
先輩達とコトハと信吉だけが見えていたようで、一瞬(いっしゅん)の間(あいだ)に半瞬(はんしゅん)早くらちのすけが木刀を振(ふ)り下(お)ろしていたのだった。
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