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本編>第一綴:——
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しおりを挟むグルーバー氏の邸宅へは夜八時を過ぎたあたりで到着した。馬車を降りた足でそのまま二人揃って主催への挨拶を済ませ、当たり障りのない会話をしてから次の訪問者へその場を譲る。エリオと私はしばらく共に行動していたが、特段おかしなこともなく、それぞれ違った目的もあったために、自然と別行動となっていった。
招待客の間を流れる音楽はゆったりとしている。その調べに織り込まれている緊張緩和の術を弾きつつ、私は目立たぬよう小室に続く扉付近の壁際で顔見知りをつかまえ適当に歓談していた。空間には花瓶がいくらかあって、早咲きさせられた種々の花々がその萎靡を遅らせる魔法の気配をまとい、複雑な香気を放っている。精神作用の魔法、花の香。空気にすら酒精が織り交ぜられているかのようだ。こういったこととは縁のない後半生を過ごしたので、夜会の独特の雰囲気にはまだ懐かしさが勝る。
場を支配しつつある陶酔の気から自分を引き離しつつ、私は目の前の人物に意識を戻す。
「まさかこのような場で再会することになるとは思わなんだな」
「私もです。本来ならば去年のテフティカン祭のときにでもご挨拶にうかがうべきでしたのに」
「良いさ、かまうまい。君が忙しくしていたことは知っている。猊下もお喜びだったぞ」
「覚えておいでなのですか」
「なに、猊下の記憶力を疑うつもりかね君は」
「いえそんな。ただ私は一奏術師に過ぎませんし、猊下のもとに置いていただいた頃など」
「はは、わかっているとも。君の謙遜癖は相変わらずだな」
カール・コルネリウス・ニッセン奏士。祝福名は魔法原語からとり守護。初対面のあの少年期の時分とは随分印象が変わったものだ。諸々を省き簡単に言うなれば、奏士は私の師とでも言うべき人物である。公的な師弟関係にあるわけではないが、一時期は彼から声楽や奏術特有の魔法理論を習っていた。
「立派になったものだ。王宮勤めも六年か?弟子まで持って、どうりで私も老いるわけだな」
ニッセン奏士は空間の中央の方に目をやりながら言った。そちらには巧いこと場に馴染み、そこらの人を懐柔しつつあるエリオの姿がある。
「形だけの関係ですがね」
まこと、私の手には余る。彼にとって私の存在は枷でしかない。
「だとしても師弟は師弟だろうに。そういえば今月末のには彼も表で出るそうじゃないか」
「ええ、王太子殿下たっての希望で。師長は強く反対していますが」
「なぜだね。性格か?そう噂に聞くほど酷くは無さそうに見える」
「最近マシになってきたところです。素行の酷さは若さがゆえだったのでしょう。でなく、師長が問題視するのは彼の理念というか」
「派閥闘争か」
「その言葉をお借りするなら、彼は彼一人のみの派閥で時代の潮流に食ってかかろうとしている」
無謀だ。しかしそれが本当に一人で潮目を変えてしまったのだから彼は。
ニッセン奏士はふむ、と唸る。
「君は味方してやらないつもりかね」
「その問いについてはご容赦を」
「私も信用されなくなってしまったか。なに、王宮の奏術師長殿に言いはせんよ」
もともと色の白い師は、歳を重ねたことでより神霊の類に似た雰囲気を纏うようになっていた。その声には端々に老いの色を感じるようになったが、それすらも長年の研鑽で会得した味だと思わせられる。低いわけではない、しかし深みのあるよく通る声。品のある声。彼は歌術にも精通している。
「……まあ、私がなんと言おうと無関係な人間でない以上、私は彼に引きずられて行くだけでしょう」
「言葉に反してあまり嫌そうには見えんな」
「はは、そろそろ眼鏡をお使いになってはいかがですか」
招待客の某氏から声がかかる。話題を訊かれ、祭りのことだと言えば某氏はいくらか自身の事業の話をし、お互い上手くいくようにと定型の結びの言葉を残してまた中央の方へと戻っていく。
「だいぶ話し込んだか、私ばかりが君を独占するわけにもいかないな」
ニッセン奏士は壁から身を引き剥がす。
「メーヘムと言ったかね、君の弟子は。どうだ、君から見て」
「……憎いやつです。私よりもずっと才がある」
空気にあてられて。少しばかり私はその胸中を吐露する。
「だが君はその師だ」
「あれに師はありませんよ。私が教えたことなどほとんどない。無理に師を置こうというのなら、それは神以外にありえない。原初の魔法使いと同じだ、彼自身が始祖なのです。……この世にいる誰も、彼に教えられられるような立場にない」
「随分と持ち上げるんだな」
「私はもうとうの昔に、奴に打ち負かされた人間ですので」
果実酒と花と香水と。入り交じってできた馨香と、空気の微細な震えたち。
「少しばかり私も話してこよう」
ニッセン奏士はそのつま先をエリオのほうに向ける。
「ぜひ。彼に賭けて損することはありませんよ、お約束します」
またテフティカン祭で会うことだろう。その時にはもう少しゆっくり話せたらいい。
喧騒の中に割って入っていく師を見送ってから、私は周りをさっと見る。まだ幾人か話しておきたい人物がいた。新進気鋭の外交官作家、教養旅行の最中だという海向こうの某伯爵の子息、イルタール国出身の奏術師、ヴェスト国から来た建築家、……。
「隣、失礼しても?」
それは私が動き出すよりも早かった。
柑橘系がふわりと香る。チャリ、と音を立てたのは胸元に吊られたペンダント——浄化のアミュレットだ。癖のある榛色の髪、万物を哄笑するかのように細められたオリーブ色の瞳。
「どうぞ」
断るための理由は今丁度切らしてしまったところだ。たとえ持ち合わせていたとしても、返答する前に既にその男は隣に来ていたから意味はなかっただろうが。
「ずっとお話できる機会をうかがっておりました。折角招待に応じていただいたのに、ご挨拶だけでは勿体ない」
ダミアン・ツェーザル・グルーバー。よく見ようとすればますます似ていた。あの阿片売りの医師、“パラケルスス”に。
「緊張なさっていますか?」
「少しばかり」
答えてからあっと気づく。ここはいいえと答えるべきだったか。
「奏術師をなさっていながら、自身が魔法で心を乱されるのはお嫌いのようですね」
グルーバー氏が糸を引くようにくっと指を動かすと、流れていた音楽はその調子を変える。音量は大きく、テンポは少し速く。
「実は昨年の祭りでの指揮も、その前の式典での演奏も観させていただいておりました。招待状にはあたかも木曜の夜会で興味を持ったかのように書いてしまいましたが……」
「そうなのですか。以前から知ってくださっていたとは、嬉しいことですね」
社交辞令か、にしては言葉に乗っている感情に重みがありすぎる。
「一方的に知っているばかりの期間が長かったのですが、ロヴォル伯には感謝しなくては」
ロヴォル伯は現在デゼーに滞在中の南西地方の貴族だ、木曜の夜会を主催し、奏者として私ほか数人を指名した。
音楽の変化に対し、舞台装置と化した客人らがきりきり動く。夜会の空気が編みなおされる。
「あなたとは静かなところで、できればゆっくりお話がしたい」
不意にグルーバー氏は私の後ろへ手を伸ばした。そこには小室へ続く扉のドアノブがある。しまった、そう思う頃にはもう遅い。扉が開く、中へ押し込まれる、抵抗する間も声を上げる間も無い。
人間が二人消えたことに、会場は気づかない。一連の音はすべて演奏にかき消されていたからだ。
扉が閉まる、光は扉の下の隙間から漏れてくるわずかなそればかりになる。
しくじった、気をつけろと言われていたのに。本当に私の方が狙いだったとは。
暗く狭い室内、壁に背がぶつかる。向けられる熱烈な視線。背を冷や汗が伝う。
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