宮廷奏術師の二度目

継津 互

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本編>第一綴:——

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 雨はまだ降り続く。私は庭園に出ていた。ある人物を探すためだった。散歩のふりをしてゆっくりと、自分が賭けに勝つことを祈りながら、背の高い庭木の影をただひとつの姿を探し歩き回る。

 ガサッ。

 茂みの動く音がした。そちらを見ると黒猫が一匹。

「雨の中を散歩かい、風邪をひくよ奏術師の旦那」

 そんな声が聞こえたかと思うと、パチッと音がして周囲から空間が隔絶される。頭上で雨が不可視の傘にあたって砕け、横から流れ落ちていく。雨の音が遠い。ガラスケースのなかに隔離されたかのようだ。そんななか、黒猫は金色の瞳をこちらに向けている。

 いた。

 喋っているのは猫ではない。

「ご配慮痛み入ります、殿下」

 私は壁のように刈り込まれた庭木の、その向こうに向かって言った。

「誰かとお間違えのようだな旦那、ぼくは殿下じゃない、ただの黒猫。そうだな、黒猫のレオだ」

 会話の相手に聞こえないようこっそり唸る。ちなみにだが、王太子殿下はその名をレオポルトという。

「なにか悩みか愚痴でもあるのだろう、この黒猫が聞いてやる。殿下への愚痴なら、ぼくがそれとなく殿下にお伝えして差し上げよう。ぼくは殿下の愛猫だからな、君らと違い何を言っても許されるんだ」

 変に鼻にかかったような声、最後にニャオ、と殿下……黒猫は鳴いてみせる。

 回りくどいこれは、この非公式の謁見における大切な形式だった。王太子殿下の配慮である。

 王太子殿下が雨の日の庭園の散歩を好むことは知っていた。だから偶然を装い会うことができればと、そう思い傘も持たずに歩き回っていた。まさか黒猫に話しかけねばならなくなるとは思わなかったが、防音と水除、そうして作られたこの小さな謁見場所は、殿下からの許しのあらわれだ。

「では……聞いていただけますか」
「いいとも」

 私は息を吐き、吸った。

「王宮内で毒殺未遂事件が起きたことはご存じでしょう」
「……ああ、知ってる」

 それまでの少し芝居がかった喋りから一転し、その声は一気に真剣さを帯びる。

「被害者は王太子殿下のよく知る人物です」
「エリオディアムだろう、エリオディアム・ソリュ・メーヘム」
「ええ。殿下は彼をいたく気に入っているようでした。しかしその寵愛も障害を引き寄せこそすれ、後ろ盾とならないのなら邪魔なものでしかありません」
「遠回しに言おうとしているがつまりあれか、君は、エリオディアムが殺されかけても介入しようとしない殿下にご立腹というわけか。連れてきておいて放っておくのはあんまりだと」

 自分の抱えるものをすっぱりととんでもない言葉にまとめられ、返答に詰まる。違うと言おうとしたが、どこが違うのか言えと言われると言葉にしがたかった。黒猫の……殿下の言う通りだ。

「はい」

 黒猫は身をぶるりと震わせる。

「ふむ……殿下はきっとこうお考えだ――変にわたしが介入しては、余計に彼の立場が悪くなる、と」
「彼をここへ連れてこさせ、ことあるごとにそのご命令で場を掻き乱しておいでなのに今更それを」
「落ち着け奏士。もなにもしなかったわけじゃない、だろう?」

 黒猫は雨に濡れた己の毛並みを整えている。

「まあ、三、四年前くらいに仕込んだことだが」

 唐突に視線を感じる。生い茂る葉の壁の向こう、黄金の双眸がこちらを射ている。

「君だ、レーベンツァイト奏士。なぜ彼を君の弟子にしたかわかるか。君が一番可能性があったからだ。従順すぎるところを除けば君は立場も思想も十分だった、わたしは君に賭けたんだ。君であればわたしと違い、あの古い体制のなかで彼をうまく導き、守り、淀んでしまったカラフの水を入れ替えることができると、そう信じた」
「それは……過分な期待だったようで」

 責め立てられているような気分になった。目の前で語られたこの期待が真実なら、前生で私は自分に求められていた役割を完全に見誤っていたことになる。見誤って、王太子殿下の期待と真逆の方向の働きをした。今のほうもそうだ、この四月の頭に“戻って”くるまで、私は彼を型に押し込むことだけを考え、周囲と一緒になって逸脱を非難した。

「過分?いいや。君は自己評価が低いな」

 しかし自分の見積もりは確かに甘かったと相手は笑う。エリオディアムは思った以上に面倒な性格をしていたし、君は思った以上に伝統に従順だった、と。

「わたしは賭けに負けたかと思ったが、なにかあったらしいな。急に勝てそうな気配がしてきた。だから君も過分な期待“だった”とか言うな、そこはまだ過去形を使うべきところじゃない」

 笑いを含んだような喋りだ。

 鐘の音が聞こえてくる。低く垂れこめた黒雲が蓋となり、音は街の中を不気味に反響する。鐘楼の屋根の下で雨宿りをしていた鳥たちは衝撃で一斉に飛び立った。しかしこの雨の中だ、強烈な空気の振動が衰え死ぬと、彼らはめいめい屋根の下に戻ってくる。

「……安心したまえとは言わないが、王宮での毒殺未遂だ、なあなあにはならない。謀った者は必ずや罰されるだろう」

 黒猫は喉を鳴らすような鳴き声を発した。そのまま芝生をしゃくしゃくと音を立てながらかじり始める。王太子殿下の代役はもう飽きたらしい。

「今日話したことは他言するなよ、ただの黒猫の戯言だ。王太子殿下は王宮の魔法使いらの内情に無関心だし、わがままで、気まぐれなんだ」
「……はい」

 そのレッテルになぜ固執するのか私にはよくわからなかった。なにかあるふうに見せたいだけで、実際に無関心でわがままで気まぐれなだけの可能性もある。
 この先しばらくしないうちに戴冠し、オスト国王レオポルト一世となる彼の治世について覚えていることは少ない。しかし少なくとも発狂した人間を修道院で飼い殺せたくらいには平和だったのだろう。なれば単純に考えるよりも、なにか事情があるのだろうなと考える方が自然だ。国を背負って立てたのだから。

「ああ、そうだ」

 礼を言って去ろうとしたそのときになって、声は呼び止める。

「君、忠誠を誓えよ」

 なんのことかわからず聞き返す。

「そのままの意味だ、わたしに忠誠を誓え。君はこの王宮の奏術師で、この国の魔法使いだからな」

 当然のことを返され、ますますわからなかった。私の態度が相手の逆鱗に触れたか、反逆者じみていただろうか。

「なにか無礼を――」
「いや、違う。そうではなくて」

 声の主は言い淀んだ。言い淀んで、説明を諦めた。

「いずれわかる」

 それから声は気にするなと言って話題をすり替えた。

「この前エチュードを書いただろう、なかなか興味深かったぞ」

 統合された記憶を探る。そういえば二周目の始まる前、一七八〇年は三月の中頃に書いていたような。

「ご覧になったので……?」
「勿論。わたしも一魔法使いであるからな、身につけるべき教養だ」

 思い切り顔を押さえたくなった。実際に眉間を指で押さえるところまではいった。内容からして、殿下はすでに習得済みの範囲のはず、つまらなかったでしょうにと言うと、いや基礎は大事だからなと返ってくる。そうか、あれらはまだここでは燃やされず残っているのか。

「エリオディアムのほかに師弟関係を結ぼうとは思わないのか。弟子は一人でなくてはいけないなんて決まりはないのだし、君は充分に資格があると思うが」
「検討いたします」

 難しい話だ。私の心中を察してか察さずしてか、相手は息を抜くだけの薄い相槌を返す。

「まあ、じっくり検討したらいい。……そろそろいい時間か、わたしもだが、君も暇ではないだろう」

 相手は再び毒殺未遂事件のことを掘り返した。そして落ち着けと言って遮った私の言葉に対し、「まだ幼いのに、悪いことをしたとも思う」と謝罪とも何とも言い難いコメントを残した。
 苦労をかける、と言う声。パチンと音がする。途端、はじけるようにして雨の音が耳の奥を揺らす。地面から立ちのぼる青臭い呼気、濡れて重たげな草木の葉、灰色の蓋の下、灰色にくすんだ雨の庭園。

 私が望んで来たはずなのに、話したいことは半分ほども言えなかったような気がしていた。むしろあちらが言いたいことを一方的に言われたような気さえする。

 足元で黒猫が鳴いた。濡れた体で擦り寄られ、せっかく雨避けを施していたのに裾が濡れる。しかし猫に罪はない。庭園を抜けるまで私はしばし傘役を買って出ることとした。庇えるものの少ないこの外套も、猫一匹くらいであれば覆ってやれるから。




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感想 1

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みんなの感想(1件)

七天八狂
2025.11.28 七天八狂

プロローグはあまり好きじゃない派なんですが、今作はプロローグで鷲掴まれました。雨禍津先生の文体がツボなのもありますが、初っ端から引き込まれて瞬時に脳内に映像が流れ始めました。
説明過多にせず独自の世界観に引き込んでいく筆致が凄すぎです。
必要最小限にしつつ場面を追うのに過不足なく、読み応えのある印象的な表現で先へと促される。
情景描写をしながら世界観の説明もしつつ語り手の行動と場面を流れるよう読むことができて、ドラマを楽しみながら理解が進みます。
数多ある小説の中でも、この簡潔さは上級レベルだと思います。
しかも表現がたまらなくいい。にくいほどかっこいい。飾らず、その表現が適切だからといった感じでさらりと文学的表現をしていて、読み応えが半端ないです。

死ぬほどツボな文体でBLを読めた幸福に天を仰ぎました。神に感謝したい。本屋に並んでいるレベルの純文学的筆致でBLです。
しかも年下天才攻めですよ? なにごと?
しかもしかも個人的に映画「アマデウス」のサリエリのような、天才を前に苦悩する凡人(努力の秀才)設定がツボなんですが、主人公が…大事件です。
これを書いている今、二話しか読んでいないのですが、語らずにはいられないくらい惚れました。深夜に家族が寝静まったあと舐めるように読みます。
楽しみにしています。

2025.11.28 継津 互

七天八狂様
感想ありがとうございます。
映画「アマデウス」は全くもってそのとおりというか、完全に影響を受けた作品のひとつです。
ただ見たのがかなり前ですので、記憶が危うい。
先が刺さるかは微妙なところですが、もし読み続けていただけるようならその時はお付き合いいただけると幸いです。
表現や文体についても、にくいと思われたままでいられるよう、日々鋭く研ぎ続ける所存です。

解除

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