宮廷奏術師の二度目

継津 互

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本編>第一綴:——

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 明日には月が満ちるだろうに、狂気はそれを待ちやしない。



「着いたぞ」

 声をかけるとエリオはその目を開けた。瞳すら動かさず瞼だけを上げ、妙に凪いだ表情のまま、はいとだけ応えが返ってくる。
 虚ろを感じさせるそういった表情を見ると、やはりあの初夏に死んだ彼なのだなと思えた。心傷をその身に抱えた彼なのだなと。ここで私を無駄に矮小化させるつもりはない、その傷は私がつけたものだ。私が柄のない両刃の凶器で、私自身をも切りながらつけてしまったものだ。

 先に馬車を降り、振り向いて待つ。

「痛っ」

 なにをしているのか。降りようとして頭をぶつけた彼に手を貸す。小さくすみませんと言う声と、手。

「疲れたのか」
「多分。あなたの方は」
「少しな」

 裾が触れ合う。少し距離が近いように思われたが、離れれば声が届かないので致し方ないことだろう。喉の違和感は無くなってくれなかった。あまり酷使はしたくない。

 夜霧は青色をしている。橙色の灯、無数に分裂した薄い影、見上げても空にはのっぺりとした闇があるだけだ。結局のところいかに偉大な星でも、遠くにあれば風に揺らぐ火にすら勝つことはできない。

「調子はどうですか」
「特に問題ない、処置が正しかったらしい」
「ではやはり呪いもなにもなしの単純な毒物だったと。おおよそ見当はつきます」

 裏口から入ってしばらくの広場、私とエリオを送り届けた馬車はすでにいなくなっていた。圧迫感のある石壁の建造物たち、その間を術師棟まで戻ろうと少しずつ歩く。

「飲まされたことでもあるのか」
「はいと言ったら?」
「すまない」

 余計な口をきいた。
 
 彼は大きく息を吸う。打ち明けるときのではない、仮面を手に、舞台に立つ時のやり方で。

「そんなに気を使うべき話じゃありませんよ。僕の場合相手は女性でしたし。人妻じゃなければなおよかったんですが。はは、あのときは死ぬかと思いましたよ、本当に。手を出してきたのは彼女のほうなのに。そもそも同じくらいの子供を持っておいて十五、六の少年に手を出すなんてどうかしてる。ああ、そう、その旦那、僕を殴りつけながらなんて言ったと思います?」
「エリオ」
「……なんですか」
「そのくらいにしておけ」

 笑い話として消費しようと無理に明るく振る舞っていることは、だんだん暗くなっていく声色からわかっていた。それでも話し始めると引っ込みがつかなくなって、掘り起こさなくてもよかったはずのものまで引きずり出してきて、古傷を自ら抉ってしまう。制止はいたずらに傷つきにいくなという意味でのこと。

「そんな深刻そうにとらえないでください、僕にとっては大した話でもない」
「それは自己暗示だろう」
「……」

 裾が擦れる。

「お前は昔からそうだった。嘘で自分自身をも騙しながら、無理に強く振る舞って、外面と中身の乖離に目を背け続け、傷を増やし、最後にひどい破綻を味わう」
「確かであるように言うんですね」
「違ったか」

 エリオは曖昧に笑う。

 灯火の庇護下から外れてみれば、夜空は案外明るかった。月はほとんど正円と言っていい姿で虹の光輪を背負っている。

「……なら」

 月。狂気を与える光の所有者、太陽を写す鏡。

「知っていたなら、なぜあなたは僕を救い出そうとはしなかったんですか」

 すぐ隣、碧を抱いた銀色の瞳が揺れていた。

「最初からわかっていたわけではなかった。その可能性に思い至ったときにはもう遅く、私はお前を救い出せるような立場にいなかった——すべては遅すぎたんだ」
「ッ、いいえ!」

 衝撃。息が詰まった、背が痛んだ。骨肉に鈍く響くそれに、私は自分が壁面に押さえつけられたのだと理解する。

「そんなことはなかったはずだ!僕が生きている間であればいつであろうと、遅すぎるなんてことはなかった」

 胸ぐらをつかまれ、わずかに首が締まる。息苦しさはそのせいか、それとも悔悟のせいか。

「あなたが僕を救い出せる立場にあるかどうかを決めるのは僕だ、そして。あなたであれば僕は死の直前であろうとその手を受け入れた」

 少しばかり胸の奥のほうが冷えた。それは嘘だろう、あの私による最大の裏切りで、お前は完全にその扉を閉ざしてしまったではないか。把手に手をかけることすら許されなかった、あれは決して幻想でも幻覚でもない。
 しかし救われることを望んでいたのなら。それならば。

「なら初めから——」

 言いかけて止める。なんて続けようとした。初め——彼が王宮ここに来た頃のことを引っぱり出してきてそれで、私の善意を無下にするな?言うことを聞いておけばよかっただろう?そんなことを言おうとしたのか?もう過ぎたどうしようもないことを蒸し返し、当時十四の子どもを責めようと?私自身のことは棚に上げて?私の接し方は誤っていなかった、受け取らずにいたお前が悪いのだと?
 なんの解決にもならない、なんの善事も生まない、ただ深く傷つけることだけを目標に言葉を使おうとしたな、今、私は。

「いや、いい、忘れろ。そういうことが言いたかったわけじゃない」

 胸元にかけられていた手の力が緩む。

「……クソ。僕だってあなたを責めるべきじゃなかった。責めるべきはあなたじゃない。わかっていたはずなんだ……わかっていた……」

 言葉が冷たい石壁に反響する。互いにナイフを取り落としたようだ、その冷酷な音は耳の奥に残留し、余韻は夜霧に吸い込まれて消えていった。

 深呼吸、咳払いがひとつ。襟をつかんでいた手が外れる。

「よし。……よし、行きましょう。失礼しました。せっかく生きて会えたんだ、恨み言はまた今度言わせてもらいます」

 背に手を回され、ぐっと引き寄せられる。倒れ込みそうになる私の体を私以上にうまく操って、その口は微笑を描き出す。

「やっぱり辛気臭いのは僕の柄じゃない。でしょう?」

 言い切って吹っ切れたのか何なのか、その声は清々としている。乱れた襟を直される。そのまま閉じるのではなく開かれるのではと一瞬錯覚したが、それは何が所以なのかわからなかった。
 再び歩き出す。どさくさに紛れて手をつながれたが、人目もない、早急さっきゅうに振り払わねばならない理由もない。

 月光を踏み砕く。その後に立つ鱗粉を裾の刺繍糸が絡めとる。

「また明日に」

 その言葉を残してエリオは自室に戻っていった。言葉と、ついでに手の甲への接吻キスを残して。




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