宮廷奏術師の二度目

継津 互

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本編>第一綴:——

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 十九世紀。世界はどのようであっただろう。学問は、魔法は、都市はどのように変化しただろう。僕の残したものや僕の愛したものは、時代の波にのまれて沈んだだろうか。それとも文明の船の一部となっただろうか。


 緩やかなカーブを描く王都の通りは、密着した住居群によって形成される。高さも色も不揃いな箱、旧時代的な動的曲線美が作り出す凹凸の上、規則的に並べられた窓、窓、窓、窓。そのひとつひとつが、それぞれに異なったデゼーの人々の生活を展示する。

 蹄鉄と石畳の衝突。灰青にくすんだ薄暮の街を、つややかな毛を街灯の橙にさらしつつ、暗色の馬が車を引きながら往く。革の馬具はその汗で湿り、金具のつやめきはいっそう増していた。気温の日較差の大きい内陸のこの都市では春の夜はいまだ寒く、御者の背も無意識のうちに丸くなる。

 馬車の中、二人はそれぞれ別の方向を向いていた。各々が左の、右の車窓から人々の営みを流し見ていた。しかし思考は内側を向いていた。つまらない演劇や恋人同士のうんざりするような言い争いをみせられているときと同じようなことだ。


 彼のまとう空気がなぜあんなにも変わったのか、僕にはわからなかった。僕が病に臥していた間に片鱗はあったかもしれないが、それでもだ。僕には彼の変化が完全に僕由来であると言い切れるような自信がなかった。僕は彼のことを僕の生きていた時までしか知らないから。そう思うとすぐに気になって、訊いてしまった。どれだけの年数分、僕の知らない彼がいるのか。
 何歳で死んだか、その質問に僕はなんと答えてほしかったのだろう。……これについてはあまり深く考えるべきではないな。自分が悪い人間であることが露呈してしまう。

 十九世紀の世界がどのようなものであったか?そんなことはどうだっていい。僕が気にするのはあなたがその時をどう生きていたかだ。僕の短い一生のほとんどを占有しておきながら、あなたにとっての僕は取るに足らない人間であるのかもしれないなんて、そんな可能性に気づいてから僕の心はずっと、油の足りない車輪のような耳障りな音をたてている。
 十九世紀の朝刊。僕の到達し得なかったその時代の朝刊を、あなたはどこでどのように読んだのだろう。すっかり様子の変わった街並みを眺めつつ、運河のほとりでコーヒーでも飲みながら読んだのだろうか。それとも王宮のあの部屋で、演奏に備え袖口を留めるカフリンクスでも選びながら読んだのだろうか。それとも都市の端のさる住居で、まだいたずら盛りの小さな子どもに邪魔されながら読んだのだろうか。

 僕にとってのあなたの存在は大きいが、あなたにとっての僕は長い人生のなかのほんの一時期にいた生意気な子どもに過ぎないのかもしれない。そんなことを思って少し憂鬱になる。
 あなたは優しい人だから、僕の死を悲しんでくれただろう。喪失の悲しみは強力だ。でも悲しみはいずれ薄れる。それに人の生では知人の死に対する悲しみより強い感情なんていくらでも存在する。例えば愛だったり。あなたがある女性を愛し、子をもうけ、幸せな家庭を築き……なんて。考えたくもない。だからといって不幸であったと言ってほしいか、そうでもない。あなたの人生は幸福なものだったのであってほしい。その幸福な人生のなかの一点の染みとして、僕の死が存在していたのであってほしい。心の中の限られた椅子のひとつに一生涯、僕の棺が座っていたのであってほしい。

 彼はきっと、僕よりずっと長く生きたのだろう。そのことを素直に喜べない自分が憎かった。だって長く生きればその分、彼の人生における僕の存在は薄れていくじゃないかなんて、そんな面倒な女の独占欲みたいな感情。

 
 結局のところ、エリオディアムはテオドールにとって大きな存在でありたかった、そしてあわよくば、その心を独占しておきたかったのだ。今、彼の心がちょうど目の前の男テオドールによって独占されているように。

 馬車の車輪が耳障りな音を立てる。
 
 エリオディアムはまだ知らなかった。彼の願い以上に彼の存在はテオドールにとって大きかったということを。彼の死が、あのあわれな魔法使いの精神を打ち砕くには十分な凶器であったということを。



 ああ、思い出した。
 
 馬車が揺れた。
 夜会への道中。気まずい無言も、記憶の探査に打ち込めばそう気になりはしないものになる。逃避のための選択だった。そのため成果はさほど期待していなかったのだが、意外なことに収穫があった。前生で会ったある男が、家族について垂れていたある不満を思い出したのだ。
 その男は医師をやっていた。貿易関係の人間と親交のある人物で、麻酔に使う阿片アヘンなんかを比較的簡単に入手し、管理することのできる立場にあった。彼の元への何度目かの訪問のとき、彼は自分の兄だったか弟だったかについて、こうこぼしていた。

「わたしには兄弟がいてね。それがまた面倒なやつなんです。自分の姓を嫌っていて、というのも陰気で卑俗な感じがするなんて言って。それで両親の祝福名をくっつけて、それを姓として名乗っているんですよ。あなたの姓を聞いて思い出しました」

 その男も普段生来の姓を使っていなかったから、聞いたときにぱっと思い出せなかったのだが、そういえばあの医師。あの医師もたしか、グルーバーといった。
 ダミアンの方は少し目にしただけだが、髪色は似ていた。瞳の色は見ていないが、どうだったか。

 もしあの医師とこれから会うグルーバー氏が兄弟だったとして。であればもしかしたら、なにかやらかしていたとしても、ダミアン・グルーバーでない名で有名になったのかもしれない。ダミアン・ツェーザル・——……。祝福名をつなげたような複合姓。魔法使いに関連する事件。

「……エリオ」

 エリオディアムと呼ぶかエリオと呼ぶか迷い、応えてくれそうな方を選択する。

「なんですか」
「グルーバー氏の両親の祝福名を知らないか」

 エリオはその顔に薄く困惑を浮かべつつ、知らないと返す。

「では氏に兄弟は」

 今度は知っているらしい。

「兄がひとり。仲は良くないようですけど」
「名は知っているか」
「いいえ。ですが医師で……いや、今はまだ違うのか?……ああ、今ならヴェスト国にいるかもしれません」

 医師の兄。

「なにか思い当たることが?」
「……お前の死後に出会った医師がいる。その男もグルーバーというんだ。自分の兄弟が姓を変えたがっていることについて話していた——それを先ほど思い出した。もしかしたらこれから会う氏は、グルーバーでない名で新聞に載ったのかもしれないと思ってな」
「それがなぜ両親の祝福名の……ああ」
「私と似たようなことだ」

 厳密には少し違うのだが。

「あなたのは祖父母からでしたっけ」
「そうだが待て、そのことを私はいつお前に話した」
「僕があなたの名前の綴りを間違えたときじゃないですか?」

 だとしてどこまでだ。それ以上踏み込んだ話をしたりしていないだろうな、私は。


 窓の外へ、エリオディアムは視線を戻す。

 蹄鉄と石畳の衝突。街は濃藍に変わりつつある。橙の光が並ぶ窓、窓、窓、窓。その透明な間仕切りの向こう、エロス、フィリア、ストルゲー、アガペー。数多の生活が陳列されている。
 夜に人は影になる、影の波をかき分け馬車は往く。衝撃も音も魔法で低減されているこの馬車の内部。

 車輪が不快な音を立てる。だがそれは、中の人間には届かない。




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