災ーsaiー幽戯

冰響カイチ

文字の大きさ
7 / 8
第二章 女神の一筆

(2)美少女は俺のご主人様

しおりを挟む


東宮宮。秋宮。



亥の刻をつげる鐘が鳴り響いた。


ほどなく月は頭頂に達しようとしている。



龍は嗣子。鳳凰は公主の守り神とされ、荘厳なる秋宮の頭天に火の鳥を戴く。


ゆえに鳳凰殿ともよばれ、魔除けの蓮や牡丹の風鐸やらが軒を飾る妃殿に次ぐ華やかな宮だ。



その秋宮をかこむ院子は広大にして壮大なる山水の陰影がやわらかな月光によって浮きぼられ、遣水のながれる暗い池のほとりには四阿がある。



六角を象ってあることから六角堂とも称され、そこにはられた紗が夜の静寂をやぶり、大きく揺れるとそれは冬木立をぬけ、さわさわと松韻がさやぎ、チチヨ、と鳴く虫と協奏す。



「今宵の月は美しいすぎる。不吉じゃ」



少女の明眸な紫紺の眸に緋の円月がうつりこむ。



ふいに視界をさえぎった垂れ髪をわずらわしげに指で梳いた。



その緑なす黒髪はゆるやかに肩を流れ、頭天にゆわえた髷には花鈿の簪とゆれる歩搖を挿している。



どれも精緻な技巧をこらした国宝級であるが、この花の匂い立つ十四、五の少女が挿させば金銀紅紫の宝玉さえ輝きを失い、その身にまと綾羅錦繍の衣すら凡庸、麻布と化す。


美女千人をかかえる宮女が束になろうと古今の美姫たちすらかすんでしまう 。



まさに蒼国の解語之花、歩く至宝と称されるに値する。



秋宮の主人、明宝公主その人である。





「そなた、独りぼっちで寂しゅうないのか?」



古より闇夜を天てらす孤高の月は天上の星々をすべる女神の仮姿であると。



「……嘘か真か、あの月のみぞ知る」



ふ、と微苦笑をうかべ、否定するように首をふる。



「さて、続きじゃ。どれ」



明宝の前の大きな卓子には、料紙といくつかの顔料皿、硯、筆架などが整然とならべられており、その隅に二本の燭台がともされている。



惜しげもなく袖を絡げると、そこからのぞく白妙の繊手が彩管をとる。



たっぷりとふくませ、つっと皿の縁でこ削ぐ。



「……いざ」



スゥーーーーと細く彩管をすべらせながら名月の情景を写し取っていく。



明宝の興をそそる月は日がな違った姿をして冷気が増すごとに美しく輝きをましていった。



月にかかる叢雲、欠けた朏、そして郷愁をあおる円月。ときに残月さえも描いた。



月に魅いられたかのように明宝はただ月を描くことだけに怪腕をふりつづける。



「……ふぅ」



ゆるりと面をあげると、そぞろげに彩管を顔料皿のうえに擱いた。



「出来はまぁまぁじゃ。秋月の宴とでも名うつには少々不出来であるか。にしても共に興ずるものがいないというのは、何とも心寂しいものよのぅ」



背にしなだれかかり、桜桃のような朱唇を小さく押し開き、そこから甘い声音で囁く。



「ーーーーさ、く」



何処におるのじゃ、ぎゅと腕を抱いた。



「こんな日に限って、なぜそなたは側におらぬのじゃ!?」



腹立たしげに紗の向こうでかすんで見える暗い回廊を見据えた。



そこにはポツポツと篝火がたかれている。



「何が、次の仲秋の日には帰る、じゃ。妾を後宮に残し独りで一年もの間ふらふら旅などしおって」



募りつづけた毒を吐く。



そうしているうち、ゆらぐ炎がフッとかき消えた、そう思った次の瞬間、闇よりも暗き影が形作られた。



「誰じゃ!?」



彩管をにぎり、身構える。



「そう噛みつくなよ、もう俺のことなんて忘れちまったのか?」



コツ、と跫音がしたのち、冴えざえとした月光のもとに線の細い闊達そうな少年が姿を現した。



「――な!? な、な、なんじゃ、朔か」

ぷぃとそっぽをむいた。頬がほんのりと紅をさす。


けれど内心では、ホッと安堵に息を吐き、愁眉をひらいている。

「遅いぞ」


そっと筆を擱き、再び卓子に向き直る。



「それだけ?」



「だけ、とは?」



拍子抜けだ。



感動は?



今まで吐いていた毒は朔の聞き違いなのだろうか?



「ぉーぃ、何じゃとは何だ? 一年ぶりの再開だってのに。お帰りなさい、もなしか。やってらんねぇ」



「ちゃんとした挨拶もできぬ者が何を言う」



ごもっとも。だとしても、だ。



もう少しぐら良い反応があってもよさそうなものを、明宝はどうでもよさそにフン、と鼻を鳴らした。



ってか、どうでもいいんかい。



「どうした? 近こう」



「ーーちぇっ」



朔は歩武を刻むようにして長い回廊をわたり、池畔に突き出た小橋を通って、四阿の軒をくぐる。



紗の薄布をかきわけ明宝の前へおどりでた。



「いつ帰着したのじゃ」



「さっき。少し前かな」



「どっちなのじゃ? さっきなのか、それとも少し前なのか。……まぁ、いい。これへ」



白磁のようにすべらかな繊手が卓子の前を指さす。



まるで土下座してわびろ、そう言わんばかりだ。



「はぃ??」



「嫌か?」



クスクスと大輪の牡丹がほころぶように艶やかに笑って言う。



「へいへい」



朔は気恥ずかしげに嗤った。



公主様の仰せのままに、だ。



久方ぶりに顔をつきあわせるのは気恥ずかしい。



とはいえ決して嫌なわけでもない。尻尾があれば全開に振っている。お手でもお座りでも何でもござれだ。



けど、誰にでも尻尾をふるわけでもない。


大事な事だからもう一度言う。


だれにでも尻尾は振らないのだ。



「なんじゃ、そのふざけた物言い。早よう」



「はぃはぃ」



ぶっちゃけ面倒だ。



「返事は一回じゃ」



「はぁーーーーぃッ!?」



そう語尾を濁らせしな、その目を疑う光景にガン見した。



「ーーゲゲッ!? 今日は胸がやけにふっくらとして女子力が半端ねぇと思ったら、お前どこに猿を入れて! そいつオスだぞ!?」



ぴょこん、と胸合わせから金色の綿毛がのぞく。



その頭部にはいまだ癒えぬタンコブが。



もう二、三発お灸を据えるべきだった?



いや、今からでも遅くない。川とお花畑の狭間ぐらいはみせてやろう。



猿の場合、手を振って招くのは、奇しくも猿の崇拝してやまない孫悟空?



「嘉朶は良いのじゃ。のぅ、嘉朶や?」



その基準は一体!?



『ムキュゥ』



甘ったるい猫なで声を発する。



ーーてか、良くねぇ!! ムキュウじゃねぇだろ!



指先で撫でられる猿は悶絶するように息をもらした。



このヤロウ!



激昂する朔の目の前で、嘉朶の変態行為は増長する。



『むキュキュ』



頬を何度も何度も、執拗に擦り付ける。



「なっ!?」



膨らみのやわさを堪能する猿は、チラリと朔を一瞥する。



いいだろ、うらやましいか? お前には死んでも真似できないだろ? そう言わんばかりのどや顔だ。



仮に、羨ましいか、羨ましくないか、と問われれば、一も二もなく即答で前者だ!!



猿の毛の沈み具合でそのやこさは計れる。間違いない。やわやわだ。幸福至極の極みに違いない。



ーーだが。猿真似は矜持がそれをゆるさない。



たとえ仙術で猿に化けることはできても、だ。



漢たるもの、曲げられないこともある。



よって、泣く泣く断腸の思いで、ぜひ代わらせてくださいっ、と一生のお願いされたって願い下げだ。



じゅるるる、と口腔からしたたるものを甲で拭うーーーーと。



『むきゃ!!』



小さな手でもみもみと揉みしごぎだした。



「……やろぅ!? 」



やっぱりあの時、抹殺しておくべきだった。



ーー殺す! 絶対に殺る!! 瞬殺だっ!



「やっぱ良くねぇ! 明宝、そいつを引き渡せ、俺が二度と戻ってこられないようどこぞの道端に廃棄してきてやるから!」



「朔!?」



「そいつをよこせ!」



卓子の向こうからむんずと掴みかかる。



明宝は合わせを抑え、細腕によって引き寄せられた。



「!?」



目と目。



息と息が交わった。



紺青の眸を真っ向から覗き込んだのは久方ぶりだ。



明宝とて眸に動揺がうかがえる。



「…………」



ほんの少し、あと少し、距離を縮めればぷっくりとした桜桃のような唇に想いを重ね合わせられる。



積年の想いがあふれる。



愛してる、とか、好きだ、とか。そのどれとも違う。



言葉を超越したもの。



形もなくて触れることもできない。そのくせ確かめたくなる。



そこに、きっと答えがあるから。



「…………朔?」



けれど、邪魔な理性がそれをゆるさなかった。



ぇぇーぃっ。忌々しい。



「ばぁか!! 」



パッとはなした。



「きゃ??」



明宝は腰が抜けたように、そのまま椅子に崩れた。



「おぃおぃ、手遊びにまた月? どんだけ月が好きなんだよ。一国の公主様ともあろう御方がこんなひと気のない四阿にこもってお絵かきか? 」



いや、違う。こんな悪態をつきたかったわけじゃない。



俺はバカなのか?


いゃ、ばかだろう!



裏腹に、とん、と指で料紙を叩く。



「何か心配事でも?」





しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【魔女ローゼマリー伝説】~5歳で存在を忘れられた元王女の私だけど、自称美少女天才魔女として世界を救うために冒険したいと思います!~

ハムえっぐ
ファンタジー
かつて魔族が降臨し、7人の英雄によって平和がもたらされた大陸。その一国、ベルガー王国で物語は始まる。 王国の第一王女ローゼマリーは、5歳の誕生日の夜、幸せな時間のさなかに王宮を襲撃され、目の前で両親である国王夫妻を「漆黒の剣を持つ謎の黒髪の女」に殺害される。母が最後の力で放った転移魔法と「魔女ディルを頼れ」という遺言によりローゼマリーは辛くも死地を脱した。 15歳になったローゼは師ディルと別れ、両親の仇である黒髪の女を探し出すため、そして悪政により荒廃しつつある祖国の現状を確かめるため旅立つ。 国境の街ビオレールで冒険者として活動を始めたローゼは、運命的な出会いを果たす。因縁の仇と同じ黒髪と漆黒の剣を持つ少年傭兵リョウ。自由奔放で可愛いが、何か秘密を抱えていそうなエルフの美少女ベレニス。クセの強い仲間たちと共にローゼの新たな人生が動き出す。 これは王女の身分を失った最強天才魔女ローゼが、復讐の誓いを胸に仲間たちとの絆を育みながら、王国の闇や自らの運命に立ち向かう物語。友情、復讐、恋愛、魔法、剣戟、謀略が織りなす、ダークファンタジー英雄譚が、今、幕を開ける。  

ぽっちゃり女子の異世界人生

猫目 しの
ファンタジー
大抵のトリップ&転生小説は……。 最強主人公はイケメンでハーレム。 脇役&巻き込まれ主人公はフツメンフツメン言いながらも実はイケメンでモテる。 落ちこぼれ主人公は可愛い系が多い。 =主人公は男でも女でも顔が良い。 そして、ハンパなく強い。 そんな常識いりませんっ。 私はぽっちゃりだけど普通に生きていたい。   【エブリスタや小説家になろうにも掲載してます】

可愛らしい人

はるきりょう
恋愛
「でも、ライアン様には、エレナ様がいらっしゃるのでは?」 「ああ、エレナね。よく勘違いされるんだけど、エレナとは婚約者でも何でもないんだ。ただの幼馴染み」 「それにあいつはひとりで生きていけるから」 女性ながらに剣術を学ぶエレナは可愛げがないという理由で、ほとんど婚約者同然の幼馴染から捨てられる。 けれど、 「エレナ嬢」 「なんでしょうか?」 「今日の夜会のパートナーはお決まりですか?」  その言葉でパートナー同伴の夜会に招待されていたことを思い出した。いつものとおりライアンと一緒に行くと思っていたので参加の返事を出していたのだ。 「……いいえ」  当日の欠席は著しく評価を下げる。今後、家庭教師として仕事をしていきたいと考えるのであれば、父親か兄に頼んででも行った方がいいだろう。 「よければ僕と一緒に行きませんか?」

【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました

佐倉穂波
恋愛
 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。  確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。 (そんな……死にたくないっ!)  乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。 2023.9.3 投稿分の改稿終了。 2023.9.4 表紙を作ってみました。 2023.9.15 完結。 2023.9.23 後日談を投稿しました。

神々の愛し子って何したらいいの?とりあえずのんびり過ごします

夜明シスカ
ファンタジー
アリュールという世界の中にある一国。 アール国で国の端っこの海に面した田舎領地に神々の寵愛を受けし者として生を受けた子。 いわゆる"神々の愛し子"というもの。 神々の寵愛を受けているというからには、大事にしましょうね。 そういうことだ。 そう、大事にしていれば国も繁栄するだけ。 簡単でしょう? えぇ、なんなら周りも巻き込んでみーんな幸せになりませんか?? −−−−−− 新連載始まりました。 私としては初の挑戦になる内容のため、至らぬところもあると思いますが、温めで見守って下さいませ。 会話の「」前に人物の名称入れてみることにしました。 余計読みにくいかなぁ?と思いつつ。 会話がわからない!となるよりは・・ 試みですね。 誤字・脱字・文章修正 随時行います。 短編タグが長編に変更になることがございます。 *タイトルの「神々の寵愛者」→「神々の愛し子」に変更しました。

繰り返しのその先は

みなせ
ファンタジー
婚約者がある女性をそばに置くようになってから、 私は悪女と呼ばれるようになった。 私が声を上げると、彼女は涙を流す。 そのたびに私の居場所はなくなっていく。 そして、とうとう命を落とした。 そう、死んでしまったはずだった。 なのに死んだと思ったのに、目を覚ます。 婚約が決まったあの日の朝に。

悪役令嬢の心変わり

ナナスケ
恋愛
不慮の事故によって20代で命を落としてしまった雨月 夕は乙女ゲーム[聖女の涙]の悪役令嬢に転生してしまっていた。 7歳の誕生日10日前に前世の記憶を取り戻した夕は悪役令嬢、ダリア・クロウリーとして最悪の結末 処刑エンドを回避すべく手始めに婚約者の第2王子との婚約を破棄。 そして、処刑エンドに繋がりそうなルートを回避すべく奮闘する勘違いラブロマンス! カッコイイ系主人公が男社会と自分に仇なす者たちを斬るっ!

転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました

桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。 言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。 しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。 ──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。 その一行が、彼の目に留まった。 「この文字を書いたのは、あなたですか?」 美しく、完璧で、どこか現実離れした男。 日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。 最初はただの好奇心だと思っていた。 けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。 彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。

処理中です...