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本編>第一綴:——
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しおりを挟む「怪我は」
アールステッド奏術師長はエリオに二、三質問し、その答えに偽りがないことを神に誓わせたあとで解放した。
あの場で前に出てしまったゆえ、私が師長の完全な味方でないということは明らかになってしまったことだろう。だが折角あくまで保身であると強調したのだ、どうか利己的な面はあるが敵ではないくらいの認識に落ち着いてほしい。私の立場とて、今エリオを表立って支持できるほど盤石ではない。
「ありません」
その返答に安堵する。切られたのが弦だけでよかった。もしその手が、指が傷ついていたなら……あまつさえ切り落とされるなんてことが起きていたら、世界の損失だ。
私はこのパイプオルガンの破壊を、奏術師長自ら仕組んだことだと考えていた。時間帯にしろ先ほどの言いがかりにしろ、彼を追い出すための口実を作ろうとしているようにしか思えない。あの巨大で繊細な奏術の要に手を出したとなれば、王太子もその追放に反対できないだろう。テフティカン祭の参加も言わずもがな。しかし二曲目の前のあの魔法は?エリオ以外を狙って放たれたならばまだわかる。だが彼を狙っては、彼の被害者のイメージが強くなるだけだ。
もしや奏術師長の企みなどではなく、本当に朝織を妨害しようとした第三者がいたのだろうか。それとも計画の破綻を悟った奏術師長が、自身が疑われることを避けるためそう見えるように仕組んだのだろうか。二つの事件に関係がないということもありえなくはないが……。
「なぜ庇ってくださったんですか」
唐突に投げかけられたその質問に、私は錯覚する。一瞬のうちに、世界のすべてが動きを止めたように。
——なぜ黙っていたんですか?!あなたは知っていたはずだ!
沈黙。
まだ覚えている。まだ。ずっと。記憶が風化し背景がぼやけ色が褪せて音がそこから消えても、その目は。その言葉は。
——ああ……はは、そういうことなんですね。あなたも……あなたも、結局あのくだらない俗物たちと同じだった!
いっそ憤り、恨んでくれていたならば。深い悲しみと失望が、私に向けるその目の中になかったならば、私は表情を崩すことなく冷徹な伝統の飼い犬を演じきることができただろうに。
罪の意識は深く突き刺さって引き抜くことのできなくなった鏃のように。きっと、私という人間の壊死はその時には始まっていた。
違う。“今”は“今”だ。過去は自分の内に押し込めろ。
ちらりと横を行く彼を見る。動揺は気取られてしまっていたようで、心配そうな顔をした彼と目が合う。目を、逸らす。
「黙秘しても?」
「なぜ?」
「……言葉にし難い」
✧
あの日のことを僕とて忘れたわけではない。激しく言い争い、罵り合い、それでもこの場所で唯一信じることのできた彼の裏切りに、僕は抱えていたすべてをぶつけるように叫んだ。あなたはその心に潜ませていた抵抗の牙を自ら引き抜き、あれらに完全に轡を握らせることを選んだのかと。激情のままに吠え、あらゆる言葉をただ目の前の相手を傷つけるために用いた。怒っているのか泣いているのかもわからないでいた。
彼が自らの意思でそうしたわけでないことなど冷静になればわかった。彼には彼の立場があって、世にはどうしようもできない道理がある。権力に屈するななぞ言うは易いが、抗って成功できるのはほんの一握りの運の良い人間だけだ。
彼は奏術師長の圧力によりその口を閉ざさざるを得なかった。ただそれでも彼には味方としてそばにいてほしかった、そう思うのを人は青いと嗤うだろうか。
師長の計略で無実の罪を着せられ、ほどなくして市井に下ったのが一七八二年、エリオディアム齢二十のとき。この形ばかりの師弟が次に顔を突き合わせ、まともに会話をしたのはその後、エリオディアムが倒れ、その身に病が見つかってからのことである。
「なぜ庇ってくださったんですか」
理由なんてどうでもいいくせにそう訊いた。彼が僕と同じく二度目を生きているのならあの出来事を憶えているはずだから。意趣返しの意味もあった、根が善である彼が自分の犯したことに対する罪悪感で苛まれてくれたなら、当時の僕の気も少しは晴れるだろうと思って。
想像以上だった。ただ少し言葉が詰まってくれたらいいと思っただけで、あなたのそんな苦しげな表情を見たかったわけではなかった。
実際のところ、僕自身としては、もうあのことは赦していた。なかったことになりはしないが、そういったことには慣れていたし、なにより僕が病を患ってから死ぬまでの間、なにかと理由をつけて会いに来なかった両親や兄弟たちの代わりにそばにいてくれた彼を、憎んだままでいることはできなかった。
翠色と目が合う。多くを抱え込んではなそうとしないあなたは、感情にしろ言葉にしろなにかを隠そうとするとき目を逸らす。
「黙秘しても?」
嘘をつくことだってできるのに。別の言葉でうやむやにすることだってできるのに、あなたはそうしない。
「なぜ?」
話さないことで自身を守る。話さないことで自身を傷つける。
「……言葉にし難い」
あなたはいつもそうだ、テオドール。
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