宮廷奏術師の二度目

継津 互

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本編>第一綴:——

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 廊下が騒がしかった。

 最近夜を徹しての仕事が増えたことにくわえ、今朝は朝織の担当でなかったことから、部屋の扉が叩かれることがなければ私は危うくその騒ぎに気づかず昼まで眠り通していたことだろう。

「なにがあった」

 寝起きで意図せず発言が粗暴になる。部屋の前に立っていたのはヴォリン奏士、二週間前、カード遊びの席にいたあの北地の城塞都市のような男だった。
 彼はどうでもいい用事で他人の部屋を訪問するような質ではない。
 ただならぬ気配を感じ、そのへんに掛けてあったローブを引き寄せて羽織る。普段遣いするには裾や袖が長く、特定の式典以外ではあまり使わない代物なのだが、今起きたばかりだとでも言うような格好よりはマシなはずだ。

「毒殺だ」

 彼は短くそうとだけ言った。
 毒殺。それが私に伝えられるということは。
 背筋から内臓へ、冷水を流し込まれるかのような感覚。

「あなたの姿が見えなかったから呼びに来た。あなたは行くべきだ」

 頭の中は真っ白だった。ヴォリン奏士は誰とは言わない。だがわかってしまう、それを私の早とちりだと信じたいのに。

「医師はもう到着している、メーヘム奏士の部屋だ」



「道をあけてくれ」

 事件に群がる人々をかき分け進む。あけろ、通せ、命令形で飛び出る言葉たちは、自分の発したものとは思えないほど冷たく遠くでくぐもって聞こえる。毒殺。私の頭は最悪を想定した。あの初夏の宵のように、だんだんと熱を失い冷えて固まっていく手を握るしかない状況を想定した。次いで彼がもう教会にでも運ばれていて、実感もなにも感じないまま、喪失の証拠だけを押し付けられる、そんな状況を想定した。過去と未来と現在とがないまぜになって彼の死を考えた。考えればそれが現実に肉迫してくるような気がして、急いでそれらを振り払おうとした。教会の向こうに沈む太陽。まだ早い、日没には、まだ早すぎる。毒殺。もし本当にお前が死んでいたら、私はどうしたらいい。お前が死んだら私には何も残らないのに、生きる意味のほとんどをお前に懸けているのに。

 ——あなたに認められたかった。

 硝子片が刺さったままの私の心臓がじくじくと痛んだ。おまえはいつもそうだ。もっと早く、大胆に行動しなくてはならないのではないかと、そう考えてからどれだけ経った?おまえはいつも遅い。臆病か怠惰か、動こうとせずに、それでいて一丁前に後悔だけはする。心のどこかでまだ時間はあるからと思っていた。そんなにすぐでなくてもいいだろうと、なかなか正面から伝えられない自分を正当化しようとしていた。

 生きていてくれ、そうとだけ願った。沈黙を貫く神に、どんな苦難も罰も受けるから、彼だけは殺さずおいてくれと祈った。

 深黒のローブの裾が翻る。

 私の前で二度も彼を殺すな。連れて行くな。
 
「レーベンツァイト奏士……?」

 扉付近には見慣れない者たちが立っていた。そこだけロープでも張って隔離されているかのように、野次馬の接近が拒まれている。

「お待ちください」

 制止される。

「私は彼の師だ、通してくれ」

 阻む者は他と目を見合わせる。

「……頼む」

 阻む者は軽く頭を下げ、退いた。感謝する、と口に出したが、正しく発音できたものかわからない。

「なかに医師がいます、邪魔をしないように」

 阻んでいた者は言う。そしてつけ足す。

「まだ処置の途中のようですから」

 その言葉は彼がまだ生きているであろうことを暗に示していた。



 途切れ途切れに言葉が聞こえてくる。寝室の方だ。壁から天井、床に至るまで、光の軌跡がかすかに波立っている。治療に魔術を使っているのだろう。
 強酸の臭い、嘔吐があったらしい。寝台の上にそれらしき姿を認める。近くにかがんで処置をしている医師、その助手、そして。

「アールステッド奏術師長……」

 手すきの彼が唯一私の足音を聞き、こちらに視線を寄越した。思いもよらぬ人物の存在に足が止まった。師長は一度寝台の方を振り返ってから私に近づいてくる。

「なぜいらっしゃるのですか」

 私は訊いた。返答がきてから愚問だったと気づいた。気が動転していたらしい。

「立場と言えば答えは出るかね」

 この王宮の奏術師をまとめる立場にある人間からすれば、その管理下の人間の毒殺事件など看過してはならないことだ。医師とも状況説明やら諸々の処置やら、誰かがやりとりをせねばならない。

「なぜという問いかけは私がすべきであろうな」
「以前にも申し上げました通り、彼は私の弟子ですから」

 弟子な、と師長は単語を繰り返す。事実ではあるが建前であることを見抜いているかのような態度だった。私はその表情を注視する。そこからはやはりなにも読み取れない。険しい顔を保ったまま、ただ前を見つめている。
 医師が師長の立っていた場所を見、いないことに気づいてこちらに目をやる。伝えたいことがあるらしい。

「来なさい」

 意外なことに、師長は私へ短くそう声をかけた。



「処置は大体終わりました。現在は痛みの緩和を施しています。幸い死に至るほどの量は摂取していなかったようですが、しばらくは安静にしているべきでしょう」

 手を動かし続ける医師に代わり、助手のほうがそう説明する。
 寝室の入り口あたりでとめられたためエリオの詳しい様子は見えなかったが、意識はあるようだった。痛みに耐えているのか体を丸めている。その苦しげな息遣いが目にも分かるかたちで表れていた。私はそばに行きたい衝動を抑え、説明に耳を傾け続ける。

「魔導錐解析の結果と症状からして、甲虫こうちゅう由来の毒の一種のようです」

 甲虫の毒。
 師長は表情を変えない。
 正直、私は師長を疑っていた。私がエリオを自由にさせているのを見、他の従順な者に指示してエリオに毒を盛らせたのではないかと。彼が死んでしまえば、すべての懸念はなかったも同然になるから。

「甲虫由来の毒、というと」

 アールステッド奏術師長は問う。

「ある甲虫類がその体液に持っている毒です。乾燥させて砕いた粉末適量を薬としても用いるため、わずかながら流通はしています。過剰に摂取すると消化器系の灼熱痛にくわえ嘔吐、下痢、血尿などの症状が出ますね」

 灼熱痛。

「では薬としてなら誰でも入手できうるということか」
「ふむ……そうですね……一般人となると、おそらく薬というよりは——」

 助手は変に口ごもりながら言い切る。

「催淫剤として入手する方が多いかと」

 助手曰く、微量であれば催淫効果が見込めるのだという。実際に服用したことはないのでわからないが、とつけ足していたが私にはもうなんとなく察されていた。グルーバー氏に飲まされたあの水薬。あの中に混ぜ込まれていたのは、おそらくこれだ。

 師長は質問を続けた。その内容は彼が犯人を追及するつもりであるかのように思わせるものだった。パフォーマンスだろうか、それとも本当に師長とは無関係で、彼にとってもこれは解決せねばならない事件なのだろうか。

「そちらの黒髪の方」

 この呼びかけは医師だった。私を呼んでいるらしかった。手招きされる。近づく権利を得る。
 私は医師の隣、エリオのすぐそばに歩みを進めた。医師はなにやら話があるようだと言い後ろに下がる。
 もっと近づくようにとエリオはジェスチャーで示した。ローブの裾を引きずることも厭わず膝をつくと、彼は静かに言う。

「まるであの日のようですね」

 あの冬の日、雪の夜。
 手を、彼は呟く。

「少しだけ貸してください。離れられたくない」

 差し出した私の手のうえに彼自身の手が重ねられる。その力はすぐに振りほどけてしまいそうなほど弱い。

「……しくじりました。警戒はしていたつもりだったんですけどね」

 毒を飲んだことについてだろう。

「お前は悪くない。だが話はあとで聞こう、今は何より回復に専念すべきだ」

 ふ、と息が吐き出される。

「ならここに引き留められてくれませんか」

 度重なる嘔吐で体力を消耗したらしい。その声には疲れがにじんでいる。
 ぱらぱらと音が聞こえ始めた。窓の外、にわかに雨が降り始めたようだ。

「そばにいてください、テオ。せめて僕が眠るまで」

 四月の末、春の日が雨雲の向こうに隠れる。だが雨は通り雨だ。きっとすぐに止み、そして蒼天にはまた太陽が姿を現すだろう。
 お前がそう望むなら、私はそう返す。祭りまでには快復してみせるとエリオは誓い、ゆっくりと瞼をおろす。

 呼吸は落ち着いているようだった。医師は腕の立つ人物だったようだ。だが室内にはまだ血混じりの吐瀉物の臭いが残っていた。死の親戚の歩き回った跡だ。私は口に出さずに誓う。もしお前の死ぬことがあったなら、今生こそ私は、そのすぐそばで後を追ってやると。




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