宮廷奏術師の二度目

継津 互

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本編>第一綴:——

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——往日、あるいは来日。一七八四年十二月、冬。

「デュラン氏ですか?」
「……祝福名であれば」

 旧市壁の外、エリオディアムの家でテオドールを出迎えたのは、彼の見知らぬ男であった。名前を尋ね、それをテオドールが肯定するやいなや、男は扉の隙間を広げ、素早く入るように手招きする。男は医師である。

「ご家族に連絡させてもらったのですが、どうせ無駄だと。では誰かすぐにでも連絡の取れそうな方はと聞いたらあなたの名前が」

 テオドールはコートを脱ぎ腕にかける。

「どういった間柄です?」

 やや間があって返答。

「……知人です」


 医師に連れられテオドールは寝室の方へと進む。部屋の前にはひとりの女性が立っている。

「こちらの方は?」
「手伝いの方だそうですよ。倒れているところを見つけたのも彼女で」

 三、四十代といったところか、人のよさそうな顔を不安げにし、折檻を受ける前の使用人のように縮こまって立っている。

「お名前は」

 テオドールが問いかけると女性ははっと顔を上げて、

「ホルバイン、とお呼びください。旦那の姓です」

と言った。
 
「そうですか。はじめまして、ご婦人」

 短く握手が交わされる。
 
 女性はコートを預かると申し出たが、テオドールはやんわりと断った。コートのポケットの中には、彼が先刻受け取ったばかりの手紙が入っていた。

「普段はこんな時間まで?」
「いえ、一番下の子がまだ小さいもので……」
「なら早くお帰りになったほうがいい。折角の再臨日さいりんじつでしょう。彼には私から話しておきますから」

 再臨日。原初の魔法使いが、その再臨を約束して死んだ日。二十四日、人々はいつその人が戻ってきてもいいように宴の準備をし、家族と、友人と、あるいは恋人と、その夜を過ごす。

「その、あ……旦那様は」

 女性はなにかに気づいたような声を出す。テオドールは彼女の視線が自身の身にまとっている衣服に向いていることに気づいていた。なかなかに聡い女性だ。

「どうかお気づきになっても口外なさらないようお願いいたします」

 テオドールが着ていたのは奏術師の正装である。それも王宮所属であることを表す刺繍のはいった。それは再臨日の夜会に出席していた彼がそれを抜け出し、着替える間も惜しんでここに来たことを示していた。
 
「っ、はい」

 女性は頭を下げ、部屋の前から退く。


「先ほど意識が戻りまして、会話も問題なさそうでした。外しますか?」

 医師はテオドールに目配せする。

「そうしてくださると助かります。お時間はありますか」
「あと三十分程度なら」
「では様子を見てからなるべく早く戻ってきます。……彼がどういった状況にあるのか、もう少し詳しい話が聞きたい」
「もちろん」


 窓の外ではにわかに雪が降り始めていた。十二月の王都デゼーの太陽は早々に街並みの向こうへ沈み、白雪に覆われた屋根の下を低回しやがて長い夜の闇へとその座を譲る。彼が夜会を抜け出してきた時にはまだあった日のかすかな名残りも、今は黒雲に覆われ感じ取ることはできない。

「メーヘム」

 テオドールは寝室に入ると、ベッドに横たわり動かないその人に声をかけた。布団が動いてがさりと音をたてる。彼は意を決してそのそばに歩み寄った。
 その青年は背を向けていた。体は重く鉛のようにシーツの中に沈んでいて、生命の気配は薄く、聖典の中のかの魔法使いを思わせる。空気までもがより質量を得て粘性を増したようで、時間はそこで滞留していた。

「……名前」

 聞こえてきたその単語の意味を理解しかね、テオドールは聞き返す。

「いつからそんな距離が遠くなったんですか」

 次のこの言葉で、彼は言わんとすることを理解した。

「……エリオディアム」

 テオドールはあまり人を名で呼ぶ質ではなかった。姓に敬称、それは宮廷にいるどの人とも、友人というには遠い距離を保つため。例外がエリオディアムだった。彼はテオドールのことを名で呼び、それと同じように彼からも名で呼ばれることを望んだ。あまりにしつこく言うものだから、テオドールの方が折れたのである。

 エリオディアムは怠い体を動かし、布団からなんとか上体だけ引きずり出した。
 テオドールの記憶の中にいる彼とは随分と印象が違っていた。その碧色の瞳には陰が差していて、髪は伸ばしたというよりも伸びてしまったと言う方が正しい。前髪は目にかかり、襟足は汗ばんだ首筋にはりついていた。
 エリオディアムは片腕を支えに半身を起こす。彼がかなり無理をしているのを、テオドールは察していた。楽な姿勢で、と言ったが、病人は首を横に振った。

「久しぶりですね」

 そのまとう空気は二十二という若さと裏腹に、ひどく疲れ、くたびれているように見える。

「二年ぶりだな」

 テオドールは言うことに困り、なんとかそれだけ捻り出した。

「……ああ、僕があそこを離れてからももう二年か」

 エリオディアムは呟くように言う。
 その言葉を聞きテオドールは口を開いた。しかし制止される。

「謝らないでください。僕はまだ、あなたに悪い人でいてほしい」

 それで太陽はいたずらっぽく笑う。

「ホルバイン夫人には会いましたか。いい人でしょう」
「手伝いの方だと」
「本当は違うんですよ、……まだね。いずれ雇うことになるかもしれない。彼女の子どもに音楽を教えているんです。はっきり言って魔法の才はゼロですが、それを除けばなかなか筋がいい」

 エリオディアムはそこまで喋ると、静止し、額を抑えながら瞬きを数回した。めまいだ。
 
「手紙は」

 テオドールはコートのポケットを探る。エリオディアムが手を伸ばす。手紙は差出人の手の中に戻される。
 何言かエリオディアムが唱え、息を吹き込むと、手紙は紙の鳥に姿を変えた。夜会に飛び込んできた時と同じ姿だった。

「上手くなったものでしょう?」

 紙の鳥はベッドの上をぴょいぴょいと跳ね回ったあと、飛び立ち、二、三旋回を繰り返してからテオドールの指にとまって、その手の中でただの手紙に戻る。

「魔法が上手く使えないからあんな邪道を行くのだ、でしたっけ?」

 目の前の男がなにか返そうとするのを、エリオディアムは静かに、のジェスチャーで制する。

アールステッド奏術師長あのじいさんは辞めたそうですね。後釜には……どうでもいいか。なぜあなたではなかったんですか」
「私には資格がない」
「辞退したんですか」

 テオドールは頷く。

「まあ、沈みかけた船の舵を取ることもないか」

 エリオディアムが名声を得るほど、王宮の奏術師の名は落ちていった。腐っても各地から招聘しょうへいされた実力ある魔法使いたちであることには変わりないため、解体とまではいかなかったが、それでも暗黒時代にあることは確かだった。アールステッド奏術師長は自らその職を辞し、王宮では魔術師らが魔法使いの代表として台頭していた。


「よく抜け出せましたね」

 エリオディアムは相手の服装を見ながらそう言った。なんだかんだ言いながらも彼は十四から二十までの六年を王宮で過ごした奏術師である。再臨日の夜会のことは当然知っている。

「堂々と飛んでこられたせいで、静かにとはいかなかったがな」
「なんて言い訳したんですか?恋人からとか?」
「どうでもいいだろう」

 図星だった。正しくは酔った誰かがそう早とちりし、帰らせてやれと言い出したためそれに乗る形で出てきたのだが、テオドールは伏せた。


 話す間にも雪は勢いを増す。それはまるで闇の中を舞う羽虫の群れのように、或いは月光を追う蛾のように。
 暖炉には薪がくべてあったが、室内は肌寒かった。エリオディアムはシーツの上に倒れこんだ。もう上体を起こすことさえつらかった。高熱がある時のあのぼんやりとした感覚と脱力感、どうしようもない寒さ。
 頼りなげに蝋燭の火が揺れる。唐突にエリオディアムはため息をつくように笑う。

「今夜死んだら、魔法使いとしてかなりしゃれてると思いません?」

 高熱の言わせる言葉だ。

「それだけ話せていれば大丈夫だ。お前は死なない」

 テオドールは返す。または運命というものに言い聞かせる。彼は死なない。

 雪は強まる一方だ。それは外と内とを隔絶する。

「あなたにとって僕は、きっと友人ですらないでしょう。でもどうか頼まれてくれませんか。今晩だけでもここに留まってほしい。僕のそばにいてください、テオドール。お願いです。死ぬのならばひとりは嫌だ」

 彼が普段虚飾で隠し通す弱さの部分。

「お前がそう望むなら」

 テオドールは手近な椅子の背にコートをかけ、一度寝室を出た。医師は時計を眺めながら待っていた。

 その日、一七八四年十二月二十四日。エリオディアムの余命が宣告された。もって一年と医師は言った。突然のことだった。




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