宮廷奏術師の二度目

継津 互

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本編>第一綴:——

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——あなたに認められたかった。

 あの初夏の夜に、太陽は教会の向こうへと姿を消した。天才は酷い熱に苦しみ血を吐きながら死んでいったのだ。
 死の直前の言葉がそれだった。あなたに認められたかった。

 結局、私とエリオを隔てていたのはくだらないプライドで、正直になれなかった代償があの悲劇的な死であり私に一生涯つきまとった後悔だったのだ。やり直しが効くのなら、あんな苦役くえきはもう二度とごめんだった。


 一七八〇年、四月初頭。目が覚めたのは日の出前の薄闇の中。冬の名残を感じる冷え切った空気が、肌を刺し息を凍らせる。その感覚は現実のものに違いない。

 昨日、混乱したエリオは歯切れの悪い皮肉を言ったあとに集中したいからと私を追い出し、それきり会わなかったので、どんなことになっているのかはわからなかった。ただ確実に……私の前生とも言うべきか、一度目よりはきっと面白いことになる、そんな気がしていた。

 エリオと別れたあとは今がいつぐらいなのか把握することに注力した。結果、その努力はそこまで必要でなかったと言わざるを得ない。辻褄つじつま合わせのための大いなる力が働いたとでもいうように、私の頭は私の二度目の始まったその時点の前に起こったことすべてを、ごく最近のこととして思い出したからだ。よって私は何十年も先の未来から突然やってきた自分でなく、その時の自分としての行動をなんの不自然なところもなくやってのけることができていた。

「そろそろ準備をお願いします」

 最低限身なりを整えたところで、部屋の扉がノックされる。なんと久方ぶりの体験か。
 私は礼服の上から黒のマントを羽織り、扉を開けた。廊下では宮廷付きの使用人が燭台しょくだいを持ったまま待機している。同じく起こされたであろう数人の奏術師たちも各々の個室から廊下へとまばらに出てきていて、早朝の静けさに蝶番の軋むわずかな音と小声で交わされる挨拶が混じる。皆、朝織ちょうしきのため礼拝堂へ向かうであろう面々だった。

 宮廷奏術師が寝泊まりする術師棟から礼拝堂までは少々距離があり、一度屋外に出なければならない。どちらも宮廷の敷地内にあったがいかんせん王宮のため、図に書けばほんの少しでも実際に歩けばそこそこ長い。宮廷には薄く霧が降りており、蝋燭ろうそくの火はその夢の帳を裂くようだった。空はまだ夜の気配の残る青灰で、底に沈む町は未だ静寂を保っているように思われる。石畳の上を鈍く響く靴音と、誰かが己が手に吐きかける息だけがやけに大きく聞こえた。
 晩年、幾年ともわからなくなるような長い間あの修道院の狭い部屋に囚われていたゆえ、成人期のほとんどを過ごしたはずの宮廷が私にはどこか未知のもののように思えた。真新しいものを見たときの感動と懐かしさの両方が押し寄せてきて、その様といったら長らく淀んだ水を抱えていた器が洗われ、清澄な水で満たされていくかのようである。
 
 石造りの礼拝堂の中は外とさほど変わらない。むしろ一層冷気の増したように思えるほどだ。これが二、三年もしたら内部をあたたかく保てるよう壁に魔法を込めた図柄が刻まれるのだが、今はまだ開発すらされていないだろう。コートやマントは原則として脱がねばならないので、建物内に入る前に裾の露を払い、腕にかけておく。小さいが控え室があるので、防寒具はそこに置いておくことが多かった。先に来ていた奏術師たちがすでに調弦ちょうげんを始めているようで、不揃いに音がたっては止み、手馴しの数小節が繰り返されている。
 エリオはそこにいた。手をすり合わせ息を吐きかけ、かじかむ指先を温めながら、弦を押さえていた。調弦はあらかた終わっているようだ。一瞬目が合ったような気がしたが、その視線はすぐ弦と弓、譜面台の上に戻ってしまった。
 
 朝織は静音、共調の二儀式を経てから始まる。信仰に依るところもあるが、奏術師としては、共同でことを始める前の準備——“意思”の統一の意味が大きかった。
 静音の合図。手を止める、一斉に音が止む。静音はいわば瞑想である。基本的には一分程度、無音の中で心を落ち着ける。続く共調。指揮を執るものの合図で音を出し、全体の意識を揃える、というのが一番簡単な説明になるだろうか。魔法の行使には行使者の“意思”が関係する。複数人でひとつの魔法を行使するときは、その“意思”がなるべく統合されていなければならない。ばらばらでは途中で破綻しかねないからだ。上手く統合されているとその集合は巨大な単一の個にみえるというが、そうお目にかかれるものではない。

 これら二儀式が終わる頃には礼拝堂内の人も増えてきて、いよいよといった空気になる。奏者は二階部分にいるため下の様子をみることはできないが、交わされる囁きが僅かにだがこちらまで届くので、それとわかるのだ。

 開始を待つ。網のように張り巡らされた各々の“意思”がつながって、擬似的な一となっているのを感じながら、ただ静かに待つ。
 遠く、大聖堂の鐘の音が聞こえてくる。
 合図。
 ヴァイオリンの音がひとすじ、早朝の冷気を震わせる。

 ✧

 もう二度とこれをやる日はこないと思っていた。その最後の一音が、余韻よいんを残し消えていった。

「レーベンツァイト奏士」

 朝織が終わり、かけられたその言葉に私は驚いた。皮肉るわけでもなく、エリオが私の姓を、それも奏術師特有の敬称までつけて呼ぶことなどあっただろうか。

「どうした」

 目が泳いでいた。自ら呼び止めたのに、自分でもなぜそうしたのかわからないとでも言うような具合で。その口はなにかを言おうとしていたが、何の音も発されることはなかった。

 心を通じ合わせることのできない者同士が歩み寄るには、まずどちらかが一歩を踏み出す必要がある。だがどうしたものか。ここには私とエリオ以外にも人目のある場所であるから。

「もし何か話したいことがあるなら、あとで私の部屋に来なさい」

 あまり“いつも通りの姿”を崩すのもいけないだろう。気取られたくない変化は緩やかに、あくまで自然に行われなければならない。

 私ははっきりと言い切ると、彼の返事を待たずにきびすを返しその場を去った。
 彼は来ないだろうが、問題ない。彼のその口を開ける機会の作り方を、私は心得ているから。




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